コードギアス:The New Order ─ Last Days of Empire 作:オムライス黄色連盟
世界が動き始める朝
1962年4月22日午前8時55分
大日本帝国 首都東京
霞が関の官庁街は、朝から低い雲に覆われていた。
首相官邸の執務室では、井野碩哉が一通の報告書を読んでいる。
机の向かいには、内閣情報部と陸軍参謀本部の人間が立っていた。
報告書の表紙には、赤い文字で機密区分が記されている。
対ブリタニア特別情報・乙種
「つまり」
井野は眼鏡を外し、報告書を机へ置いた。
「我が国が支援している難民組織は、輸送物の奪取に失敗した」
「はい」
陸軍の情報部門である特務機関の男が答える。
「現地組織は輸送車列への接触には成功しました。しかし、ブリタニア軍の即応部隊と交戦状態に入り、鹵獲品は混乱の中で行方不明となっています」
「行方不明というのは、ブリタニアが回収したという意味か」
「確認できておりません」
「では、難民組織が持ち去った可能性は」
「低いと思われます」
男は新しい資料を机へ差し出した。
「現場にいた者の証言によれば、コンテナ内部には兵器ではなく、緑色の髪を持つ少女が収容されていたとのことです」
井野の手が止まった。
「少女?」
「はい」
「生きていたのか」
「そのようです」
「ブルグントが、人間を軍用コンテナで運んでいたと?」
「正確には、ブルグントからブリタニアが回収し、首都へ移送していたものと思われます」
井野は椅子へ深く腰掛けた。
二月に起きたドイツ総統暗殺未遂事件。
ハワイ危機に乗じ、日本国内で摘発されたブルグント工作員。
そして、ブリタニア軍が極秘に運んでいた人間。
どれも単独の事件として処理するには、偶然が重なりすぎていた。
「現地組織の被害は」
「死者四名、重傷者七名。小火器と車両の一部を喪失しています」
「装備を失い、壊滅したのか?」
「いいえ」
情報部の男は首を振った。
「小野田少佐が停戦命令による混乱を利用し、残存人員を救出しました。行方不明者を含め、組織の中核は維持されています」
「こちらの支援者が直接動いたのか」
「はい。偽装医療車両と現地協力者を投入しました」
井野はわずかに眉を寄せた。
小野田寛郎は、有能だった。
現地へ溶け込み、少人数で情報網を築き、必要なら正規軍にも気づかれず人員と物資を移動させる。
だが同時に、現場の事情を優先し、上からの命令を独自に解釈する傾向があった。
「独断ではないのか」
「事前に認められた緊急退避計画の範囲内です」
「建前はな」
井野は短く息を吐いた。
「難民組織のほうは、どう説明している」
「当初の任務は監視と輸送物の確認でした。しかし、現地側が独断で襲撃へ移行したようです」
「指揮したのは」
「紅月カレンを中心とする武装班です」
「紅月ナオトの妹か」
「はい」
井野は報告書をめくった。
「そして、ブリタニア軍は旧市街地で大規模な掃討作戦を実施した」
「クロヴィス第三皇子の直接指揮です」
「そのクロヴィスは死亡」
「停戦命令を出した直後、G-1ベース内で射殺されました」
執務室が静かになった。
「犯人は」
「不明です。ただし現地組織の証言では、戦闘中に正体不明の人物が通信へ介入し、彼らへ指示を出していたとのことです」
「どの程度の人物だ」
「帝国軍の配置と行動を正確に把握し、即席の部隊を使って包囲を崩しています」
「ブリタニア軍人か」
「可能性はあります」
「日本人では」
「声だけでは断定できません」
井野は机の上で指を組んだ。
首都で軍の掃討作戦を混乱させ、第三皇子へ停戦命令を出させ、その直後に殺害する。
もし同一人物の仕業なら、単なる反政府活動家ではない。
軍事と政治の双方を理解し、異常なほど大胆な行動を取る者だ。
「その人物も鹵獲品とともに消えたのか」
「その可能性が高いと、小野田少佐は判断しています」
「小野田本人からの報告は」
「追跡継続を要請しています」
「当然だ」
井野は報告書を閉じた。
「ブルグントが人間を何のために収容していたのか。ブリタニアがなぜ首都へ運び込んだのか。ハワイ危機との関係はあるのか」
彼は情報部の男を見た。
「すべて調べろ」
「現地組織への支援は継続しますか」
「継続する」
井野は即答した。
「ただし、今後は小野田を通せ。若者たちに勝手な戦争を始めさせるな」
「武器供与については」
「自衛の範囲を超えるものは、逐次許可を取らせろ」
「承知しました」
「そして」
井野の声が低くなった。
「クロヴィスを殺した人物を見つけろ」
情報部の男が顔を上げる。
「敵なら危険だ」
「味方であれば?」
「さらに危険だ」
井野は窓の外、雲に覆われた東京を見た。
「強すぎる駒は、誰の盤上に置かれているか分からん」
1962年4月22日午前9時20分
大ゲルマン帝国 首都ゲルマニア
同じ頃。
ドイツの首都、ゲルマニアにて。
巨大な官庁街は、石と鉄で作られた記念碑のように朝霧の中へそびえていた。
国家保安本部の地下執務区画には、窓がない。
時刻を示すものは、壁に掛けられた時計と、机上灯の白い光だけだった。
ラインハルト・ハイドリヒは、一枚の写真を見ていた。
夜間に撮影された粗い写真。
ブリタニア首都旧市街地。
横転した輸送車両。
炎上する黒いトレーラー。
展開する複数のナイトメアフレーム。
その周囲には、帝国軍が使用する青色の識別枠が引かれている。
だが写真中央の黒いコンテナだけは、赤い線で囲まれていた。
表面に刻まれているのは、銀色の髑髏とルーン文字。
ブルグントの管理標章。
「本物か」
ハイドリヒが尋ねた。
机の向かいに立つ親衛隊情報部の将校は、背筋を伸ばした。
「標章そのものは本物と思われます」
「思われる?」
「ブルグント側は照会へ回答しておりません」
「照会したのか」
「本国親衛隊の正式経路ではなく、現地連絡員を通じて非公式に」
「返事は」
「そのような輸送物は存在しない、と」
ハイドリヒは薄く笑った。
「存在しないものが、なぜブリタニア首都で燃えている」
将校は答えなかった。
ブルグントは大ゲルマン帝国の一部である。
少なくとも、地図の上では。
実際にはヒムラーが築き上げた閉鎖国家であり、本国の大臣も、軍も、党も、その内部へ自由に立ち入ることはできない。
親衛隊同士であっても例外ではなかった。
「輸送物の出所は」
「昨年のハワイ危機前後に、日本およびブリタニアで摘発された工作網と関連している可能性があります」
「可能性ばかりだな」
「確証がありません」
「確証を集めるのが貴様らの仕事ではないのか」
将校の顔から血の気が引いた。
「申し訳ありません」
ハイドリヒは写真を机へ置いた。
「続けろ」
「ブリタニア軍は輸送中に反政府組織の襲撃を受けました。輸送車両は旧市街地へ入り、その後、現地軍による大規模な掃討作戦が行われています」
「クロヴィスが直接指揮した作戦か」
「はい」
「そして、そのクロヴィスは死んだ」
「G-1ベース内部で射殺されています」
「輸送物は」
「行方不明です」
ハイドリヒの指が机を叩いた。
一度、二度、三度。
彼は詰めるように言った。
「首都で皇子が殺され、ブルグントの機密が消えた」
「はい。反政府組織による襲撃と、その後の掃討作戦の混乱中に機密は行方不明となっています」
「ブリタニアも落ちたものだ」
ハイドリヒは鼻で笑い、質問を続けた。
「で、奴らはどちらを重大事件として扱っている」
「公には皇子の暗殺です」
「公には、か」
「軍と情報機関は、輸送物の捜索を優先している形跡があります」
ハイドリヒは背もたれへ身体を預けた。
それならば、中身は単なる研究資料ではない。
皇族の死より優先される何か。
「中身について分かっていることを言え」
「生体収容設備だった可能性があります」
「可能性ではなく、確認された事実を言え」
「現場から逃走した者の断片的な証言では、内部に女性が収容されていたと」
「年齢は」
「不明です。外見は若い少女。髪は緑色」
ハイドリヒの表情が、わずかに変わった。
「緑色?」
「はい」
「ほかには」
「拘束具と電極の痕が確認されたとの情報があります。また、銃撃または爆発に巻き込まれたにもかかわらず、生存していた可能性があると」
部屋の空気が冷えた。
ハイドリヒは将校を見つめた。
「誰がその証言を得た」
「ブリタニア警察の内部協力者です」
「信頼度は」
「中程度です」
「その協力者は、少女を直接見たのか」
「いいえ。負傷した現場兵の供述記録を閲覧しています」
「兵士本人は」
「その後、軍情報部に移送されました」
「生きているか」
「確認できません」
ハイドリヒは机の上の写真へ視線を戻した。
若い少女。緑色の髪。異常な生存能力。ブルグントの生体研究。
思い当たるものがないわけではない。
だが、思い当たることそのものが不快だった。
「二月の件とつながっていると思うか」
将校はすぐには答えなかった。
二月に起きた、総統暗殺未遂事件。
結果としてヒトラーは生き延びた。
容疑者の一部はその場で射殺され、残る者は行方を消している。
捜査では犯人が使用した拳銃が日本製であったことを根拠に、日本の特務機関の仕業だと主張した。
だが、外国製の拳銃を使用した偽旗作戦など子供でも思いつく。
結局、今でも誰が主犯なのか見当はついていない。
捜査記録の一部は、総統官邸ではなくブルグント側の要請によって封印されている。
「現時点では、直接の証拠はありません」
「だが、可能性はある」
「はい」
「暗殺未遂の前後に、ブルグントの要員が本国へ複数入っていた」
「記録上は、警備協力とされています」
「警備協力」
ハイドリヒは鼻で笑った。
「総統が撃たれる直前に、ヒムラーの人間が帝都へ入り、事件後には姿を消した。それを協力と呼ぶのか」
「正式な命令書には、ヒムラー全国指導者の署名が」
「署名があれば、すべて正しいとでも?」
「いいえ」
将校は頭を下げた。
ハイドリヒは立ち上がった。
壁にはヨーロッパと北大西洋の大地図が掲げられている。
ゲルマニア。
ブルグント。
ブリタニア。
日本。
ハワイ。
ロシアの軍閥たち。
赤と黒のピンが、各国の軍事施設と工作拠点を示していた。
「ブリタニアで、誰が動いている」
「国防軍情報部、安全保障省、外務情報局、親衛隊保安部の各現地局です」
「多すぎる」
「管轄が重複しています」
「だから何も見えない」
ハイドリヒはブリタニア首都へ刺された黒いピンを抜いた。
「ゲーリングも動いたな」
「安全保障省から現地局へ増員命令が出ています」
「目的は」
「公式にはブルグント由来の兵器技術の回収です」
「公式には」
「ゲーリング元帥が、次期総統争いの材料にしようとしている可能性があります」
「可能性ではない。確実にそうする」
ハイドリヒはピンを指先で弄んだ。
ゲーリングは軍を握っている。
シュペーアは産業家と若手官僚を集めている。
ボルマンは党を押さえている。
そして自分は、親衛隊と治安機構を持つ。
ヒトラーが死ねば、誰もが同時に動く。
今回の鹵獲品が兵器であるなら、均衡を崩す。
もしブルグントの秘密を暴く証拠なら、さらに価値がある。
「本国の情報網を、ゲーリングの部下より先に動かせ」
「既に現地局へ指示を出しています」
「取り消せ」
将校が顔を上げる。
「取り消すのですか」
「現地局には漏洩がある」
「根拠は」
「昨日の事件から八時間も経たず、ゲーリングの机に同じ報告書が置かれている」
「国防軍独自の情報源かもしれません」
「かもしれん」
ハイドリヒは振り返った。
「だから試す」
「どのように」
「現地局へ、偽の情報を流せ」
「偽情報?」
「少女はブリタニア軍が再回収した。現在は皇帝直属の研究所へ移送中だと」
「ゲーリング側が反応すれば」
「漏洩経路が分かる」
「本当に移送中である可能性は」
「ならば、偶然正しい情報を流しただけだ」
将校は無言でうなずいた。
「もう一件あります」
別の将校が、次の資料を差し出した。
「何だ」
「現地の移民組織の通信へ、正体不明の人物が介入しています」
「日本側の指揮官か」
「現地協力者とは別人と思われます。若い男性の声。帝国軍の配置を読み、反政府組織へ戦術指示を与えています」
「戦果は」
「包囲網を一時的に崩壊させました。奪取した量産型KMF一機で、試作機ランスロットとも交戦しています」
「生き延びたのか」
「はい」
「名前は」
「不明です」
「所属は」
「不明です」
「顔は」
「確認されていません」
ハイドリヒは黙った。
「クロヴィスの死との関連は」
「停戦命令が出された後、正体不明の指揮官は戦場から消えています。その直後、クロヴィスがG-1ベース内で射殺されました」
「つまり、同一人物である可能性がある」
「はい」
「軍を止め、皇子を殺し、少女を持ち去った」
「推測ですが」
「面白い」
ハイドリヒの口元に、ごく薄い笑みが浮かんだ。
「何がでしょうか」
「若い男が、たった一晩でブリタニア首都を混乱させた」
「危険人物です」
「だから面白い」
将校は沈黙した。
「その男を探せ」
「捕縛しますか」
「接触を試みろ」
「敵対した場合は」
「その時に決める」
「ブルグントの対象より優先を?」
「同じ線上にいる」
ハイドリヒは断言した。
「少女を持ち去った男が、その価値を知らないとは考えにくい」
「しかし、ただの偶然で巻き込まれた可能性も」
「偶然で皇子の指揮所には入れん」
ハイドリヒは資料を閉じた。
「それに、クロヴィスは死ぬ直前、全軍へ停戦を命じている」
「脅迫されたと考えるのが自然です」
「そうか?」
「ほかに方法があるとは思えません」
「ならば、なぜ護衛も参謀も指揮所から消えていた」
「退避命令が出されていたとの報告があります」
「誰が出した」
「不明です」
「一人の侵入者が、指揮所全体を空にした」
ハイドリヒの声が低くなる。
「武器だけでできることではない」
将校は意味を測りかねたように、ハイドリヒを見た。
「何か、特殊な手段が使われたと?」
「ブルグントは人間の意志について研究していた」
「洗脳ですか」
「もっと直接的なものかもしれん」
「それは……」
「推測だ」
ハイドリヒは将校の言葉を遮った。
「だが、疑う価値はある」
ブルグントの地下研究所。
消えた被験者。
異常な忠誠心を見せた工作員。
自殺命令に従った潜入者。
それらが単なる薬物や拷問によるものではないという噂を、ハイドリヒは以前から耳にしていた。
証拠はない。
証拠を求めた人間が消えるからだ。
「ヒムラーへ報告しますか」
将校の問いに、ハイドリヒは冷たい視線を向けた。
「なぜ私が、ヒムラーへ報告する」
「ブルグントの所有物であれば」
「それが本当に彼の所有物なら、なおさらだ」
ハイドリヒは椅子へ座った。
「この件は私の直轄に移す」
「国家保安本部の記録からも分離を?」
「そうしろ」
ハイドリヒは写真の中の黒いコンテナを見た。
棺にも似ていた。
死者を収めるためではない。
死なない何かを閉じ込めるための棺。
「目標は三つ」
ハイドリヒは指を一本立てた。
「緑髪の少女を確保する」
二本目。
「日本側工作網の連絡経路を特定する」
三本目。
「クロヴィスを殺した正体不明の男を見つける」
「優先順位は」
「最後の男だ」
将校が意外そうに目を上げた。
「少女ではなく?」
「少女は逃げているだけかもしれん」
ハイドリヒは赤い線で囲まれたコンテナへ目を落とした。
「だが男は、自分の意思で皇子を殺した」
「その人物が少女を利用している可能性は」
「ある」
「少女が男を利用している可能性は」
「それもある」
「では、どちらが危険なのです」
ハイドリヒは将校を見た。
「選択できる方だ」
少女が兵器であるなら、誰かが使う。
だが、男が自ら道を選び、帝国へ刃を向けたのであれば、その意思こそが脅威になる。
「生け捕りにしろ」
「男もですか」
「特に男をだ」
「理由を聞いても?」
「世界を変えようとする人間は、二種類いる」
ハイドリヒは静かに言った。
「自分が世界を支配する者と、世界そのものを壊す者だ」
「彼がどちらかを確かめると?」
「違う」
その目に、獣のような光が宿った。
「どちらに育つかを見極める」
将校は敬礼し、退出した。
扉が閉じる。
執務室に一人残されたハイドリヒは、机の引き出しを開けた。
中には、二月の総統暗殺未遂事件に関する非公式資料が入っていた。
焼却されたはずの報告書。
事件直前、総統官邸地下へ入ったブルグント所属者の名簿。
そのうち三名は、公式には存在しない人物だった。
名簿の余白には、ヒムラー自身の筆跡で短い指示が残されている。
計画の続行を優先せよ
何の計画かは書かれていない。
ハイドリヒはその文字を見つめた。
「何を隠している、ヒムラー」
問いに答える者はいない。
帝都の地下深くで、次期総統候補の一人は初めて、自らが属する親衛隊の奥底へ疑いの目を向けていた。
まだ忠誠を捨てたわけでもない。
ただ一つ。ヒムラーがドイツの勝利とは異なる目的を持っている可能性を、ハイドリヒは考え始めていた。
だが、この時の彼はまだ知らない。
ブリタニアの一角で生まれた仮面の男と、ブルグントから逃げ出した不死の少女が、自らの運命と再び交差することを。
同じ頃
ペンドラゴン アッシュフォード家邸宅
世界の諜報機関が動き始めていた頃。
アッシュフォード家の屋敷では、ルルーシュ・ランペルージが別の問題に頭を悩ませていた。
「どこへ行った」
自室、浴室、客間、廊下。
C.C.と名乗った少女がどこにもいない。
ルルーシュは、昨夜屋敷へ連れ込んだ緑髪の少女を探していた。
ギアスという異能を与え、契約を持ちかけ、クロヴィス殺害の現場にまで居合わせた存在。
本来なら、秘密の場所へ隔離しておくべきだった。
だが昨夜は屋敷へ戻るだけで精いっぱいだった。
軍の封鎖を避け、制服を処分し、血と埃を落とし、ナナリーや使用人に不審がられないよう振る舞う。
その間、C.C.には繰り返し命じていた。
「部屋から出るな」
「誰にも顔を見せるな」
「声を出すな」
と。そして今朝。
ルルーシュが目を覚ますと、C.C.の姿が消えていた。
「まさか、外へ出たのか」
階段を下りる。
屋敷の使用人に見つかったなら、説明が必要になる。
アッシュフォード家へ迷惑がかかる。
ミレイに知られれば、面白半分に追及される。
そしてもし、ナナリーに知られれば──
「お兄様?」
その声に、ルルーシュの足が止まった。
居間から、ナナリーの楽しそうな笑い声が聞こえる。
嫌な予感がし、扉を開く。
「ナナリー」
「あ、お兄様」
ナナリーは窓際のテーブルへ座っていた。
その向かいには、緑色の長い髪を持つ少女がいる。
二人の間には色紙が広げられていた。
ナナリーの手元には、完成しかけた折り鶴。
C.C.の手元には、形の歪んだ何かが置かれている。
「今、C.C.さんに折り紙を教えていたんです」
「そ、そうか」
ルルーシュは笑顔を作った。
額には青筋が浮かびそうだった。
「ナナリー、彼女とはどこで会ったんだ?」
「廊下で声をかけてくださいました」
「廊下で?」
「はい。お兄様のお友達だそうですね」
ルルーシュの視線がC.C.へ向く。
C.C.は平然としていた。
「友達?」
「違うのですか?」
ナナリーが不安そうに尋ねる。
「いや」
ルルーシュは即座に否定を引っ込めた。
「知り合いだ。少し事情があって、昨夜から屋敷へ泊まっている」
「やっぱり」
ナナリーは嬉しそうに微笑んだ。
「お兄様が、お友達を連れてくるなんて珍しいですね」
「そうだな」
「C.C.さんは、とても静かな方ですね」
「そうか?」
ルルーシュはC.C.を睨んだ。
「余計なことを話していないだろうな」
「お兄様?」
「いや、何でもない」
C.C.は折り紙を持ち上げた。
「これは鳥か?」
「鶴です」
「鳥なら羽が必要だな」
「ここを開くんです。触ってみますか?」
ナナリーがC.C.の手を取り、折り目へ導く。
C.C.は一瞬だけ、意外そうな顔をした。
そして素直に従った。
「こうか」
「はい。上手です」
完成した折り鶴を、ナナリーが指先で撫でる。
「少し首が太いですけれど、かわいいと思います」
「そうか」
C.C.は自分の折り鶴を眺めた。
表情はほとんど変わらない。
だがルルーシュには、彼女がナナリーに対して悪意を持っていないことだけは分かった。
それでも、このまま二人を一緒にしておくわけにはいかない。
「ナナリー」
「はい」
「少し彼女と話がある。借りてもいいか」
「もちろんです」
ナナリーは微笑んだ。
「お話が終わったら、また一緒に折り紙をしましょう、C.C.さん」
「約束はできない」
「そこは約束すると言うところだ」
ルルーシュが小声で言う。
「では、気が向いたら」
「はい」
ナナリーはそれでも嬉しそうだった。
ルルーシュはC.C.をキッチンまで連れていった。
朝食の片づけが終わった後で、今は誰もいない。
扉を閉める。
「顔を見せるなと言ったはずだ」
「見せてない」
「違う!」
「目の見えない妹に顔を見せたことになるのか?」
ルルーシュは言葉を失った。
「そういう問題ではない」
「では、どういう問題だ」
「屋敷の人間に存在を知られるなと言った」
「先に言え」
「同じ意味だ!」
「私は違うと思う」
C.C.は棚の上の果物へ手を伸ばした。
ルルーシュがその手を叩く。
「勝手に食べるな」
「契約者を飢えさせるのか」
「契約者は俺だ」
「ならば私は契約相手だ。待遇を要求する権利がある」
「お前は昨夜、俺の家へ無断でついてきた居候だ」
「銃撃され、追われていた私を連れてきたのはお前だ」
「置いていけば正体が露見するからだ」
「つまり、私を守る必要がある」
「監視する必要があると言っている」
「同じことだ」
「全く違う」
ルルーシュは額を押さえた。
ブリタニア軍の包囲を崩すより、この女との会話のほうが疲れる。
「とにかく、今後の居場所を決める」
「お前の部屋でいい」
「よくない」
「なぜだ」
「ナナリーや使用人が入る可能性がある」
「先ほど既に会った」
「これ以上会わせるなという意味だ」
「妹は私を気に入ったようだ」
「だから問題なんだ」
C.C.は少し考えた。
「では、妹の部屋に住む」
「却下だ!」
「即答か」
「当たり前だ!」
ルルーシュはキッチンの窓から、屋敷の裏手を見た。
離れ、倉庫、物置。
長期間使われていない部屋がいくつかある。
「裏の物置を使え」
「嫌だ」
「拒否権があると思うな」
「埃が多い」
「掃除しろ」
「寝台がない」
「毛布を用意する」
「寒い」
「今は夏だ」
「虫がいる」
「お前は銃で撃たれても死なんそうだな。なら虫くらい我慢しろ」
「死なないことと、不快でないことは別だ」
「贅沢を言うな」
C.C.はルルーシュをじっと見た。
「では、交渉しよう」
「何を交渉する」
「私はギアスについて知っている」
「それがどうした」
「お前は知らない」
ルルーシュの表情が変わる。
「発動条件。一人に何度使えるか。どのような限界があるか。暴走する可能性。契約の意味」
C.C.は一本ずつ指を折った。
「知りたくはないか?」
「それを材料に、寝床を要求するつもりか」
「正当な取引だ」
「契約時に説明しなかったのはお前だろう」
「聞かなかった」
「撃たれる直前に、そこまで聞けるか!」
「ならば今聞けばいい」
ルルーシュはC.C.を睨んだ。
追い出すことはできない。
ブリタニア、日本、ドイツ、ブルグント。
どの勢力も彼女を探している可能性が高い。
屋敷の外へ出せば、捕まる危険がある。
そしてギアスの情報は必要だった。
「分かった」
ルルーシュは苦々しく答えた。
「俺の部屋へ置く」
「賢明な判断だ」
「ただし、ベッドは俺が使う」
「嫌だ」
「なぜお前が決める!」
「私は負傷者だ」
「傷はもう治っているだろう!」
「昨日、長時間コンテナへ閉じ込められ、銃撃を受け、爆発に巻き込まれた」
「俺も同じだ!」
「お前は男だ」
「それが何の関係がある」
C.C.は当然のように言った。
「男は床で寝ろ」
ルルーシュはしばらく黙った。
「理屈になっていない」
「だが、世間ではよく使われる理屈だ」
「どこの世間だ」
「長生きしていればよく聞く。特に日本人は床で寝れるそうだぞ?」
「お前の年齢を基準にするな! あとここはブリタニアだ!」
「では、決まりだな」
「決まっていない!」
「ベッドは私が使う。お前は床だ」
「俺の部屋だぞ!」
「今日から私の部屋でもある」
「勝手に共有するな!」
キッチンの外から、ナナリーの声が聞こえた。
「お兄様?」
ルルーシュは即座に声を抑えた。
「どうした、ナナリー」
「何か大きな声が聞こえましたけれど」
「何でもない。少し意見が合わなかっただけだ」
「喧嘩ですか?」
「違う」
C.C.が扉越しに答える。
「今夜、どちらがベッドで寝るか話し合っている」
「おい!」
短い沈黙。
ナナリーが困ったように笑う。
「それでしたら、お兄様が床で寝るべきだと思います」
「ナナリーまで!?」
「女の方を床で寝かせるのは、よくないですから」
「聞いたか」
C.C.が勝ち誇ったように言う。
「二対一だ」
「多数決で決める問題ではない!」
「では決定だな」
C.C.はキッチンから出ていった。
「部屋を案内しろ、ルルーシュ」
ルルーシュはその背中を睨んだ。
昨夜、自分は兄を殺した。王の力を手に入れた。世界を変えると誓った。
その翌朝。
彼は早くも、自分のベッドを失った。
解説
『井野碩哉』
TNOの登場人物。
ゲーム開始時点での大日本帝国の首相。様々な裏取引を駆使して成り上がったとされているので、国民からの支持は低い。しかし政治家としては権力闘争を勝ち抜いてきただけあって、気遣いに尽きぬ優秀な人物。
しかし原作では、これから起こるあるイベントにより退任を余儀なくされる……
『ラインハルト・ハイドリヒ』
TNO側の登場人物。
みなさんご存知、ドイツ武装親衛隊の幹部であり、全国指導者ヒムラーの腹心。原作ゲーム内ではあるイベントでドイツの後継者争いに介入することになる勢力の一人。
実態はヒムラーの操り人形のような立場であるが、彼にも謎が多く、本当にヒムラーのイエスマンなのかは疑いの余地がある。