学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build―   作:UG-san

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Ep.20 再び集う場所

「……入ってみるか。」

 

 店の裏手から、祖父の家を見上げる。

 

 これまで、祖父の家は外から確認しただけだ。

 窓は暗い。

 物音もない。

 人の気配も感じられなかった。

 だが、本当に誰もいないとは限らない。

 

 昼が近付いてきた今、いつまでも店だけにいるわけにもいかなかった。

 

「うん。」

 

 美玖も頷く。

 

 

 改めて、店の裏口を抜ける。

 保管庫のある空間。

 ここを抜ければ、店と隣接する祖父の家の勝手口がある。

 

 子供の頃から何度も使った扉だ。

 

 店の荷物を運ぶ時。

 祖父に呼ばれた時。

 雨の日に、わざわざ道路側へ回るのが面倒でここから家へ入った時。

 何度も触れたはずのドアノブへ手を伸ばし、握る。

 

 

 ——少しだけ、ためらった。

 

 祖父は中にはいないだろう。

 いや、自分がそう信じたいだけかもしれない。

 

 もしも、中に祖父だった奴らがいたとき。

 自分は、自分にはそれができるのだろうか。

 

「大丈夫。」

「きっとここにはいないよ。」

 

 隣に立つ美玖が手を添えてくれる。

 その言葉に背を押され、俺はドアノブを握り直した。

 

 カチリ。

 

 ドアノブを回す。

 鍵は掛かっていなかった。

 

 ドアをゆっくり開ける。

 古い木の匂いがした。

 

 店とは違う。

 店にあった油や金属の匂いではない。

 畳と木材が織りなす自然な匂い。そして、懐かしい匂い。

 

 薄暗い廊下が懐中電灯の光に照らされる。

 玄関へ続く廊下。

 壁。

 襖。

 その先に居間がある。

 

 俺は、一歩だけ中へ入った。

 

 壁の傷。

 柱の角。

 廊下の幅。

 

 静かな家の中。

 

 最後に見たときは一ヶ月ほど前だったか。

 何も変わっていないはずだ。

 それなのに、置かれている環境のせいか、少し違って見える。

 

 ここは。

 俺が中学時代の大半を過ごした場所だ。

 両親が事故で亡くなってから、中学を卒業するまで。

 祖父と過ごした家。

 

 高校へ入ってからは学校の寮に入った。

 それでも、週末に時々帰る程度の頻度では通っていた。

 

 店を手伝うため。

 祖父の仕事を見るため。

 そして。

 ただ、帰ってくるために。

 

 

 居間の襖へ手を掛け、引く。

 もう、扉を開くことに躊躇はない。

 

 そこには、古いちゃぶ台と座布団。

 壁際にはテレビ。

 その横に、小さな棚。

 そして。

 窓際に置かれた椅子。

 

「……。」

 

 思わず、その椅子を見る。

 祖父がよく座っていた椅子だ。

 

 新聞を読む時も。

 テレビを見る時も。

 店から戻って休憩する時も。

 

 いつも、そこだった。

 今は誰も座っていない。

 ただ、椅子だけが残っている。

 

「ここ。」

 

 美玖が呟く。

 

「何?」

 

「おじいさん、いつもあそこに座ってた?」

 

「ああ。」

 

 俺は答えた。

 

「ちょっと、見覚えあるかも。」

 

 美玖は椅子を見つめた。

 

 

 店だけじゃない。

 祖父と過ごしたこの家も。

 美玖の記憶の中に残っている。

 

「俺、中学の途中からはここで暮らしてた。」

 

 美玖がこちらを見る。

 

「……うん。」

 

「親が事故で亡くなってから、卒業するまで。」

 

 自分で口にしてみると、不思議な感覚だった。

 もう何年も前のことだ。

 それでも、家の中へ入っただけで、その頃のことを鮮明に思い出す。

 

 朝起きる。

 祖父の声がする。

 学校へ行く。

 帰ってくる。

 夕方になると、店から工具の音が聞こえる。

 そんな当たり前の日々。

 

「高校に入ってからは寮だったけど。」

「週末には戻ってきてた。」

 

「お店の手伝い?」

 

「ああ。それもある。」

 

「他には?」

 

 美玖が少しだけ笑った。

 

「……帰ってくる場所だったからな。」

 

 美玖は何も言わなかった。

 ただ、少しだけ優しい顔をしていた。

 俺は視線を逸らし、廊下に向かう。

 

 

 

 結論から言えば、一階にも二階にも、祖父の姿も、奴らの姿もなかった。

 家の中が荒らされた様子もない。

 だが結局、祖父がどこへ向かったかは分からなかった。

 

 二人で家の中を歩く。

 

 廊下の先にある客間。

 道路に面する玄関。

 二階へ上がった先。

 どこにも人の気配は残っていなかった。

 

 階段を登った先の、自分が使っていた部屋に向かう。

 

 ドアを開ける。

 

 机。

 隙間の目立つ本棚。

 空になったベッド。

 壁際に置かれた収納箱。

 寮へ持っていかなかったものが、いくつか残っている。

 

「ここ、悠斗の部屋?」

 

「ああ。」

 

 美玖が中へ入り、部屋を見回す。

 

「なんか……意外。」

 

「何が?」

 

「男の子の部屋って、もっと散らかってるかと思った。」

 

「私物は寮の部屋に持って行ってたし。」

 

「だから散らかってないんだ。」

 

「失礼だな。」

 

 美玖が少し笑う。

 

 その笑顔を見ていると思う。

 この世界が壊れていなかったら。

 仲の良かった、美玖や自分の母親たちが生きていたなら。

 違う形でこの笑顔を見れていたんじゃないかと。

 

 ひとしきり見回したあと、二人で廊下に出る。

 

「奥の部屋は?」

 

「物置みたいなもの。」

 

「……その割には厳重だね。」

 

 廊下の突き当りにある扉を見ながら美玖が言う。

 扉には、ノブに内蔵された鍵の他に、追加で錠前が取り付けられている。

 

「大事なものでも置いてあるの?」

 

「大事なもので、危険なもの。」

 

「なにそれ?」

 

「……長くなりそうだし、続きはお昼ご飯食べてからにしようか。」

 

「ふーん……。」

 

 太陽が高く上がっている。

 台所に戻ると、時計は正午過ぎを示していた。

 

 冷蔵庫を開ける。

 当然、電源は入っていない。

 

 中身は少ない。

 電気が失われてから丸一日弱。

 傷んでいるものを確認し、まだ食べられそうなものを分ける。

 

 冷凍庫を開くと閉じ込められた冷気が漏れる。

 

 ——こちらはまだ少し持ちそうか。

 

 手早く扉を閉じ、冷気を閉じ込めた。

 

 

 祖父が備蓄を保管していた棚を開ける。

 防災食。

 缶詰。

 非常用に買い込んだ水。

 

「けっこうあるね。」

 

「何かあったときに備えてって買い込んでたからな。」

「しばらくは持つと思う。」

 

「お昼、どうする?」

 

 美玖が聞く。

 

「カセットコンロも置いてあったはず。」

 

 缶詰をいくつか選び、残っていた食器を使う。

 特段調理をしたわけではない。

 

「温めるだけでも大違いだね」

 

 大した料理ではない。

 それでも、安全の確保された空間で、落ち着いて食べられる温かい食事は、

 身体以上に心に染み渡っていった気がした。

 

 ここには、生活のための空間がある。

 世界が壊れてしまっても。

 家というものは、意外と簡単には消えないらしい。

 

 

 その時だった。

 

 外から。

 

 かすかな音がした。

 

 足音。

 それも一つではない。

 

「……誰かいる。」

 

 俺は槍を手に取り、勝手口から空き地へ出る。

 美玖も後ろに続く。

 

 店の裏手から、通路越しに店のすぐ外に人影が見えた。

 

 ——三人。

 

 一瞬、身体が強張る。

 武器を構えかける。

 だが、先頭の人物の顔が見えた。

 

「……翼?」

 

 向こうもこちらに気付いた。

 

「悠斗!」

 

 声が返ってくる。

 その瞬間、張り詰めていたものが、一気に抜けた。

 翼。

 その後ろに陽菜。

 そして海人。

 三人とも、疲れ切った顔をしている。

 それでも、生きている。

 

「……無事だったのか。」

 

 俺は思わず歩み寄った。

 

「そっちこそ。」

 

 翼と肩を叩き合う。

 その表情には、明らかな安堵があった。

 

「夕樹さんも一緒か。」

 

「うん。」

 

 美玖が答える。

 陽菜も小さく笑った。

 

「よかった……。」

 

 その声を聞いた瞬間。

 俺は、ふと違和感を覚えた。

 百貨店を出た時。

 彼らは四人だった。

 翼。

 海人。

 陽菜。

 そして。

 

「……陽向は?」

 

 空気が止まった。

 誰もすぐには答えない。

 

 

 翼が視線を落とす。

 海人の表情から笑みが消える。

 陽菜も唇を噛んだ。

 

「……。」

 

 嫌な予感がした。

 

「陽向は?」

 

 もう一度聞く。

 翼が、思い出すように少し考えてからゆっくり口を開いた。

 

「……途中で、はぐれた。」

 

「はぐれた?」

 

「ああ。」

 

 海人の声は低かった。

 

「百貨店から出たあと、こっちを目指して四人で動いてた。」

 

 俺は黙って聞く。

 

「戦った音で奴らが集まってきてたから、隠れたり、迂回しながら道を探ってたんだ。」

 

「でも、途中で奴らが増えて、身動きが取れなくなった。」

「数が増えて、追いつかれそうになって。」

「誰かが残って奴らを引き付けなければ、全員飲み込まれるところだった。」

「俺たちを先に行かせるために、陽向が残った。」

 

 美玖が息を呑む。

 

「残ったって……?」

 

「俺たちに『先に行け』って。」

 

 翼は拳を握った。

 

「『先に行け。後で追いつくから』って。」

 

 その言葉。

 俺の胸に重く落ちる。

 

「……それで?」

 

「分からない。」

 

 海人が首を振る。

 

「その後は、見てない。」

 

 それ以上のことは、誰にも分からない。

 生きているかもしれない。

 奴らに襲われたかもしれない。

 どこかへ逃げ延びている可能性もある。

 何も確定していない。

 

「……そうか。」

 

 百貨店を脱出した時。

 俺たちは、それぞれ別の出口へ進んだ。

 俺と美玖は地下街へ。

 海人たちは入ったときの正面入口から。

 隼人たちは駅方面の連絡通路から脱出した。

 

 だから。

 今、誰がどこにいるのか。

 誰一人、全てを把握してはいない。

 

 それでも今、目の前には三人がいる。

 海人。

 陽菜。

 翼。

 三人は生きてここまで来た。

 

「……とりあえず。」

「ここじゃなんだから、中で話そう。」

 

 海人が頷く。

 

「そうだな。」

 

 店の中を通り抜ける。

 陽菜が、興味深そうに店内を見回しながら歩く。

 

「こっちから入れる。」

 

 勝手口を開けて、みんなを家の中へ招き入れる。

 空き地を抜ける途中、翼が保管庫を見て、一瞬だけ足を止めた。

 

「こっちの建物は?」

 

「保管庫。」

 

 俺は短く答えた。

 

「今は後でいい。」

 

 全員が家の中へ入ると、美玖が最後に周囲を確認してから扉を閉めた。

 

 居間へ向かい、椅子に腰掛ける。

 海人が座る。

 陽菜も。

 翼も。

 美玖は俺の隣に座った。

 

 ほんの少し前まで。

 この家には俺と美玖しかいなかった。

 でも今は違う。

 

 

「……改めて。」

 

 海人が俺を見る。

 

「無事でよかった。」

 

 三人は頷いた。

 少し間を置いて、翼が俺を見る。

 

「そっちは?」

 

「俺たち?」

 

「ああ」

「百貨店から脱出してから、どうしてた?」

 

 美玖と視線を交わし合う。

 

「俺たちは地下街を抜けて、ここまで来た。」

 

 それから、簡単にこれまでのことを話した。

 地下街を抜けたこと。

 途中で夜を迎えたこと。

 そして、朝になって商店街を抜けて、この店まで来たこと。

 

「隼人と莉乃は?」

 

「分からない」

 

 俺は答えた。

 

「二人は駅方面の連絡通路に向かったはずだ。その後のことは分からない。」

 

 翼は黙った。

 陽菜も何も言わない。

 海人だけが小さく息を吐いた。

 

「昼飯、まだなら食べてくれ。」

 

「いいのか?」

 

 海人が聞く。

 

「ここにあるものは、みんなで使うためにある。」

「少し、休んだほうがいい。」

 

 その言葉を口にした時。

 美玖がこちらを見る。

 

 少しだけ笑っていた。

 俺は気付かないふりをする。

 

 居間の窓の外。

 昼の光が差し込んでいる。

 

 外の世界は、まだ壊れたままだ。

 奴らがいる。

 隼人たちの行方も分からない。

 陽向の生死も分からない。

 店に祖父はいなかった。

 

 そして。

 これから何が起こるのかも分からない。

 

 それでも、今だけは。

 この家に、人がいる。

 誰かと話せる。

 誰かの無事を喜べる。

 

 

 俺は居間を見回す。

 祖父が座っていた椅子。

 その隣の古い棚。

 壁に残った時計。

 

 そして今、ここにいる仲間たち。

 

 

 世界が変わってしまっても。

 この場所が持っている意味だけは。

 少しも変わっていないのかもしれない。

 

 帰る場所。

 

 それは、場所そのものではない。

 そこに誰かがいること。

 そして、自分もそこにいていいと思えること。

 

 俺はそんなことを考えながら。

 もう一度、仲間たちの顔を見た。

 

 少なくとも今は。

 俺たちは、また一緒にいる。

 

 それだけで。

 少しだけ、息がしやすくなった。

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