学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build― 作:UG-san
廊下は、不気味なほど静まり返っていた。
窓から差し込む午後の陽射しはまだ明るい。それなのに、校舎にはあるはずの喧騒が一切なかった。
聞こえるのは、自分たちの足音だけ。
四人分の靴底が床を踏む音が、やけに大きく耳へ響く。
先頭を歩く陽向が、廊下の先を確認する。
その少し後ろを俺。
さらに後ろには美玖。
最後尾を隼人が守る。
自然とそういう隊列になっていた。
誰も話さない。
息を潜め、耳を澄ませながら家庭科室へ向かう。
中央階段に差し掛かった時だった。
陽向が右手を軽く上げる。
止まれ。
その合図だけで全員が足を止めた。
俺も息を殺し、耳を澄ませる。
――ガタン。
遠くから何かが倒れたような音。
続いて、
――ガリ……
何かを引きずるような音が聞こえてくる。
音は階下からだった。
姿は見えない。
どこなのかまでは分からない。
ただ、この校舎の下で何かが動いている。
それだけは間違いなかった。
陽向がこちらを振り返る。
俺は無言で頷いた。
しばらく待つ。
音はこちらへ近付いてくる様子はない。
やがて陽向は小さく息を吐き、再び歩き始めた。
俺たちも続く。
美玖は一度だけ音のした方へ視線を向けたが、すぐ前へ向き直った。
その横顔には疲労が色濃く残っている。
この一時間足らずで、どれだけのものを見てきたのだろう。
それは俺たちも同じだった。
廊下を進むにつれ、家庭科室の扉が視界へ入る。
ようやく帰ってきた。
そう思うだけで肩の力が少し抜けた。
最後尾の隼人が前へ出る。
扉を二度、小さく叩く。
少し間を空けて、もう一度。
家庭科室に残った仲間と決めていた合図だった。
数秒後。
内側から机を動かす音が聞こえてくる。
鍵が外され、扉がゆっくり開いた。
「隼人!」
最初に顔を出したのは、家庭科室に残って食料や物資の確認を任せていた一ノ瀬莉乃だった。
俺たちと同じ三年A組。
小柄な体をいっぱいに使うように扉を開けた莉乃は、俺たちの姿を見て安堵したように笑う。
その笑顔は、俺たちの後ろに立つ美玖を見つけた瞬間に固まった。
「……美玖?」
信じられない。
そんな表情を浮かべたまま、美玖を見つめている。
「美玖!」
次の瞬間には飛び出していた。
美玖の肩へ両手を添え、その顔を覗き込む。
「本当に……?」
「……うん。」
美玖は小さく頷く。
「私。」
「……よかった。」
莉乃は制服の袖をぎゅっと掴む。
その声には安堵が滲んでいた。
俺はその様子を見ながら静かに息を吐く。
無事に連れて帰ってこられた。
それだけで十分だった。
「中、入ろう。」
隼人の声で俺たちは家庭科室へ入る。
扉はすぐ閉められ、内側から鍵が掛けられた。
さらに入口を塞ぐ机と椅子が元の位置へ戻される。
ようやく外と隔てられた。
そう思った時、違和感に気付く。
ーー人が増えている。
家庭科室へ避難してきた時、一緒だったA組の顔ぶれ。
生徒会副会長の黒崎葵。
俺達を迎え入れてくれた一ノ瀬莉乃。
篠原美咲。
工藤結衣。
その四人に加え、
俺たちとは別方向を中心に物資を探しに行っていた桐山遼と秋月翼も先に戻ってきていた。
そして、その近くには見覚えのない三人の生徒が座っている。
男子が一人。
女子が二人。
制服こそ同じだが、同じクラスではない。
遼たちが保護した生徒だろう。
遼がこちらへ手を上げる。
「おかえり。」
「ああ。」
「そっちも無事だったか。」
「なんとか。」
短いやり取り。
生きて戻れた。
それだけで十分だった。
その時だった。
「……ねえ、あの子……。」
誰かが小さく呟く。
声は、新しく保護された女子生徒の一人からだった。
美玖を見つめたまま、目を逸らさない。
戸惑うような。
どこか距離を測るような。
そんな視線。
その隣に座るもう一人の女子生徒は、そんな彼女を心配そうに見上げている。
けれど何も言わない。
美玖もまた、その視線には反応しなかった。
ただ静かに立っている。
莉乃だけが、その袖を離さない。
部屋に微かな緊張が流れた。
その空気を断ち切るように、一人の女子生徒が立ち上がる。
葵だった。
「みんな。」
落ち着いた声が家庭科室へ響く。
「無事に戻ってきてくれて、本当に良かった。」
その言葉だけで、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。
葵は続ける。
「初めて顔を合わせる人もいると思うから。」
「一度、自己紹介だけ済ませておかない?」
「こんな時だからこそ。」
葵の提案に、何人かが小さく頷く。
同じ校舎で生活していても、クラスが違えば話したことのない相手はいくらでもいる。
それが今は、一つの部屋で肩を寄せ合っている。
少し前までなら考えもしなかった光景だった。
葵は俺たちへ目を向ける。
「橘くんたちからお願いしてもいい?」
「ああ。」
俺は一歩前へ出た。
視線が集まる。
十数人程度の人数なのに、不思議と教室で自己紹介をする時より緊張した。
理由は簡単だ。
今は"同じ学校の生徒"ではなく、"生き残った者同士"として向き合っているからだ。
「橘悠斗です。」
一度、部屋を見回す。
「生き残るためにできることはやる。よろしく。」
言葉を選んだつもりはない。
それでも自然と、そんな言葉が口をついて出た。
俺が下がると、陽向が前へ出る。
「朝倉陽向。」
いつものように肩の力を抜いた笑みを浮かべる。
「こんな状況だけど、暗くなっても仕方ないしな。やれるだけのことはやる。よろしく。」
その言葉に、何人かの表情が少しだけ和らいだ。
陽向は昔からそうだ。
場の空気を軽くすることが自然にできる。
続いて隼人が立ち上がる。
「柏木隼人です。」
穏やかな口調はいつもと変わらない。
「分からないことばかりだけど、一緒に考えていければと思う。よろしく。」
必要以上に飾らない。
それが隼人らしかった。
葵は頷き、今度は遼たちの近くへ視線を向ける。
「じゃあ、みんなもお願い。」
最初に立ち上がったのは、眼鏡を掛けた男子生徒だった。
少し緊張した様子で頭を下げる。
「神谷恒一です。」
短く息を吸う。
「助けてもらいました。足を引っ張らないように頑張ります。よろしく。」
真面目な性格なのだろう。
その言葉遣いからも伝わってくる。
続いて隣の女子生徒が立ち上がった。
さっき、美玖を見ていた生徒だ。
一瞬だけ美玖へ視線が向く。
けれど何も言わず、前を向く。
「水瀬七海。」
静かな声だった。
「……よろしく。」
それ以上は何も話さなかった。
俺はその様子を見つめる。
美玖に何か思うところはある。
だが、それをこの場へ持ち込むつもりはないらしい。
その隣にいた小柄な女子生徒が、おずおずと立ち上がる。
「白石萌です。」
少しだけ緊張した笑顔を浮かべる。
「みんな無事でよかったです。よろしくお願いします。」
深々と頭を下げる姿に、自然と何人かが頷いた。
そして――。
部屋が静かになる。
葵がゆっくりと美玖を見る。
部屋中の視線が一斉に美玖へ集まった。
さっきまで話していた空気が、嘘のように静まる。
莉乃は何も言わない。
ただ、美玖のすぐ隣に立っていた。
美玖は一度だけ部屋を見回した。
向けられる視線を受け止めるように。
逃げることも、俯くこともしない。
ほんの数秒。
それだけの沈黙が、やけに長く感じられた。
やがて美玖は静かに口を開く。
「……夕樹美玖。」
それだけだった。
それ以上は何も続かない。
よろしく、も。
助け合いたい、も。
何一つ付け加えなかった。
名前だけ。
それでも、その声ははっきりと部屋へ届いた。
誰も何も言わない。
七海も。
萌も。
恒一も。
ただ静かに、その自己紹介を受け止めていた。
葵は小さく頷く。
「ありがとう。」
そこからは、クラスメイトたちが順番に名前を名乗っていった。
黒崎葵。
一ノ瀬莉乃。
篠原美咲。
工藤結衣。
桐山遼。
秋月翼。
短い自己紹介が続く。
元々クラスメイトではない、新しく合流した四人は真剣な表情で耳を傾けていた。
全員の自己紹介が終わる頃には、家庭科室の空気は少しだけ柔らかくなっていた。
まだ知らないことも多い。
それでも、名前を知るというだけで、人は少しだけ距離を縮められる。
そんなことを、改めて思う。
葵は一度全員を見回し、静かに微笑んだ。
「これで、改めて全員顔合わせだね。」
その言葉に、部屋のあちこちで小さく頷く姿が見えた。
十三人が、無事に同じ場所へ集まった。
それは、この長い一日の中で初めて感じる、小さな安心だった。