学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build― 作:UG-san
工作室から持ち帰った工具や資材が、家庭科室の調理台いっぱいに並べられていた。
工具箱を開けば、ドライバーやペンチ、レンチが整然と収まっている。
その横には鉄製のパイプ、角材、木ネジ、ガムテープ、結束線。
ほんの数時間前までは授業で使われていたはずの道具たちが、今は別の意味を持とうとしていた。
武器を作る。
そのための材料だった。
「……まずは長さを揃えよう。」
俺は角材を一本手に取り、工作室から持ち帰った金尺を当てる。
「一メートル八十くらいで統一する。」
「長すぎると室内じゃ振り回せないし、短すぎると意味がない。」
「このくらいなら突くにも扱いやすいはずだ。」
隼人が一本持ち上げる。
「こっちは真っすぐだな。」
「使えそうだ。」
「それ、こっちへ。」
受け取った木材を作業台代わりにした机へ並べる。
陽向は部屋の隅へ積まれた角材を一本ずつ運びながら、小さく口笛を吹いていた。
「こういうのってさ。」
「文化祭の準備みたいだよな。」
「……内容は全然違うけど。」
文化祭。
体育祭。
進路。
昨日までなら、そんな話をしていたはずだった。
今は違う。
全員が黙々と手を動かしている。
遼は工具箱からネジや金具を種類ごとに並べ替えていた。
「長さが違う。」
「固定用はこっちへ分ける。」
その隣では恒一がドライバーやペンチを順番へ並べ直していく。
「これなら探す手間が減る。」
「ありがとう。」
自然と礼が口をつく。
誰かが指示を待つのではない。
自分で考え、動いている。
そんな空気が少しずつ出来上がっていた。
部屋の反対側では翼が鉄パイプを一本ずつ持ち上げ、歪みがないかを確認していた。
「こっちは曲がってる。」
「これは使わない方がいい。」
一本を脇へ避け、真っすぐなものだけを選んでいく。
「助かる。」
俺は頷きながらノコギリを手に取った。
木材へ墨線を引く。
刃を当てる。
ギ、ギ、と乾いた音が家庭科室へ響き始めた。
一定のリズムで刃を引く。
力任せに押せば刃が暴れる。
焦らず、真っすぐ。
何度も繰り返してきた動きだった。
やがて木材が静かに切り離される。
「思ったより慣れてるな。」
隼人が感心したように言う。
「小さい頃から手伝ってたから。」
祖父の店では、木を切ることも、工具を片付けることも珍しいことではなかった。
何度も繰り返してきた作業だ。
だから今さら特別なことをしている感覚はない。
隼人が次の木材を固定した。
「こっちも切るぞ。」
「頼む。」
今度は二人で作業を進める。
一人では押さえきれない材料も、二人なら安定する。
いつの間にか声を掛け合うことが当たり前になっていた。
家庭科室には、金属を締める音、木を切る音、工具の触れ合う音だけが静かに響いている。
それは戦いの準備であると同時に、生き残るための共同作業でもあった。
一方、その少し離れた場所では、女子たちもそれぞれ手を動かしていた。
葵は持ち帰った救急用品を机へ広げ、包帯や消毒液の残量を一つずつ確認している。
その隣では美咲が薬箱の中身をノートへ書き写し、足りない物を整理していた。
結衣はタオルや布を畳み直し、棚へ並べ替えている。
七海と萌は紙皿や割り箸、ラップなどの日用品を種類ごとに分けていた。
「こっちはまだ使えそう。」
「うん。濡れてないね。」
二人の小さなやり取りが聞こえてくる。
さっきまで張り詰めていた空気とは違う。
少しだけ、日常のような時間が戻ってきた気がした。
その時、莉乃が部屋を見回し、美玖へ声を掛けた。
「美玖。」
美玖はゆっくり顔を上げる。
「……うん?」
「手、空いてる?」
莉乃は段ボール箱を軽く叩きながら笑った。
「一人じゃちょっと大変だから、手伝ってくれる?」
美玖は小さく頷くと、静かに立ち上がった。
「分かった。」
二人で箱の中身を取り出していく。
ウェットティッシュ。
石鹸。
ラップ。
アルミホイル。
生活用品ばかりだった。
「それ、美咲ちゃんのところお願い。」
「……うん。」
美玖は言われた通りに歩き出す。
自分から輪の中心へ入っていくタイプではない。
でも、声を掛けられれば素直に動く。
教室で見た時から、そんな印象は変わらなかった。
その様子を見た莉乃も、特別なことは言わず、また箱の整理へ戻っていく。
俺は作業の手を止めることなく、その光景を横目で見ていた。
誰かが無理に引っ張るわけでもない。
誰かが一人になるわけでもない。
少しずつだが、この十三人は同じ部屋で生活することに慣れ始めている。
そんな空気が、家庭科室の中には流れ始めていた。
木材を切る音が途切れると、家庭科室は再び静かな空気に包まれた。
窓から吹き込む風がカーテンをゆっくりと揺らす。
そのたびに、部屋の中へ柔らかな光が差し込んでは消えていった。
「ちょっと外見てくる。」
陽向が窓際へ歩いていく。
俺も手を止め、何となくその後を目で追った。
四階の家庭科室からは、学校の正門だけでなく、その先に広がる街並みまで見渡すことができる。
この高校は丘の上に建っている。
普段なら見晴らしの良さが自慢になる景色だった。
陽向はしばらく黙ったまま窓の外を見つめていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……ひでぇな。」
俺も窓際へ歩き、外へ目を向ける。
街のあちこちから細い煙が立ち上っている。
道路には何台もの車が途中で止まり、その列は交差点の先まで続いていた。
信号はまだ規則正しく色を変えている。
それなのに、その下を走る車は一台もない。
遠くの交差点で、小さな人影がふらつくように歩いているのが見えた。
誰かを追い掛けているようにも見える。
その向こうでは、人影が突然走り出したかと思うと、建物の陰へ消えていった。
距離がありすぎて何が起きているのかまでは分からない。
それでも、街全体が普通ではないことだけは嫌というほど伝わってくる。
「消防車も救急車も見えないね。」
七海が窓の近くまで来て、小さく呟いた。
「サイレンは聞こえるけど……。」
「近付いてくる様子はない。」
萌も不安そうに街を見つめている。
視線の先には、見慣れた街の姿があるはずだった。
もう、それがどんな様子なのかはここからでは分からない。
俺は静かに窓から離れた。
見続けても状況が良くなるわけじゃない。
今の俺たちに必要なのは、外を眺めることじゃない。
ここで生き残る準備をすることだ。
その時だった。
「あ。」
美咲が携帯電話を見つめたまま声を上げる。
「やっぱり駄目。」
「まだ圏外?」
結衣が覗き込む。
「ううん。」
「アンテナは立ってる。」
「でも全然繋がらない。」
葵も自分のスマートフォンを確認する。
「電話も駄目。」
「メッセージも送れない。」
「ネットも読み込まない。」
「こっちも。」
莉乃が苦笑いする。
「家に何回電話しても全然。」
家庭科室の空気が少しだけ重くなる。
誰もが同じことを試していた。
家族。
友人。
警察。
消防。
どこか一つでも繋がれば。
そんな期待は、もう何度も裏切られている。
「基地局が止まったのかな。」
恒一が小さく言う。
「それとも回線が混雑してるだけか。」
「どっちにしても。」
隼人が工具を置く。
「今は当てにしない方がいい。」
誰も反論しなかった。
現実は、もう十分すぎるほど分かっている。
俺は流し台へ視線を向けた。
蛇口。
まだ、水は出る。
「……今のうちに水を確保しよう。」
自然と口が動いていた。
全員がこちらを見る。
「水道がいつ止まるか分からない。」
「止まってからじゃ遅い。」
「出るうちにできるだけ汲んで、煮沸して保存しておこう。」
葵がすぐ頷いた。
「賛成。」
「容器ならまだ結構ある。」
「鍋もあるし。」
七海も立ち上がる。
「じゃあ、お湯沸かそう。」
「私、水汲む。」
萌も静かに続いた。
「ペットボトル……洗ってくる。」
女子たちが一斉に動き始める。
蛇口をひねる音。
鍋へ水が注がれる音。
ガスコンロへ火が点く音。
どれも、昨日までなら何気なく聞いていた生活の音だった。
今は、その一つ一つが妙にありがたく感じる。
水が出る。
火が使える。
それだけでも、まだ俺たちは生きていける。
そう思えた。
俺はもう一度工具を手に取る。
今のうちに、できることは全部やっておかなければならない。
木を削る音と金属の擦れる音が、家庭科室の中へ静かに響いていた。
作業を始めてから、どれくらい時間が経ったのだろう。
机の上には切り揃えた角材と鉄パイプが並び、その周囲へ工具が整然と置かれている。
「固定するぞ。」
俺は角材の先端へ包丁を当てる。
刃の向きを慎重に合わせると、隼人が木材をしっかり押さえた。
「この辺か?」
「もう少し右。」
「……そこ。」
位置が決まる。
結束線を何重にも巻き付け、その上からガムテープでしっかり固定していく。
隙間を作らないよう均等に締め上げる。
最後に柄を軽く揺すると、刃はほとんど動かなかった。
「よし。」
槍を持ち上げ、軽く構える。
包丁を握るより重い。
だが、その分だけ相手との距離を取れる。
何もない空間へ向かってゆっくり突きを繰り出した。
ぶれは少ない。
「どうだ?」
陽向が身を乗り出す。
「使える。」
そう答えると、陽向はほっとしたように笑った。
「なら上出来だ。」
「後で、持ち手をヤスリで丸めておこう。」
一本目が完成したことで、部屋の空気が少しだけ軽くなる。
これなら作れる。
その実感が、全員へ伝わったのだろう。
そこから先は自然と役割が決まっていった。
俺が位置を合わせ、
隼人が固定し、
恒一と翼が結束線を巻く。
陽向と遼は完成した槍を受け取り、強度を確かめながら壁際へ並べていく。
一本。
二本。
三本。
作業を重ねるたびに動きも揃い、誰も指示を出さなくても次に何をすればいいのか分かるようになっていた。
その間も、隼人は時折作業の手を止め、入口へ歩いていく。
扉へ耳を近付け、廊下の様子を確かめる。
静かなことを確認すると、何も言わず戻ってきて再び木材を押さえる。
その姿を見ているだけで、不思議と落ち着いた。
誰かがちゃんと周りを見てくれている。
それだけで安心できる。
六本目が完成した頃には、家庭科室の壁へ即席の槍が並んでいた。
決して見栄えのいい物じゃない。
それでも、ここへ籠もったばかりの頃と比べれば、頼もしさはまるで違った。
その時だった。
「あのさ。」
静かな声が聞こえた。
全員が顔を上げる。
美玖だった。
少しだけ言葉を探すように視線を落とし、それからゆっくり続ける。
「あの時……。」
「みんなが助けに来てくれた教室で。」
「私、少し見てたんだけど。」
家庭科室が静まり返る。
「奴ら。」
「私たちを見て動いたっていうより……。」
「誰かが叫んだ時とか、机が倒れたときとか。」
「そういう音がした時に、一気に集まってきてた気がする。」
確かに、あの時もそうだった。
机にぶつかる音。
扉にモップをぶつけた音。
奴らは、そのたびに一斉に動いていた。
美玖は少しだけ考えるように続ける。
「見えてない……とは言えないけど。」
「音には、すごく反応してるように見えた。」
葵が腕を組む。
「なるほど。」
「少なくとも、静かにしてる方がいいってことね。」
俺も頷いた。
「断定はできない。」
「でも、覚えておいた方がいい。」
隼人も短く答える。
「余計な音は立てない。」
誰もが自然と頷いている。
その時、窓の外を見ていた結衣がぽつりと呟く。
「もう夕方だね。」
西日が家庭科室へ差し込み始めていた。
昼間より部屋の中が少し暗い。
七海がコンロを見ながら尋ねる。
「夜は電気つける?」
俺は窓の外へ目を向けた。
街も少しずつ夕暮れへ染まり始めている。
「できれば使わない方がいい。」
自然と口が動いていた。
「理由は二つ。」
全員がこちらを見る。
「一つは、美玖が教えてくれたこと。」
「光にも反応するかは分からないけど、わざわざ試す必要はない。」
少し間を置いて続ける。
「もう一つ。」
「もし学校の中に俺たち以外の生き残りがいたとして。」
「夜、この部屋だけ明るかったら。」
「助けを求めて来るかもしれない。」
誰かを見捨てたいわけじゃない。
でも、今の俺たちに全員を守れる余裕はない。
その現実も分かっていた。
陽向が苦い顔で頷く。
「追われてる可能性もあるしな。」
「そう。」
俺は頷く。
「だから夜は遮光カーテンを閉める。」
「明かりを使うなら、外へ漏れないようにしよう。」
葵もすぐ賛成した。
「今はそれがいいかもね。」
「ロウソクを使う時も窓際には置かないこと。」
誰も反対しなかった。
夕日が少しずつ西へ傾き始める。
家庭科室へ差し込んでいた橙色の光も、時間とともに弱くなっていった。
「そろそろやろうか。」
葵の声で全員が動き出す。
窓際へ集まり、遮光カーテンを一枚ずつ閉めていく。
家庭科室には実習用の厚手のカーテンが備え付けられていた。
昼間はほとんど使われることのないものだ。
それを隙間ができないよう丁寧に引き寄せる。
最後の一枚が閉じられると、部屋の明るさは一気に落ちた。
「結構暗くなるね。」
結衣が周囲を見回す。
「その方がいい。」
隼人は短く答えた。
「外から見えない方が安全だ。」
俺も窓の隙間へ目を近付ける。
カーテン越しでも外の様子はかろうじて分かる。
しかし、こちら側の光はほとんど漏れない。
これなら夜になっても目立つことはないだろう。
七海は鍋の蓋を開け、小さく湯気を逃がした。
「もう一回沸いたよ。」
家庭科室のあちこちへ並べられた鍋ややかんから、白い湯気がゆっくり立ち上っている。
煮沸を終えた水は、洗ったペットボトルや保存容器へ順番に移されていった。
萌は黙々とペットボトルを拭き、莉乃が漏斗を使って水を移す。
美咲は容器へ油性ペンで印を付けていた。
「煮沸済み。」
「これで分かるようにしとく。」
「助かる。」
葵が頷きながらノートへ書き込む。
何本目か分からなくなるほど、水の入った容器が家庭科室の壁際へ並び始めていた。
これだけあれば、しばらくは持つ。
もちろん永遠じゃない。
それでも、「備えがある」という事実は、人を落ち着かせる。
俺は壁際へ並んだ槍へ目を向けた。
六本。
即席とはいえ、最初の頃とは比べものにならない。
家庭科室へ逃げ込んだ時には、頼れるものは包丁しかなかった。
今は違う。
水がある。
武器がある。
役割も少しずつ決まってきた。
少なくとも、この部屋の中だけは。
少しずつ生活が形になり始めていた。
「なあ。」
陽向が壁へ立て掛けた槍を眺めながら笑う。
「なんかさ。」
「キャンプみたいになってきたな。」
その言葉に、何人かが思わず笑った。
「全然楽しくないキャンプだけどね。」
莉乃が肩を竦める。
「それは間違いない。」
陽向も苦笑する。
小さな笑い声が家庭科室へ広がる。
俺も思わず口元が緩んだ。
こんな状況でも、人は笑える。
だからまだ折れていない。
そう思えた。
コンロの火を一つ消す。
残る火も弱火へ落とした。
部屋はさらに薄暗くなる。
やがて窓の外も完全に夕暮れへ変わり、カーテン越しに見えていた光も少しずつ消えていった。
家庭科室の中には、ガスコンロの小さな炎だけが揺れている。
それを見つめながら、俺は静かに息を吐いた。
夜が来る。
そして。
今日という一日は、まだ終わっていない。