学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build― 作:UG-san
異変が起きたのは、昼前だった。
最初は、ただの暴動だと思っていた。
街のあちこちで人が人を襲っている。
警察も動いている。
救急車も走っている。
それなのに、状況は時間が経つほど悪くなっていった。
無線から聞こえてくる報告も、次第に現実味を失っていく。
負傷者多数。
原因不明。
暴徒化。
咬傷。
救急隊員が襲撃された。
そして。
死んだはずの人間が、再び立ち上がっている。
「……本当に、どうなってるんだ。」
車内で、吉岡が呟いた。
「分からん。」
俺は、窓の外を見ながら答える。
我々の乗る車は、古い商店街を走っていた。
隣に座るのは吉岡。
運転席と助手席には、同じく高城家の人間として働いている部下二人が座る。
総帥——高城壮一郎から出された指示は明確だった。
近隣住民の保護。
そして、高城家周辺の防備。
可能な限り生存者を高城邸へ集め、敷地周辺にバリケードを設置する。
それからもう一つ。
地域唯一の銃砲店。
榊銃砲店の店主、榊修造を保護すること。
「民間人の保護って、そんなに重要なんですか?」
部下の疑問に、吉岡が瞑目したまま答える。
「銃砲店の主人だぞ。」
「それはそうですが……」
「なら、分かるだろう。」
「いや、我々のほうが銃は持ってるじゃないですか。」
「持ってる銃の数と、銃を扱える人間の価値は別だ。」
部下は少し黙った。
「……確かにな。」
高城家には銃がある。
それも、一般人が正規の手続きで所有できるような種類だけではない。
高城家が、それらをどこから手に入れたのか。
俺も詳しくは知らない。
だが、正規の手続きを経ていない銃器が混じっていることくらいは知っている。
総帥が、どういう経緯でそれらを手に入れているのか。
あるいは、ウォール街の元トレーダーとしての経歴を持ちながら、総帥の右腕としてその手腕を振るう奥様か。
全ての事情を知っているわけではない。
ただ、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。
街そのものが崩れ始めている。
警察も。
行政も。
交通も。
昨日まで当たり前に機能していたものが、次々に役に立たなくなっている。
そんな世界の中ならば。
銃を扱える人間は、それだけで価値がある。
それが、総帥の判断だった。
「店主って、どんな人なんですか?」
「俺も、直接会ったことはない。」
「そうなんですか?」
「ああ。『銃砲店の店主』であることぐらいしか知らん。」
「なら、向こうも我々のことを知らないのでは?」
「どうかな。」
吉岡の表情が固くなる。
「初対面から銃を貸してくれって言うのは、ちょっと無理がありそうですね。」
「貸してくれ、じゃない。」
「え?」
「保護だ。」
吉岡の言葉に、総帥から受けた指示を思い返す。
――榊修造を連れてこい。
それだけだった。
だが、その言葉の意味は分かっている。
今後、銃と弾薬は重要な物資になる。
そして、それを扱う知識を持つ人間はもっと重要になる。
高城家にいる人間だけで、銃器を維持し続けられるとは限らない。
だからこそ、その道のプロである榊修造の保護。
それが今回の目的だった。
「榊さん、協力してくれますかね。」
「どうかな。」
ルームミラー越しに部下と目が合う。
「我々のこと、あまり良く思ってないかもしれないぞ。」
「どうしてですか?」
「銃だよ。」
吉岡の言葉に、助手席から後部座席へ視線が向かう。
「普通の銃砲店なら、こういう銃を見たら嫌な顔するだろ。」
「……そういうことだ。」
日本で銃を扱う人間にとって、法律は避けて通れない。
銃砲店ならなおさらだ。
どんな銃を扱い、誰に売り、どう管理するか。
それを厳格に守って商売をしている人間からすれば、正規の手続きを経ていない銃で武装している集団など、歓迎できる相手ではないだろう。
「でも、今は状況が違います。」
「それはそうだ。」
吉岡が頷いた。
窓の外を見れば、既に街の様子は昨日までとは完全に変わっていた。
道路には乗り捨てられた車。
歩道には割れたガラス。
商店のシャッターは半開き。
遠くでは、何かが燃えている。
そして。
人間ではないような動きをする人影。
「……いるぞ。」
道路の向こう側。
一人の男が立っている。
いや。
立っているという表現も正しくない。
身体を左右に揺らしながら、こちらへ向かっている。
車が速度を落とした。
「奴らか?」
「たぶんな。」
車を止めるわけにはいかない。
幸い、こちらへ向かってくる数は少ない。
部下はハンドルを切り、奴らを避けて進む。
「……あれが、ニュースで言ってたやつか。」
「ニュースがまだまともに流れてるならな。」
「確かにな。」
榊銃砲店へ近づくにつれて、我々は周囲への警戒を強めた。
目的地は、商店街の外れ。
古くから営業している店らしい。
大きな看板。
ガラス越しに見える銃器関係の用品。
そして、その奥にある工房。
「……降りるぞ。」
店の前に車を停め、降りる。
「周囲を確認しろ。」
「了解。」
それぞれが周囲を確認する。
幸い、近くに奴らはいない。
店の正面には鍵がかかっている。
だが。
「人の気配がある。」
吉岡が言う。
「裏を見よう。」
部下を店前の警戒に残し、建物の脇へ回る。
裏口も閉じている。
だが、完全に施錠されているわけではなかった。
扉を叩く。
「榊さん!」
返事はない。
「高城家の者です!」
それでも返事はない。
俺は耳を澄ました。
中から。
何かを動かす音が聞こえた。
「いる。」
構える。
「もう一度。」
「榊さん!」
今度は、足音がした。
ゆっくりと近づいてくる。
そして。
「……誰だ。」
低い声。
扉の向こうからだった。
「高城家の者です。」
「高城?」
「総帥——高城壮一郎氏から指示を受けてきました。」
少しの沈黙。
「……高城の坊主か。」
その言葉には、歓迎の色がなかった。
扉が開く。
出てきたのは、年配の男だった。
白髪の混じった髪。
細身だが、身体に無駄がない。
眼鏡の奥から、こちらをじっと見る。
「榊修造さんですね。」
「そうだ。」
「総帥から、あなたを保護するように指示を受けています。」
「保護?」
「ええ。」
男の視線が、俺たちの装備へ移る。
腰の銃。
脇に差した日本刀。
そして、俺たちの服装。
「……物騒な格好だな。」
「こういう状況ですので。」
「そうか。」
修造さんは短く答えた。
「それで、俺をあんたらのボスのところへ連れていく、と。」
「はい。」
「断ったら?」
「……その場合は、説得するよう言われています。」
吉岡の言葉に、男の眉が少し動いた。
「説得、ね。」
皮肉のようにも聞こえた。
そのとき、遠くから声が聞こえた。
悲鳴。
続いて、何かが倒れる音。
「……始まったばかりなのに、もうここまで来たか。」
呟く。
「榊さん。」
「高城家では、近隣の住民を保護しています。」
双眸が、こちらを見据える。
「住民を?」
「はい。逃げてきた人間を受け入れています。周囲にバリケードも設置しています。」
「……。」
「総帥は、できるだけ多くの人を助けるつもりです。」
男は黙っていた。
しばらくして。
「そうか。」
店の中を振り返る。
「それなら。」
「協力してやってもいい。」
「ありがとうございます。」
「ただし。」
こちらへ視線を戻す。
「準備がある。ちょっと待ってろ。」
「手短に、お願いします。」
「ああ。」
肩越しに、店内を見る。
いくつかの荷物がまとめられている。
道具類。
衣服と食料。
そして、銃器が入っているらしきケース。
彼自身も、既にここを離れることを考えていたらしい。
「一つ、先に言っておく。」
私と、吉岡の姿を一瞥しながら言う。
「俺は銃を粗末に扱う連中は嫌いだ。」
「……。」
「その辺りは覚えておけ。」
「分かりました。」
「準備する。」
老人は、隣接する住宅の勝手口から中へ入っていった。
恐らくこちらが、彼自身の住む家なのだろう。
俺たちは外で待つことになった。
しばらくして、男がバッグを持って出てくる。
その歩き方には、妙な落ち着きがあった。
街の状況がこれだけ変わっているというのに。
慌ててはいない。
恐怖を感じていないわけではないだろう。
ただ、やるべきことを決めている。
「行こう。」
手分けして荷物を持ち、我々は車へ戻った。
車を走らせて高城家へ向かう道中。
何度か、連中と遭遇する。
男は、そのたびに周囲を観察していた。
道路。
建物。
人影。
何かを確認しているようだった。
だが、何も言わない。
高城邸へ到着すると、既に周辺の道路にはバリケードが張り巡らされていた。
敷地内にはテントが並び、さながら難民キャンプの様相を呈している。
逃げてきた住民。
我々と同じく武器を持った、高城家の人間。
多くの人影が忙しなく動く。
その中心に、一際目つきの鋭い男がいる。
高城家現当主にして憂国一新会の総帥、高城壮一郎その人だ。
声をかけようとした、その時だった。
「あなた。」
少し離れたところから、奥様の声が聞こえた。
足が止まる。
「……学校からの連絡は?」
「ない。」
短い沈黙。
「あの子は……。」
名前を聞かなくとも、それが誰を指す言葉かはわかる。
——沙耶お嬢様。
お二方の一人娘であり、次期当主となるべきお方だ。
「……学校にいる可能性が高い。」
「それなら、救助を……。」
「無理だ。」
総帥の声は普段聞くそれより一段低く感じた。
「今、人を送る余裕はない。」
「でも、あの子が……。」
「百合子。」
声が少しだけ強くなる。
「分かっている。」
「今は、ここにいる人間を守ることが先だ。」
「沙耶よりも?」
夫人の声が、少しだけ震えた。
「……今は、打てる手がない。」
お二人の表情はこちらからは伺えない。
俺は視線を逸らした。
聞いてはいけないものを聞いたような気がした。
お嬢様が学校にいることは、俺も知っている。
だが、この状況では。
——生きていると考えること自体が、難しい。
奥様が踵を返し、歩き去ってゆく。
「お連れしました。」
声をかける。
「来たか。」
総帥の目が、私と、背後にいる榊氏を捉える。
国粋右翼のトップと、地元の銃砲店の店主。
年齢も、立場も違う二人が向き合う。
「ご足労いただき感謝する。」
「……ああ。」
総帥の言葉に、短く答える。
「榊修造。」
「高城壮一郎。」
「知っている。」
「そうですか。」
「高城家の名前くらいはな。」
その言葉に、やはり友好的な雰囲気はない。
総帥も、それを察したのだろう。
「あなたの店については聞いている。」
「そうか。」
「地域唯一の銃砲店。」
「そういうことになっている。」
「これから先、銃器の整備や管理が必要になる。」
「だろうな。」
彼は、周囲を見渡す。
地域住民を誘導する人間。
テントを、物資を運ぶ人間。
そして、彼らが持つ銃器の数々。
「……随分と持っているな。」
「必要だった故。」
「正規の手続きは?」
空気が変わった。
総帥の目が細められる。
「今、それを問題にするか。」
「銃を扱うなら、問題にする。」
その声は低かったが、よく通った。
「俺は長年、法律に従って店をやってきた。」
「承知している。」
「だから、ここの銃がどういった経緯を辿ったものかは想像がつく。」
そこで一旦言葉を切る。
「粗末に扱うな。」
総帥が、少しだけ口元を上げた。
「それは約束しよう。」
「ならいい。」
鼻を鳴らしながら答える。
「それと。」
総帥が続ける。
「この先、我々は周辺住民の保護を続ける。」
「聞いている。」
「そのためにも、あなたの知識を借りたい。」
少しの沈黙の後。
「分かった。」
たった一言。
だが、この状況で、その一言は大きな意味を持つ。
「銃を見てやる。」
「順に持ってくるといい。」
持ってきたケースの一つを地面へ置く。
蓋を開けると、中には整備道具が並んでいた。
「ここでは邪魔も入ろう。」
「誰か。」
「は。」
「ガレージにご案内しろ。」
「承知しました。こちらへ。」
部下の一人とともに、男は背を向けて遠ざかっていく。
これから何が起きるのか。
まだ誰にも分からない。
だが。
銃を扱うことに長けた人間が一人増えた。
この事実は揺るがない。
きっとそれは。
我々がこの世界を生き抜くための力になる。
そんな確信めいた何かを感じる。
「土井、行くぞ。」
総帥の声に振り返る。
「御意。」
再び、時は進み出す。
私は、総帥とともに新たな生存者の保護に向かう。
この、壊れた世界を、生き抜くために。