学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build―   作:UG-san

10 / 14
Ep.5-1 再会(前編)

 ――誰か、いるのか。

 

 喉を震わせる程度の、小さな声だった。

 返事が返ってくるとは思っていなかった。

 それでも、呼びかけずにはいられなかった。

 

 家庭科室を出てから、十分ほどが過ぎていた。

 

 管理棟四階。

 俺たちは食料や飲み物、それに役立ちそうな物資を探しながら、できるだけ物音を立てないよう廊下を進んできた。

 どの教室も扉は閉まっている。

 

 静かだった。

 いや、本当は静かじゃない。

 耳を澄ませば、校舎のあちこちから様々な音が聞こえてくる。

 

 遠くで誰かが叫ぶ声。

 ガラスの割れる音。

 重たい物が倒れる衝撃。

 そして、どこかを走る足音。

 それらは壁や床を伝い、ぼんやりとここまで届いていた。

 

 学校全体は、今も崩壊を続けている。

 それなのに、この廊下だけ時間が止まったようだった。

 

 俺たち三人の呼吸だけが、不自然なくらい大きく聞こえる。

 返事はない。

 扉の向こうから、人の気配も感じられない。

 

「……誰もいないのか。」

 

 陽向が小さく呟く。

 その声さえ、静まり返った廊下では大きく感じた。

 俺は答えず、扉を見つめ続ける。

 すると。

 

 ――ゴン。

 

 鈍い音が、教室の中から響いた。

 三人同時に息を止める。

 聞き間違いじゃない。

 さっき聞こえた音と同じだった。

 誰かが机にぶつかったような。

 そんな重たい音。

 

「……また鳴った。」

 

 隼人が俺の隣まで歩み寄る。

 俺はゆっくり頷いた。

 

「ああ。」

 

 教室の中には何かいる。

 それだけは間違いない。

 けれど、その音には妙な違和感があった。

 助けを求める声は聞こえない。

 扉を叩く音もしない。

 ただ。

 一定の間隔で。

 

 ――ゴン。

 

 鈍い音だけが響く。

 

 俺はゆっくり扉へ近付いた。

 取っ手へ手を掛ける。

 冷たい。

 手汗のせいなのか、それとも金属そのものの冷たさなのか分からない。

 耳を扉へ当てる。

 息を止める。

 しばらく何も聞こえない。

 やっぱり気のせいだったのか。

 そう思った時だった。

 

 ズ……。

 

 床を擦るような音。

 ゆっくり。

 本当にゆっくりと近付いてくる。

 そして。

 

 ――ゴン。

 

 またぶつかる音。

 思わず眉が寄る。

 

 歩く。

 止まる。

 ぶつかる。

 また歩く。

 

 そんな動きを繰り返しているように聞こえた。

 

 人が教室を歩いているなら、こんな動き方はしない。

 何かがおかしい。

 俺は扉から耳を離し、小窓へ視線を向けた。

 ゆっくりと中を覗く。

 教室の照明は消えたままだった。

 窓際から差し込む午後の光だけが、室内をぼんやり照らしている。

 

 最初は何も見えなかった。

 目が暗さに慣れる。

 

 教卓。

 整然と並んだ机。

 数脚だけ倒れた椅子。

 

 その奥。

 人影が動いた。

 

 一人。

 ……いや。

 二人。

 三人。

 

 制服姿の生徒だった。

 

 しかし、その歩き方がおかしい。

 背中を丸め。

 俯いたまま。

 目的もなく教室の中を歩いている。

 誰とも話さない。

 互いを見ることもない。

 そのうちの一人が、机へ肩をぶつけた。

 

 ――ゴン。

 

 さっきの音だ。

 すると。

 少し離れた場所を歩いていた二人が、同時に顔を上げた。

 ゆっくりと。

 本当にゆっくりと。

 音が鳴った机の方へ歩き始める。

 思わず息を呑む。

 偶然か。

 いや。

 今の動きは……。

 

 俺はもう一度、その三人を目で追った。

 やがて三人はまた別々に歩き始める。

 そして。

 また一人が壁へ肩をぶつける。

 

 ――ゴン。

 

 同じだった。

 また残りの二人が音の方を向く。

 歩く。

 止まる。

 また歩き始める。

 俺は小窓から目を離した。

 

「どうだった?」

 

 陽向が小声で尋ねる。

 

「三人いる。」

 

「生徒か?」

 

「制服は着てる。」

 

 それ以上は言葉が続かなかった。

 あれを普通の生徒だとは思えない。

 けれど、校庭にいた奴らと同じだと断言する勇気もなかった。

 まだ情報が足りない。

 見えたものだけで決めつけるのは危険だ。

 

 そんな時、不意にじいちゃんの声が頭に浮かんだ。

 工具を初めて持たせてもらった日のことだった。

 古びた作業机の前で、じいちゃんは笑いながら言った。

 

 ――まず見ろ。

 ――触るのは、その後だ。

 

 焦って手を出した道具ほど怪我をする。

 子どもの頃は、ただの口癖だと思っていた。

 でも今は違う。

 相手が道具でも、人でも。

 分からないものほど、先に観察しなければならない。

 

 俺はもう一度小窓を見た。

 

 確かめたい。

 あいつらは、本当に音へ反応しているのか。

 その時だった。

 制服のポケットへ入れた手が、小さな四角い感触に触れた。

 ……そうだ。

 授業中。

 考え事をしながら指で転がしていた消しゴム。

 無意識に、そのままポケットへ入れていた。

 ポケットの中で、それを握りしめる。

 ほんの数センチ四方の白い消しゴム。

 さっきまで何気なく持っていただけの物が、不思議と心強く感じられた。

 

 ――まず見ろ。

 ――触るのは、その後だ。

 

 じいちゃんの言葉が頭の中で静かに繰り返される。

 まだ決めつけるな。

 見えたものだけで判断するな。

 もう一つ、確かめる。

 それからだ。

 俺は陽向と隼人へ目を向けた。

 

「少し試したいことがある。」

 

 二人とも俺の声に頷いた。

 

「試す?」

 

 隼人が小さく聞き返す。

 

「ああ。」

 

 俺は教室の扉を指差した。

 

「この教室、出入口が二つあるだろ。」

 

 俺たちがいる前側の扉。

 そして後側にも、もう一つの扉。

 距離は十メートルほど。

 扉の外にはロッカーが並んでいる。

 

「向こうには誰もいないか。」

 

 陽向が慎重に廊下の奥を確認する。

 左右を見渡し、小さく首を振った。

 

「大丈夫。」

 

「分かった。」

 

 俺は消しゴムを指先で持ち直した。

 鼓動が少しだけ速くなる。

 もし予想が外れたら。

 ただ音を立てるだけになる。

 

 だが、今はそれでもいい。

 分からないまま扉を開ける方が危険だ。

 息を整え、軽く腕を振る。

 消しゴムは静かな放物線を描き、教室後方の扉に当たって落ちた。

 

 ――コン。

 

 乾いた音が廊下へ響く。

 三人とも息を止めた。

 

 一秒。

 

 二秒。

 

 三秒。

 

 教室の中で変化が起きる。

 小窓の向こう。

 さっきまで教室の中央付近をふらついていた三人が、ほとんど同時に後方の扉へ顔を向けた。

 その動きには迷いがなかった。

 まるで、その音だけを追い掛けるように。

 ゆっくりと歩き始める。

 思わず息を呑む。

 

 偶然じゃない。

 

 机にぶつかった音。

 そして今の音。

 どちらにも同じ反応を見せた。

 

「……やっぱり。」

 

 思わず小さく呟く。

 

「どうした?」

 

 陽向が耳元で囁く。

 

「音だ。」

 

 俺は目を離さないまま答える。

 

「あいつら……音を追ってる。」

 

 断定はできない。

 だが少なくとも、目の前で起きた現象はそれ以外に説明がつかなかった。

 三人が教室後方へ集まる。

 その分だけ、今まで死角になっていた教室の奥が見える。

 

 教材棚。

 窓際。

 倒れた机。

 

 その陰に、小さな影が見えた。

 

 ……人だ。

 

 誰かがしゃがみ込んでいる。

 制服姿の女子生徒だった。

 膝を抱えるように体を縮め、じっと息を潜めている。

 

 最初は誰なのか分からなかった。

 光の加減で顔もはっきり見えない。

 だが、その髪がゆっくりと揺れた瞬間。

 見覚えのある横顔が、ほんのわずかに覗く。

 

 胸の奥が強く脈打つ。

 

 見間違えるはずがない。

 幼い頃、祖父の店によく遊びに来ていた女の子だった。

 母親同士が仲が良く、家族ぐるみの付き合いだった。

 中学へ入る頃には自然と疎遠となった。

 同じ高校へ進学しても、廊下ですれ違う程度。

 向こうも俺も、どちらから話しかけることもなくなっていた。

 

 それでも。

 

 忘れるはずがない。

 

 あの横顔を。

 

 ……美玖だった。

 

 思わず、時間が止まったような気がした。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。