学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build― 作:UG-san
祖父の店を出てから、しばらくは誰も口を開かなかった。
俺、美玖、翼。
三人とも、周囲を警戒しながら歩いている。
診療所までは、それほど遠くない。
ただし、今までの「遠くない」という言葉には、もう何の意味もなかった。
数百メートル歩くだけでも、「奴ら」に遭遇すれば足を止めなければならない。
道路が塞がれていれば迂回する。
人影が見えれば、それが生存者なのか「奴ら」なのかを確認する。
そして、生存者だったとしても。
それが味方とは限らない。
昨日までなら、道を歩いている人間を見れば、まず助けを求めることを考えただろう。
今は違う。
俺たちは、既に人間に銃を向けた。
そして、俺自身が一人を撃った。
その事実が、まだ頭の片隅に残っている。
「……悠斗。」
隣を歩く美玖が、小さな声で呼んだ。
「ん?」
「さっきから、ずっと考えてる?」
「何を?」
「……海人くんを撃った人のこと。」
一瞬、足が止まりそうになる。
だが、そのまま歩いた。
「考えないようにはしてる。」
「そう。」
「でも、完全には無理だな。」
美玖はそれ以上何も言わなかった。
前を歩いていた翼も、こちらを振り返らない。
住宅街へ入る。
祖父の店がある商店街周辺と比べれば、こちらは比較的静かだった。
家々が並び、塀や植木が道路との境界を作っている。
庭先に自転車が倒れている家。
玄関の扉が開いたままになっている家。
洗濯物が風に揺れている家。
日常の痕跡だけが残っている。
なのに。
人の姿はない。
「……変な感じだな。」
翼が呟いた。
「何が?」
「普通の住宅街なのに、誰もいない。」
「そうだな。」
俺は周囲を見る。
その時だった。
道路の先から、何かが現れた。
一体。
その後ろにも、もう一体。
さらに横の家の陰から、別の一体が姿を見せる。
「来る。」
俺が槍へ手を伸ばした、その時。
「俺がやる。」
翼が前へ出た。
「翼?」
翼は答えなかった。
槍を両手で構える。
近づいてくる「奴ら」の動きを見ながら、一歩、二歩と距離を詰めていく。
そして。
最初の一体が手を伸ばした瞬間。
翼の槍が突き出された。
頭部へ深く突き刺さる。
そのまま槍を引き抜く。
「奴ら」が倒れた。
間髪を入れず、次の一体へ。
翼は身体を半歩ずらし、伸びてきた腕を避ける。
そして、再び槍を突き出した。
頭部を貫く。
二体目が倒れる。
最後の一体が翼へ向かってくる。
俺が援護に入ろうとした時には、既に翼が動いていた。
槍の柄を少し引き、相手の動きを待つ。
そして。
突く。
三体目も倒れた。
「……。」
俺は思わず翼を見る。
美玖も同じだった。
「……翼。」
「ん?」
「今の……。」
「何?」
「ずいぶん慣れてたな。」
翼が少しだけ苦笑した。
「まあ……。」
槍を下ろす。
「百貨店から逃げた後、俺も何度か戦ったから。」
「何度か?」
「うん。」
翼は少し視線を逸らした。
「悠斗たちと別れてから、ずっと逃げてただけじゃないんだ。何度も囲まれたし、何度も襲われた。」
「……そうだったのか。」
「だから、もう……慣れた。」
その言葉に、俺は何も返せなかった。
俺たちが知らないところで。
翼も、翼なりに生き残るための時間を過ごしていた。
同じ高校三年生。
同じように巻き込まれて。
それでも、見えないところで経験を積んでいた。
「……助かった。」
「うん。」
翼は槍を握り直した。
俺たちは再び歩き始めた。
住宅街を抜ける。
その先で。
視界が開けた。
「……川。」
美玖が呟く。
目の前を、大きな川が横切っていた。
川幅はかなりある。
水面は静かだった。
けれど、そこを挟むように街が続いている。
向こう岸にも住宅が並び、そのさらに先には建物が密集している。
「診療所は、この川の向こうだ。」
「地図では確認してたけど、実際に見ると大きいね。」
翼が言った。
川沿いを少し進む。
大きな橋が見えた。
遠くにあるため、詳細までは分からない。
それでも、その大きさははっきりと分かった。
巨大な橋脚。
何本もの車線。
そして、橋の上に残された大量の車。
「……あっちは床主大橋か。」
俺は地図と見比べた。
「そうだな。」
橋の上には、動くものがない。
放置された車が道路を塞いでいる。
事故を起こしたように斜めになっている車。
道路の中央に乗り捨てられた車。
ドアが開いたままの車。
橋そのものが、巨大な障害物になっているように見えた。
「車じゃ渡れそうにないな。」
「うん。」
俺たちは橋を使わず、そのまま川沿いを反対方向に進んだ。
少し進んだ先。
住宅街と住宅街を繋ぐ、小さな橋が見える。
「こっちなら渡れそう。」
橋は大きくない。
車が何台も並んで通れるようなものではなく、地域の住民が使うための小さな橋だった。
俺たちは周囲を確認してから、橋を渡る。
川の中央まで来たところで、俺は一度足を止めた。
振り返る。
さっきまでいた街。
そして、その向こうに見える床主大橋。
川の向かい側へ視線を向ける。
そこには、さらに市街地が広がっていた。
その一角。
建物の間から、大きな看板が見えた。
「……あれ。」
美玖が指差す。
「ショッピングモール?」
看板の文字を遠目に確認する。
ここから先は、普段あまり立ち寄らないエリアだ。
そして、その先に、目的地がある。
こうして歩くと、床主市は思っていた以上に広い。
「行こう。」
俺はそう言って、橋を渡り切った。
川の東側へ。
そこからしばらく歩くと、目的の診療所が見えてきた。
「……あれか。」
住宅街の中に建っている。
一軒家より少し大きい程度の建物。
病院というより、地域の小さな診療所。
正面にはガラス扉。
しかし、その扉は開いたままだった。
「……人は?」
翼が小声で聞く。
「分からない。」
俺は足を止める。
診療所の周辺には、「奴ら」がいた。
一体。
少し離れたところに、もう一体。
さらに奥にも何体かいる。
多い。
だが、何かがおかしい。
その多くが診療所から離れる方向へ歩いている。
まるで、先ほどまで集まっていたかのように。
「散ってる……?」
「何かあったのかな。」
美玖が呟いた。
俺は答えず、周囲を確認する。
正面から入るのは危険だ。
それでも、他に入口があるかは分からない。
「行くぞ。」
三人で慎重に進む。
近くにいた「奴ら」を避けながら、入口へ向かう。
ガラス扉を抜けた瞬間。
壁が目に入った。
「……。」
壁に、いくつもの穴が開いている。
その周囲には血痕。
そして。
倒れている「奴ら」。
一体ではない。
何体もいる。
「ここで……何かあった。」
美玖が呟く。
「ああ。」
俺は周囲を見回した。
受付。
椅子。
机。
待合室。
そのどこにも人はいない。
だが、「奴ら」の遺体だけが残っている。
散弾銃で撃たれたのだろうか、頭部を失った姿。
頭部や頸部を何かで刺されたような姿もある。
待合室には、大きな本棚が置かれていた。
その中には大量の漫画本。
この状況には似つかわしくないほど、普通の光景だった。
ただ、その一部は床へ散らばっている。
ページが開いたままの本。
踏みつけられた本。
棚から落ちたままの本。
「……ここ、普通の診療所だったんだよな。」
翼が言った。
「たぶん。」
「誰かが戦ったのかな。」
「そうだと思う。」
壁の弾痕。
倒された「奴ら」。
荒れた室内。
誰かが、ここで生き残るために戦ったことは分かった。
「奥を見よう。」
俺たちは診察室へ向かった。
廊下を進む。
その先から。
物音がした。
「……いる。」
翼が槍を構える。
診察室の中から「奴ら」が出てくる。
数は二体。
「銃は使わない。」
俺は槍を構えた。
銃声を響かせる必要はない。
一体目が向かってくる。
翼が前へ出る。
槍が頭部へ突き込まれる。
倒れる。
もう一体が俺へ向かってきた。
身体を横へずらす。
伸びてきた腕を避け、槍を突き出す。
頭部を捉えた。
「奴ら」が倒れる。
静かになった。
「大丈夫?」
美玖が聞く。
「ああ。」
俺は診察室を見回した。
そこで、異様な光景に気づいた。
入口脇。
ベッドが倒れている。
いや。
倒れているというより、ドアを塞ぐために立てかけられていたものが、外側から押し倒されたようだった。
窓ガラスも割れている。
しかも、内側からではない。
外から破られたように見える。
床には大量のガラス片。
部屋の中央には机。
本来は壁際にあったのだろう。
床には、引きずった跡が残っている。
その近くに丸椅子が転がっている。
そして、天井。
「……何だ、これ。」
翼が見上げる。
天井の一部が、大きく破壊されていた。
その穴の向こうに、上の階の部屋が見えている。
穴越しに見える二階の天井には、入口の壁と同様に細かい穴が空いている。
「下から……?」
「たぶん。」
俺は部屋の中を見回した。
床にはさすまたが転がっていた。
先端のU字の部分に千枚通しが固定してある。
奴らと戦った形跡だろうか。
その先端には黒く血がこびりついている。
「ここに誰かいたんだ。」
美玖が言った。
その瞬間。
ロッカーの扉が開いた。
「……!」
俺たちは一斉に身構える。
ロッカーの中から男が出てくる。
少し、足を引きずりながら。
手を上げながら、ゆっくりとこちらを見る。
坊主頭に丸メガネ。
疲れ切った顔。
だが、生きている。
「……連中、もういないか?」
髪型のせいで年齢が掴みにくいが、意外に若い声。
「今のところは。」
俺が答える。
男が周囲を見回した。
そして。
翼を見た。
「……ん?」
翼も目を見開いた。
「……もしかして。」
二人がほぼ同時に口を開く。
「秋月さんちの……翼か?」
「ハンドガンマニアの兄ちゃん?」
「やっぱりそうか。」
男が苦笑した。
「知ってるの?」
美玖が驚く。
「実家の近所に住んでる人なんだ。」
男は、地面に転がっていたさすまたを拾う。
「俺、田丸。」
「田丸さん……?」
「ああ。」
「助かった。正直、いつまであそこに入ってればいいのか分からなかった。」
「どうしてロッカーに?」
俺が聞くと、田丸さんは思い返すように少し沈黙する。
「俺は元々、近くのショッピングモールにいたんだ。」
「そこに避難してたばあさんが体調を崩してな。」
「治療に必要な薬……血漿だったかな?」
「それを探しにここに来たんだ。」
「一人でここまで?」
「いや、他の奴らと四人でだ。」
「その人たちは?」
周囲を見回す。
「とっくにここを離れて、モールに戻ったさ。」
「ひどい、見捨てるなんて。」
「いや、そういうわけでもないんだ。」
「俺たちが来たときは中に連中がたくさんいてな。」
「なんとか必要なものは確保したんだが、囲まれちまった。」
上を見上げる。
「一人がショットガンで天井をぶち抜いて、そこから逃げようとしたんだが。」
「ショットガン?」
「ああ。」
「後から来た高校生たちが銃持っててさ。」
ライフルに目をやる。
「ちなみにそれ、ホンモノ?」
「ええ。」
「近頃の高校生はどうなってんだよ……」
確かに、普通の高校生は銃はもっていない。
というか、普通の人は一生のうちに銃を触らないことの方が多いだろう。
「ま、一旦それは置いといて。」
「二階に上がるときに俺が足をすべらせてな。」
ロッカーを指さす。
「慌てて逃げ込んだ先があそこだったってワケさ。」
「一緒にいた人たちは?」
「俺のことを助けようとしてくれたんだがな。」
「婆さんの治療を優先してほしくて、行けって言ったんだ。」
頭を掻く。
「後で助けに来てくれると思ってたんだが……」
「今考えてみると、俺自身が噛まれたような言い方をしていたから、助けには来ないと思うぞ。」
「お前らは、なんでここに来たんだ?」
翼が答える。
「俺たちは、仲間が撃たれて、その治療に使えそうなものを探しに来た。」
「撃たれた?」
「銃だ。」
「……そうか。」
田丸の表情が変わる。
「それは、急いだほうがいいな。」
「田丸さんはショッピングモールに帰るんだよね?」
「……それなんだがな。」
田丸は少し考える。
「昼過ぎにヘリの音がしたんだ。」
「ヘリ?」
「ああ、しかも複数。」
「自衛隊?」
「そこまでは分からない。」
田丸は首を振った。
「でも、かなり近くを飛んでた。」
「モールの方に向かってたな。」
「じゃあそこで、救助活動が?」
「かもしれない。」
田丸は少しだけ言葉を止めた。
「ヘリの音がしたのは、かなり前だ。」
「それが?」
「もし救助だったなら、もう終わってるかもしれない。」
田丸は窓の外を見る。
「モールに人が残ってるかも分からない。」
俺は黙っていた。
店を襲った連中から聞いた言葉が頭をよぎる。
自衛隊がどこかで救助をするらしい。
もし、それが本当なら。
ヘリの音と繋がっているのかもしれない。
もしかしたら、救助活動はもう……終わってしまった?
「……俺たちと来ますか?」
気づけば、そう聞いていた。
田丸さんが俺を見る。
「いいのか?」
「一人でモールに戻って、誰もいなかったってなるよりはいいと思う。」
田丸さんはすぐには答えなかった。
モールの方向を見る。
その先には、彼が一緒にいた仲間たちがいる。
もしかしたら、まだ待っているかもしれない。
それでも、ヘリの音がしてからかなり時間が経っている。
「……戻って、誰もいなかったら」
そう、呟く。
「一人で探し回ることになるな。」
小さく息を吐いた。
「一緒に行かせてもらう。」
「決まりだな。」
翼が笑った。
「ああ。」
田丸もニッと笑う。
俺たちは診療所の中を改めて探した。
使えそうな包帯。
消毒用品。
薬。
医療器具。
幸い、弾を抜くのに使えそうな鉗子は見つかった。
ただ、それを使えば安全に取り出せるという保証はない。
「これだけあれば、撃たれた奴も何とかなるか?」
「……わからない。でも、何もないよりはずっといい。」
荷物をまとめる。
「俺も持つ。」
「足は大丈夫?」
「これくらいなら平気さ。」
田丸さんはやや足を引きずってはいるが、移動は問題なさそうに見える。
四人で診療所の外へ出る。
来た時よりも、周囲は静かだった。
だが、油断はできない。
「帰ろう。」
海人が待っている。
陽菜も。
そして、祖父の店も。
俺たちは診療所を離れた。
四人で。
今度は、祖父の店へ戻るために。
川の向こうにある、俺たちの拠点へ向かって歩き始めた。