火が、燃え盛っている。
周囲にもう、人の気配はない。あるのは、冷たくなった死体の山だけだ。
その傍らで、一人の少年が泥と血に塗れて這いつくばっていた。
鼻を突くのは、むせ返るような血と、肉の焼ける煙の匂い。少年の右腕は、すでに黒く腐り果てていた。皮膚は生き物のものとは思えないほど禍々しく変色し、脈打つたびに芯を抉るような鈍痛を放っている。
「おい……! 待て……っ!」
濁った声の先、遠ざかっていった足音が止まる。
黒い外套を羽織った一人の男。いや、背格好はまだ少年と言ってもいい。だが、その背中が放つ気配はあまりに冷酷だった。
男は一度も振り返ることなく、吹き荒れる砂嵐の彼方へと消えていった――。
数年後。
ガイアは、黒いマントを羽織り、果てなき荒野を一人歩いていた。
背には一本の大剣を携え、右腕には白い包帯を頑丈に巻き付けている。全身を漆黒の鎧に包んだその佇まいは、他者を拒絶するような威圧感を放っていた。
行き先などない。ただ、彼は歩き続けていた。
その時だった。
「うわぁぁぁあッ!?」
静寂を切り裂き、遠くから悲鳴が響く。
ガイアは微かに眉をひそめ、声のした方角へ視線を走らせた。
森の入り口付近。一人の少年が、複数のゴブリンに囲まれていた。少年は縄で厳重に縛られており、その周囲には彼を捕らえていたであろう盗賊たちの凄惨な死体が転がっている。
「くっ……来るな! 寄るなッ!」
少年は必死に地面を蹴り、後ずさる。
醜悪なゴブリンの一体が邪悪な牙を剥き、じりじりと距離を詰めていく。
ガイアはしばらくの間、無言でその光景を見つめていた。
――助ける義理はない。
冷徹にそう割り切り、踵を返そうとした瞬間、鋭い殺気が走った。ゴブリンの一匹が、ガイアの存在に気づいたのだ。
「ギィャァッ!!」
醜悪な怪物が石斧を振り上げ、獰猛な声を上げて突進してくる。
ガイアは小さく舌打ちを漏らした。
「……チッ」
次の瞬間。
一閃。銀色の剣光が、荒野の空気を切り裂いた。
手応えすらない。ゴブリンの首が綺麗に宙を舞い、鮮血が地面を汚す。
想定外の伏兵に、残るゴブリンたちが一斉に威嚇の声を上げた。だが、ガイアは一歩も引かない。大剣を正眼に構え、冷徹な視線で怪物たちを射抜く。
「邪魔だ」
呟きと同時に、地を蹴る。
無駄のない踏み込み。返す刀で、ゴブリンたちの肉体が次々と両断されていく。圧倒的な武の蹂躙だった。
最後の一匹が恐怖に顔を歪め、背を向けて逃げ出そうとする。
ガイアは追うまでもないと、足元に落ちていた盗賊の短剣を拾い上げ、無造作に放った。
風を切る風切り音。短剣は正確無比にゴブリンの背中を貫き、怪物は二度と動かなくなった。
静寂が戻る。
縛られた少年は、あまりの早業に開いた口が塞がらない様子で固まっていた。
「す、すげぇ……」
ガイアは切っ先の血を払い、大剣を滑らかに鞘へと納めた。少年に近づき、無造作にその縄を切り裂く。
「立てるか」
「あ……ああ!」
少年は慌てて立ち上がった。歳は十三、四ほどだろうか。煤汚れてはいるが、茶色い髪の奥にある瞳には、強い好奇心の光が宿っている。
「俺、レン! 助けてくれてありがとう!」
「……そうか」
背を向け、歩き出すガイア。
「え、それだけ!?」
レンは拍子抜けしたように興奮混じりの声を上げた。慌ててその背中を追いかける。
「俺さ、もう行く場所がないんだ! せめて何か恩返しをさせてくれよ!」
「必要ない」
「じゃあ、勝手についていく!」
「……好きにしろ」
ガイアは一度も振り返らなかった。
レンは少年らしい無邪気な笑みを浮かべる。
「よっしゃ、決まりだ!」
こうして、孤独だったガイアの旅路路に、奇妙な相棒が加わることとなった。
「ねぇおじさん。俺たちどこに向かってんの?」
夜の荒野。パチパチと爆ぜる焚き火を挟んで、レンが退屈そうに口を開いた。
その言葉に、ガイアはピクリと眉を動かす。
「おじさんじゃない。……俺はまだ二十三だ」
「えぇーっ!ウソだ!」
レンは立ち上がり、信じられないと言わんばかりの疑いの目を向けた。漆黒の鎧と冷徹な佇まいのせいで、どう見ても三十代の熟練の戦士にしか見えないのだ。
そんな反応を無視し、ガイアは消えかけそうな火を維持するように、淡々と新しい薪をくべながら言った。
「夜が明けたら、ルゴール王国に向かう」
ルゴール王国。
それは大陸随一の国力を誇り、四百年もの間、一度も滅びることなく存在し続けている数少ない王国だ。
「そこである人物を探している」
「ある人物? 誰?」
「……もういい。寝ろ、明日も早い」
核心に触れさせない拒絶のトーン。ガイアはそれ以上口を利く気はないとばかりに背を向ける。
レンは不満そうに頬を膨らませたが、旅の疲労には勝てず、「はーい」と小さく生返事をして横になった。
翌朝。
凄まじい地響きによって、レンは目を覚ました。
「な、なに!?」
「シッ、黙れ」
飛び起きたレンの口を、ガイアの鋭い声が制する。
朝霧を割って姿を現したのは、身の丈三メートルを優に超える巨大な一つ目の怪物――オーガだった。
丸太のような太い腕で、引きずり回している武器代わりの原木が地面を削り、激しい地響きを立てている。
「に、逃げよう! 」
「うるさい、黙れ」
怯えるレンの進言を一蹴し、ガイアは腰のホルダーから一本の矢を抜き取った。弓は持っていない。だが、彼はその矢を右手に握ると、恐るべき腕力で直接オーガへと投げ放った。
ビュンッ!
空気を切り裂いた矢は、寸分の狂いもなくオーガの巨大な一つ目に深く突き刺さる。
「ギガァァァッ!?」と絶叫し、視界を奪われてもがく巨体。その隙をガイアが逃すはずもなかった。
一瞬の交差。銀光が足元で閃き、オーガの両足の腱が綺麗に切断される。巨体がバランスを崩し、盛大に地面へ倒れ込んだ。そしてガイアは一瞬にしてオーガの首元まで登る。
「じゃあな」
冷徹な告別の言葉。
直後、大剣が一閃し、オーガの肥大化した頭部が容易く胴体から泣き別れになった。
「す、すげえ……! 」
興奮と感動のあまり駆け寄ろうとするレン。だが、ガイアはそれを手で制した。その視線は、まだ遥か上空を睨みつけている。
「来るな」
興奮しながら近づくレンを止めて、ガイアは右腕に手をかける。
「屈んで耳を塞いでろ」
レンは言われた通りに身を縮めて両耳を強く押さえた。
ふと見ると、ガイアが包帯が巻かれた右腕を空へと掲げ、そこには大砲の様な鉄の筒をつけている。
ボオォォォォンッ!!
空を割るような大砲撃。
耳を塞いでいたレンの鼓膜を揺さぶり、大地が激しく激震する。
その衝撃の余韻が収まりかけた直後――ドサリ、と頭上から巨大な塊が落ちてきた。
「なにこれ……臭っ!」
周囲に立ち込めるのは、腐った肉のような強烈な悪臭。
それは、何十羽もの鳥を継ぎはぎしたかのような、この世の生物とは思えない醜悪な姿をした飛行魔獣だった。
「腐爛鳥(ふらんちょう)だ。さっきからずっと、俺たちを空から監視していやがった」
ガイアは右腕の鉄筒を器用に弄り、火薬の煙を吐き出させながら、ピクリとも動かなくなった魔獣を一瞥した。
彼の右腕は、再び皮膚が一切見えないほど厳重に、何重もの包帯が巻かれていた。
「行くぞ。王国に着くまで、まだかなりの距離がある」
「お、おう……!」
未だ冷めない恐怖と、それを上回る圧倒的な興奮。置いてきぼりにされた自身の感情を何とか宥めながら、レンは再び、ガイアの背中を追って歩き出した。
ドクン……!
――ガイアだけが、右腕の奥でドクリと疼く、鈍い痛みに気づいていた。
読んで頂きありがとうございます!カクヨムやなろうでも同作品を投稿していますので、できればそちらでも高評価お願いします!