学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build― 作:UG-san
ガレージの中には、金属と油の匂いが染みついていた。
車両を整備するための工具。
交換用の部品。
棚に並べられた油脂類。
壁際には、何台もの車両を維持するために必要な道具が所狭しと並んでいる。
ここは、俺の居場所だ。
車を直す。
発電機を調べる。
壊れた機械を分解して、使える部品を探す。
そういう仕事なら、慣れている。
「こちらです。」
背後から声がして、振り返る。
同僚に案内されながら、年配の男が姿を見せた。
「松戸さんです。」
俺を紹介する。
「高城家の車両や機械類を見てもらっています」
「そうか。」
男は、ガレージの中を見回した。
工具。 車両。 作業台。 そして、その脇に置かれている銃器。
その視線が、銃に止まる。
「……あんたが整備しているのか?」
「基本的には。」
「銃も?」
「ええ。必要に迫られてですが。」
男は、整備を終えた銃の一つを手に取った。
「こちらの方は?」
「榊銃砲店の店主さんです。」
同僚に問うと、その答えに合点がいく。
床主市で唯一の銃砲店。この老人が店主だという。
男は、整備を終えた銃を隅々まで見ている。
迷いのないその手つきからも、その道の熟練者であることが見て取れた。
「……悪くない。」
「本当ですか?」
「……素人にしては、上出来だ。」
「……素人扱いですか。」
「本職から見れば……な。」
「それは……」
俺は銃器の専門家ではない。
整備士上がりのメカニックだ。
銃の整備は必要だから覚えただけだ。
総帥が率いる右翼団体、憂国一新会には銃器を始めとした武器がある。
その中には日本の銃規制に照らせば、正規には所持できないようなものもある。
日本の銃規制に則れば違法と判断されるようなものも。
もちろん、普段から使うためのものではない。有事に備えたものだ。
だが、整備を怠るわけには行かない。
それを維持する必要があった。
だから、自分なりに勉強してきた。
——それでも、本職には及ばないということか。
男は銃を作業台へ置いた。
気づけば、こちらに手を差し出している。
「榊修造だ。」
「松戸です。」
「銃は俺が見よう。」
「お願いします。」
少し、肩の荷が下りた気がした。
「俺は車を見ます。」
「車?」
「この先、動く車がどれだけ残るか分かりませんから。」
男——修造さんがガレージを見回した。
「……機械屋か」
「そんなところです。」
「なら、そっちは任せる。」
「ええ。」
交わす言葉は短い。
だが、同じ技術者同士、必要なことは伝わっている。
そのやり取りが、心地よかった。
修造さんが作業台へ向かった、ちょうどそのときだった。
「失礼します!」
ガレージの入口から声がする。
男が一人、銃を持って入ってくる。
「整備をお願いできますか?」
「そこへ置け。」
修造さんは顔を上げずに言った。
男が銃を作業台へ置く。
修造さんは、それを一瞥した。
「……使った後の手入れが雑だな。」
「すみません。」
「謝る必要はない。次から気をつけろ。」
「はい。」
「手順は見て覚えろ。」
淡々としている。
言葉は少ないが、怒っているようには見えない。
必要なことを、必要なだけ伝えている。
俺は車両のボンネットを開けながら、その様子を横目で見る。
修造さんの手が動く。
手早く銃を分解し、内部を清掃する。
動作は速い。だが、決して雑な作業ではない。
余計な動作がない。
何をすればよいのか、全て最初から頭に入っているのだろう。
流れるように整備が進み、銃が磨き上げられていくようだった。
「……すごいな。」
思わず呟く。
「何がですか?」
隣で作業していた部下が聞く。
「いや……」
俺は修造さんを見る。
「本職って、ああいうものなのかと思ってな」
「そんなに違います?」
「全然違う。」
俺が銃を整備するときは、どうしても一つ一つ確認する。
間違えないように。
壊さないように。
だが、彼は違う。
確認している。
それなのに、確認しているように見えない。
長年の経験が、動作そのものに染み込んでいる。
「終わりだ。」
修造さんが言った。
持ち込まれた銃が一つ、整然と作業台の上へ戻される。
「次を呼んでこい。」
「はい!」
別の部下が銃を持ってくる。
また修造さんの手が動く。
それを見ながら、俺はふと思った。
「……どうして、銃砲店を?」
修造さんの手は止まらない。
「昔からだ。」
「昔から?」
「ああ。」
修造さんは少しだけ遠くを見るような目をした。
「銃が好きだったわけじゃない。」
「じゃあ?」
「必要だった」
短い答えだった。
「必要だから覚えた。覚えたから、それを仕事にした。それだけだ。」
「……なるほど」
その感覚は、少し分かる。
俺も、元から機械が好きだったわけではない。
生活に必要だったから覚えた。
求められて、答えることに喜びを感じた。
結果として、今はただの車好きのオッサンになっている。それだけのことだ。
修造さんの手つきからは、銃を大切なものとして扱う丁寧さも伝わってくる。
きっと、彼も俺と同じなのだろう。
「あんたはどうなんだ。」
「俺ですか?」
「なぜこんなところにいる。」
自身の父親に近い年であろう、老人相手だったからだろうか。
——不思議と、言ってみても良いのではと思えた。
若い部下が近くにいれば正直には答えなかっただろう。
だが今、周囲には修造さんと自分以外には誰もいなかった。
「奥方様……百合子さんです。」
「ほう。」
修造さんが初めて手を止めて、こちらを見る。
「一目惚れでした。」
「そうか。」
意外なことに、ここに来て初めて、その口元が僅かに緩んだ。
「それで?」
「それで、気がついたらここにいました。」
「単純だな。」
「自分でもそう思います。」
苦笑する。
「でも、今となっては後悔してません。」
「そうか。」
修造さんはそれ以上聞かなかった。
ただ、視線を戻し、作業を再開する。
「なら、いいんじゃないか。」
「ありがとうございます。」
それぞれが、やるべきことを続ける時間が過ぎていく。
「失礼します!」
別の部下が入ってくる。
「受け取りに参りました。」
「そこにおいてある。持っていけ。」
「はい。」
机の上から拳銃を取り、ホルスターに差し込む。
修造さんは、それを確認する。
「……おい。」
「はい?」
「安全装置を忘れるな。」
「え?」
「銃を持ち歩くなら、それくらい確認しろ。」
修造さんは銃から目を離さない。
「足に風穴を開けたくなければな」
「……以後、気をつけます」
「そうしろ。」
この人は、銃を道具としてしか見ていないわけではない。
道具だからこそ、扱いを間違えれば人を傷つける。
それを、長い時間をかけて身体に叩き込んできた人間なのだ。
ガレージには、再び機械音が響き始めた。
俺は車両の整備へ戻る。
修造さんは銃の整備を続ける。
それぞれが、自分の仕事をする。
不思議な組み合わせだった。
けれど。
悪くない。
そう思えた。
――それから、しばらく経った。
世界がさらに壊れていく中で。
俺は、何度も修造さんの仕事を見ることになる。
そして、そのたびに思う。
あの人は。
ただの銃砲店の店主ではなかったのだと。
***
終わってしまった世界の様相が一変したのは、翌日の午後だった。
突然、すべてが止まった。
車。
通信機器。
電気。
それまで動いていた機械が、一斉に沈黙する。
ガレージの中を照らしていた照明も暗くなり、予備電源が動き出した様子もない。
その現象が何を意味するか、すぐに答えを出せた人間は、ほとんどいなかっただろう。
「車が動かない!」
「無線も駄目です!」
「発電機は!?」
「確認します!」
ガレージの中にも怒号が飛び交う。
俺は整備中の車両の状態を確認する。
——バッテリー……いや、これは。
以前、何かの書籍で目にしたことがある。
EMP。
——駄目だ。
今すぐ直せるような故障ではない。
技術があっても、必要なものがなければ、動かないものは動かない。
かつてないほど頭が回転するのを感じた。
今、自分にできることはなにか。
——やるべきことは、何か。
思考を巡らせ、一つの答えにたどり着く。
「警備班集合!死人どもを中に入れるな!」
よく通る総帥の声が耳へ届いた。
その声を聞きながらも、手を動かすことはやめない。
外から、銃声が聞こえた。
続いて、誰かの悲鳴。
「……逃げ……ださい!」
聞き覚えのある、誰かの叫ぶ声。
そして、何か大きな物が倒れた音。
「連中が入ってきたぞ!」
誰かが叫んだ。
その声を合図に、敷地内がより一層騒がしくなった。
正門の方向へと。
ガレージ前を、武器を持った仲間が横切っていく。
「持っていきます!」
修造さんが銃を整備していた辺りから声が響く。
整備済みの銃を持って、仲間が集まっていく。
「これより、敵中を突破し隣家へ向かう!」
作業が終わろうかという頃、再び総帥の声が耳へ届いた。
正門は突破され戦闘中だが、隣家は無事なようでそちらへ避難するらしい。
銃の数は限られている。
構成員全員に行き渡る数はなく、各々が持つ武器の種類はまちまちだ。
総帥の周りには銃や刀を持った男たちが居並ぶ。
奥様もその隣に佇む。
俺は愛用のレンチを握りしめる。
整備で触る割に、ろくに撃ったことのない俺に貸し与えられる銃はない。
手に馴染むこいつが相棒だ。
「ゆくぞ!」
自ら先陣を切る総帥の掛け声とともに、生き残った者が一団となって前進する。
生き残るため、守るため、各々が持つ武器を振るう。
得物を死人の脳天に振り下ろしたところで、すぐ横をATV——全地形型車両が駆け抜けていく。
聞き覚えのあるエンジン音が遠ざかっていった。
「あの子たちは?」
誰かが聞いた。
「もう出た!」
「無事に送り出せたのか?」
「ああ!」
その報告を聞いて、俺は一瞬だけ息を吐いた。
少なくとも、あの子たちはここから逃げられた。
ーー役割を、果たすことができた。
ここからやること。
それは、自分たちも生き残ること。
「隣家へ移動する!」
正門から隣家へ。
距離はそれほどない。
だが、その間の道には連中がひしめいている。
徒歩で、戦えないものを守りながら進むのは容易ではない。
「押し返せ!」
「数が多すぎる!」
「気をつけろ!」
怒号。
銃声。
悲鳴。
次々と奴らが迫ってくる。
撃っても。
斬っても。
殴っても。
その数が減っているように見えない。
総帥が刀を振るい、複数をまとめて薙ぎ払う。
刀を振るう合間に迫る奴らの脳天に、奥様がサブマシンガンで鉛玉を叩き込む。
そうして稼いだ距離も、数秒もすればまた新たな連中に飲み込まれていく。
「くそっ!」
近くまで迫った奴の脳天をかち割ったところで思わず悪態をついてしまう。
戦える者だけなら——そう思ってしまった自分の性根に反吐が出そうだ。
そのとき。
後方から、声が聞こえた。
「……遅くなったな。」
総帥とは違う、大きくはないが、不思議とよく通る声。
——修造さんだ。
その手には、水平二連の散弾銃が握られている。
背中には別の銃だろうか、細長い何かが入った袋を背負っている。
「状況は。」
「隣家に向かっていますが、連中の数が多くて思ったように進めていません。」
その目が細められ、隣家の方角を確認する。
銃を整備していたときとはまた違う、鋭く研ぎ澄まされた眼。
一瞬、言葉を失った。
ガレージで銃を整備していたときの姿とは違う。
修造さんの顔が違って見えた。
「松戸。」
「はい!」
「道を開くぞ。」
「……分かりました!」
修造さんが前へ出る。
奴らが迫ってくる。
その瞬間、銃声が響いた。
構えた銃から散弾が二発。
ほぼ間を置かず二発が放たれ、前方の視界が一瞬開ける。
ーー今の二発で、一体何人を倒した?
俺は、慌てて前へ出ようとする。
修造さんの銃の装填数は二発。
二発撃つごとにリロードが必要だ。
その隙を埋めようと一歩踏み出したときだった。
「え?」
続けて、さらに二連射。
最初の二発で空いた隙間が埋まる前に、さらに空間が前に広がっていく。
自分が一歩踏み出した事により、身体越しだが修造さんの手元が見えた。
そして、俺は次の瞬間を見た。
修造さんが銃を開く。
水平二連の特徴である中折れ式により、ヒンジを中心に銃身が回転する。
同時に、空のショットシェルが薬室から跳ね上がった。
銃を支えていない手には、既に次のショットシェルが二つ、握られている。
寸分違わず薬室に真っ直ぐに挿入した直後、手首の動きだけで銃身がもとに戻る。
そして、再び構える。
置き去りにされた空のショットシェルが、ようやく地面へ落ちる。
——一連の動作が、あまりにも早い。
「……なんだ、あれは。」
誰かのつぶやきが風に乗って届いてくる。
無駄に動かない。
必要な場所へ身体を運び。
最小限の動きで銃を使う。
俺はこの一日、職人としての修造さんしか見たことがなかった。
銃を分解する。
状態を見る。
不具合を見つけ、修理する。
それが俺の知っている修造さんだった。
だが、違う。
この人は、撃つ側の人間でもある。
長い年月。
どれほどの時間を銃と向き合ってきたのか。
その答えが今、目の前にある。
「下がるな!」
総帥の声が飛ぶ。
また銃声。
前方の奴らが倒れる。
「今だ!」
人の流れが動き始める。
正門から隣家へ。
その先頭を進むのは、まさに——老兵。
切り開かれた道は、後続の我々が広げ、支える。
そうしてできた空間に非戦闘員が集まり、一歩、また一歩と進んでいく。
奴らが近づく。
修造さんは一歩も退かない。
また連続する銃声。
そして。
再び、素早い装填。
俺はその姿を見ながら、妙な感覚に襲われていた。
修造さんにとっては。
これは、戦闘ではない。
長年積み重ねてきた技術を、そのまま使っているだけなのだ。
機械を扱うときの俺と同じように。
銃を扱うことが、身体に染みついている。
ガレージで、俺の整備した銃を見て、『素人にしては、上出来だ』と言った老人。
安全装置をかけ忘れた部下を叱った老人。
奥様に一目惚れした俺の話を聞いて、ただ笑った老人。
その人が今。
誰よりも冷静に、誰よりも正確に、銃を扱い、
俺たちの前に道を作っている。
俺たちは進む。
奴らの群れの中を。
隣家へ続く道を。
生き残るために。
その道の先には、戦いが待っているだろう。
俺は、愛用のレンチを握り直す。
銃声が、再び響いた。
その音を聞きながら。
一団は、奴らの中をかき分けながら進んでいった。