学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build―   作:UG-san

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Ep.19 帰る場所

 扉を開けた瞬間。

 最初に感じたのは、違和感だった。

 

 薄暗い店内が、懐中電灯の光に浮かび上がる。

 最初に目に入ったのは、倒れた棚。

 ガラスの破片。

 床に散らばった紙。

 開け放たれた引き出し。

 

 何かを探すために、店の中を乱暴に漁ったのだろう。

 でも。それを見た時、私は別のことを考えていた。

 

「……ここ。」

 

 自分でも、どうしてそう思ったのか分からない。

 初めて見る場所じゃない。

 そんな感覚だけが、胸の奥にあった。

 

 入口から少し入ったところにあるカウンター。

 その脇に並んだ棚。

 壁際に残った古い写真。

 

 どれも、遠い記憶の中にある。

 

 まだ小さかった頃。

 時々ここへ来て、店の中を歩いた。

 その記憶が、今になって少しずつ戻ってくる。

 

「美玖?」

 

 悠斗の声が聞こえた。

 

「……ううん。」

 

 私は首を横に振った。

 

「大丈夫。」

 

 そう答えながら、もう一度店内を見る。

 

 木の匂い。

 少し油の混じったような独特の空気。

 カウンター越しに聞こえる、大人たちの会話。

 その全部が、遠い記憶の中に残っていた。

 

 銃砲店。

 

 私は銃のことを詳しく知っているわけじゃない。

 でも、ここが普通の店ではなかったことは覚えている。

 子供の頃は、それを珍しいものを見るような目で眺めていた気がする。

 でも。

 そこにあったはずのものは、今はない。

 

 壁には、何かを掛けていたような跡が残っている。

 ガラスケースは割れている。

 棚も荒らされていた。

 

「ここには銃が並んでた。」

 

 悠斗が言った。

 

「壁にも、ケースにもあった。」

 

 悠斗は残された金具を見ながら続ける。

 

「持ち出されたんだと思う。」

 

「全部?」

 

「残していく理由もないからな……。」

 

 悠斗の声は淡々としていた。

 怒っているようにも聞こえる。

 でも、その声から一番強く感じるのは、寂しさかもしれない。

 

 悠斗にとって、ここが、どれほど大切なものなのか。

 それは、悠斗にしかわからない。

 だけど、この店が、ただ商品を並べているだけの場所じゃなかったことは伝わってきた。

 

 棚の手前。

 古い写真が一枚、床に落ちていた。

 悠斗が拾い、埃を払う。

 この店を背景にして撮った写真。

 そこに写っていたのは、笑っている人たち。

 知らない人ばかりだ。

 でも、一人だけ分かった。

 

「……修造おじいちゃん。」

 

 自然に名前が出た。

 悠斗は何も言わず、写真を見ている。

 

 白髪交じりの髪。

 優しそうな顔。

 記憶の中より少し、若い姿がそこにはあった。 

 

 

 棚の足元には、紙箱がいくつか転がっていた。

 中身はほとんどない。

 箱そのものも踏みつけられたように潰れている。

 

「弾もほとんどないな。」

 

 悠斗がしゃがみ込む。

 

「これも全部持っていかれたんだ。」

 

「……そんなに必要なの?」

 

「こんな状況だからな。」

 

 悠斗は短く答え、カウンターの奥へ視線を向ける。

 私もつられて目をやった。

 

「ここ……。」

 

 記憶の奥に、少しずつ形が戻ってくる。

 

 椅子に座る修造おじいちゃんの姿。

 その横には、まだ小さかった悠斗。

 その姿が、瞼の裏に蘇える。

 

 

 カウンターの内側に広がる空間には。

 入口側とは違う空気が漂っていた。

 

 作業台。

 工具棚。

 小さな部品を収めたケース。

 測定器具。

 長年使われてきた道具。

 

 店内の他の場所が荒らされているのに。

 ここには、まだ昔の面影が残っていた。

 

「……昔、ここに来てた。」

 

 自分でも驚くくらい、小さな声だった。

 

「この店に。」

 

 悠斗は何も言わず、少し笑った。

 

 完全には思い出せない。

 でも。

 この場所にいた時間は。

 確かに自分の中に残っていた。

 

 

 作業台の前で、悠斗が立ち止まる。

 しばらく何も言わない。

 ただ、周囲を見ている。

 工具棚。

 作業台。

 壁に取り付けられた小さな棚。

 その一つ一つを確かめるように、視線を動かしていた。

 

「……道具は残ってる。」

 

 悠斗が呟いた。

 床にはいくつか散らばっている。

 誰かが、棚を漁った時に落としたのだろう。

 悠斗はしゃがみ込み、それを拾い上げた。

 そして。

 元の場所へ戻す。

 

「……。」

 

 私は、その手元を見ていた。

 工具を持つ手。

 置く場所を迷わない。

 小さな部品ケースを拾い上げ、向きを直す。

 作業台の上に残ったものを端へ寄せる。

 

 

 ——使ったら元に戻すんだ。

 ——それぞれ、あるべき場所がある、

 

 記憶の中の姿と重なるその姿に。

 

「昔も。」

 

 思わず口に出た。

 

「ん?」

 

「……おじいちゃんも、そうしてた。」

 

 悠斗の手が止まる。

 

「そうだな。」

 

 その返事を聞いた瞬間。

 記憶が、また一つ繋がった。

 

 

「……私、昔ここに来てた。」

 

 今度は、はっきりと言えた。

 悠斗は何も言わなかった。

 ただ、少しだけこちらを見る。

 それから。

 また工具を整え始めた。

 その様子を見ていると。

 不思議と、胸の奥が落ち着いていった。

 

 

 

 片付けが一段落したところで。

 悠斗が店の奥にある扉へ向かった。

 

「裏、見てくる。」

 

「一人で?」

 

「……いや、一緒に行こう。」

 

 扉を開ける。

 外へ出ると、小さな裏手の空間があった。

 その先に、古い家が見える。

 

「……あれ?」

 

 私が声を上げる。

 

「祖父(じい)ちゃんの家。」

 

 悠斗が答えた。

 店と同じくらい古い。

 

「中にいる?」

 

「いや、いればこっちに気づいて出てくるはず。」

 

 悠斗は家を見つめる。

 窓は暗い。

 物音もしない。

 人の気配は感じられなかった。

 

「いるなら、何かしら気配があると思う。」

「この状態の店もそのままにしたりしないし。」

 

 ふと、裏庭を見回すと、コンクリート造りの小さな建物に気付く。

 窓が少ない。

 店舗や家とは違う雰囲気の建物。

 

「悠斗、あれは?」

 

「保管庫。」

 

 悠斗が言う。

 

「入らないの?」

 

「……一応、見てみるか。」

 

 悠斗は一度足早に店に戻り、小さな鍵を手にしてから戻ってきた。

 鍵をシリンダーに差し込む。

 

「……開いてる。」

 

 悠斗が呟いた。

 扉の横に立てかけた槍を構えながら、慎重に扉を開く。

 

 

「誰もいない。」

 

 中には誰もいなかった。

 広さはワンルームのアパートくらい。

 

 壁に沿って棚が並べられ、荷物を入れるコンテナが積み上げられていた。

 その一角が広く空いている。

 そして、足元には。

 何かを引きずったような跡が残っていた。

 

「ここも持ち出されてる。」

 

「何が置いてあったの?」

 

「商品のストック。」

「完成した弾薬とか……それ以外にも色々置いてあった。」

 

 店と同じ。

 誰かに荒らされて、持ち出されている。

 

「全部?」

 

「いや。」

 

 悠斗の視線を追うと、一部残されたコンテナがあった。

 

「残っているものもある。使えるものを選んで持っていったんだと思う。」

 

 ——ほぼすべてが持ち去られた中、残されたものは何だったんだろう。

 

「何が残ってるの?」

 

「あ、そっちは……」

 

 残ったコンテナに近づこうとしたが、悠斗に手で制される。

 伸ばされた手が目の前に入り、私は足を止めた。

 

「……。」

 

 悠斗の手がすぐ近くにある。

 そのことを意識した瞬間、妙に気まずくなった。

 

「……」

 

「……」

 

「店に戻ろう。」

 

 先に動いたのは悠斗だった。

 視線を外し、少し早口で言う。

 

「隼人や、陽向たちが来るかもしれない。」

 

 

 悠斗は販売スペースへ戻ると、倒れていた棚を起こし始めた。

 

「手伝う。」

 

 声をかける。

 理由は自分でも分からなかった。

 最初はただ、悠斗を手伝おうとしただけかと思った。

 

 でも、今は違う気がする。

 

 この場所を。

 この店を。

 悠斗が大切にしているものを。

 少しでも元に戻したかった。

 

 二人で散らかったものを片付ける。

 壊れたものは端へ寄せる。

 使えるものと、もう駄目なものを分ける。

 

 店は完全には戻らない。

 荒らされた跡も消えない。

 

 それでも、少しずつ。

 元の形に近づいていく。

 

 不思議だった。

 

 数日前まで。

 私は、自分がどこへ帰るのか分からなかった。

 

 家に帰る。

 その言葉が。

 いつからか遠いものになっていた。

 

 母親がいなくなって。

 父親との関係が壊れて。

 

 いつの間にか、自分の居場所なんてないと思っていた。

 だから、この世界が変わった時も。

 守りたいものなんてないと思っていた。

 

 でも。

 今、目の前にいる悠斗は。

 失ったものを諦めずに守ろうとしている。

 

 祖父の店。

 祖父との思い出。

 ここに残っているもの。

 それを大切にしている。

 

「……美玖。」

 

「なに?」

 

 振り返る。

 悠斗がこちらを見ていた。

 

「ありがとう。」

 

 短い言葉。

 でも、その一言が、妙に胸に残った。

 

「別に。」

 

 少し照れながら答える。

 

「私も……覚えてたから。」

 

「覚えてた?」

 

「この店。」

 

 言葉にすると。

 少しずつ確信になる。

 

「昔、来てた。」

 

 悠斗は少し目を見開いた。

 

「そうだったな。」

 

「悠斗のおじいちゃん……。」

 

 一瞬、言葉に詰まる。

 でも、自然に出てきた。

 

「修造おじいちゃん。」

 

 その名前。

 昔は当たり前に呼んでいた。

 でも、いつからか。

 その記憶も奥へしまい込んでいた。

 

「覚えてるんだ。」

 

 悠斗が言う。

 

「思い出した……かな。」

 

 店を見る。

 昔と変わらない部分。

 変わってしまった部分。

 その両方がある。

 

 私はカウンターの前に立つ。

 そこに手を置いて、木の表面を指先でなぞる。

 古い傷。

 小さなへこみ。

 何度も使われた跡。

 触れた瞬間、また一つ記憶が戻ってきた。

 

 ここで。

 私は何度も話をした。

 

 修造おじいちゃんと。

 悠斗と。

 何でもない話をして。

 時には、店の隅に座って二人が作業するのを眺めていた。

 

 そんな時間が、確かにあった。

 

「ここ。」

「なんだか……懐かしい。」

 

 悠斗は少し笑った。

 そして、優しい声で言った。

 

「……思い出した?」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 胸の奥にあったものが。

 少しだけほどけた気がした。

 私は頷く。

 

「うん。」

「昔、ここに来てた。」

「悠斗と一緒に。修造おじいちゃんのところに。」

 

 言葉にすると。

 不思議な感覚だった。

 失ったと思っていたもの。

 もう戻らないと思っていた時間。

 完全じゃないけれど。

 それは、たしかに残っていた。

 

 悠斗は店の入口を見る。

 そして、静かに言った。

 

 

「おかえり。」

 

 

 一瞬、意味が分からなかった。

 でも、その言葉が。

 ストンと、胸の奥へ落ちてきた。

 

 帰る場所。

 

 昔は、それは当たり前にあった。

 でも、私はいつの間にか。

 自分にはもう、そんな場所はないと思っていた。

 

 だから。

 この言葉が、こんなにも苦しい。

 でも。

 同時に、嬉しかった。

 

 目を伏せる。

 涙が出そうになる。

 それを見られたくなくて。

 少しだけ顔を横に向けた。

 

 

 母と過ごした家だけが。

 帰る場所じゃない。

 

 誰かが待っていてくれる場所。

 誰かと過ごした記憶がある場所。

 自分がいてもいいと思える場所。

 それも、帰る場所なのかもしれない。

 

 荒らされた店。

 壊れた棚。

 何も残っていない展示場所。

 

 それでも。

 ここには、確かに残っていた。

 私の知らない間に失ったと思っていたものが。

 

 

「……ただいま。」

 

 小さく呟く。

 悠斗は聞こえたのか。

 聞こえなかったのか。

 何も言わなかった。

 ただ。

 二人で静かな店内に立っていた。

 

 

 ここには。

 私が知っている時間が残っている。

 昔の私がいた。

 悠斗がいた。

 修造おじいちゃんがいた。

 そして。

 今の私も。

 ここにいる。

 

 外の世界は壊れている。

 明日どうなるかも分からない。

 

 それでも、この場所だけは。

 今の私にとって、確かなものだった。

 

 

 外の世界は、もう元には戻らないかもしれない。

 それでも。

 この場所まで失ったわけじゃない。

 

 私はもう一度。

 店の中を見渡した。

 

 帰る場所なんてないと思っていた。

 でも、違った。

 

 私には。

 ここにも。

 帰る場所があった。

 

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