学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build― 作:UG-san
雨は、まだ降り続いていた。
日が落ちるにつれて、その音は少しずつ大きくなっていった。
降り始めた細い雨は、夕方になる頃には窓ガラスを絶え間なく叩くようになっている。
外の景色は、もうほとんど見えなかった。
家の中も暗い。
電気は相変わらず戻っていない。
部屋の中心には一本のろうそくが置かれている。
発電機を使えば十分な明かりを確保することはできるのかもしれないが、今は使わないことにした。
この家に人がいると、外から知られる必要はない。
カーテンを閉め、窓際から光が漏れないようにする。
それだけで、家は昼間までとは別の場所になった。
誰かが少し動くだけで、床が小さく軋む。
雨音が、それをすぐに飲み込んでいく。
「……暗いな」
田丸さんが、窓の方を見ながら呟いた。
「そりゃ夜だからね」
翼が答える。
「いや、そういう意味じゃねえよ」
田丸さんは苦笑した。
「電気がないってだけで、こんなに違うんだなって」
外が暗くなれば、部屋の明かりを点ければいい。
テレビをつければ、外の情報も入ってきた。
スマートフォンを見れば、誰かと連絡を取ることもできた。
——その全部が、今はない。
暗闇そのものよりも。
暗闇の中で、何も分からないことの方が怖かった。
「海人、大丈夫?」
ソファの方から聞こえる声。
「……大丈夫。」
海人が答える。
昼間撃たれた傷。
弾はまだ体の中に残っている。
今のところ出血は止まっているし、意識もはっきりしている。
ただ、痛みが消えたわけではない。
「痛いなら言ってくれ」
「言っても痛いのは変わらないだろ」
「それでもだ」
「……分かった」
海人が小さく息をつく。
俺はその横に腰を下ろした。
雨の音だけが続いている。
「……なあ。」
「ん?」
「昼のこと」
その言葉だけで、何のことを言いたいのかは分かった。
「……ああ」
「気にしてんのか?」
すぐには答えられなかった。
窓の外を見る。
暗い。
薄ぼんやりと建物のシルエットが見えるだけだ。
雨の音しか聞こえない。
「……してる。」
正直に答えた。
「そうか。」
「仕方なかったとは思ってる。」
「ああ。」
「でも、それと気にしないっていうのは別だ。」
海人から、返事はない。
「人を撃ったことはなかった。」
当たり前のことなのに、それを言葉にすると、改めてその事実が重く感じられた。
競技では何度も引き金を引いてきた。
何百発。
何千発。
同じ動作を繰り返してきた。
姿勢を整える。
呼吸を落とす。
照準を合わせる。
引き金を絞る。
その繰り返しだった。
標的は動かない。
撃たれても何も言わない。
倒れることもない。
血も流さない。
——だが、昼間は違った。
あの男は、俺たちを殺そうとしていた。
海人を撃った。
その銃口が、もう一度こちらに向いていた。
だから俺は撃った。
それだけだ。
それだけのはずなのに。
「……あのとき」
海人が口を開いた。
「撃ってくれて、よかったと思ってる」
目線を上げると、こちらを見る海人と目線が交わる。
「俺も、あのままだったらたぶん死んでた」
「……」
「だから、ありがとな」
「礼を言われるようなことじゃない」
「でも、俺は言いたい」
海人は少しだけ笑った。
「……そっか」
割り切れるわけじゃない。
忘れられるわけでもない。
今は、それでいい。
そう思うことにした。
立ち上がると、田丸さんが少し離れた場所でスマートフォンを眺めていた。
画面は暗い。
何度操作しても、それは反応していなかった。
「……家族?」
俺が聞くと、顔を上げる。
「まあな」
いつもの調子なら、ここで冗談の一つでも言う人なのだろう。
けれど、今は違った。
「連絡、つかねえけどな。」
「……そうですね」
「奴らが出現してから、電話も、メールも送れない。今じゃ電源すらつかない。」
手に持ったスマートフォンを伏せる。
「俺さ」
「家族に何も言わずに出てきたんだよ」
その声は、いつもの昼間のそれよりずっと小さかった。
「こんなことになるなんて、思わねえじゃん」
「……ああ」
「いつも通り、帰るつもりだったんだよな」
彼は笑った。
けれど、その笑いには力がなかった。
「だから……まだ生きてるのかなって」
生きているとも。
死んでいるとも。
今の俺たちには分からない。
「……たぶん、生きてる」
再び言葉を紡ぐ。
「俺が生きてんだからな」
「俺より先に死ぬような連中じゃねえし」
無理に笑っているのが分かる。
それでも、自分に言い聞かせるように繰り返している。
「そういやさ」
「モールにいた高校生たちが、言ってたんだよ」
「何を?」
「EMP……とかなんとか」
「……EMP?」
「電磁パルスってやつらしい」
肩をすくめる。
「俺にはよく分かんねえけどな。連中はそう言ってた」
「電磁パルス……」
俺はその言葉を繰り返した。
電気が消えた。
車が動かなくなった。
通信も途絶えた。
それまで別々に起きていた出来事が、一つの言葉で繋がったような気がした。
「……それなら、車が動かなくなった理由も説明できるかもしれない。」
「だろ?」
得意げに頷く。
「もし本当にそうなら……」
そこで言葉が止まる。
「いや」
田丸さんは首を振った。
「考えても仕方ねえか」
そう言って、いつものように笑う。
「明日になったら、何か分かるかもしれねえしな」
その言葉も、自分自身に言い聞かせているように聞こえた。
外は暗い。
雨が降っている。
窓の向こうには、何も見えない。
翼は窓際に立っていた。
カーテンの隙間から外を覗いているわけではない。
光が漏れないように閉じたまま、時々窓の近くへ行って耳を澄ませている。
「翼」
俺が声をかける。
「ん?」
「そろそろ休まないか?」
「もう少し見てる」
「外、何も見えないぞ」
「分かってる」
翼は窓から離れなかった。
「だから、音だけ」
「……そうか」
こういう状況では、全員が完全に眠ることは難しい。
見張りというほどではない。
ただ、眠れない人間が自然と周囲を気にする。
自然と、そういう状況になっていた。
雨が屋根を叩く。
一定の音。
その音に慣れてしまえば、逆に小さな物音の方が目立つ。
海人はソファの上で目を閉じている。
陽菜はその近くで様子を見ている。
田丸さんもいつの間にか壁にもたれて、船を漕ぎ始めていた。
美玖は静かに蝋燭の光を見つめている。
俺も少し休もうとした。
そのときだった。
翼が顔を上げた。
「……」
耳を澄ませ、何かを聞いている。
「どうした?」
近寄って、小声で尋ねる。
翼はすぐには答えなかった。
耳を澄ませる。
雨音。
それしか聞こえない。
「……今、音がした」
「音?」
「うん」
翼は窓の方を見た。
「エンジン音だと思う」
もう一度、外から聞こえる音に意識を向ける。
雨。
風。
屋根を叩く水滴。
それ以外は何も聞こえない。
「……何も聞こえないけど」
「俺には聞こえた」
翼はそう答えた。
「たぶん……車?」
「どっちから?」
「分からない。……一瞬だった」
カーテンは開けない。
外へ出ることも考えなかった。
だが、もし本当に車なら。
この状況で、車を動かしている誰かがいる。
それが誰なのか。
味方なのか。
敵なのか。
分からない。
今、外へ出て確かめる理由はない。
「……夜の間は出ない方が良い」
翼も頷いた。
「俺もそう思う」
再び雨音だけが家の中を満たしていく。
さっきまでと同じ音。
同じ夜。
同じ暗闇。
けれど。
先ほどとは少しだけ違って聞こえた。
電気が消えた理由。
車が動かなくなった理由。
EMPという、まだ確かめられていない事実。
そして。
その暗闇の向こうから聞こえた、短いエンジン音。
世界がどうなったのか。
俺たちは、まだ何も知らない。
ただ一つ分かっているのは。
明日になれば、また何かを選ばなければならないということだけだった。
俺は窓の方を見た。
もちろん、何も見えない。
雨だけが降っている。
その向こうに何がいるのかは分からない。
それでも。
今夜は、ここにいる。
明かりを消した家の中で。
仲間の存在を感じながら。
俺達は、夜が過ぎるのを、静かに待っていた。