学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build― 作:UG-san
胸の奥が強く脈打つ。
こんな場所で、こんな場面で会うなんて思ってもいなかった。
教室の奥。
教材棚の陰へ身を縮めるように座り込み、必死に息を殺している。
その姿は、俺が知っている美玖とはまるで違って見えた。
誰かを睨み返すような強い目。
少し近寄りがたい雰囲気。
学校ですれ違っても、誰にも弱さを見せない。
そんな印象しか残っていなかった。
けれど今の彼女は違う。
肩は小刻みに震え、制服の袖を強く握り締めている。
きっと、ずっと一人だったんだ。
そんな考えが頭をよぎる。
だが、今は感傷に浸っている場合じゃない。
教室の中には三体。
正面から扉を開ければ、音に反応した連中と鉢合わせになる。
俺は深く息を吐き、小窓から目を離した。
「どうだった?」
陽向が耳元で尋ねる。
「生きてる人がいた。」
二人の表情が少しだけ明るくなる。
「本当か。」
「ああ。」
それだけ答えてから、言葉を続ける。
「でも助けるには少し考えないといけない。」
「他の奴らか。」
隼人も小さく声を落とす。
俺は頷いた。
「三体とも教室の中央にいる。」
「倒すしかないのか?」
その言葉に、俺はすぐ首を横へ振った。
「無理だ。」
自分でも驚くくらい、迷いなく答えていた。
「相手がどれだけ強いか分からない。」
「噛まれたらどうなるのかも分からない。」
「それに。」
一度言葉を切る。
校庭で見た教師の姿が頭に浮かぶ。
噛まれ、倒れ。
また立ち上がった教師。
「あいつらが元は人だったとしたら……。」
その先は口にできなかった。
俺にはまだ、人を殴る覚悟すらない。
まして殺すなんて考えられない。
陽向も隼人も黙って俺の話を聞いていた。
反対しない。
それだけで十分だった。
「だったら、どうする?」
隼人が静かに尋ねる。
俺は再び教室を見た。
三体は元のように教室の中を歩き回っている。
歩く。
ぶつかる。
立ち止まる。
また歩く。
さっき見た動きと何も変わらない。
……音。
鍵になるのは、やっぱり音だ。
扉に向かって消しゴムを投げた時。
三体は一斉に音のした方を向いた。
もし、もう少し大きな音なら。
もっと長く引き付けられるんじゃないか。
教室には前後二つの扉がある。
俺たちは前側。
さっき音を鳴らしたのは後方。
なら。
後方へ意識を向けさせている間に前側から救出する。
単純だ。
だけど、単純だからこそ失敗は許されない。
タイミングを間違えれば、美玖を危険に晒すことに鳴る。
俺は教室の配置を頭の中で思い浮かべた。
扉。
机。
教材棚。
三体の位置。
美玖の位置。
何度も線を引き直す。
まるでじいちゃんの工房で、部品の組み付けを考えていた時のように。
焦るな。
急ぐな。
失敗したらやり直せない。
そう自分へ言い聞かせる。
「悠斗。」
陽向が俺の肩を軽く叩いた。
「大丈夫か。」
「ああ。」
俺は小さく頷いた。
「方法はある。」
二人が俺を見る。
「戦わない。」
その一言で十分だった。
二人とも黙って続きを待つ。
「音で動くなら、それを利用する。」
俺は後方の扉を指差した。
「もっと大きな音を向こうで作る。」
「奴らが反応して扉付近に集まる。」
「その間に前から助け出す。」
陽向が小さく息を呑む。
「そんなこと……できるか?」
「分からない。」
正直に答えた。
「でも今分かってることは一つだけだ。」
「あいつらは、音の出どころを追っている。」
その時だった。
教室の中から。
――ゴン。
また鈍い音が響く。
三体が同時にそちらへ向かう。
その様子を見て、俺はゆっくり息を吐いた。
やっぱりだ。
この仮説は間違っていない。
あとは。
どうやって、もっと大きな音を作るかだった。
どうやって音を作る。
その一点だけを考えながら、俺は廊下を見回した。
教室の壁際。
そこに、掃除用具を立て掛ける金具がある。
モップが一本だけ残されていた。
柄は木製。
先端には金具が付いている。
俺は静かに近付き、ゆっくりと持ち上げた。
「それを使うのか?」
隼人が囁く。
「ああ。」
俺は後方扉を指差した。
「扉の窓枠、金属部分を叩く。ガラスを割らないように。」
「ガラスの割れる音は大きすぎる。」
「管理棟中に響くかもしれない。」
陽向も小さく頷いた。
「教室の中だけに聞かせるってことか。」
「そう。」
俺はモップの重さを確かめる。
軽すぎず、重すぎない。
正しい位置に当てれば、十分な音が出る。
だが、一度きりだ。
深く息を吸う。
じいちゃんと一緒に木片を投げて遊んだ記憶がふと蘇る。
狙う場所を決めたら迷うな。
迷った投げ方は、必ずぶれる。
俺は身体を半歩だけ引いた。
そして。
振り抜く。
モップは静かな放物線を描き、教室後方扉のアルミ枠へ吸い込まれるように飛んだ。
――ガンッ!
金属同士がぶつかる乾いた音。
一拍遅れて、
――カラン……。
モップが床へ倒れる音が続く。
その瞬間だった。
教室内の三体が、一斉に後方を向いた。
迷いはない。
全員が音の方へ歩き出す。
その姿を見た瞬間、確信する。
やはりだ。
音を追っている。
「今だ。」
俺は小さく呟き、扉へ手を掛けた。
ゆっくり。
僅かな音をたてて扉が開く。
三体は振り返らない。
俺は身体を滑り込ませた。
教室の空気は重かった。
血の匂い。
鉄臭さ。
倒れた机。
そのすべてが、ここで何が起きたのかを物語っていた。
足音を殺しながら、教材棚へ近付く。
あと数歩。
その時だった。
教材棚の陰に隠れる彼女が顔を上げる。
青ざめた表情。
その視線が、まっすぐ俺へ向いた。
一瞬だけ目が合う。
俺は口元へ人差し指を当てる。
――静かに。
声を出さないで。
その仕草だけを送る。
美玖は小さく息を呑み、こくりと頷いた。
俺のことには、まだ気付いていないかもしれない。
だが、それでいい。
今は教室を出ることが先だ。
俺はゆっくり手を差し出した。
ためらいながらも、彼女の指先が俺の手へ触れる。
冷たい。
驚くほど冷え切っていた。
ぎゅっと握り返す。
その小さな震えが掌から伝わってくる。
大丈夫。
そう言いたかった。
でも言葉は飲み込む。
俺は頷くだけにした。
美玖も小さく頷き返す。
そのまま二人で扉へ向かう。
一歩。
また一歩。
息を止めるように歩く。
教室後方では、三体がモップが当たった扉の周囲を彷徨っていた。
まだこちらには気付いていない。
あと少し。
あと数歩。
扉へ手が届く。
俺は静かに扉を押し開けた。
彼女を先に廊下に押しやる。
続いて俺も廊下へ出る。
ゆっくり扉を閉める。
カチリ。
小さくラッチが収まる音だけが響いた。
教室の奴らがこちらに反応した気配はない。
誰も追ってこない。
四人で顔を見合わせる。
ようやく全員が息を吐いた。
美玖は壁へ背中を預けるように座り込み、その場で肩を震わせた。
泣くのを堪えるように唇を噛んでいる。
その姿を見て、俺は初めて声を掛けた。
「……もう一人じゃない。」
美玖がゆっくり顔を上げる。
その瞳が、改めて俺の顔を映した。
数秒。
信じられないものを見るように見つめる。
やがて、小さく目を見開いた。
「……悠斗?」
あの頃より少し低くなった声。
けれど、その呼び方は昔のままだった。
俺は少しだけ笑った。
「久しぶり、美玖。」
それは、あまりにも短い再会の言葉だった。
けれど、その一言だけで十分だった。
美玖の瞳から、一筋の涙が静かに零れ落ちた。