学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build― 作:UG-san
スピーカーから流れていた悲鳴は、唐突に途切れた。
耳鳴りのようなノイズだけが残る。
誰も動かなかった。
一秒。
二秒。
三秒。
教室全体が凍り付いていた。
ついさっきまで聞こえていたのは教師の声だった。
避難を呼びかける声。
それが途中で悲鳴になった。
そして消えた。
何が起きたのか。
誰にも分からない。
だからこそ、その沈黙は長く感じられた。
だが実際には数秒だったのだろう。
静寂。
次の瞬間。
教室が爆発した。
「逃げろ!!」
誰かが叫ぶ。
それを合図にしたように全員が動き出した。
机が倒れる。
椅子がぶつかる。
悲鳴。
怒鳴り声。
泣き声。
皆が出口へ殺到していた。
「押すな!」
「どけって!」
「早く!」
パニックだった。
完全な。
俺は席を立ったまま、その様子を見ていた。
体が動かなかったわけじゃない。
むしろ頭は妙に冴えていた。
学園黙示録。
その言葉だけが頭の中を回っている。
思い出した。
確かに思い出した。
だが断片だけだ。
奴ら。
噛まれたら終わり。
世界の崩壊。
そこまでは分かる。
それ以外が出てこない。
どこへ逃げればいいのか。
どうすれば生き残れるのか。
肝心な部分が何も思い出せない。
記憶の本棚から、表紙だけが抜け落ちてきたような感覚だった。
「悠斗!」
肩を掴まれる。
陽向だった。
顔色が悪い。
いつもの明るさは欠片もない。
「どうする!?」
「……落ち着け」
「無理だろ!」
その声が少し裏返る。
無理もない。
俺だって怖い。
怖くないはずがない。
隣には隼人もいた。
緊張している様子だが、冷静さを保っているように見える。
「今飛び出すのは危険だと思う」
短い言葉だった。
だが俺も同意だった。
出口へ向かった生徒たちはほとんど走っている。
押し合いになっている者もいる。
誰も周囲を見ていない。
あれは危険だ。
直感的にそう思った。
教室から人が減っていく。
悲鳴だけを残して。
本当にあっという間だった。
一分もしないうちに半数以上が消えた。
さらに数十秒。
残っているのは十数人だけになる。
皆、似たような顔をしていた。
恐怖。
混乱。
迷い。
飛び出すこともできず、残ることも決めきれない。
そんな表情だった。
教室は急に静かになった。
静かになったというより、近くの喧騒が遠ざかっただけかもしれない。
代わりに別の音が聞こえてくる。
遠くの悲鳴。
誰かの怒鳴り声。
ガラスが割れる音。
校舎のどこかで何かが起きている。
見えない場所で。
聞きたくもないのに耳に入ってくる。
女子生徒の一人がスマホを握っていた。
「……繋がらない」
震える声だった。
「お母さん?」
別の女子が尋ねる。
頷く。
「全然……」
隣の男子もスマホを見ている。
「俺もだ」
「親父出ねぇ」
次々と似たような声が上がる。
回線が混雑しているのか。
もう何か起きているのか。
分からない。
だが家族と連絡が取れないという事実は、皆の不安をさらに大きくした。
「警察来るよな」
誰かが呟く。
その言葉に何人かが反応する。
「来るだろ」
「学校だぞ」
「ニュースになってるって」
「自衛隊とかも来るんじゃないか?」
皆、自分に言い聞かせていた。
大丈夫だと。
助けが来ると。
そう思いたかった。
俺も同じだった。
だが胸の奥では別の感覚がある。
もし本当に学園黙示録なら。
もし本当にあの世界なら。
助けは簡単には来ない。
そんな気がした。
根拠はない。
記憶も曖昧だ。
それでも嫌な予感だけは消えなかった。
俺は教室を見回す。
机。
椅子。
黒板。
ロッカー。
見慣れた景色。
そして気付く。
ここには何もない。
水もない。
食料もない。
夜を越す準備もできない。
助けが一時間後に来る保証もない。
「ここじゃ……持たない。」
自然と口に出ていた。
全員がこちらを見る。
緊張した空気。
だが誰も反論しない。
皆も分かっていた。
ここは避難場所じゃない。
ただの教室だ。
「管理棟の家庭科室」
俺は続ける。
「水がある。調理設備もある」
「今動くのか?」
男子の一人が聞く。
「危なくないか?」
「危ない」
俺は頷く。
危険なのは間違いない。
だが。
「ここにいても危ない」
それもまた事実だった。
数分にも満たない短い議論だった。
皆必死だった。
だから話は早かった。
残る者。
移動する者。
意見は分かれた。
最終的に三人が教室に残ることを選ぶ。
俺は止めなかった。
正解なんて誰にも分からない。
俺たちはただ、自分が正しいと思う方を選ぶしかなかった。
教室を出る。
廊下は静かだった。
ほんの数分前まで大勢の生徒が走っていたとは思えないほどに。
その代わり。
遠くの音がよく聞こえた。
悲鳴。
怒号。
何かが倒れる音。
学校全体が軋みながら壊れていく音だった。
誰も喋らない。
皆、その音を聞いていた。
聞きたくないのに。
耳を塞げないまま。
やがて渡り廊下へ出る。
そこで全員の足が止まった。
学校全体が見えた。
校庭。
中庭。
体育館方向。
寄宿舎方向。
どこも混乱していた。
逃げる生徒。
追われる人影。
閉じられる扉。
助けを求める声。
距離が遠く、細かな様子は見えない。
それでも分かる。
学校はもう終わっている。
そう理解するしかなかった。
さっきまでの日常はどこにもなかった。
誰も言葉を発しない。
ただ歩く。
管理棟へ。
家庭科室へ。
少しでも安全そうな場所へ。
渡り廊下を越え、ようやく管理棟に辿り着く。
中央階段を過ぎた先にある家庭科室。
扉を閉める。
鍵を掛ける。
机を寄せる。
ようやく息を吐けた。
誰かが床に座り込む。
誰かが壁にもたれる。
緊張が少しだけ緩む。
その時だった。
タン、タン、タン――。
軽い足音。
階段を駆け上がっていく。
一人ではない。
二人。
三人。
若い足音だった。
全員が顔を見合わせる。
息を潜める。
だが足音はこちらへ来ない。
さらに上へ。
五階へ。
そして屋上方向へ消えていった。
静寂が戻る。
「……生き残りか?」
誰かが小さく呟く。
「たぶんな」
俺はそう答えた。
それ以上は分からない。
ただ一つだけ確かなことがあった。
俺たち以外にも、生き残った人間がいる。
その事実だけが、この状況で初めて得られた小さな希望だった。
誰も口にはしなかった。
それでも。
全員が少しだけ前を向いた。