学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build― 作:UG-san
家庭科室へ戻ると、みんなが一斉にこちらを見た。
俺達が何も言わないだけで、結果は伝わったらしい。
美咲の視線が、俺の手にある槍へ吸い寄せられる。
「遼は?」
静かな声だった。
俺は静かに首を横へ振る。
「見つからなかった。」
それだけ言うのが精一杯だった。
美咲の表情が強張る。
俺は手に持っていた槍をそっと床へ置いた。
「……これだけ。」
美咲の目が槍へ向く。
柄に残った乾いた血。
それを見るなり、美咲は言葉を失った。
「三階との間の踊り場に落ちてた。」
「すぐ横には血痕があった。」
「でも……遼はいなかった。」
部屋の中が静まり返る。
七海がそっと美咲の隣へ寄る。
何も言わない。
ただ静かに肩へ手を置いた。
美咲は俯いたまま、小さく震えていた。
俺はゆっくり息を吸う。
「昨日の夜、下の階から物音が聞こえた。」
「それを確認しようと踊り場から下を覗き込んだとしたら。」
俺は防火扉の影を思い浮かべる。
「もし、踊り場の影に奴らが潜んでいたなら。」
それ以上は言えなかった。
言葉にしてしまえば、本当にそうだったような気がしてしまう。
沈黙を破ったのは海人だった。
「俺たちが逃げてきた教室もそうだった。」
全員が海人を見る。
「最初は静かだった。」
「机を積んで、息を潜めて。」
「これなら朝まで持つって思ってた。」
海人はバットを握る手へ力を込める。
「でも、奴らは突破してきた。」
「下へ行くほど、あいつらは増えてる。」
誰も反論しなかった。
今、この学校は。
時間が経つほど危険になっている。
その現実を、海人は身をもって知っていた。
俺はゆっくり立ち上がる。
全員の顔を見る。
「……学校を出よう。」
その一言が、家庭科室へ静かに落ちた。
反対する者はいなかった。
けれど、すぐに賛成する者もいなかった。
みんな、それぞれに考える時間が必要だった。
「このまま籠城を続けても、安全になる保証はない。」
「食料も、水も限りがある。」
「奴らは増え続けてる。」
「だから俺は、外へ出る。」
そう言って、一人ひとりの顔を見る。
誰が行くか。
誰が残るのか。
その答えは、これから決まる。
最初に口を開いたのは隼人だった。
静かに立ち上がり、迷いなく俺を見る。
「俺は行く。」
短い一言。
その声には、迷いはなかった。
「家族の無事を確かめたい。」
「この学校にいても、それは分からない。」
俺は小さく頷く。
「ああ。」
その隣で、莉乃も立ち上がった。
「私は……。」
一度だけ隼人を見る。
「私も、一緒に行く。」
隼人は少し照れくさそうに頭を掻いたが、何も言わなかった。
続いて陽向が立ち上がる。
「俺も。」
腕を組んだまま肩をすくめる。
「正直、じっとしてる方が性に合わねぇ。」
「止まってても、状況が良くなる気もしねぇし。」
陽向らしい言葉だった。
俺は、美玖の方へ目を向ける。
美玖は俯いたまま、自分の手を見つめている。
やがて、小さく息を吐く。
「……みんな。」
「帰る場所があるんだね。」
静かな声だった。
美玖はゆっくり顔を上げる。
「私は……。」
「帰る場所、ないから。」
誰も、何も、答えられなかった。
家族がいる。
守りたい人がいる。
帰る家がある。
それが当たり前だと思っていた。
でも、美玖にとっては違った。
美玖は少しだけ笑う。
寂しそうな笑顔だった。
「私には……。」
「待ってる人、いないから。」
——昨夜、莉乃から聞いた話が頭をよぎる。
中学時代、仲の良かった母親を病気で亡くしたこと。
残された唯一の家族である父親は、出張がちで、家に帰っても一人きりなのが当たり前だったこと。
そんな美玖が不良グループへ近づいたのは、居場所を欲したからだったのかもしれないこと。
中学時代からの友人だった莉乃は心配していたという。
「……美玖。」
美玖は少しだけ俺を見る。
「少なくとも、ここには美玖を必要としてる人がいる。」
莉乃が美玖の隣に立ち、その手を握る。
「美玖の無事を願っている人もいる。」
「だから。」
「美玖には一緒に来てほしい。」
一瞬、戸惑ったような表情を見せた後、美玖は、小さく笑う。
「……ありがとう。」
その笑顔は、これまで見てきた笑顔よりも、少しだけ柔らかかったと思う。
一方、部屋の反対側では美咲が静かに立ち上がっていた。
「私は残る。」
全員が振り向く。
美咲は涙を拭こうともせず、真っ直ぐ前だけを見ていた。
「遼が……。」
一度言葉を飲み込む。
「まだ学校のどこかにいるかもしれない。」
「死んだなんて、まだ決まってない。」
その言葉には誰も反論できなかった。
七海が静かに立ち上がる。
「私も残る。」
それだけ言って、美咲の隣へ並ぶ。
萌も続いた。
「私も。」
少しだけ七海を見る。
「七海ちゃんと一緒にいる。」
恒一も立ち上がる。
「俺も残る。」
少し照れたように鼻を掻く。
「人手は、多い方がいいだろ。」
そう言いながら、一瞬だけ萌へ視線を向ける。
萌は気付いていない。
けれど、その場にいた何人かは小さく苦笑した。
海人が腕を組んだまま口を開く。
「俺は出る。」
「親父が生きてるなら、探しに行きたい。」
陽菜も元気よく手を挙げた。
「もちろん私も!」
「海人一人じゃ、絶対無茶するもん。」
「おい。」
海人が苦笑する。
次に立ち上がったのは葵だった。
副会長として。
一人の生徒として。
静かに口を開く。
「私は残る。」
全員が葵を見る。
「まだ、この学校のどこかに助けを待っている人がいるかもしれない。」
「私は、その可能性を簡単には捨てられない。」
その言葉に、誰も異論はなかった。
翼が腕を組んだまま考え込む。
「……俺は。」
少しだけ窓の外を見る。
「まだ決めきれない。」
結衣も頷く。
「私も。」
「もう少しだけ考えたい。」
どちらが正しい、そんな話ではない。
外へ出ることにも理由がある。
ここへ残ることにも理由がある。
誰も感情だけで決めているわけじゃない。
だからこそ、誰も否定しなかった。
「今すぐ結論を出す必要はない。」
「みんなが出るまでに、決めてくれれば良い。」
二人は静かに頷いた。
こうして。
家庭科室に集まった十四人は。
初めて、それぞれ違う未来を選び始めた。
それぞれの方針が固まると、家庭科室の空気は少しだけ落ち着きを取り戻した。
これから先は別々の道を進む。
だからこそ、今できる準備をしておかなければならない。
俺は工具箱の横へ積んでいた食料を見回した。
乾パン。
缶詰。
ペットボトルの水。
数は決して多くない。
「食料は残る組へ多めに置いていく。」
俺がそう言うと、陽向が顔を上げた。
「いいのか?」
「俺たちは外に出れば調達できる可能性がある。」
俺は缶詰を手に取りながら続ける。
「でも、学校に残る組は、ここにある物資が頼りだ。」
「だから、できるだけ置いていく。」
誰も反対しなかった。
隼人たちも静かに頷き、缶詰や乾パンを並べ替えていく。
海人も何も言わず、水の入った箱を運び始めた。
それぞれが黙々と作業を続ける。
俺は壁際へ歩き、昨夜作った即席の槍を手に取った。
そのうち二本を残し、静かに壁へ立て掛ける。
葵がそれに気付き、俺の方を見る。
「……ありがとう。」
「そっちで使って。」
それだけ答える。
葵はゆっくり頷いた。
「大事に使う。」
その時だった。
「これも置いてく。」
海人が背負っていたバットを一本外し、葵へ差し出した。
葵は少し驚いたように目を見開く。
「いいの?」
「ああ。」
海人は肩をすくめる。
「一本あれば十分だ。」
少しだけ笑って続けた。
「使わねぇで済むのが、一番だけどな。」
葵はバットを受け取り、深く頭を下げた。
「……ありがとう。」
その様子を見ていた陽菜が、小さく笑う。
「そういうところなんだよね。」
「海人って。」
「うるせぇ。」
照れ隠しのように海人が顔を逸らす。
そのやり取りに、家庭科室の空気が少しだけ柔らかくなった。
けれど、その穏やかな時間も長くは続かない。
俺たちはもうすぐ、この部屋を、この学校を出る。
そして。
ここへ残る仲間たちとも、別々の道を歩き始めるのだから。
荷物の整理が終わる頃には、窓の外はすっかり朝の光に包まれていた。
昨日まで見慣れていた校舎も、今はどこか別の場所のように見える。
静かすぎる朝。
それが、かえって不気味だった。
海人が背負い直したリュックの肩紐を軽く引く。
「準備ができたらとっとと行こう。」
「ここに長くいる理由もねぇ。」
誰も異論はなかった。
俺たちはそれぞれ最後に荷物を確認する。
槍。
リュック。
飲み水。
最低限の食料。
残る組へもう一度視線を向けた。
葵、美咲、七海、萌、恒一。
そして、まだ決めきれずに残ることを選んだ翼と結衣。
翼が、小さく息を吐く。
「俺は……。」
全員の視線が集まる。
翼は窓の外へ目を向けたまま言った。
「外へ出る。」
結衣が少し驚いたように翼を見る。
翼は静かに続ける。
「昨日、遼がいなくなった。」
「今朝、見える範囲で学校の中も確認した。」
「この先、生き残るには情報が必要だ。」
ゆっくり皆を見回す。
「学校の中だけ見てても、これ以上の情報は得られない。」
「だから俺は、外を見る。」
結衣はしばらく俯いたままだった。
膝の上で両手をぎゅっと握り締める。
「私は……。」
小さな声だった。
「まだ決められない。」
「外は怖い。」
「でも、ここも安全じゃない。」
視線を葵へ向ける。
「だから私は残る。」
「もう少しだけ。」
葵は優しく頷いた。
「分かった。」
それだけだった。
誰も引き止めない。
誰も説得しない。
もう、それぞれが自分で決める時間だった。
葵が一歩前へ出る。
「物資が完全に尽きる前には、私たちも学校を出ると思う。」
その声は落ち着いていた。
「ここで最後まで籠城するつもりはない。」
「でも、助けられる人がいるなら……より多くを助けたい。」
「生き残ることを諦めるつもりもない。」
俺は静かに頷いた。
「ああ。」
隼人が槍を肩へ担ぐ。
葵の前で一度立ち止まり、小さく言う。
「……無茶するなよ。」
葵は少しだけ笑った。
「そっちこそ。」
短いやり取り。
それだけで、お互いの気持ちは伝わった。
陽向は恒一の肩を軽く叩く。
「萌たち、頼んだぞ。」
恒一は照れくさそうに笑いながら頷く。
「任せろ。」
美咲は最後まで遼の槍を見つめていた。
その槍は家庭科室の壁へ立て掛けられている。
遼が戻ってきた時、すぐ手に取れるように。
誰も、そのことには触れなかった。
俺はもう一度、部屋全体を見渡す。
ロープはまだ机へ結ばれたままだった。
昨夜。
無事を伝え合った一本の麻縄。
遼がいなくなったあとも、俺たちをつないでくれていた。
出ていく俺たちが使うことは、もうない。
張られたままのロープが、まるでここに残る仲間たちとの繋がりのように見えた。
俺は静かに息を吸う。
たった一晩だったが、この部屋は、俺たちの居場所だった。
笑って。
食べて。
武器を作って。
眠れない夜を過ごした場所。
でも、俺たちはここを出る。
生きるために。
前へ進むために。
振り返ると、美玖が静かに俺の隣へ並んでいた。
俺たちは言葉を交わさないまま、小さく頷き合う。
俺はゆっくりと家庭科室の扉へ手を掛けた。
ここから先は、誰も歩いたことのない道だ。
それでも。
俺たちは、生きるために選ぶ。
それぞれが静かに立ち上がる。
葵が、海人から託されたバットを手に持ったまま、俺の前まで歩いてくる。
俺たちは自然と向かい合った。
「……行ってくる。」
俺が言う。
葵はゆっくり頷いた。
「うん。」
少しだけ笑う。
「きっと、生きて。」
一拍置いて続けた。
「また会おう。」
俺も笑みを返す。
「また。」
それ以上、言葉はいらなかった。
扉を静かに開くと、朝の光が廊下へ長く伸びていた。
誰からともなく歩き始める。
海人。
陽菜。
隼人。
莉乃。
陽向。
翼。
美玖。
そして、俺。
全員が廊下へ出た。
最後にもう一度だけ振り返る。
家庭科室。
ここは、俺たちが「生きるために力を合わせた場所」だった。
もう戻れないかもしれない。
それでも。
ここで過ごした時間は、きっとこれからも俺たちを支えてくれる。
扉が閉まる。
カチリ、と小さな音が廊下へ響いた。
向こう側には、仲間たちの居場所が残り。
こちら側には、俺たちの新しい道が続いている。
俺は槍を握り直した。
――生きよう。
その想いだけを胸に、俺たちは家庭科室を後にした。