学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build― 作:UG-san
家庭科室の中へ、静かな夜が訪れていた。
遮光カーテンを閉め切った部屋は昼間とはまるで別世界だった。
明かりはコンロの小さな火と、机の中央へ置いた一本のロウソクだけ。
揺れる炎が壁へ影を映し、十三人の姿をぼんやりと照らしている。
窓の外はもう見えない。
街の灯りも、校庭も。
今の俺たちには、この家庭科室だけが世界だった。
七海と萌、それに莉乃たちが簡単な夕食を配っていく。
家庭科室に残されていた乾麺を茹で、缶詰のサバと少しだけ残っていた調味料で味を整えた簡単な汁物。
豪華とは言えない。
それでも、温かい食事だった。
「はい。」
莉乃が紙皿を差し出す。
「ありがとう。」
受け取った皿からは湯気が立っていた。
温かい。
それだけで少しだけ肩の力が抜ける。
周囲でも、それぞれが静かに食べ始めていた。
「味、どう?」
七海が少し不安そうに尋ねる。
「普通にうまい。」
陽向が真っ先に答える。
「腹減ってるってのもあるけど。」
「十分。」
その言葉に七海はほっと笑った。
「よかった。」
結衣も頷く。
「温かいだけでも違うね。」
誰も大きな声では話さない。
それでも、昼間より自然に言葉が交わされるようになっていた。
それが少し嬉しかった。
食べ終えた紙皿を重ね、俺は壁際へ立て掛けられた槍へ目を向ける。
ロウソクの明かりを受けて、包丁の刃が鈍く光っていた。
陽向も同じように槍を見ている。
「なぁ。」
静かな声だった。
「変なこと聞いていいか?」
「何だ?」
俺が答えると、陽向は少し笑ってから頭を掻いた。
「俺さ。」
一度言葉が止まる。
それから、小さく続けた。
「本当に刺せるのかな。」
家庭科室が静まり返った。
誰もすぐには答えない。
俺も答えられなかった。
その問いは、きっと全員が心のどこかで考えていたことだったからだ。
結衣がぽつりと呟く。
「……私も。」
「考えてた。」
七海も視線を落としたまま、小さく頷く。
「怖いよ。」
「人を刺すなんて。」
莉乃が呟く。
「怖くない人なんて、いないと思う。」
その言葉に、何人かが静かに頷いた。
壁際では恒一も腕を組んだまま黙っている。
翼も槍を見つめたまま何も言わない。
俺は槍を一本手に取った。
自分で作ったもの。
握り心地も重さも分かっている。
それでも。
これを誰かへ向けることを考えた瞬間、胸の奥が重くなる。
「俺も怖い。」
「正直、刺したいなんて思わない。」
「できれば、一回も使わずに済んでほしい。」
少しだけ間を置く。
「でも。」
「使わなかったら。」
「今度は俺たちが死ぬかもしれない。」
その言葉を口にすると、自分でも嫌になる。
こんなことを考えなければならない状況そのものが。
隼人が静かに槍を手に取る。
「勇気がある奴なんていない。」
低い声だった。
「その時になって。」
「覚悟を決めるだけだ。」
その言葉は短いものだったが、不思議と胸へ残った。
部屋の反対側で遼が槍へ視線を落としたまま、小さく口を開く。
「その時になれば。」
「身体が動くしかない。」
誰も返事をしなかった。
返せなかった。
その言葉が、あまりにも現実だったからだ。
ロウソクの炎だけが静かに揺れている。
俺たちは誰も英雄じゃない。
昨日まで、ごく普通の高校生だった。
それでも明日、生きている保証はどこにもない。
だからこそ。
この槍を握るしかない。
誰もが、それぞれの考えを胸に抱えていた。
怖くない人間なんていない。
それでも、生きるためには戦わなければならない。
その現実だけは、全員が受け入れ始めていた。
やがて葵が静かに立ち上がる。
「そろそろ見張りを決めよう。」
部屋の空気が少しだけ引き締まる。
夜になれば、外の様子はますます分かりにくくなる。
だからこそ、誰かが廊下の様子を見続ける必要があった。
「最初は一人ずつ交代でいこうと思う。」
葵は全員を見回しながら続ける。
「長時間になると集中も切れるから、一時間くらいで交代。」
「何かあったら、すぐ部屋へ知らせる。」
俺は昼間に作っておいたロープを手に取った。
細い麻縄を数本つないで作った簡単なものだ。
片方は家庭科室の机へ結び、もう片方は廊下へ出したまま扉の隙間を通してある。
「大きな音は立てられない。」
「だから合図はこれ。」
軽く引く。
ロープの先につながれた机の脚が、小さく震えた。
音はほとんどしない。
それでも、家庭科室の中にいれば十分分かる。
「合図はどうする?」
「中から一回引いたら報告。」
「二回続けて引いたら戻ってきてほしい。」
「外からは一回引いたら異常なし。」
「二回引いたら要注意。」
「三回引いたらこれから戻る。」
「こんなところかな?」
葵がノートに簡単なルールを書き込む。
「最初は隼人くん。」
「次が遼くん。」
「その後は陽向くん。」
隼人が静かに立ち上がる。
「行ってくる。」
槍を一本手に取り、静かに扉を開ける。
ロープを持ったまま廊下へ出ると、扉は音を立てないよう慎重に閉められた。
部屋の中へ再び静寂が戻る。
時折、ロープを引く。
応答するようにロープが引かれる。
それを見るたびに、隼人が無事に立っていることが分かった。
その一時間は、思っていたより長かった。
女子たちは使い終えた鍋を静かに片付け、恒一と翼は壁際へ並べた槍の固定具合をもう一度確かめている。
俺は工具を拭きながら、時折ロープへ視線を向けた。
何も起きない。
それが一番良かった。
やがて1時間が経過し、ロープが三度、小さく震えた。
「交代だ。」
俺が立ち上がると、ちょうど扉が静かに開いた。
隼人が戻ってくる。
「変化なし。」
「時々物音は聞こえたけど、遠くからだった。」
短く報告すると、そのまま壁へ槍を立て掛け、小さく息を吐いた。
遼が立ち上がる。
「次、俺だな。」
壁際の槍を一本手に取り、柄を握り直す。
昼間、自分たちで作った即席の槍。
その重さを確かめるように一度だけ握り直す。
陽向が笑いながら声を掛けた。
「一時間だけだからな。」
「眠るなよ。」
遼は少しだけ口元を緩める。
「眠れる状況じゃないだろ。」
「それもそうか。」
俺も立ち上がった。
「頼む。」
遼は静かに頷いた。
「ああ。」
扉へ手を掛ける。
音を立てないよう慎重に開けると、槍を持ったまま廊下へ出ていく。
静かに扉が閉まる。
部屋の中には再び、ロウソクの小さな炎だけが揺れていた。
それが――
俺たちが見た、遼の最後の姿だった。