学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build―   作:UG-san

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Ep.25 残された時間

 川を渡り、見慣れた商店街へ戻ってくる頃には、日が少しずつ傾き始めていた。

 来たときよりも、道が長く感じる。

 

 診療所から持ち帰った荷物があるせいだけではない。

 田丸さんが加わったことで、歩く人数は四人になった。

 

 仲間、と呼ぶにはまだ少し早いのかもしれない。

 けれど、少なくとももう、他人ではなかった。

 

「……足、大丈夫?」

 

 美玖が田丸さんへ声をかける。

 

「ああ。見た目ほど酷くない。」

 

 そう答えながらも、やや引きずりながら歩いている。

 診療所で聞いた話では、二階へ上がる途中で足を滑らせ、そのままロッカーへ逃げ込んだらしい。

 幸い、歩けないほどではないようだった。

 

「それならいいけど。」

 

「むしろ、そっちのほうが心配だ。」

「仲間、撃たれたんだろ?」

 

「ええ。」

 

「急いだほうがいいんじゃないか?」

 

「そうですね。」

 

 俺は頷いた。

 

 海人。

 

 診療所へ向かう前、家に残してきた。

 その時点で、出血はひとまず落ち着いている。

 一緒に残った陽菜が、圧迫を続けてくれている。

 それでも、銃弾が体内に残っているという事実は変わらない。

 

「……早く戻ろう。」

 

 自然と歩く速度が上がる。

 

 行きに通った道を、今度は反対方向へ進んでいく。

 周囲は相変わらず静かだった。

 

 やがて、視界の先に川が見えてくる。

 その向こう側に、俺たちが戻るべき場所がある。

 

「川って、やっぱり大きいな。」

 

 翼が呟いた。

 

「渡れる場所が限られるだけじゃない。」

「きっと、橋で連中を押し留めようとしたんだろうな。」

 

 視線の先には、遠くに床主大橋が見えていた。

 巨大な橋の上には、今も大量の車が残されている。

 ただ渋滞しただけのようには見えない。

 封鎖されて身動きが取れなくなった。そんな様子が見て取れた。

 

 あの橋を使えば、もっと早く戻れる。

 だが、今の状態では無理だ。

 車が道を塞いでいる。

 車だけじゃない。

 橋の上で蠢く奴らの姿。

 

 あそこへ向かう理由は、ない。

 

「ショッピングモールは、あっちだな。」

 

 田丸さんは、モールの方向を見つめていた。

 俺には、その横顔が少し寂しそうに見えた。

 

 彼にも残してきた仲間がいる。

 避難している人たち。

 そして、治療を必要としているという老人。

 

 まだ生きているかもしれない。

 もういないかもしれない。

 それを確かめることすらできない。

 

「……戻らなくてよかったの?」

 

 美玖が聞いた。

 

「正直、分からない。」

「今でも気にはなってる。」

 

「でも、ヘリの音がしたのは昼過ぎなんだよね?」

 

「ああ。」

 

「だったら……。」

 

「そう。」

 

 田丸は小さく頷いた。

 

「もう、誰もいない可能性は高い。」

 

 救助が来たのなら、既に人はいないはずだ。

 これから向かっても、誰もいないかもしれない。

 

 いや、誰もいないだけならまだ良い。

 そこに奴らが集まっていれば、危険に自ら首を突っ込むことになるだけだ。

 

「行こう。」

 

 俺たちは来るときに使った小橋を渡った。

 川の西側へ戻る。

 

 

「……戻ってきたな。」

 

 しばらく歩くと、祖父の店が見えてきた。

 肩から、少しだけ力が抜けた。

 

 

 建物に、変わった様子はない。

 周囲にも人影は、ない。

 

「こんなところがあったんだな。」

 

 田丸さんは興味深そうに店の中を見回している。

 カウンターの中を横切って、裏手に抜ける。

 家へ続く裏口の前で、俺は一度立ち止まった。

 

「誰かいる?」

 

 翼が小声で聞く。

 

「……分からない」

 

 ノックをして、返事を待つ。

 

 ——物音はしない。

 

 俺は扉を確認してから、ゆっくりと開けた。

 

「ただいま」

 

 小さく声をかける。

 

「帰ってきた?」

 

 奥から、陽菜がひょっこりと顔を出す。

 その顔を見た瞬間、俺は息を吐いた。

 

「海人は?」

 

「リビング」

 

 陽菜が答える。

 

「意識はある。さっきまで寝てたけど、今は起きてる。」

 

 その言葉を聞いて、胸の奥に溜まっていたものが少しだけ抜けた。

 

「よかった……」

 

 美玖も息を吐く。

 

「ひとまず安定してるよ。」

 

 陽菜はそう言ってから、俺たちの後ろを見る。

 

「……その人は?」

 

「田丸ヒロシさん。」

 

 美玖が答える。

 

「診療所にいた人。」

 

「俺の実家のご近所さん。」

 翼が補足する。

 

「田丸だ。よろしくな。」

 

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

 

 

 俺たちはリビングへ入った。

 海人はソファに横になっていた。

 顔色は良くない。

 それでも、目を開けてこちらを見る。

 

「……おかえり。」

 

「ただいま。」

 

「どうだった?」

 

「薬と包帯は取ってきた。」

 

 翼が、診療所で手に入れたものをリュックから取り出し、机に並べる。

 

「そうか」

 

 海人が少し笑った。

 

「それなら、わざわざ行った甲斐はあったな」

 

「無理して喋るな」

 

「はいはい」

 

「傷を見るから、ちょっとだけ動かすよ」

 

「おう。」

 

 陽菜が包帯の状態を確認する。

 血は滲んでいる。

 だが、診療所へ出る前よりひどくなっている様子はない。

 

「……大丈夫?」

 

 美玖が尋ねる。

 

「今のところは」

 

 陽菜が答えた。

 

「出血は落ち着いてる。熱も……今のところ大丈夫。」

 

「ひとまず安定、か」

 

「うん」

 

 俺は海人の傷口を見る。

 

 銃弾は残っている。

 だが、今すぐに取り出す必要があるのか。

 それとも、取り出さないほうがいいのか。

 俺には判断できない。

 

 診療所から持ってきた鉗子を見つめる。

 これを使えば、取り出せるかもしれない。

 

 でも、それが本当に正しいのか。

 

 傷口を広げてしまうかもしれない。

 血管や神経を傷つけるかもしれない。

 感染するかもしれない。

 

 何より、俺には医学の知識がない。

 

「……銃弾は、まだそのまま?」

 

「うん」

 

 陽菜が頷いた。

 

「下手に触らないほうがいいな。」

「診療所で見つけた鉗子だけで、弾を取るのは怖い」

 

「そうだね」

 

 陽菜も頷いた。

 

「私も同じこと考えてた」

 

 海人が横から口を挟む。

 

「じゃあ、俺の中の弾はしばらく同居ってことか」

 

「笑い事じゃない」

 

「分かってるって」

 

 海人は薄く笑う。

 

「……助かっただけでも、十分だよ。」

 

 リビングに沈黙が落ちる。

 

 テーブルに並べられた物資に自然と目が行く。

 包帯。

 消毒液。

 薬。

 ガーゼ。

 医療器具。

 

 今は、これら一つ一つが命を繋ぐための道具になる。

 

 美玖が薬の箱を整理している。

 翼は持ち帰った荷物を確認している。

 田丸さんは少し離れた場所で、室内を見回していた。

 

「……本当にここが拠点なんだな。」

 

「うん。」

 

 翼が作業をしながら答えた。

 

「入るときに通ったのが悠斗のじいちゃんの店で、こっちが住居になってる。」

 

「武器は?」

 

「来た時点で店は荒らされてた。武器は——」

 

「いくつかある。」

 

 翼から引き継ぐ。

 これ以外に何丁か。あとは海人を撃った連中から取り上げたものも。

 

「なるほどな」

 

 田丸さんは頷いた。

 

「武器も、食料もある。」

「それなら、確かにここを離れるのは惜しいな」

 

 俺は窓の外を見る。

 商店街は静かだ。

 ここへ来たばかりの頃は、祖父の店を見つけたことだけで安心した。

 銃がある。
 弾薬がある。
 食料がある。

 これならしばらく生きられる。

 そう思った。

 

 でも、店を襲った人間がいた。

 この場所の存在を知っている人間が、他にもいる。

 そして、俺たち自身も、この場所をいつまでも守れるとは限らない。

 

「……そういえば、隼人と莉乃は?」

 

 空気が変わる。

 

「……まだ来てない。」

 

「陽向も?」

 

「ああ」

 

 海人が頷く。

 

「他にも仲間がいるのか?」

 

「ここに来るまでに、はぐれたのがあと3人。」

 

「……そうか。」

 

 美玖の顔が曇る。

 

「莉乃たち、どこにいるんだろう」

 

 俺は地図を思い浮かべる。

 

 百貨店で別行動になってから、時間が経ちすぎている。

 道中、何かがあったか、それとも——

 

「……探しに行く?」

 

 すぐには答えられなかった。

 

 探しに行く。

 

 その言葉は簡単だ。

 でも、今の床主市で人を探すということが何を意味するのか。

 

 俺たちはもう知っている。

 数百メートルの移動ですら、「奴ら」と遭遇する。

 しかも、それだけじゃない。

 

 今日、俺たちは人間に銃を向けられた。

 その理由は単純だった。

 銃と弾薬が欲しい。

 食料が欲しい。

 生き残りたい。

 それだけだ。

 

「……今すぐには、動けないと思う」

「海人の状態がある」

 

「分かってる」

 

 美玖が頷く。

 

「でも、莉乃や、隼人くんたちも……」

 

「もちろん、探したい」

 

 俺は遮るように言った。

 

「ただ、今の俺たちには、二人を探しに行って戻ってこられる保証がない」

 

 陽菜が黙って俯く。

 

「じゃあ……待つしかないの?」

 

「今は。」

 

 そう答えた、その時。

 田丸さんが口を開いた。

 

「……家族を探すって話も、同じか?」

 

「え?」

 

 俺は田丸さんを見る。

 

「さっき、帰り道で少し聞いたんだ」

 

 田丸さんは翼を見る。

 

「みんな、自分の家族がどうなったのか気になってるんだろ?」

「俺もそうだ」

 

 田丸さんが続ける。

 

「モールに残してきた連中もそうだけど……家族がいる」

 

「探したい?」

 

「ああ」

「でも、まずは自分の身の安全を確保しなくちゃならない。」

 

 田丸さんは少しだけ目を伏せる。

 

「無闇にうろついてちゃ、危険が増えるだけだ。」

 

「……そうだな」

 

 俺は頷いた。

 

「俺も……家族を探したい」

 

 口にした瞬間、自分の中にあった感情が、はっきり形になった。

 

 家族——じいちゃんを。

 

 生きているのなら、探したい。会いたい。

 それは当たり前の感情だ。

 

「でも、全員で行くわけにはいかない」

 

「……誰か残す?」

 

「そうなる」

 

 翼が腕を組む。

 

「海人がこの状態だしな。」

 

 俺は頷いた。

 

「だから、今後は役割を分ける必要がある」

 

 今までの俺たちは、ただ目の前の危機を乗り越えることだけで精一杯だった。

 でも、これからは違う。

 生き残るために、先のことを考えなければならない。

 

「……それと」

 

 翼が口を開く。

 

「自衛隊の救助って話」

 

「うん」

 

「田丸さんが聞いたヘリと、今日店を襲った連中が言ってた話」

 

 俺は頷いた。

 

「まだ、救助があるのか分からない」

 

「でも、可能性はある」

 

 田丸さんが言う。

 

「俺が聞いたヘリは、確かにショッピングモールのほうへ向かってた」

 

「だったら」

 

 美玖が地図を見る。

 

「救助が行われた場所を探す?」

 

「いや」

 

 俺は首を振った。

 

「今はまだ、そこまで動けない。」

 

 海人を見る。

 

「まず海人の状態を安定させる。」

 

 次に。

 

「隼人と莉乃、陽向の到着を待つ。」

 

 そして。

 

「家族を探すかどうかを決める。」

 

 最後に。

 

「自衛隊の救助について、もっと情報を集める」

 

 四つ。

 やることは増えた。

 けれど、それを一つずつ片付けていくしかない。

 

「……なあ。」

 

 海人が目を開けた。

 

「何?」

 

「それならさ」

「俺はしばらく、ここで寝てればいいんだな?」

 

「ああ」

 

「じゃあ、任せた」

 

 海人は小さく息を吐く。

 

 その言葉を聞いて、俺は立ち上がる。

 リビングの本棚へ目を向ける。

 何気なく並んだ本。

 料理の本。

 工具の本。

 古い雑誌。

 そして、祖父が昔から持っていた、専門書。

 

 俺は本棚の前まで歩いた。

 

「……じいちゃん」

 

 小さく呟く。

 祖父は、銃のことだけを知っている人間じゃなかった。

 銃を売る。

 整備する。

 使う。

 それだけなら、店を続けるための知識だ。

 でも祖父は昔から、何でも調べる人だった。

 

 事故が起きたときにどうするか。

 怪我をしたときにどうするか。

 銃を扱う以上、撃たれる可能性もある。

 だから。

 

「もしかして……」

 

 本棚を一冊ずつ確認していく。

 美玖がこちらを見る。

 

「どうしたの?」

 

「じいちゃんの本を探してる」

 

「何の本?」

 

「分からない」

 

 背表紙を指でなぞる。

 医学。

 応急処置。

 解剖学。

 その中に、一冊だけ古い本があった。

 表紙には、

 

『銃創と外傷の応急処置』

 

と書かれている。

 

「……あった」

 

 俺は本を引き抜いた。

 

「何、それ?」

 

 翼が近づいてくる。

 

「医学書……だと思う」

 

「銃創?」

 

 田丸さんも興味深そうに覗き込んだ。

 

「じいちゃん、こんなの持ってたのか?」

 

「ああ」

 

 俺は表紙を開く。

 古い紙の匂いがした。

 ページには、銃創の種類。

 出血への対処。

 感染症。

 骨や神経への損傷。

 体内に残った異物への対応。

 

 俺はページをめくる。

 そして、弾丸の摘出について書かれた箇所で手を止めた。

 

「……」

 

 そこには、簡単に取り出してはいけない場合があること。

 弾丸の位置。

 周囲の血管や神経。

 感染の危険。

 いくつもの注意事項が書かれていた。

 

「……やっぱり」

 

 俺は息を吐いた。

 

「すぐに取るべきじゃない」

 

「そう書いてある?」

 

 陽菜が聞く。

 

「ああ」

 

 俺は本をテーブルへ置いた。

 美玖。
 翼。
 陽菜。
 海人。
 田丸さん。

 全員が本を覗き込む。

 

「ここ」

 

 俺は指で文章を追う。

 

「弾丸の位置を確認して、周囲の組織への損傷を考えないといけない。無理に取り出すことで、かえって出血や損傷を広げる可能性がある」

 

「……なるほど」

 

 翼が呟く。

 

「じゃあ、鉗子があれば取れるってわけじゃないんだな」

 

「そういうこと」

 

 俺は頷く。

 

「むしろ、下手に触らないほうがいい」

 

「俺の中の弾丸、しばらく居候決定か」

 

「だから笑うなって」

 

「はいはい」

 

 海人は目を閉じた。

 俺は本を閉じなかった。

 そのまま、最初のページから読み始める。

 専門用語が多い。

 分からない言葉もある。

 でも。

 読むしかない。

 知らないままでは、何もできない。

 祖父が残していたこの本が、今の俺たちにとってどれだけ価値のあるものなのか。

 それを考えると、少しだけ不思議な気持ちになった。

 銃を扱うために祖父が買った本。

 それが今。

 銃で撃たれた仲間を助けるために必要になっている。

 

「……じいちゃん」

 

 もう一度、心の中で呼ぶ。

 

 どこにいるのか。

 生きているのか。

 分からない。

 

 でも。

 この本を残してくれた。

 この店を残してくれた。

 それだけで、今の俺たちは生きていられる。

 

 だからこそ。

 俺は生き残らなければならない。

 海人を助ける。

 隼人と莉乃、陽向を待つ。

 家族を探す。

 そして。

 いつか、祖父のところへ戻る。

 

「……よし」

 

 俺は本を開いたまま、テーブルへ置いた。

 

「今日はこれを読む」

 

 美玖が隣に座った。

 

「私も見る」

 

 翼も椅子を引く。

 

「俺も」

 

 陽菜も海人の様子を確認してから、本を覗き込む。

 

「私も読んでおく」

 

 田丸さんは少し迷った後、笑った。

 

「俺もいいか?」

 

「もちろん」

 

 こうして。

 俺たちは初めて、全員で一冊の本を囲んだ。

 

 外では、時折どこかから「奴ら」の声が聞こえる。

 その声に混じって、窓を叩く小さな音がした。

 美玖が顔を上げる。

 

「……雨?」

 

 俺も窓の方を見る。

 いつの間にか、外では細い雨が降り始めていた。

 

「……雨か」

 

 誰に言うでもなく、呟いた。

 

 世界はまだ終わっていない。

 終わっていないからこそ。

 次に何が起きるか分からない。

 

 俺はもう一度、本へ視線を戻した。

 

 残された時間は、決して多くない。

 だから。

 今は、知識を得る。

 生き残るために。

 

 そして――。

 まだ帰ってきていない仲間を、待つために。

 

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