学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build― 作:UG-san
雨の音がしていた。
屋根を叩く音が、一定の間隔で続いている。
外はもう暗い。
窓の向こうに街の姿はほとんど見えなかった。明かりもない。車の音もしない。ただ、雨だけが聞こえている。
「……雨か」
俺は壁にもたれたまま、そう呟いた。
隣には、誰もいない。
「……海人」
返事はない。
「陽菜ちゃん」
やっぱり、ない。
「翼も……いないよな」
当たり前だった。
俺は一人だった。
「……まあ、少し前までは一緒だったんだけどな」
そう言って、自分で笑う。
笑ったところで、誰も突っ込んでくれない。
「……つまんねえな」
雨音だけが返ってきた。
槍に手を伸ばした。
見慣れた柄。
学校で悠斗が作ってくれたものだ。
「……これ、まだ持ってるんだよな」
当たり前のことを口にする。
それでも、そうしないと落ち着かなかった。
少しだけ目を閉じる。
——一日と少し前。
俺たちは、まだ四人だった。
*
百貨店を出たのは、昼を少し回った頃だった。
突然電気が消え、地下から溢れ出した奴らから逃げ、街を歩く。
「こっちでいいんだよな?」
海人が確認する。
「たぶん」
「たぶんかよ」
「いや、だって俺、地図担当じゃないし」
「じゃあ誰だよ」
「……海人?」
「なんで俺なんだよ」
陽菜ちゃんが小さく笑う。
「二人って、そういうところ似てるよね」
「似てないだろ」
「似てねえよ」
声が重なった。
俺たちは顔を見合わせる。
「……ほら」
「どこがだよ」
そんなやり取りをしながら歩いていた。
少しでも前に進む。
それしかなかった。
目指している場所は分かっている。
悠斗の祖父さんの店。
悠斗と美玖ちゃん。
隼人と莉乃ちゃん。
みんな、そこを目指している。
そこに行けば、再び会えるはずだ。
食べ物もある。
水もある。
銃もあるらしい。
何より、知っている人間がいる。
「早く着きたいな」
陽菜が言った。
「だな」
俺も答えた。
そのときは、まだ。
俺たちは、普通に話せていた。
*
最初の奴らは、三体だった。
角を曲がった先にいた。
「……いる」
海人がバットを握り直した。
翼も槍を構える。
陽菜ちゃんが後ろを見る。
「戻る?」
「いや」
俺は周囲を見た。
「右、いける」
「分かった」
誰も余計なことは言わなかった。
戦えば音が出る。
音が出れば、集まってくる。
これまでの経験で、それは分かっている。
だから俺たちは、なるべく戦わなかった。
路地に入り、息を潜める。
足音が遠ざかるのを待つ。
また歩く。
その繰り返しだ。
「……なんか、鬼ごっこみたいだな」
「笑えないよ」
「分かってるって」
笑えない。
そんなことは分かっている。
でも、黙っていたら余計に怖くなる。
だから喋る。
「……ほら、次は左」
「本当に?」
「たぶん」
「またたぶん?」
「きっと」
「同じだよ、それ。」
翼が吹き出した。
その声を聞いて、少しだけ安心した。
まだ大丈夫。
まだ四人いる。
そう思った。
*
けれど、奴らは少しずつ増えていった。
避けられない一体を倒せば、その音を聞いた別の奴らが来る。
逃げれば、その先にもいる。
隠れてやり過ごしたと思ったら、別の方向から足音が聞こえる。
「……なんか、増えてない?」
陽菜ちゃんが呟く。
「多いな」
海人が答える。
「これ、まともに戦ったらまずいぞ」
「だから戦わない」
俺は答えた。
言いながら、自分にも言い聞かせていた。
「……静かに行こう」
四人で建物の陰を抜ける。
その先に、線路があった。
まだ、向こう側には渡れていない。
あちらへ行くには、別の道を探さなければならない。
だが、その前に。
——ガシャン。
金属音が響いた。
「……っ」
全員が止まった。
視線の先で、倒れた標識が地面を擦っていた。
誰かが触れたわけではない。
車がぶつかり、かろうじて立っていた標識が風で倒れたのだろう。
「……やべ」
思わず呟く。
足音が聞こえた。
一つ。
二つ。
それだけじゃない。
周囲のあちこちから、音がする。
「来るぞ」
海人が言う。
「走る?」
「どっちへ?」
周囲を見た。
——逃げ道がない。
さっきまでなら、四人で少しずつ下がることもできた。
でも今は違う。
前にもいる。
後ろにもいる。
横からも近づいてくる。
「……まずいな」
誰も答えなかった。
答える余裕がなかった。
一体が、すぐ近くの曲がり角から現れる。
海人がバットを振る。
倒れる。
だが、その音でまた別の奴らが近づいてくる。
「海人!」
「分かってる!」
翼が槍を突き出す。
陽菜が後ろを確認する。
「増えてる!」
「分かってる!」
俺も槍を握り直した。
——このままじゃ、全員飲み込まれる。
分かっていた。
でも、どうする。
どうすればいい。
考える。
考える。
——駄目だ。
考えている間にも、奴らは近づいてくる。
「……だったら」
口から言葉が出た。
「俺が引き付ける」
「陽向?」
「俺が走る。そしたら、何体かこっちに来るだろ」
「待て!」
海人が叫んだ。
「それじゃお前が——」
「大丈夫だって」
自分でも驚くくらい、普通に言えた。
「俺、足には自信あるし」
「そういう問題じゃない!」
「分かってる」
分かっていた。
怖い。
ものすごく怖い。
でも、他に方法が思いつかない。
「……先に行け」
俺は槍を握り直した。
「後で追いつくから」
陽菜ちゃんが何か言おうとした。
翼も止めようとした。
——でも、もう決めた。
「行け!」
俺は叫んだ。
そして、線路とは反対方向へ走る。
「こっちだ!」
槍の柄を近くの金属柵に叩きつける。
ガンッ、と音が鳴る。
「ほら! こっち!」
奴らが振り向いた。
一体。
二体。
もっと来る。
「よし!」
俺は走った。
怖い。
足が重い。
でも止まれない。
「来いよ!」
もう一度、柵を叩いた。
奴らが追ってくる。
その隙に、背後から別の足音が遠ざかっていく。
海人たちだ。
行った。
それを確認して、俺も走った。
*
しばらくして。
ようやく奴らの数が減った。
「……はあっ……はあ……」
俺は建物の陰に飛び込んだ。
槍を握ったまま、膝に手をつく。
「……行った、よな」
振り返る。
誰もいない。
「海人?」
返事はない。
「陽菜ちゃん?」
ない。
「翼?」
もちろん、ない。
「……まあ、そうだよな」
俺は息を整えた。
「先に行けって言ったんだから」
自分で言って、自分で納得する。
「あとで追いつけばいい」
そうだ。
そのつもりだった。
少し休んだら戻る。
合流して、一緒に悠斗の祖父さんの店へ行く。
それだけだ。
そう思っていた。
でも。
物陰から顔を出してみる。
遠くの通りには、まだ奴らがいる。
さっきの場所まで戻るのは難しい。
「……戻ったら、また集まってくるよな」
槍を見る。
「それに、海人たちがどっちに行ったか分かんないし」
言葉にしてから、気づいた。
「……あれ?」
俺は周囲を見た。
「俺、道……分かってる?」
沈黙。
「……いや、分かってるだろ」
駅がある。
大きな通りがある。
その先に商店街がある。
祖父さんの店は、その先。
大まかな方向は分かる。
でも。
「……曲がり角とか、全然覚えてないな」
今までは誰かが見てくれていた。
誰かが先を確認していた。
誰かが「こっちだ」と言っていた。
俺は、それについて行っていた。
「……そっか」
妙に納得した。
「俺、結構頼ってたんだな」
言葉にしてみると、思ったよりも実感があった。
寂しい。
怖い。
そして、少しだけ情けない。
「……まあ、今さらだよな」
俺は立ち上がった。
「とりあえず、祖父さんの店を目指す」
そこなら、悠斗たちがいる。
海人たちも、そこへ向かっているはずだ。
「だから、合流すればいい」
そう言って、歩き出した。
*
それからは、なるべく戦わなかった。
道の先に奴らがいれば、隠れる。
多ければ戻る。
少なければ、音を立てずに抜ける。
どうしても邪魔なら、槍を使う。
「……これ、結構使えるな」
槍を構え、近づいてきた一体の頭を突く。
先端に固定した包丁は全くブレない。
奴らが倒れる。
「悠斗、ちゃんと考えて作ってたんだな」
もちろん返事はない。
「『丁寧に使え』とか言われそうだけど」
俺は槍を握り直した。
「……大事にするよ」
その言葉だけは、誰に聞かせるでもなく小さかった。
歩く。
隠れる。
待つ。
また歩く。
何度も同じことを繰り返す。
最初の頃より、奴らの動きが分かるようになっていた。
どんな動きをしているか。
どこまで近づけば気づくか。
どのくらいの距離なら、走らずに抜けられるか。
そんなことを、頭で考えているというより、身体が覚えていった。
「……慣れてきたな」
言った直後、自分で嫌になった。
「……いや、慣れたくないけど」
それでも、足は止まらなかった。
*
夕方が近づいていた。
「……もうこんな時間か」
空を見上げる。
街は相変わらず静かだった。
人の声は聞こえない。
車も走っていない。
信号も灯っていない。
たまに、奴らのうめき声が聞こえる。
「今日は……もう無理だな」
暗くなってから動くのは危険だ。
周囲を見回すと、小さな薬局が目についた。
窓も割れていない。
入口のガラス戸は閉まっていた。
横に引くと、扉は滑らかに動いた。
「……ここでいいか」
中を確認する。
待合室。
カウンター。
控室のような小さな部屋。
奥には調剤室。
通路の奥に、一体が倒れていた。
「……奴ら?」
近づいて確認する。
頭部が潰されている。
「誰か、いたのか……」
周囲を見回す。
それ以上、動くものはない。
「……まあ、いいか。」
入口に戻って、扉に手をかけた。
「ドア……ちゃんと閉まるな」
実際に閉めてみる。
「窓……割れてない」
カーテンを引く。
「よし」
それだけ確認して、俺は壁際に座った。
槍を手の届くところに置く。
「明日になったら、店に行く」
声に出す。
「悠斗たち、待ってるだろうし」
少し考える。
「海人たちも、たぶん先に着いてる」
そうだ。
そうに決まっている。
「……だから、今日はここで休もう。」
リュックを下ろし、隣に置く。
膝を抱え、目を閉じる。
けれど、落ち着かない。
今までなら、誰かが隣にいた。
仲間の声。
息遣い。
そんなものが、何もない。
「……一人って、静かだな」
独り言が漏れる。
返事はない。
「……まあ、明日には合流するし」
もう一度、自分に言い聞かせる。
そのときだった。
——カタン。
「……?」
目を開ける。
音がした。
「……今の、何だ?」
身体を起こす。
槍を手に取る。
息を殺して耳を澄ます。
しばらく何も聞こえない。
「……気のせいか?」
そう呟いた瞬間。
——ガタッ。
今度は、はっきり聞こえた。
「……誰か、いるのか?」
返事はなかった。
俺は槍を握り直した。
通路の向こうを見つめる。
誰もいないはずの建物の中で。
俺は初めて、本当の意味で一人になった気がした。