学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build―   作:UG-san

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Ep.10-1 夜明け前の足音(前編)

 家庭科室の中央に結ばれた麻縄へ手を伸ばし、軽く一度引く。

 

 ——報告して。

 

 しばらくして、一度だけ返ってくる。

 

 ——異常なし。

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

「大丈夫?」

 

 結衣が静かな声で尋ねてくる。

 

「ああ。」

「異常なしだ。」

 

 ロープから手を離す。

 

 新しい見張り体制。

 一時間交代。

 男女二人一組。

 十分おきに定期連絡。

 

 今、廊下に立っているのは隼人と莉乃だった。

 

 遼がいなくなった夜。

 同じ失敗を繰り返さないために決めた約束だった。

 部屋の中では、ほとんどの仲間が壁にもたれ掛かって目を閉じている。

 

 眠っているというより、体を休めているだけだ。

 誰も深く眠れてはいない。

 

 ロウソクの火が消えかける。

 七海が新しいものに火を移し替えた。

 

 俺も工具箱へ背を預けながら、ぼんやりロウソクの火を見つめる。

 もう何時間、こうしていただろう。

 窓の外はまだ暗い。

 けれど、夜の底は少しずつ薄くなってきている。

 外は少しずつ白み始めた。

 もうすぐ朝が来る。

 

 その時だった。

 ロープが三度、強く震えた。

 

 ——戻る。

 

 同時に、遠く、教室棟の方からこちらへ駆けてくる足音が響く。

 

 ——速い。

 それに、一人じゃない。

 

 俺は思わず立ち上がった。

 扉が静かに、だが素早く開かれる。

 

「悠斗!」

 

 滑り込んできたのは隼人と莉乃だった。

 隼人はすぐ扉を閉め、槍を構えたまま低く言う。

 

「誰か来る。」

 

 部屋の空気が一瞬で張り詰める。

 陽向も翼も反射的に槍を掴んだ。

 

「奴らか?」

 

 陽向が声を潜める。

 隼人は首を横に振る。

 

「分からない。」

「でも複数だ。」

 

 莉乃も頷く。

 

「足音は人だった…と思う。」

「こっちに向かって急いで走ってきてる。」

 

 奴らじゃない。

 そう思いたかった。

 けれど、この学校で「人間だから安全」とはもう言えない。

 

 全員が息を殺す。

 足音が徐々に近づいてくる。

 やがて、扉の向こうで足音が止まった。

 

「開けてくれ!」

 

 囁くような、だが必死さを感じさせる男の声だった。

 

「頼む!」

「誰かいるんだろ!」

 

 その声に、部屋の中がざわつく。

 聞き覚えのない声。

 陽向が俺を見る。

 

「どうする?」

 

 俺は扉を見つめたまま答えられなかった。

 罠かもしれない。

 助けを求める生存者かもしれない。

 その判断を、一瞬で下さなければならない。

 俺は静かに息を吸った。

 

「……隼人。」

 

「ああ。」

 

 言葉はそれだけで十分だった。

 隼人がゆっくり扉の横へ立つ。

 陽向と翼も左右へ散る。

 俺は扉の前まで歩き、小さく問いかけた。

 

「誰だ。」

 

 扉の向こうで、少しだけ間が空く。

 

「風間海人だ!」

「あいつらに襲われて逃げてきた!」

「頼む!」

「もう後がない!」

 

 扉の向こうから聞こえる声には、切羽詰まった焦りが滲んでいた。

 俺は隼人と目を合わせる。

 隼人が静かに頷く。

 俺も小さく頷き返した。

 

「開ける。」

 

 ゆっくりと鍵へ手を伸ばした。

 

 

 カチリ、と鍵が外れる音がした。

 

「開けるぞ。」

 

 小さく声を掛ける。

 隼人が槍を構えたまま頷いた。

 陽向と翼も左右へ散り、すぐ動けるよう腰を落とす。

 

 俺はゆっくりと扉を開いた。

 そこに経っていたのは、見覚えのない二人。

 男子生徒は金属バットを支えにしており、頬には乾いた血がついている。

 女子生徒もバッグを抱きかかえ、こちらも中からバットのグリップが顔をのぞかせている。

 

 向こうも、俺達を見るのは初めてらしかった。

 男子生徒が荒い息のまま口を開く。

 

「……頼む、中へ入れてくれ。」

 

 俺は隼人と視線を合わせた。

 隼人は扉の隙間から廊下の左右を素早く確認し、小さく頷く。

 他に動く影はない。

 

「……入って。」

 

 二人はほとんど倒れ込むように家庭科室へ入ってきた。

 莉乃がすぐに扉を閉める。

 

 全員がしばらく耳を澄ませる。

 廊下は静かだった。

 足音も。

 呻き声も聞こえない。

 ようやく隼人が槍を下ろす。

 

「……追ってきてないな。」

 

 その一言で、部屋の張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。

 二人は床へ座ったまま何度も息を整え、やがて俺たちを見上げる。

 

 どちらも初めて見る顔だった。

 少なくとも同じクラスではない。

 

 萌が水を手渡す。

 男子生徒は一気に飲み干した一方、女子生徒は大事そうに抱えて飲み始めた。

 

「助かった……。」

 

「お水……。」

 

 

 葵が二人の前にしゃがみ込む。

 

「何年生?」

 

「俺たちは二年。」

 

 男子生徒が返す。

 

「風間海人。」

 

 そう言って自分の胸を親指で指す。

 短く刈った髪。

 日に焼けた肌。

 制服の着崩し方や鋭い目付きから、少し近寄り難い印象を受ける。

 けれど、その表情にはどこか仲間を守ろうとする必死さも見えた。

 隣の女子も軽く頭を下げる。

 

「朝比奈陽菜です。」

「助けてくれてありがとう。」

 

 疲れているはずなのに、その笑顔だけはどこか明るい。

 場の空気を少しでも和らげようとしているのが伝わってきた。

 

「大変だったね。」

「こっちはみんな三年。」

 

 簡単に全員を紹介すると、海人はゆっくり頷く。

 

「やっぱり。」

「ここで合ってた。」

 

「ここを知ってたのか?」

 

 隼人が尋ねると、海人は首を横へ振った。

 

「俺たちが隠れてた教室に、三年の人が一人いた。」

「昨日、アンタたちが家庭科室へ向かったのを知ってたって。」

「もし学校のどこかで生き残るなら、家庭科室かもしれないって。」

 

 ——そういうことか。

 

 教室へ残ると言っていた数名のクラスメイト。

 そのうちの誰かが、海人たちへこの場所を伝えていた。

 

 俺は静かに頷く。

 

「その人は?」

 

 海人の表情が曇る。

 

「……分からない。」

 

 短く答えたあと、俯く。

 

「昨日は一緒だった。」

「でも。」

 

 拳を握る。

 

「夜中に、大量の奴らが校舎内へ入ってきた。」

 

 部屋の空気が再び重くなる。

 全員が黙って海人の話を聞いていた。

 

「机で入口を塞いでた。」

「最初は持つと思ってた。」

「でも、一階からどんどん上がってきた。」

「誰かのスマホが鳴って、ドアに奴らが殺到した。」

 

 金属バットを見下ろす。

 

「俺は最後までドア押さえてた。」

「陽菜だけでも逃がそうと思った。」

「窓から逃げるわけにもいかない。」

「迷っている間に、連中にドアが壊された。」

「だから隙を見て廊下へ飛び出した。」

 

 陽菜も静かに続ける。

 

「みんな、ばらばらになっちゃった。」

「私たちは、とにかく家庭科室だけ目指して走ってきたの。」

 

 海人はゆっくり顔を上げた。

 

「……下の階はもう駄目だ。」

 

 その一言に、部屋の全員が息を呑んだ。

 

「一階だけじゃない。」

「下へ行くほど、奴らがうようよいる。」

「まともに降りようなんて思うな。」

 

 俺は思わず隼人を見る。

 隼人も同じことを考えているようだった。

 この学校は、時間が経つほど安全じゃなくなっている。

 

 

 海人の話が終わると、部屋の中は静まり返った。

 誰もすぐには言葉を返せない。

 

「ここなら救助が来るまで持ちこたえられるかもしれない」と思っていた。

 けれど、その考えは今、音を立てて崩れ始めていた。

 

 窓の外はすっかり明るくなっていた。

 夜が終わった。

 けれど、状況は何一つ良くなっていない。

 

 俺は立ち上がる。

 

「……遼のいた場所をもう一度見てくる。」

 

 昨夜は暗くて確認できなかった。

 朝になった今なら、何か分かるかもしれない。

 美咲が顔を上げた。

 

「私も行く。」

 

「駄目だ。」

 

 俺は首を横に振る。

 

「奴らが近くにいるかもしれない。」

 

 美咲は何か言い返そうとした。

 その前に七海がそっと肩へ手を置く。

 

「……待とう。」

 

 その一言だけだった。

 美咲は唇を噛み、ゆっくり頷いた。

 俺は隼人、陽向、翼へ視線を向ける。

 

「四人で行く。」

「すぐ戻る。」

 

 三人も無言で頷く。

 槍を手に取り、静かに家庭科室を出た。

 

 廊下は静かだった。

 昨夜と違い、窓から差し込む朝の光が床を照らしている。

 それでも、静けさは、その不気味さは何も変わらない。

 四人で足音を殺しながら、遼がいたはずの見張り場所まで進む。

 

 そこには――何もなかった。

 槍も。

 血も。

 遼の姿も。

 俺は思わず周囲を見回す。

 

「……ない。」

 

 陽向が小さく呟く。

 

「やっぱり、様子を見に行ったんだ。」

 

 俺は黙って頷く。

 

 昨夜。

 階下から物音がした。

 遼はそれに気付いていた。

 だから、確認へ向かった。

 

 俺たちはその先へ視線を向ける。

 管理棟、中央階段。

 防火扉のある辺り。

 慎重に歩を進める。

 階段の手前まで来たところで、翼が足を止めた。

 

「……あった。」

 

 俺たちも視線を向ける。

 踊り場の床へ一本の槍が転がっていた。

 俺たちが昨日作った即席の槍。

 間違いない。

 遼のものだった。

 

 そのすぐ近く。

 床へ黒く乾き始めた血痕が点々と残っている。

 量は多くない。

 けれど、誰かが傷を負ったことだけは分かった。

 

 俺はゆっくり周囲を見る。

 遼の姿はない。

 

 どこにも。

 いない。

 

 陽向が小さく拳を握る。

 

「遼……。」

 

 誰も返事をしなかった。

 

 防火扉の横へ目を向ける。

 

 昨日の夜。

 もし遼が階下の様子を確かめようとして、ここから下を覗き込んだとしたら。

 その瞬間。

 すぐ横の物陰に潜んでいた奴らに、不意を突かれたとしたら。

 そう考えれば、この場所へ槍だけが残っている理由も説明がつく。

 

 俺は槍を拾い上げる。

 

 柄には、乾いた血が少しだけ付いていた。

 俺はそれを強く握り締める。

 

「……戻ろう。」

 

 隼人が静かに言った。

 俺はもう一度だけ踊り場を見渡す。

 それでも、遼の姿は見つからなかった。

 

 四人は誰も口を開かないまま、家庭科室への道を引き返した。

 

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