「あー、疲れたあぁ!もう休もうぜ!」
レンは腰に手を当て、肩で息をしながら情けない声を上げた。
「もう少しだ。歩け」と冷たく返すガイアだったが、レンの足取りは目に見えて鈍っている。それを見かねたガイアは、小さくため息をついて口を開いた。
「……この先に村がある。休憩はそこだ」
「……マジでっ!?」
さっきまでの疲労が嘘のように、レンは顔を輝かせて飛び跳ね、勢いよく走り出した。
その無邪気な後ろ姿に、ガイアは一瞬だけ、自身の遠い過去の記憶を重ね合わせ――すぐに思考を振り払った。
「着いたぁ! 風呂入ろう!風呂!」
辿り着いたのは『ギリア村』。決して大きな村ではないが、最低限の旅籠や商店は揃っているようだ。
「風呂……」
レンの期待を他所に一直線に向かったのは、煤けた看板の掲げられた酒場だった。それを見てレンは少しがっかりした様子だ。
ギィ……と軋んだ音を立てて扉を開ける。
中は思っていたよりも広かった。薄暗い店内には、天井から吊るされた古びたランタンがぼんやりと灯りを落としている。鼻をくすぐるのは、焼いた肉の香ばしい匂いと、酒の強い臭気、そして長年染み付いた煙草の匂いだった。
「いらっしゃい……」
「二人だ」
カウンターに並んで腰掛け、出されたジュースをすする。その時間、二人の間に会話はなかった。
「お風呂ぉ……」とブツブツ呟きながらコップの氷を突くレンを横目に、ガイアは黙ってビールを喉に流し込んでいた。
その時、酒場の重い扉が乱暴に開け放たれた。
「駄目だ……どこにも見つからねぇ」
入ってきたのは三人の村人だった。衣服は泥にまみれ、髪には木の葉がいくつも引っかかっている。
「キンタとバモの奴、まだ見つからないのか?」
「これで丸四日も行方不明だぞ」
深刻な面持ちで口々に語る村人たち。どうやら、この村の若者が二人、行方不明になっているらしい。
「心配だな……」とレンが顔を曇らせる。
(十中八九、魔獣の仕業だろうな)
ガイアは冷徹にそう結論づけると、残りのビールを一気に飲み干して席を立った。
「行くぞ」
「う、うん……」
入り口付近で屯する村人たちを無言で押し退け、二人は外へ出る。
その瞬間だった。
「キャァァァーーーッ!?」
村の中心部から、切り裂くような女性の悲鳴が響き渡った。
「なんだ!?」「何が起きた!」と、村人たちが一斉に声のした方へと走り出す。
「ブヒヒィィッ、ブヒッ!」
不快な獣の鳴き声。
ガイアは無言のまま、騒ぎの渦中へと歩を進めた。レンはその漆黒の背中に隠れるようにして、おそるおそる付いていく。
「うわっ……なんだよ、アレ……」
村の中央広場でレンが目にしたのは、一軒の家屋ほどもある、肥大化した異形の巨豚だった。
だが、何より悍ましかったのはその皮膚だ。肉眼で見える隙間がないほど、大量の人間の死体が、まるで鎧のようにその身にへばりついていた。しかも、それらの死体の手足が、未だ神経の残滓でピクピクと痙攣している。
「キンタ……! バモ……!」
集まった村人の一人が絶望の声を上げる。
どれがキンタで、どれがバモかなど見分けもつかない。だが、へばりつく死体のなかに、彼らの変わり果てた姿があることだけは確かだった。
「行くぞ」
ガイアは何も感情も乗せない声で言い、魔獣に背を向けた。
「お、おい! 助けなくていいのかよ!」
立ち去ろうとするガイアをレンが必死に掴んで引き留める。
「助ける義理はない」
ガイアは一瞥もくれず、冷たく言い放った。
その言葉を聞いた瞬間、レンの胸の中で何かが弾けた。
「じゃあなんで俺を助けてくれたんだよ!」
そう叫びながらレンはガイアの隙を突き、その腰のホルダーから一本の矢を掠め取ると、巨豚の魔獣目掛けて一直線に突進した。
「おりゃぁぁぁっ!」
「ブヒッ!?」
渾身の力で、魔獣の太い前足に矢を突き立てる。
だが、子供の腕力だ。肉を浅く傷つけたに過ぎない。激昂した魔獣がその巨体を震わせると、レンの身体は枯れ葉のように簡単に吹き飛ばされた。
「おい坊主! 大丈夫か!?」
「ブヒヒィィーッ!」
標的をレンに変えた巨豚が、凄まじい質量を乗せて突進してくる。あんな巨体に踏み潰されれば、骨も残らない。
死を覚悟したレンは、強く目を閉じた。
――ドゴォォォンッ!!
激しい肉の衝突音が響く。
(……面倒な、なんで助けた……か)
だが、痛みが来ない。レンが恐る恐る目を開けると、そこには自身の前に立ちはだかる漆黒の背中があった。
「目の前で死なれるのは寝覚めが悪い」
ガイアの大剣が、魔獣の鼻先を深く穿っていた。彼はそのまま咆哮と共に剣を振り上げ、魔獣の硬質な鼻面を一刀両断にする。
「ブヒィィィーッ!?」
激痛に狂い、大きく開かれた魔獣の口。ガイアはその隙を見逃さず、右腕の鉄筒をその顎へと突っ込んだ。
ボォォォンッ!!
至近距離での大砲撃。
内側から炸裂した衝撃により、魔獣の右半身が派手に弾け飛ぶ。鎧のように纏っていた死体の山が、ボロボロと地面に崩れ落ちた。
「キンタ! バモ!」
村人たちが狂ったように駆け寄り、倒れた魔獣から二人の身体を引き剥がす。涙と泥で顔をぐちゃぐちゃにしながら、息のない二人を抱きしめていた。
「……」
「2人の顔、分かってたの?」
レンの問いに、ガイアは煙を吐き出す鉄筒を弄りながら、冷淡に答えた。
「さあ……」
見上げる空は分厚い雲に覆われ、ポツポツと冷たい雨が降り始めていた。
「よし、じゃあ一泊して今度こそ風呂だ!」
「いや、もう行くぞ。雨を浴びれば風呂に入ったのと同じだ」
「えぇぇーっ!?」
「嫌なら付いてくるな」
残念そうにいじける相棒を一蹴し、ガイアは再び荒野へと歩みを進める。
「ええ!? それはヤダ! 付いてく!」
文句を垂れ流しながらも、レンは慌ててその漆黒の背中を追いかけていった。
「あの旅人はどこだ……?」
村の混乱がようやく収まった頃、一人の村人が辺りを見回して呟いた。
「確かに……どこへ行った?」
どれだけ探しても、あの二人の姿はどこにもない。嵐のように現れ、嵐のように去っていった。
「あの化け物を、一瞬で……。彼は一体、何者だったんだ……」
雨の降るギリア村に、驚愕と感謝の余韻だけが残されていた。