学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build―   作:UG-san

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Ep.8-2 備え(後編)

 家庭科室の中へ、静かな夜が訪れていた。

 

 遮光カーテンを閉め切った部屋は昼間とはまるで別世界だった。

 明かりはコンロの小さな火と、机の中央へ置いた一本のロウソクだけ。

 揺れる炎が壁へ影を映し、十三人の姿をぼんやりと照らしている。

 

 窓の外はもう見えない。

 街の灯りも、校庭も。

 今の俺たちには、この家庭科室だけが世界だった。

 

 七海と萌、それに莉乃たちが簡単な夕食を配っていく。

 家庭科室に残されていた乾麺を茹で、缶詰のサバと少しだけ残っていた調味料で味を整えた簡単な汁物。

 豪華とは言えない。

 それでも、温かい食事だった。

 

「はい。」

 

 莉乃が紙皿を差し出す。

 

「ありがとう。」

 

 受け取った皿からは湯気が立っていた。

 温かい。

 それだけで少しだけ肩の力が抜ける。

 周囲でも、それぞれが静かに食べ始めていた。

 

「味、どう?」

 

 七海が少し不安そうに尋ねる。

 

「普通にうまい。」

 

 陽向が真っ先に答える。

 

「腹減ってるってのもあるけど。」

「十分。」

 

 その言葉に七海はほっと笑った。

 

「よかった。」

 

 結衣も頷く。

 

「温かいだけでも違うね。」

 

 誰も大きな声では話さない。

 それでも、昼間より自然に言葉が交わされるようになっていた。

 それが少し嬉しかった。

 

 食べ終えた紙皿を重ね、俺は壁際へ立て掛けられた槍へ目を向ける。

 ロウソクの明かりを受けて、包丁の刃が鈍く光っていた。

 陽向も同じように槍を見ている。

 

「なぁ。」

 

 静かな声だった。

 

「変なこと聞いていいか?」

 

「何だ?」

 

 俺が答えると、陽向は少し笑ってから頭を掻いた。

 

「俺さ。」

 

 一度言葉が止まる。

 それから、小さく続けた。

 

「本当に刺せるのかな。」

 

 家庭科室が静まり返った。

 誰もすぐには答えない。

 俺も答えられなかった。

 その問いは、きっと全員が心のどこかで考えていたことだったからだ。

 結衣がぽつりと呟く。

 

「……私も。」

「考えてた。」

 

 七海も視線を落としたまま、小さく頷く。

 

「怖いよ。」

「人を刺すなんて。」

 

 莉乃が呟く。

 

「怖くない人なんて、いないと思う。」

 

 その言葉に、何人かが静かに頷いた。

 壁際では恒一も腕を組んだまま黙っている。

 翼も槍を見つめたまま何も言わない。

 

 俺は槍を一本手に取った。

 

 自分で作ったもの。

 握り心地も重さも分かっている。

 それでも。

 これを誰かへ向けることを考えた瞬間、胸の奥が重くなる。

 

「俺も怖い。」

「正直、刺したいなんて思わない。」

「できれば、一回も使わずに済んでほしい。」

 

 少しだけ間を置く。

 

「でも。」

「使わなかったら。」

「今度は俺たちが死ぬかもしれない。」

 

 その言葉を口にすると、自分でも嫌になる。

 こんなことを考えなければならない状況そのものが。

 隼人が静かに槍を手に取る。

 

「勇気がある奴なんていない。」

 

 低い声だった。

 

「その時になって。」

「覚悟を決めるだけだ。」

 

 その言葉は短いものだったが、不思議と胸へ残った。

 部屋の反対側で遼が槍へ視線を落としたまま、小さく口を開く。

 

「その時になれば。」

「身体が動くしかない。」

 

 誰も返事をしなかった。

 返せなかった。

 その言葉が、あまりにも現実だったからだ。

 

 ロウソクの炎だけが静かに揺れている。

 俺たちは誰も英雄じゃない。

 昨日まで、ごく普通の高校生だった。

 それでも明日、生きている保証はどこにもない。

 だからこそ。

 この槍を握るしかない。

 

 

 誰もが、それぞれの考えを胸に抱えていた。

 

 怖くない人間なんていない。

 それでも、生きるためには戦わなければならない。

 その現実だけは、全員が受け入れ始めていた。

 やがて葵が静かに立ち上がる。

 

「そろそろ見張りを決めよう。」

 

 部屋の空気が少しだけ引き締まる。

 夜になれば、外の様子はますます分かりにくくなる。

 だからこそ、誰かが廊下の様子を見続ける必要があった。

 

「最初は一人ずつ交代でいこうと思う。」

 

 葵は全員を見回しながら続ける。

 

「長時間になると集中も切れるから、一時間くらいで交代。」

「何かあったら、すぐ部屋へ知らせる。」

 

 俺は昼間に作っておいたロープを手に取った。

 細い麻縄を数本つないで作った簡単なものだ。

 片方は家庭科室の机へ結び、もう片方は廊下へ出したまま扉の隙間を通してある。

 

「大きな音は立てられない。」

「だから合図はこれ。」

 

 軽く引く。

 ロープの先につながれた机の脚が、小さく震えた。

 音はほとんどしない。

 それでも、家庭科室の中にいれば十分分かる。

 

「合図はどうする?」

 

「中から一回引いたら報告。」

「二回続けて引いたら戻ってきてほしい。」

「外からは一回引いたら異常なし。」

「二回引いたら要注意。」

「三回引いたらこれから戻る。」

「こんなところかな?」

 

 葵がノートに簡単なルールを書き込む。

 

「最初は隼人くん。」

「次が遼くん。」

「その後は陽向くん。」

 

 隼人が静かに立ち上がる。

 

「行ってくる。」

 

 槍を一本手に取り、静かに扉を開ける。

 ロープを持ったまま廊下へ出ると、扉は音を立てないよう慎重に閉められた。

 部屋の中へ再び静寂が戻る。

 

 時折、ロープを引く。

 応答するようにロープが引かれる。

 それを見るたびに、隼人が無事に立っていることが分かった。

 

 その一時間は、思っていたより長かった。

 女子たちは使い終えた鍋を静かに片付け、恒一と翼は壁際へ並べた槍の固定具合をもう一度確かめている。

 俺は工具を拭きながら、時折ロープへ視線を向けた。

 

 何も起きない。

 それが一番良かった。

 やがて1時間が経過し、ロープが三度、小さく震えた。

 

「交代だ。」

 

 俺が立ち上がると、ちょうど扉が静かに開いた。

 隼人が戻ってくる。

 

「変化なし。」

「時々物音は聞こえたけど、遠くからだった。」

 

 短く報告すると、そのまま壁へ槍を立て掛け、小さく息を吐いた。

 遼が立ち上がる。

 

「次、俺だな。」

 

 壁際の槍を一本手に取り、柄を握り直す。

 昼間、自分たちで作った即席の槍。

 その重さを確かめるように一度だけ握り直す。

 陽向が笑いながら声を掛けた。

 

「一時間だけだからな。」

「眠るなよ。」

 

 遼は少しだけ口元を緩める。

 

「眠れる状況じゃないだろ。」

 

「それもそうか。」

 

 俺も立ち上がった。

 

「頼む。」

 

 遼は静かに頷いた。

 

「ああ。」

 

 扉へ手を掛ける。

 音を立てないよう慎重に開けると、槍を持ったまま廊下へ出ていく。

 静かに扉が閉まる。

 

 部屋の中には再び、ロウソクの小さな炎だけが揺れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが――

 

 

 

 

 

 俺たちが見た、遼の最後の姿だった。

 

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