「陛下! 先ほど検問官より、右腕に包帯を巻いた怪しき男を捕らえたとの報告が上がりました!」
舞台は変わり、ルゴール王国――燦然たる玉座の間。
一人の兵士が冷たい石床に膝をつき、国王へと謁見していた。
「そうか……。殺せ。……怪しき者は、全て殺すのだ……」
昏い眼光を放つ王の言葉に、兵士は一瞬、息を詰まらせた。
「で、ですが……」
「王の命令は絶対だ……!」
王の視線が兵士を射抜く。それはまるで、蛇に睨まれた兎のようだった。兵士は恐怖のあまり、体を上手く動かすことができない。
「……はっ!」
兵士が這うようにして退室すると、王はそのまま、重い足取りで玉座の奥にある私室へと戻っていった。
「これでいいのだな?」
誰もいないはずの私室。豪奢な椅子に深く腰掛けた男に向かって、王が虚ろな声で問いかける。
影の中から現れたその男は、到底、人間とは呼べない異形だった。衣服こそ高貴な仕立てだが、その首から上にあるのは悍ましき山羊の頭。
「はい。これであのお方も、お喜びになります……」
山羊の怪物は、暗闇の中で邪悪に喉を鳴らした。
地下牢の奥。ガイアは一瞬にして神経を研ぎ澄ませていた。
眼前に立つのは、正体の知れない白髪の美青年。兵士を呼ばれれば一網打尽にされる、最悪の状況だ。
ガイアは足元に落ちていた鋭利な鉄の破片を、誰にも気づかれぬよう密かに拾い上げた。いつでも相手の喉笛を突き刺す準備はできている。
「待ってくれ、戦うつもりはない。話をしたいんだ。この通り、僕は何も持っていないよ」
青年はそう言って両手を緩やかに上げ、敵意がないことを証明してみせた。
「話……?」
「そう、話さ」
「何についてだ」
「僕の父を――この国の王を殺すのを、手伝ってほしい」
その瞬間、ガイアの目に映る青年の輪郭が変質した。
先ほどまでの儚げで美しいだけの姿ではない。彼の内側から、底知れない、どす黒い憎悪の塊のような気配が一気に吹き出すのを肌で感じたのだ。
「……なぜ俺なんだ?」
「君となら、やれると思ったからさ」
青年は近くにあった古びた木椅子を引き寄せ、静かに腰掛けた。
「君が検問官に連れて行かれているのを見た。あの時の君の姿は恐ろしい"何か"を追いかけている背中をしていたからね」
そう少し笑いながらガイアを見つめて話を続ける。
「昔から父は厳格な人だった。『常に王らしくあれ』と僕に説き続けるようなね。でも、十数年ほど前から急に変わってしまったんだ。……まるで、何かの魔獣に取り憑かれたように」
横で怯えていたルーシュが、たまらず会話に割って入った。
「確かに、王様が数年前から急に冷酷な独裁政治を始めたという噂は、私たちの村にも届いていました……」
「そう。そして一年前、僕は見てしまったんだ」
青年の声が、一段と低く沈む。
「父の……父の右腕が、禍々しい魔獣の肉体へと変貌しているところをね」
ガイアの切れ長の目が、僅かに見開かれた。
直後、自身の包帯に巻かれた右腕が、内側から激しく疼き始める。
(――間違いない。裏で『アイツ』が糸を引いている)
「だから、僕は確かめたい。父が本当に魔獣なのか……そして、この手で殺さなければならないのかを」
青年は椅子から立ち上がり、ガイアに向かって真っ直ぐに右手を差し伸べた。
「頼む、手伝ってくれ。君の力が必要なんだ」
ガイアも知りたかった。断る理由など、どこにもない。
「いいぜ。……乗ってやる」
「ありがとう! 僕はユリウス。この国の王子さ。君の名前は?」
「……ガイアだ」
「そうか、ガイア! よろしく頼むよ」
ユリウスは、先ほどの憎悪が嘘だったかのように、太陽のように眩しい笑顔を浮かべた。
彼が実の父親を殺そうとしているなど、その無邪気な表情からは到底信じられないほどに。