学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build―   作:UG-san

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Ep.16 暗闇の街

 防火扉が閉まる。

 

 金属が擦れる鈍い音が、地下街へ響いた。

 その音が完全に消えるまで、俺と美玖は動かなかった。

 

 背後から聞こえていたはずの奴らの呻き声。

 仲間たちが戦う音。

 百貨店の中で起きていた混乱。

 

 それらが、厚い扉一枚を隔てただけで遠くなった。

 

 

 ……逃げ切った。

 

 そう思った瞬間。

 逆に、不安が押し寄せてきた。

 

「……。」

 

 暗い。

 百貨店の地下売場よりも、さらに暗かった。

 非常灯がいくつか点いているだけ。

 赤く淡い光と、出入り口から差し込む僅かな光が、長い通路をぼんやり照らしている。

 

 普段なら、ここは昼夜を問わず人が歩いていた。

 

 家路を急ぐ学生。

 仕事帰りの会社員。

 買い物帰りの主婦。

 飲食店から漂う匂いと客の笑い声。

 

 そんな当たり前の景色が広がっていたはずの場所。

 

 それが今は。

 

 誰もいない。

 音もしない。

 ただ、冷たい空気だけが流れていた。

 

「……悠斗。」

 

 隣で美玖が小さく呼ぶ。

 

「ああ。」

 

 返事をする。

 それだけで少し安心した。

 

 今、この場所にいるのは俺と美玖だけ。

 さっきまで一緒だった仲間たちは、別々の方向へ向かった。

 

 隼人。

 莉乃。

 海人。

 陽向。

 翼。

 陽菜。

 

 全員、生きて再会するために。

 

「怪我は?」

 

 聞くと、美玖は首を横に振る。

 

「大丈夫。」

 

 少し間を置いて。

 

「悠斗は?」

 

「俺も大丈夫。」

 

 互いに確認する。

 今は、それ以上話している余裕はなかった。

 

 俺は懐中電灯を前へ向ける。

 

 地下街の通路。

 左右には閉まった店舗。

 シャッターの降りた店。

 暗いガラス越しの売場。

 

 人の姿はない。

 

「……。」

 

 耳を澄ます。

 

 何も聞こえない。

 奴らの呻き声も。

 足音も。

 少なくとも、この地下街にはいないようだった。

 

「誰か……いるかな。」

 

 美玖が通路の奥を見つめながら言う。

 

 シャッターの閉まった店。

 止まったエスカレーター。

 ベンチ。

 案内板。

 

 どこにも人影はない。

 

 俺は少し考える。

 

「いるかもしれない。」

 

 百貨店から逃げた人間。

 地下街へ避難した人間。

 そういう人がいてもおかしくない。

 でも。

 

「だからこそ、慎重に行こう。」

 

「……うん。」

 

 声を出しながら歩けば、もし誰かがいた場合、こちらの存在を知らせることになる。

 そして。

 

 それが人間なのか。

 

 それとも。

 奴らなのか。

 

 確認するまで分からない。

 俺たちは、足音を抑えながら進み始めた。

 

 

「思ったより広いな……。」

 

 地下街は思っていたより広かった。

 案内板の前で立ち止まる。

 駅を中心に放射状へ伸びる構造。

 

 百貨店側。

 駅方面。

 商店街方面。

 

 いくつもの出口がある。

 本来なら便利な場所だったのだろう。

 

 だが今は。

 逃げ道が多いということは、確認する場所が多いということだった。

 

「まず様子だけ見よう。」

 

 一番近い出口。

 階段をゆっくり上る。

 足音をできるだけ殺しながら。

 

 出口のすぐ手前で立ち止まる。

 壁へ身体を寄せ、ゆっくり外を見る。

 

 ……いた。

 

 二体。

 三体。

 

 出口の真正面。

 道路をゆっくり歩いている。

 

 もし今ここから出れば。

 気づかれる可能性が高い。

 

 俺は静かに首を振る。

 

「駄目だ。」

 

 美玖もすぐ理解した。

 

「別の出口?」

 

「ああ。」

 

 戦えば勝てるかもしれない。

 

 でも、一体倒せば音が出る。

 音が出れば、さらに集まる。

 

 今は戦う理由がない。

 

 避けられるなら、それが一番だ。

 俺たちは来た階段を静かに下りた。

 

 

 

 地下街をさらに進む。

 案内板を見る。

 二つ目の出口。

 今度は先ほどより商店街寄り。

 

「ここなら……。」

 

 再び階段を上る。

 慎重に。

 ゆっくり。

 

 最後の一段で身体を止める。

 そっと外を見る。

 

 

 夕方へ向かい始めた弱い日差し。

 そして。

 動かない街。

 

 道路を見る。

 車は止まったまま。

 

 交差点。

 信号。

 すべて消えていた。

 

「……。」

 

 違和感があった。

 百貨店だけじゃない。

 街全体が止まっている。

 

 信号機も。

 電光掲示板も。

 店の看板も。

 自動販売機も。

 ビルの窓も。

 

 何一つ光っていなかった。

 

 何も動いていない。

 俺はスマホを取り出す。

 当然。

 反応はない。

 美玖も同じように画面を確認する。

 

「やっぱり駄目。」

 

「……。」

 

 原因は分からない。

 大規模な停電。

 それだけなら、ここまで電子機器が一斉に使えなくなるだろうか。

 

 それでも、分かっていることはある。

 この異常は。

 百貨店一つの停電なんかじゃない。

 街全体。

 もっと言えば――。

 もっと大きな何かが起きている。

 

 

「戻ろう。」

 

 地上は開けすぎている。

 奴らに見つかれば逃げ場が少ない。

 美玖も頷いた。

 

 地下へ戻る。

 次の出口を確認する。

 その繰り返しだった。

 

 

 

 次の出口。

 階段を上がる前。

 音が聞こえた。

 

 遠く。

 地上から。

 呻き声。

 

 俺と美玖は顔を見合わせる。

 慎重に外を見る。

 

 

 ——いた。

 

 数体。

 道路脇をゆっくり歩いている。

 こちらに気づいている様子はない。

 

 だが。

 使えない。

 近すぎる。

 

 外へ出た瞬間、足音に気づかれる可能性が高い。

 

「別の出口を探そう。」

 

「……まだある?」

 

「ああ。」

 

 俺たちは再び地下へ戻った。

 

 回り道ばかりだ。

 けれど、戦うよりはずっといい。

 

 地図を見る。

 地下街の出口は複数ある。

 でも。

 日が落ちる前に地上へ出なければならない。

 

 時間は、確実に減っていた。

 

 

 

 

 

 地下街を歩き続ける。

 時間の感覚が曖昧になっていた。

 

 時計を見る。

 午後四時半を少し過ぎていた。

 

 百貨店で停電が起きてから、まだそれほど時間は経っていない。

 それでも。

 体感では何時間も経ったように感じる。

 

 走った。

 隠れた。

 戦った。

 そして。

 仲間と別れた。

 

 朝、学校を出た時には。

 まさか一日の終わりに、こんな場所を一人の仲間と歩いているなんて思ってもいなかった。

 

「……。」

 

 美玖も何も言わず歩いている。

 

 疲れているはずだ。

 でも、弱音は吐かない。

 

 学校にいた頃なら。

 こんな状況で一緒に歩いている姿なんて想像できなかった。

 だけど。

 今は違う。

 

「次の出口。」

 

 俺は地図を見る。

 地下街の端。

 商店街方面へ繋がる出口だった。

 

「ここから出れば?」

 

 美玖が聞く。

 

「商店街側へ出られる。」

 

「じゃあ……。」

 

 俺は頷く。

 

「確認しよう。」

 

 期待はしない。

 ここが無理なら、今までの中から少しでも安全そうな出口を選ぶ。

 

 でも。

 ここが使えるなら、祖父の店までの距離を少しでも縮められる。

 

 二人で階段を上がる。

 

 耳を澄ます。

 何も聞こえない。

 ゆっくりと顔だけを地上に出す。

 

 外。

 そこには。

 静まり返った街の姿があった。

 

「……。」

 

 人はいない。

 奴らも見えない。

 少なくとも、この出口の周辺には。

 

「……出よう。」

 

 二人で静かに階段を上り切る。

 地上へ立った瞬間、ひんやりとした風が頬を撫でた。

 

 街は静まり返っている。

 

 普段なら車のエンジン音が絶えない道路。

 人が行き交う歩道。

 それらすべてが止まっている。

 

 信号機は消えたまま。

 街灯も点いていない。

 コンビニの看板も、自動販売機も真っ暗だった。

 

 昼間だから歩けている。

 もし夜になれば。

 この街は本当の暗闇になる。

 

 俺は思わず空を見上げた。

 日が落ちれば、懐中電灯だけが頼りになる。

 その一本の光だけで、奴らのいる街を歩かなければならない。

 想像しただけで背筋が冷たくなった。

 

「急がないと。」

 

 美玖も同じことを考えていたらしい。

 俺は頷く。

 

「ああ。」

「暗くなる前に、休める場所を見つける。」

 

 祖父の店はまだ遠い。

 地図ではあと一時間ほど。

 

 ——昼間なら。

 

 今の状況では、もっと掛かる。

 今日中の到着は無理だ。

 無理に歩けば、暗闇の中を移動することになる。

 それだけは避けたかった。

 

 

 商店街へ向かって歩き始める。

 

 建物の陰を選びながら。

 物音を立てないように。

 何度も周囲を確認する。

 

 地下街の中にいる間は、壁に囲まれていたせいか、どこか守られているような感覚があった。

 でも。

 地上へ出た瞬間。

 現実に引き戻された。

 

 街は静かだった。

 静かすぎた。

 

 夕方の駅前なら。

 本来なら人の声が聞こえるはずだった。

 

 仕事帰りの人間。

 買い物をする人。

 車の音。

 

 それらが全部消えている。

 残っているのは。

 風が吹き抜ける音。

 遠くで何かが倒れる音。

 

 そして。

 時折聞こえる。

 

「……ぁ……。」

 

 奴らの声だけだった。

 

 俺は足を止めずに進む。

 戦わない。

 今はそれが一番重要だった。

 

 奴らを一体倒す。

 それ自体はできる。

 

 でも。

 音が出る。

 時間も使う。

 そして。

 その間に別の奴らが集まってくる可能性がある。

 

 戦えることと。

 戦うべきことは違う。

 

「右。」

 

 美玖が小声で言う。

 俺もすぐに反応する。

 

 道路の向こう。

 数体の奴らが歩いていた。

 こちらには気づいていない。

 二人で建物の影へ移動する。

 

 息を殺す。

 奴らが通り過ぎるまで待つ。

 ほんの数十秒。

 

 それだけだった。

 でも。

 その数十秒が長い。

 完全に通り過ぎたことを確認してから、再び歩き始める。

 

「……慣れてきたね。」

 

 美玖が小さく呟いた。

 

「何が?」

 

「避けるの。」

 

 少し考える。

 確かに。

 学校を出た直後なら。

 奴らを見ただけで足が止まっていた。

 

 でも今は。

 どこを見ればいいか。

 どう動けばいいか。

 少しずつ分かってきている。

 

「慣れたくはないけどな。」

 

 俺が言うと、美玖は少しだけ笑った。

 

「そうだね。」

 

 その笑顔も。

 どこか疲れていた。

 

 

 

 途中、交差点の手前で俺は足を止めた。

 

「どうしたの?」

 

 美玖が小声で聞く。

 俺は前方を指差した。

 

 パトカーだった。

 

 歩道へ半分乗り上げるように止まっている。

 助手席のドアは開いたまま。

 フロントガラスには蜘蛛の巣のような亀裂が走っていた。

 その周囲には、黒く乾いた血痕がいくつも残っている。

 

 さらに目を凝らす。

 

 道路には割れた防弾盾。

 警棒。

 無線機。

 どれも持ち主を失ったまま転がっていた。

 

 俺は慎重に近付く。

 奴らはいない。

 周囲を確認してからしゃがみ込んだ。

 

 その時だった。

 アスファルトの上で、小さな光が煌めいた気がした。

 

 金色。

 いや。

 真鍮色。

 

「……薬莢?」

 

 拾い上げる。

 底面を見る。

 警察の拳銃弾だ。

 

 さらに周囲へ目を向ける。

 一つじゃない。

 二つ。

 三つ。

 十個以上。

 道路のあちこちへ散らばっている。

 

 ここで警察が応戦した。

 その跡だった。

 

 俺は無言で薬莢を拾い始める。

 一つ。

 また一つ。

 

 ポケットへ入れる。

 

「悠斗。」

 

 美玖が不思議そうに見ている。

 

「そんなに拾ってどうするの?」

 

 俺は手を止める。

 掌の中には何個もの薬莢。

 小さな真鍮の筒。

 指先で転がす。

 

 使い終わったもの。

 ただのゴミ。

 普通なら、そう思う。

 

「そんなもの、何に使うの?」

 

 美玖が尋ねる。

 俺は静かに答えた。

 

「使えない。」

「……今は、まだ。」

 

 美玖はその言葉の意味までは聞かなかった。

 小さく頷くだけだった。

 

 

 再び歩き始める。

 空はさらに赤みを帯びていた。

 夕方が近い。

 あと一時間もすれば暗くなる。

 俺は周囲の建物を見回す。

 

 飲食店。

 コンビニ。

 個人病院。

 

 病院は危険だ。

 発生当時、多くの人が運び込まれた可能性が高い。

 奴らが残っていても不思議じゃない。

 

 少し離れた場所。

 三階建てのオフィスビルが目に入った。

 小さな税理士事務所や設計会社が入っていたような、ごく普通の雑居ビル。

 ガラス扉は閉まっている。

 中も暗い。

 人影は見えない。

 

「……あそこ。」

 

 美玖も視線を向ける。

 

「今日は、あそこにする?」

 

 俺は建物をじっと見上げる。

 一階より二階。

 入口は一つ。

 中から鍵も掛けられる。

 最悪の場合、窓から道路脇へ飛び降りることもできそうだ。

 生き残ることだけを考えれば、悪くない。

 

 俺は静かに頷いた。

 

「あそこを確認しよう。」

「今日は、あそこで夜を越す。」

 

 美玖も頷く。

 そして、建物へ向かって歩き出した。

 

 

 まだ夕方。

 でも。

 夜はすぐそこまで来ていた。

 そして。

 電気のない街の夜が。

 どれほど恐ろしいものなのか。

 俺たちはまだ知らなかった。

 

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