学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build―   作:UG-san

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Ep.12 学校の外

 学校を離れて十分ほど。

 

 背後に見えていた校舎は、学校のある丘陵部を下り、住宅街に差し掛かったあたりで視界から完全に姿を消していた。

 もう振り返っても見えない。

 それだけ離れたという事実に、ほんの少しだけ胸の緊張がほどける。

 

 あそこには、今も葵たちが残っている。

 

 美咲、七海、萌、恒一、結衣も。

 それぞれが自分で選んだ場所だ。

 あの家庭科室が、少しでも長く彼らの居場所であり続けてくれればいい。

 そう願いながら視線を前に戻す。

 

 

 海人は先頭を歩いていた。

 

 校内にいた時のように一歩ごとに立ち止まることはしない。

 歩調は速くも遅くもない。

 ただ、交差点や曲がり角へ差しかかるたびに足を止め、壁へ身体を寄せて先を確認する。

 

 俺たちも自然とその動きに合わせる。

 

 

 住宅街は静かだった。

 静かすぎると言ってもいい。

 

 風が電線を揺らし、かすかに唸る音だけが耳へ届く。

 昨日までなら、この時間は子どもたちの笑い声や、自転車で通学する高校生の声が聞こえていたはずだ。

 今は何もない。

 

 道路脇へ停められた車だけが、持ち主を失ったまま朝日に照らされている。

 陽向が周囲を見回し、小さく呟いた。

 

「……静かだな。」

 

 その声も自然と潜められていた。

 海人は振り返らず肩をすくめる。

 

 静かだから安全なんじゃない。

 静かだからこそ、何が潜んでいるか分からない。

 そのことを、全員が理解していた。

 

 交差点を一つ抜ける。

 

 住宅街の姿は昨日と変わらない。

 立ち並ぶ住宅と、点在する店舗。

 そこにいるべき人の気配だけが失われていることに、胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。

 

 その時だった。

 

 カーテンが揺れた。

 道路沿いの二階建て住宅。

 その二階の窓。

 

 レースカーテンがほんの少しだけ動いた。

 

 ——風じゃない。誰かがいる。

 

 俺は思わず足を止めそうになる、

 だが、その窓は開かなかった。

 声はかからない。

 助けを求める声も。

 こちらを呼び止める声もない。

 

 ただ、人影だけが一瞬動いて、またカーテンの奥へ消えた。

 

 ……生きている人はいる。

 でも、外へは出てこない。

 出られないのか。出ないと決めたのか。

 それは分からない。

 

 陽菜がぽつりと呟いた。

 

「……いるんだね。」

 

 誰に向けた言葉でもない。

 海人が振り返らないまま答える。

 

「いる。でも…」

 

 少しだけ間が空く。

 

「助けてはくれない。」

 

 その現実だけが、静かに胸へ落ちた。

 

 俺たちは、もう学校という守られた場所を出た。

 ここから先は、誰かが助けてくれるのを待つ世界じゃない。

 

 自分たちで、生き延びるしかない世界だった。

 

 

 

 しばらく歩くと、住宅街を抜ける手前で海人が右手を軽く上げる。

 全員がその場で止まった。

 

 海人は角の向こうを覗き込み、数秒だけ様子を窺った。

 道路の先には幹線道路が見える。

 車線の多い、町を南北に貫く大きな道路だ。

 海人はゆっくり戻ってきた。

「大通りは避ける。」

「目立つからな。」

 

「ああ。」

 

 道路を横切るには悪くない。

 だが、一度見つかれば隠れる場所が少ない。

 それなら多少遠回りになっても、住宅街の細い道を進んだ方がいい。

 

 海人はすぐに進路を変えた。

 俺たちも後へ続く。

 

 歩きながら、俺は街の様子を見回した。

 電柱には選挙ポスター。

 閉じたままの郵便受け。

 庭先へ置かれた植木鉢。

 

 どれも昨日までと変わらない。

 変わったのは、人だけだった。

 

 ふと道路脇を見る。

 一台の軽自動車が、電柱へ軽くぶつかったまま止まっている。

 フロントガラスには蜘蛛の巣状のひび。

 

 運転席は空だった。

 

 その車のすぐ横には、買い物袋が一つ落ちている。

 中から転がり出たリンゴが、アスファルトの上で黒く変色していた。

 誰かが途中まで「いつもの日常」を送っていた証拠。

 それだけが取り残されている。

 

 美玖も同じものを見ていたらしい。

 

「……昨日まで普通だったのに。」

 

 ぽつりと漏らす。

 誰も返事はしなかった。

 昨日まで。

 その言葉だけで十分だった。

 

 昨日の朝。

 俺たちは制服を着て学校へ向かっていた。

 

 授業を受けて。

 友達と笑って。

 放課後の予定を考えていた。

 

 たった一日。

 

 それだけしか経っていない。

 それなのに。

 街はまるで何年も人が住んでいない廃墟のようだった。

 

 

 海人が再び立ち止まる。

 

 今度は小さなコンビニが見えていた。

 道路沿いに建つ、ごく普通の店舗。

 

 駐車場には軽トラックが一台。

 買い物客の車らしい軽自動車が一台。

 どちらも停まったまま。運転席に人影はない。

 

 出入り口のガラス戸は半開きのままだ。

 看板の電気はまだ点いている。

 店内に人影は見えない。

 

 海人は低い声で言う。

 

「補給する。」

 

 隼人が頷いた。

 

「まずは中を確認だな。」

 

 海人は何も言わず、自動ドアの前まで歩く。

 ゆっくりと店内を覗き込む。

 

 数秒。

 静寂。

 

 やがて小さく顎を引いた。

 

「……行ける。」

 

 俺たちは静かに店内へ足を踏み入れた。

 

 

 

 店内は、拍子抜けするほど静かだった。

 

 自動ドアは半開きのまま止まり、冷房も止まっている。

 それでも棚の商品はほとんど手つかずだった。

 

 昨日まで営業していたままの姿。

 

 雑誌コーナー。

 レジ。

 ホットスナックのケース。

 コーヒーマシン。

 どれも時間だけが止まったようにそこへ残っている。

 

 海人は入口付近で立ち止まり、店内全体を見渡した。

 レジ裏。

 バックヤード。

 トイレ。

 死角になりそうな場所を、一つずつ順に確認していく。

 

 数分後、ようやくこちらを振り返った。

 

「問題ない。」

 

 全員がようやく小さく息を吐く。

 

「十分だけ休もう。」

 

 俺が言うと、みんな自然と商品棚の間へ散っていった。

 とはいえ、誰も気を抜いてはいない。

 入口付近には海人と隼人が残り、外の様子を交代で確認している。

 俺は店内を見回した。

 

「必要な物だけ持っていこう。」

 

 陽向が乾パンを手に取る。

 

「腹は減ってるけど、持てる量には限界があるな。」

 

「ああ。」

 

 リュックの容量も考えなければならない。

 俺たちは相談しながら棚を回る。

 

 まず水。

 二リットルのペットボトルは重すぎる。

 五百ミリボトルを一人数本。

 

 パン。

 おにぎり。

 栄養補助食品。

 缶詰は重量を考え、最低限だけ。

 

 美玖は黙々と賞味期限を確認しながら袋へ詰めていく。

 莉乃はレジ横から使い捨てライターを見つけた。

 

「これも持っていこう。」

 

「火は貴重だからね。」

 

 陽菜はビニール袋を束ごと抱えてくる。

 

「ゴミ袋にもなるし、水も運べるよ。」

 

「いいな。」

 

 隼人が頷いた。

 

 翼は文房具コーナーで立ち止まる。

 ボールペン。

 油性マジック。

 メモ帳。

 全部リュックへ入れた。

 記録を残せる道具は、この先きっと必要になる。

 

 そして、雑誌ラックの横。

 旅行コーナーに一冊の道路地図帳が立て掛けられていた。

 俺は思わず手に取る。

 

「地図だ。」

 

 海人もこちらへ歩いてくる。

 

「使えるか?」

 

 市内地図。

 観光案内。

 道路地図。

 

 数冊を取り出して、イートインスペースへ地図を広げた。

 全員が自然と集まってくる。

 机の上へ広げられた市街地図。

 普段なら見ることもない縮尺だった。

 俺は現在地を指差す。

 

「ここが学校。」

 

 次に道路をなぞる。

 

「ここが俺たちのいるコンビニ。」

 

 さらに指を東へ滑らせる。

 

「この先が駅前。」

 

 陽向が地図へ顔を近付ける。

 

「結構あるな。」

「歩いて三十分くらいか。」

 

 俺は頷く。

 

「順調なら。」

 

 海人が腕を組んだ。

 

「順調じゃなかったら?」

 

「もっと掛かる。」

 

 信号。

 渋滞した車。

 奴ら。

 迂回。

 いくらでも時間は延びる。

 

 俺はさらに地図を東へ辿った。

 

 駅前を抜ける。

 古くからある商業地区。

 そのさらに先。

 住宅が少なくなり始めた辺りを指差す。

 

「祖父の店は、この辺。」

 

 全員が地図を見る。

 海人が静かに口を開いた。

 

「駅前より先か。」

 

「ああ。」

 

「かなり歩くな。」

 

「そうなる。」

 

 しばらく誰も喋らなかった。

 地図の上の一本の道。

 実際にはそこに何が待っているのか、誰にも分からない。

 

 隼人が静かに言う。

 

「店には何がある?」

 

 俺は少し考えて答えた。

 

「工具。」

「作業設備。」

「あと、祖父の備蓄。」

 

 陽向が身を乗り出してくる。

 

「銃砲店って言ってたろ。」

「銃は置いてないのか?」

 

 誰かが息を呑む音がした。

 俺は正直に答える。

 

「可能性はある。」

「でも、整備やメンテナンスをメインにしている店だから。」

「それに、店が無事とも限らない。」

「荒らされている可能性だってある。」

 

 海人は地図から目を離さない。

 数秒。

 黙ったまま考えていた。

 やがて小さく頷く。

 

「それでも。」

「今はそこが一番可能性がある。」

 

 俺も頷き返す。

 

「ああ。」

 

 海人が地図を軽く叩いた。

 

「じゃあ決まりだ。」

「まずは駅前を抜ける。」

「その先の店を目指す。」

 

 陽菜が静かに口を開く。

 

「みんなの家はどうするの?」

 

「店に着いてから考える。」

「バラバラになるのは避けたい。」

「まずは、拠点になる場所を確保する。」

 

 決定だった。

 今は、とにかく前へ進むしかないのだから。

 

 

 

 

 街路を抜けると、建物の数が少しずつ増え始めた。

 住宅街だけだった景色に、小さな医院やクリーニング店、個人経営らしい食堂が混じるようになる。

 それでも、人影はない。

 

 シャッターは半分閉まり、駐車場には放置された車が並んでいる。

 風が吹くたび、どこかで看板が軋む音だけが響いた。

 

 海人は歩く速度を落とさず、それでも絶えず左右へ視線を配っていた。

 交差点へ差しかかったところで、不意に右手を軽く上げる。

 

 全員がその場で止まった。

 海人は指先だけで前方を示す。

 

 道路脇。

 電柱の陰。

 そこに、一体。

 

 スーツ姿のまま、ふらつくように立っている奴らがいた。

 

 こちらにはまだ気付いていない。

 海人は無言で金属バットを握り直す。

 

「……海人。」

 

 俺は小さく呼び止める。

 海人が振り返る。

 

「俺がやる。」

 

 一瞬だけ、海人の目が俺を見る。

 否定も、励ましもしない。

 ただ静かに一歩だけ横へ退いた。

 

「……分かった。」

 

 

 俺は槍を握り直す。

 昨日作った即席の槍。

 学校では何度も握った。

 

 でも――

 実際に奴らへ向けるのは、これが初めてだった。

 

 喉が乾く。

 

 手のひらに汗が滲む。

 

 ゆっくり距離を詰める。

 

 あと三歩。

 二歩。

 一歩。

 

 奴らがゆっくり顔をこちらへ向けた。

 

 濁った瞳。

 力なく開く口。

 低い呻き声。

 

 

 腕が伸びてくる。

 

 体が勝手に後ろへ逃げたがる。

 怖い。

 怖い。

 それでも。

 ここで退けば。

 後ろのみんなが危ない。

 

「――ッ!」

 

 踏み込む。

 槍を両手で握り、頭部を狙って突き出す。

 

 ガツッ――!

 

 鈍い衝撃が腕へ伝わった。

 槍先がこめかみの辺りへ食い込み、奴らの頭が大きく揺れる。

 体勢を崩したその瞬間、俺は反射的に槍を横へ捻った。

 

 奴らの体から力が抜ける。

 膝が折れ、そのまま道路へ倒れ込んだ。

 

 動かない。

 もう起き上がってこない。

 

 俺は息を止めたまま、その姿を見下ろす。

 終わった。

 本当に、終わった。

 

 手から力が抜ける。

 槍を引き抜こうとしても、思うように動かない。

 震えている。

 

 腕が。

 足が。

 全身が。

 

「……上出来だ。」

 

 海人が静かに近付き、槍の柄を一緒に握る。

 二人で少しだけ捻る。

 ズッ、と嫌な感触と共に槍が抜けた。

 

 海人は何も言わない。

 槍を返し、肩を軽く叩いただけだった。

 

「行くぞ。」

 

「ああ……。」

 

 声が掠れていた。

 倒れた奴らはもう動かない。

 

 ——俺が、倒した。

 

 その事実だけが胸の奥へ重く沈んだ。

 

 美玖が黙って俺の隣へ来る。

 ペットボトルを差し出した。

 

「……飲んで。」

 

 俺は受け取り、一口だけ水を流し込む。

 

 

 ——冷たい。

 

 それだけで、少しだけ現実へ戻れた気がした。

 

「ありがとう。」

 

 美玖は小さく頷く。

 

「うん。」

 

 陽向が倒れた奴らを見下ろしながら頭を掻く。

 

「……思ったより普通だな。」

 

 誰へ向けた言葉でもない。

 隼人が静かに答える。

 

「普通じゃない。」

 

 短い一言。

 

「慣れちゃいけない。」

 

 陽向も、それ以上は何も言わなかった。

 海人が前を向く。

 

「まだ一体だ。」

 

 その言葉で全員の表情が引き締まる。

 

 

 俺たちは再び歩き始めた。

 

 街はまだ静かだった。

 

 でも、その静けさの中で。

 俺はもう、さっきまでの俺ではなかった。

 

 

 初めて奴らを倒した。

 生きるために。

 誰かを守るために。

 

 その事実だけが、胸の奥へ重く残っていた。

 

 しばらく歩くと、建物の密度がさらに増していく。

 道路の先には、高いビル群が少しずつ姿を見せ始めていた。

 海人がその方向を見ながら呟く。

 

「街の中心が近いな。」

 

 俺も頷く。

 

「ああ。」

 

 地図で見た位置関係を思い出す。

 この先に駅前。

 そのさらに先に、古い商店街。

 祖父の銃砲店は、その商店街の外れにある。

 

 まだ距離はある。

 

 今日中に着けるかどうかも分からない。

 それでも。

 

 俺たちには目指す場所ができた。

 陽向が歩きながら小さく笑う。

 

「とりあえず、今日は生き延びることだけ考えようぜ。」

 

 莉乃も笑って頷いた。

 

「そうだね。」

 

 その声に、みんなも少しだけ表情を緩める。

 

 

 朝日が街を照らしている。

 昨日と変わらないはずの景色。

 

 でも。

 

 昨日と同じ世界では、もうなかった。

 

 それでも俺たちは歩く。

 

 止まらない。

 止まれば終わる。

 

 学校を離れ。

 初めて街へ出て。

 初めて戦って。

 ようやく一歩だけ前へ進んだ。

 

 その先に待つものは、まだ誰にも分からない。

 

 けれど。

 

 俺たちには今、向かうべき場所がある。

 

 祖父の店。

 そこへ辿り着くために。

 

 俺たちは静かな街を歩き続けた。

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