学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build― 作:UG-san
時計を見る。
午後一時を少し回ったところだった。
周囲から聞こえる物音に耳を澄ませながら、俺は小さく息を吐いた。
奴らが出現してから。
この世界が壊れてから。
世界の見え方がまるで違っている。
まだ二日しか経っていない。
たった二日。
それだけなのに、随分と遠くまで来たような気がする。
奴らは一体どこからやってきたのか。
誰が、なんのために。
一体どこへ向かえば。
いつになれば世界が元に戻るのか。
そんな事を考える余裕すらなかった。
ただ、目の前にいる「奴ら」から逃げて。
誰かを助けて。
誰かに助けられて。
その繰り返しだった。
そして今、俺たちは祖父の店にいる。
俺、美玖、海人、陽菜、翼。
五人。
少なくとも、今ここにいるのは五人だ。
葵たち。
学校に残ることを選択した。
まだいる生存者を助けるために。
仲間の帰りを待つために。
そこで救助が来ることを信じて。
陽向。
百貨店から逃げる途中、海人たちを逃がすために残った。
あいつが今どこにいるのか、俺たちには分からない。
隼人と莉乃もいる。
百貨店から逃げるときに別行動となって以降、二人ともまだどこにいるのか分からない。
みんな、生きているのか。
それとも――。
考えるのを止める。
まだ決まったわけじゃない。
こうして考えてみると。
俺たちは、ずいぶん多くの人間と離れてしまった。
たった二日で。
そして、そのたびに「また会える」と思ってきた。
——本当に、また会えるんだろうか。
そんなことを考えていると、背後から声がした。
「悠斗ー」
「ん?」
「これ、どこに置けばいい?」
翼だった。
振り返ると、段ボール箱を抱えて立っている。
「そこ。その棚の下でいい。」
「了解。」
仲間とここにいる。
今はただ、それだけでいい。
家の中には、祖父が残したものがある。
銃。
弾薬。
工具。
保存食。
水。
その他、まだ使えそうなもの。
学校にいた頃とは違う。
少なくとも、今の俺たちは何も持たない避難者じゃない。
……だからこそ、考えなければならないことも増えた。
ここに留まるのか。
それとも、どこかへ向かうのか。
誰を探すのか。
何を目的にするのか。
そして。
銃をどうするのか。
銃は便利な道具じゃない。
まして、ゲームの武器でもない。
一発打てば、奴らを倒せる。
一発撃てば、人を殺せる。
それを誰かに渡すということは、その人間に「殺す力」を渡すということだ。
本来なら、そんなものを簡単に他人へ渡すべきじゃない。
でも。
今の世界には、昨日までの法律も、警察も、学校もない。
少なくとも、俺たちの目の前からは消えてしまった。
だからといって、何でも許されるわけじゃない。
その境界線を、俺はまだ決められずにいる。
そんなことを考えていた時だった。
店の方から、何かが聞こえた。
――ガタン。
室内にいる全員の動きが止まる。
俺も反射的に顔を上げた。
翼がこちらを見る。
「……今の、何の音だ?」
「分からない。」
俺はゆっくり立ち上がった。
銃を手に取る。
全員の視線が、俺へ集まった。
昨日までなら。
ここはただの祖父の家だった。
子供の頃から、遊びに来た場所。
一時、祖父と暮らした場所。
そして、祖父の店。
多くを見て、学んだ場所。
銃の匂いと、木と油の匂いが混ざった、少し変わった場所。
でも今は違う。
ここは、俺たちが生き残るための場所になった。
そして、この場所を守るためには。
ここにあるものを使わなければならないのかもしれない。
――ガタン。
外から、もう一度音がした。
俺は銃を握り直す。
勝手口に向かい、ドアに手をかける。
「待って。」
美玖の声がした。
「一人で行くの?」
「様子を見るだけだ。」
「それでも。」
美玖が立ち上がる。
海人と陽菜も、それに続いた。
「俺も行く。」
「翼はここにいてくれ。」
「えー。」
「頼む。」
「……分かったよ。」
不満そうではあったが、翼は素直に頷いた。
家の中を、無人にしたくない。
今、ここにあるものを守るためにも。
誰か一人が中に残るだけでも、それなりの意味がある。
勝手口を抜け、わずかに開いた扉の隙間から、店の中を覗く。
——人の気配はない。
店内を抜け、扉の隙間から外を覗いた。
通りは静かだった。
少なくとも、すぐ近くに「奴ら」はいない。
道路には、放置された車が何台も残っている。
窓ガラスの割れたもの。
ドアが開いたままのもの。
そのどれもが、持ち主がどんな状況でそこを離れたのかを想像させる。
「何かいるか?」
海人が小声で聞いた。
「今のところは。」
俺は周囲を見回した。
そして。
店の向かい側にある建物の陰へ目を止めた。
「……あれ。」
美玖が俺の視線を追う。
「何?」
「人……?」
建物の陰。
ほんの一瞬。
何かが動いた。
俺は銃を構えたまま、目を凝らす。
——人影だ。
だが、奴らではない。
少なくとも、今の動き方は違う。
ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
一人。
いや。
「二人いる。」
海人が呟いた。
さらに奥から、もう一人。
三人。
全員が武器らしきものを持っている。
「生存者……かな。」
陽菜が言った。
「たぶんな。」
ただし。
それだけで安心できるわけではない。
「生きている人間」と「味方」は同じ意味じゃない。
むしろ。
今の世界では、そこを分けて考えなければならない。
人間は考える。
人間は話す。
人間は嘘をつく。
そして。
必要なら、他人から何かを奪う。
「どうする?」
海人が聞く。
俺は答えなかった。
相手もこちらを見ている。
距離はまだある。
向こうがこちらを認識しているのか。
それとも、ただ店を見ているだけなのか。
分からない。
しばらくすると、そのうちの一人が両手を上げた。
敵意はない。
そう見える。
手を上げたまま、ゆっくりと近づいてくる。
銃を握る手に力が入る。
「そこの店!」
俺たちがいることを確認したらしい。
「人がいるなら、話をしたい!」
普通の声だった。
少なくとも、今のところは。
海人が俺を見る。
陽菜も。
美玖も。
少しだけ、考える。
無視する。
それも一つの選択肢だった。
だが、今後ここで生きていくなら、周辺にどんな人間がいるのかを知っておく必要がある。
それに。
もしかしたら、何か情報を持っているかもしれない。
三人を店の奥へ下がらせてから、扉を少し開く。
「何の話だ?」
「中にいる人間と話したい!」
男が答えた。
「食料とか、情報とか……交換できるものがあれば交換したい!」
交換。
その言葉に、俺は少しだけ警戒した。
今の状況で、何を持っているのか。
それを相手に知られることは、そのまま弱点を教えることにもなる。
それでも、話をするだけなら。
「そこまで来てくれ。」
俺は入口から少し離れた場所を指した。
「中には入れない。」
「分かった!」
男はあっさり答えた。
あとに続く二人も、こちらへ歩き始める。
俺は銃を構えたまま、彼らの動きを見ていた。
距離が縮まる。
服装。
持っている荷物。
武器。
歩き方。
一つずつ確認する。
その中で。
一人の男の腰にあるものが目に入った。
見間違いかもしれない。
だが。
よく、見覚えのある形だ。
俺は視線を戻した。
三人は、もうすぐ目の前まで来ている。
「どうも。」
先頭の男が笑った。
その目線が一瞬、俺の手元を向く。
「ここ、銃を扱ってる店だろ?」
その一言で。
俺の中の警戒心が、一段階上がった。
俺は何も答えなかった。
男は笑ったまま続ける。
「いやあ……ずっと探してたんだよ。」
その言葉を聞いた瞬間。
俺は確信した。
――この人間たちは。
ただ、助けを求めてきたわけじゃない。
「あんたら、この店の人?」
「それとも、他所から来た人?」
男が笑いながら聞いた。
「何の話だ?」
「とぼけなくてもいいだろ。」
男は肩をすくめた。
「ここ、銃を売ってる店なんだろ?」
「……それが?」
「だったら、弾もある。」
その瞬間。
俺の背筋を、冷たいものが走った。
荒らされた店。
持ち去られた弾薬。
祖父が保管していた銃と弾薬。
「弾が欲しいのか?」
「欲しい。」
即答だった。
「俺たちは銃を持ってる。でも、弾がなきゃ意味がない。」
「交換するものは?」
「食料なら少しある。」
男が背負っていたバッグを軽く叩く。
「水もある。」
「それだけ?」
「それだけで十分だろ。」
「……そうか。」
俺は男の目を見た。
笑っている。
だが、その目は笑っていない。
店内を覗き見ようとしている。
俺たちの人数を確認している。
そして。
俺の手元にある銃を見ている。
「昨日、この店を荒らしたのはあんたたちか?」
俺がそう聞くと、男の表情が、一瞬だけ止まった。
「……何のことだ?」
「答えてくれ。」
「知らないな。」
「そうか。」
俺はそれ以上追及しなかった。
だが、この人間たちは怪しい。
警戒するように、海人が俺の隣に並ぶ。
美玖と陽菜が店の奥へ下がる。
「まあいい。」
男が笑った。
「それよりさ。」
一歩、男が近づく。
「弾を分けてくれよ。」
「弾はない。」
「……は?」
男の笑顔が消えた。
「既に、誰かに盗まれてる。」
「ここにはない。」
「おかしいな。」
「俺の目には、君の手元に銃が見えるんだが。」
「これは売り物じゃない。」
「そうか。」
「なら——」
男の手が腰へ伸びた。
俺は反射的に銃口を上げた。
「動くな。」
空気が止まる。
男の手も止まった。
「……怖いねえ。」
「手を離せ。」
「分かったよ。」
ゆっくりと手を上げる。
だが、その瞬間。
背後にいた男の一人が動いた。
「海人!」
乾いた音が響いた。
――銃声。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
海人の身体が大きく揺れる。
「……っ!」
そのまま、膝から崩れた。
「海人!」
陽菜が叫ぶ。
俺の頭の中が真っ白になる。
「来るな!」
咄嗟に叫ぶ。
店の奥から飛び出そうとした陽菜を、美玖がなんとか止める。
「離して!」
「ダメ!」
銃を握る手が震えている。
後ろの男が銃を抜いていた。
片手で構えたのは、回転式拳銃(リボルバー)。
その銃口が、今度はこちらへ向く。
「弾を出せ。」
先頭の男が言った。
「そうすれば、これ以上撃たない。」
海人が床に倒れている。
肩。
いや、腕の付け根に近い。
血が出ている。
生きている。
まだ動いている。
海人が苦しそうに顔をしかめた。
「……クソ……あのヤロォ……。」
その姿を横目で確認しながら。
俺は、銃を構えていた。
照準の先に、人間がいる。
ほんの数日前まで、こんな状況におかれるなんて、考えたこともなかった。
射撃場で撃っていたのは紙だった。
ただの標的だった。
どれだけ正確に撃っても、そこから血は流れない。
でも。
今、目の前にいるのは違う。
人間だ。
俺と同じように、生きている。
なのに。
その人間が、俺たちを殺そうとしている。
「悠斗……。」
美玖の声が聞こえた。
俺は答えなかった。
照準をずらさない。
「最後に言うぞ。」
「弾を出せ。」
指が震える。
引き金にかけた指が。
わずかに動いた。
――怖い。
怖いに決まっている。
それでも。
海人が撃たれた。
次に撃たれるのは誰だ?
美玖か。
陽菜か。
翼か。
それとも——俺か。
その瞬間。
男たちの後ろで、何かが動いた。
「――!」
もう迷っている時間はなかった。
「銃を下ろせ。」
俺は言った。
「……嫌だね。」
「そうか。」
自分でも驚くほど、声が冷たかった。
「なら――」
引き金にかけた指へ力を込める。
――俺は。
この日、初めて。
人間へ銃を向けた。
引き金を絞る。
指先に感じていた僅かな抵抗が消えた。
撃針が薬莢の底にある雷管を叩き、装薬が燃える。
一瞬で生まれた燃焼ガスが薬莢の中で逃げ場を求め、弾丸を押し出す。
押し出された弾丸は、施条(ライフリング)に食い込みながら燃焼ガスに押されて加速し、銃身を駆け抜ける。
弾丸が銃口を抜けた瞬間、銃身内に閉じ込められていた高圧のガスが、一気に外へと吹き出した。
——銃声が、弾けた。
銃を構えていた男の身体が大きく揺れる。
銃を持っていた腕が跳ね上がり、そのまま男が倒れた。
「……っ!」
ボルトハンドルを操作し、次弾を薬室に送り込む。
腰の銃に手を伸ばした男へ銃口を向ける。
「動くな!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
男が止まる。
その手には、掴みかけた銃がある。
「銃を捨てろ!」
「……。」
「捨てろ!」
男がゆっくりと銃を床へ落とした。
金属音が響く。
その音を聞いて、ようやく俺は息を吐いた。
「もう一人もだ。」
最後の一人へ向けて言う。
男は両手を上げた。
「分かった……。」
「その場に座れ。」
「……何?」
「座れ!」
二人がゆっくりと地面へ腰を下ろす。
俺は銃口を下げなかった。
海人は倒れている。
美玖と陽菜は、いつでも店の中へ戻れる位置でこちらを見ている。
誰か一人でも隙を見せれば、また撃たれる。
「美玖、海人を見てくれ。」
「分かった。」
「止血はできるか?」
「わかんないけど……やってみる。」
——店の奥の扉が開く音。
「翼!いるか!」
「いるよ!」
「こっちに来て手伝ってくれ。」
目の前に倒れている男を見る。
動いている。
生きている。
胸が上下している。
血が出ている。
「……。」
撃った。
本当に撃った。
標的じゃない。
人間を。
俺の手で。
「悠斗。」
翼の声。
すぐ隣にいる。
「……大丈夫か?」
「……分からない。」
それしか答えられなかった。
手が震えている。
競技の時なら、こんなことはなかった。
撃った後には、次の射撃の準備をする。
呼吸を整える。
姿勢を直す。
照準を確認する。
でも今は。
目の前に、人が倒れている。
「海人!」
陽菜の声で、我に返る。
海人はまだ意識がある。
「……大丈夫だ。」
「大丈夫じゃないでしょ!」
「いや……死んでないだけ、マシだろ。」
「笑ってる場合じゃない。」
陽菜が傷を押さえる。
「弾が残ってる可能性もある。」
「まずは止血だ。」
「分かった。」
陽菜が頷いた。
俺は、もう一度倒れた男へ目を戻した。
さっきまで俺たちに銃を向けていた男。
今は地面に転がっている。
俺が撃った。
その事実だけが、頭の中に残っている。
翼と一緒に、男たちのもとへ向かう。
照準は、外さない。
翼が地面に落ちた銃を拾い上げ、俺に確認を求めるように目を向けた。
頷くと一歩、後ろへ下がる。
「昨日、ここに来たのか?」
「来てない。」
先頭にいた男が答える。
「本当に?」
「ああ。」
「仲間はいるのか。」
「俺達三人だけだ。」
「どうしてこの店に銃があると知っていた?」
「……噂だ。」
「誰から聞いた?」
「知らねえよ。」
「誰から聞いた?」
少しだけ、声を強める。
男は答えない。
——その時だった。
遠くから、かすかなうめき声が聞こえた。
「……来やがった。」
男の一人が顔を上げる。
銃声を聞きつけたのだろう。
通りの向こうから、人影が現れる。
一体。
また一体。
さらに、その後ろからもう一体。
「くそ……。」
一人が立ち上がろうとする。
「座ってろ!」
「あいつらが来てるぞ!」
「分かってる!」
ゆっくりと人影が近づいてくる。
「翼、海人たちと一緒に店の中へ。」
「わかった。」
拾った銃を腰に差した翼が、海人に肩を貸しながら店の中へ戻っていく。
「ここにいたら死ぬぞ!」
「おい、待て!」
座っていた一人が突然立ち上がった。
仲間の静止を無視して、走り出す。
男は振り返らない。
そのまま、路地の向こうへ消えていく。
「……逃げやがった。」
翼に肩を借りたまま、海人が呟く。
俺は銃を構えた。
店の外から近づいてくる「奴ら」へ向けて。
相手は「奴ら」だ。
さっきまでとは違う。
同じ銃でも。
引き金を引く意味は、まるで違っていた。
引き金は、酷く軽かった。