「疲れたあぁ……もう休もうぜ」
「もうすぐだ。歩け」
「分かったよ……」
諦めて止まりかけた足を動かそうとした、その時だった。
レンが顔を上げると、そこにはもう、進むべき道など残されていなかった。
「な、なんだこれ?」
「壁だ。ルゴール王国のな」
「壁って……見たら分かるけど、こんなデカくて長い壁、見たことねぇよ」
二人の眼前にそびえ立つそれは、雲を突き破るほどの高さを持ち、左右の地平線の彼方までどこまでも途切れることなく続いていた。
「こんな壁、デファン王国でしか見たことないな」
「デファン王国? 随分と遠いところだな」
「俺の村の近くだったんだ。『ドンコ村』って所」
ガイアにとって、レンの出身地など微塵も興味のない話だった。彼は一度もレンの方を振り返ることなく、巨大な壁に沿って再び歩き始める。
壁を頼りに歩き続けて数時間。空はすっかり真っ黒に染まっていた。
「やっと着いたか」
ルゴール王国の入り口。重厚な城門には、四百年の歴史の重みが刻まれていた。
「おい、待て。検問だ」
入り口を守る兵士たちがガイアたちを阻み、鋭い目を向ける。
「お前、名前は?」
「……ガイアだ」
「へぇ~、ガイアねぇ……」
レンが、揶揄うように見つめた。
「そっちの小僧は問題ねぇ。だがお前だ。大剣に大砲、おまけに右腕の包帯。……おい、その包帯を解け」
「それはできない」
「なぜだ?」
「もしや……!」
もう一人の兵士が、思い出したように声を荒らげた。
「最近、風の噂で聞いたことがあります! 魔獣が人間の姿に化けて、人里を襲っていると……!」
その言葉に、周囲の兵士が一斉に臨戦態勢に入った。鋭い槍の穂先が、一斉にガイアへと向けられる。
「動くな! 捕らえろ!」
「待てよ! ガイアは魔獣なんかじゃない! 俺を助けてくれたんだ!」
レンが必死に叫ぶが、兵士たちの目にあるのは盲目的な疑心暗鬼だけだった。
「黙れ! もしやそのガキも同類か!?」と怒鳴られ、レンは恐怖で言葉を失う。
「レン、もういい」
ガイアの静かな声が、その場を制した。
「いいぜ。俺を連れて行けよ。牢獄でも、処刑台でもな」
「フン、物分かりのいい奴だ。行くぞ!」
ガイアは四方を槍で囲まれながら、地下の薄暗い牢獄へと連行されていった。
「……」
「どうしたんです?」
ルゴール王国の中心に聳え立つ城。そこから一人の青年がガイアを見つめている。
「彼……いいね」
古い地下牢はひどく汚れており、何年もまともに使われていないようだった。漂うのは、血と錆の混ざり合った吐き気のするような臭い。だが、ガイアはそんな劣悪な環境など気にも留めていなかった。
「さて……どう脱獄するかだな」
自身の両手首に嵌められた手錠を見つめながら、淡々と脱出経路を思考する。
「あの……貴方も、もしや捕らえられたのでしょうか?」
背後からの気配に、一瞬驚いたが、いつでも動けるよう身体を沈めた。
だが、暗闇から現れたのは、三十代ほどの怯えた女性だった。
「誰だ」
「私はルーシュと申します。……この子は息子のバン」
ルーシュが自身の左腕を引き、後ろに隠れていた小さな影を前に出した。レンよりも二、三歳は下だろうか、随分と幼い少年だ。
「バンは生まれつき目が見えず、村の子たちからも虐められてきました。二日ほど前、私たちが王国で食べ物を売ろうとやって来た時、検問官に魔獣の疑いをかけられて……ここに捕らえられたのです」
「それは災難だったな」
関心のなさそうな素振りのまま、ガイアは冷淡に返し、牢の壁に空いた小さな抜け穴を調べ始める。
「ここが良さそうだ。……俺は脱獄する。兵士には黙っていろ」
ガイアは狼のような鋭い眼光をルーシュに向けた。
「は、はい……分かりました」
彼女は気圧されたように小さく頷く。
ガイアが背を向け、小穴を潜ろうとしたその瞬間だった。
「何をしているんだい?」
背後から、不意に柔らかな声が響いた。
同時に、暗かった牢獄の通路が、松明の炎によって白日の下に晒される。
ガイアは素早く振り返り、火の元を睨みつけた。
そこにいたのは、兵士のような物々しい鎧を纏った者ではなかった。ただ、吹けば飛んでいってしまいそうなほどに儚く、しかし神聖なまでに美しい、長い白髪を持った美青年が佇んでいた。