ガイアとレンが共に歩み始めて、三日が経った。だが、目指すルゴール王国は未だ見えてこない。
「おい……! まだ着かないのかよ!」
レンは膝に手を突き、肩を激しく上下させながら苦しそうに声を絞り出した。容赦のない強行軍に、レンの体力は限界に達しつつあった。
「ん? てか、あんたの名前、なんて言うんだ?」
「なんでもいい。急げ、夜が来る」
鬱蒼とした森の中を、迷いなく進む漆黒の背中。レンはその背を見つめながら「なんでもいいって……」と不満げに溢した。
その時だった。
急速に帳が降り、周囲の木々が深い闇に包まれる。
「夜か……」
ガイアの足が止まる。その声には、明らかな警戒の色が混じっていた。
「どうしたんだよ? 夜がそんなにダメなのか?」
「――来るぞ」
ガイアの言葉と同時に、周囲の地面がボコボコと膨れ上がり、そこから無数の影が這い出てきた。
「なんだよコイツら……ッ! くさっ!?」
レンは思わず鼻を突く悪臭に顔を顰めた。
現れたのは、かつて遭遇した腐爛鳥とは比べ物にならないほどの、凄まじい死臭を放つ人型の魔獣。
ドロドロに溶けた皮膚に、虚ろな眼窩がこちらを向いている。
「『瘴鬼(しょうき)』だ。コイツは音を頼りに集まってくる」
ガイアは人差し指を口元に当て、静かにしろとジェスチャーで示した。
一歩、また一歩。足元に落ちている小枝を踏まないよう、息を殺して慎重に歩を進める。そうして生域の境界線を越えようとした、まさにその瞬間だった。
「ギャギャキャッ!!」
突如、すぐ横の草むらから一匹のゴブリンが飛び出し、大きな鳴き声を上げた。
(マズイッ!)
ガイアの剣閃がすかさずゴブリンの首を撥ね飛ばしたが、遅かった。
無数の瘴鬼が一斉に首を巡らせ、濁った眼球をこちらへ向けた。
「チッ、レン、屈め!」
言われた通りにレンが身を縮めた瞬間、ガイアは大剣を鞘へと戻し、レンの身体を容赦なくひっ掴んだ。そして、弾丸のような勢いでレンを上空へと放り投げる。
「グヘッ!?」
不格好な悲鳴を上げながら、レンは頑丈な大木の枝へと洗濯物のように引っかかった。
「そこにいろ!」
下を見下ろせば、すでにガイアの周囲は黒い群勢に埋め尽くされようとしていた。
大剣を抜く暇すらない。ガイアは肉薄した瘴鬼の胸元を凄まじい前蹴りでブチ抜き、その反動で距離を取る。
「いいぜ……全員かかってこい」
ようやく大剣を正眼に構え、戦闘態勢に入る。
押し寄せる瘴鬼の波。ガイアは無駄のない太刀筋で、次々と肉塊へと変えていった。
(一体一体の力は弱い。……しかし……)
見渡す限りの闇の中に、蠢く影は何百、何千と膨れ上がっている。
(数が多すぎる!)
「俺も手伝う!」
「喋るな! 下を見ろ!」
「下……? ひっ!?」
レンが言われて視線を落とすと、そこには幹を引っ掻き、今にも木を登ろうと爪を立てる数体の瘴鬼が、飢えた声を上げていた。
(クソッ!)
ガイアは腰のホルダーから矢を抜き、投擲してレンの足元の瘴鬼を仕留めると、叫んだ。
「コイツらは音だけを頼りに動いている! 静かにしていれば襲ってこない! 夜明けまで動くな!」
(夜明けまでって……あと十時間近くあるぞ……!)
レンが絶望に目を見開く中、ガイアは再び死の渦中へと飛び込んでいった。
向かってくる瘴鬼を斬る。斬る。ただひたすらに、その繰り返し。
いかに圧倒的な武力を誇るガイアといえど、終わりの見えない物量戦に、確実にその肉体は疲弊し始めていた。
ガブリッ!
死角から飛び出した一躯の存在に気づくのが、一瞬遅れた。
瘴鬼の鋭い牙が、ガイアの包帯に巻かれた右腕へと深く突き刺さる。
瘴鬼の毒は強力だ。噛まれた者の肉体は瞬く間に壊死し、腐り果てる。……だが、ガイアは違った。
「! ……ッグハ」
逆に、噛みついたはずの瘴鬼が悲鳴を上げ、口を離して激しくもがき苦しみ始めたのだ。
それを見たガイアは、狂気的な笑みを浮かべた。
「なんだ? 俺の腕は、そんなに不味かったか?」
もがき苦しむ瘴鬼の頭部を踏み潰し、ガイアは漆黒の夜空に向かって咆哮する。
「かかってこい!夜明けまで俺と踊ろうぜ!」
引き絞るような銃撃音と共に隠し砲を放ち、ガイアは再び大剣を振るう。
その返り血を浴びて狂い咲く姿、そして愉悦に歪んだ笑顔は、レンの目にはもはや人間ではなく、地獄から這い出た“悪魔”そのものに映っていた。
やがて東の空が白み始めると、光を嫌う瘴鬼たちは嘘のように霧となって消えていった。
ガイアは血に染まった地面にどさりと腰を下ろし、深く、長い息を吐き出す。
「行くぞ。ルゴール王国まで、もう少しだ」
何事もなかったかのように立ち上がるガイアに、レンはそっと着いていくことしかできなかった。