学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD ―Re:Build―   作:UG-san

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Ep.27 別れ

 雨の音がしていた。

 屋根を叩く音が、一定の間隔で続いている。

 

 外はもう暗い。

 窓の向こうに街の姿はほとんど見えなかった。明かりもない。車の音もしない。ただ、雨だけが聞こえている。

 

「……雨か」

 

 俺は壁にもたれたまま、そう呟いた。

 隣には、誰もいない。

 

「……海人」

 

 返事はない。

 

「陽菜ちゃん」

 

 やっぱり、ない。

 

「翼も……いないよな」

 

 当たり前だった。

 俺は一人だった。

 

「……まあ、少し前までは一緒だったんだけどな」

 

 そう言って、自分で笑う。

 笑ったところで、誰も突っ込んでくれない。

 

「……つまんねえな」

 

 雨音だけが返ってきた。

 

 槍に手を伸ばした。

 見慣れた柄。

 学校で悠斗が作ってくれたものだ。

 

「……これ、まだ持ってるんだよな」

 

 当たり前のことを口にする。

 それでも、そうしないと落ち着かなかった。

 少しだけ目を閉じる。

 

 ——一日と少し前。

 俺たちは、まだ四人だった。

 

     *

 

 百貨店を出たのは、昼を少し回った頃だった。

 突然電気が消え、地下から溢れ出した奴らから逃げ、街を歩く。

 

「こっちでいいんだよな?」

 

 海人が確認する。

 

「たぶん」

 

「たぶんかよ」

 

「いや、だって俺、地図担当じゃないし」

 

「じゃあ誰だよ」

 

「……海人?」

 

「なんで俺なんだよ」

 

 陽菜ちゃんが小さく笑う。

 

「二人って、そういうところ似てるよね」

 

「似てないだろ」

「似てねえよ」

 

 声が重なった。

 俺たちは顔を見合わせる。

 

「……ほら」

 

「どこがだよ」

 

 そんなやり取りをしながら歩いていた。

 

 少しでも前に進む。

 それしかなかった。

 目指している場所は分かっている。

 悠斗の祖父さんの店。

 

 悠斗と美玖ちゃん。

 隼人と莉乃ちゃん。

 

 みんな、そこを目指している。

 そこに行けば、再び会えるはずだ。

 

 食べ物もある。

 水もある。

 銃もあるらしい。

 

 何より、知っている人間がいる。

 

「早く着きたいな」

 

 陽菜が言った。

 

「だな」

 

 俺も答えた。

 

 そのときは、まだ。

 俺たちは、普通に話せていた。

 

     *

 

 最初の奴らは、三体だった。

 角を曲がった先にいた。

 

「……いる」

 

 海人がバットを握り直した。

 翼も槍を構える。

 陽菜ちゃんが後ろを見る。

 

「戻る?」

 

「いや」

 

 俺は周囲を見た。

 

「右、いける」

 

「分かった」

 

 誰も余計なことは言わなかった。

 戦えば音が出る。

 音が出れば、集まってくる。

 

 これまでの経験で、それは分かっている。

 だから俺たちは、なるべく戦わなかった。

 

 路地に入り、息を潜める。

 足音が遠ざかるのを待つ。

 また歩く。

 その繰り返しだ。

 

「……なんか、鬼ごっこみたいだな」

 

「笑えないよ」

 

「分かってるって」

 

 笑えない。

 そんなことは分かっている。

 でも、黙っていたら余計に怖くなる。

 だから喋る。

 

「……ほら、次は左」

 

「本当に?」

 

「たぶん」

 

「またたぶん?」

 

「きっと」

 

「同じだよ、それ。」

 

 翼が吹き出した。

 その声を聞いて、少しだけ安心した。

 まだ大丈夫。

 まだ四人いる。

 そう思った。

 

     *

 

 けれど、奴らは少しずつ増えていった。

 避けられない一体を倒せば、その音を聞いた別の奴らが来る。

 逃げれば、その先にもいる。

 隠れてやり過ごしたと思ったら、別の方向から足音が聞こえる。

 

「……なんか、増えてない?」

 

 陽菜ちゃんが呟く。

 

「多いな」

 

 海人が答える。

 

「これ、まともに戦ったらまずいぞ」

 

「だから戦わない」

 

 俺は答えた。

 言いながら、自分にも言い聞かせていた。

 

「……静かに行こう」

 

 四人で建物の陰を抜ける。

 その先に、線路があった。

 まだ、向こう側には渡れていない。

 あちらへ行くには、別の道を探さなければならない。

 

 だが、その前に。

 

 ——ガシャン。

 

 金属音が響いた。

 

「……っ」

 

 全員が止まった。

 視線の先で、倒れた標識が地面を擦っていた。

 

 誰かが触れたわけではない。

 

 車がぶつかり、かろうじて立っていた標識が風で倒れたのだろう。

 

「……やべ」

 

 思わず呟く。

 

 足音が聞こえた。

 一つ。

 二つ。

 それだけじゃない。

 周囲のあちこちから、音がする。

 

「来るぞ」

 

 海人が言う。

 

「走る?」

 

「どっちへ?」

 

 周囲を見た。

 

 ——逃げ道がない。

 

 さっきまでなら、四人で少しずつ下がることもできた。

 でも今は違う。

 

 前にもいる。

 後ろにもいる。

 横からも近づいてくる。

 

「……まずいな」

 

 誰も答えなかった。

 答える余裕がなかった。

 

 一体が、すぐ近くの曲がり角から現れる。

 海人がバットを振る。

 倒れる。

 だが、その音でまた別の奴らが近づいてくる。

 

「海人!」

 

「分かってる!」

 

 翼が槍を突き出す。

 陽菜が後ろを確認する。

 

「増えてる!」

 

「分かってる!」

 

 俺も槍を握り直した。

 

 ——このままじゃ、全員飲み込まれる。

 

 分かっていた。

 でも、どうする。

 どうすればいい。

 考える。

 考える。

 

 ——駄目だ。

 考えている間にも、奴らは近づいてくる。

 

「……だったら」

 

 口から言葉が出た。

 

「俺が引き付ける」

 

「陽向?」

 

「俺が走る。そしたら、何体かこっちに来るだろ」

 

「待て!」

 

 海人が叫んだ。

 

「それじゃお前が——」

 

「大丈夫だって」

 

 自分でも驚くくらい、普通に言えた。

 

「俺、足には自信あるし」

 

「そういう問題じゃない!」

 

「分かってる」

 

 分かっていた。

 怖い。

 ものすごく怖い。

 でも、他に方法が思いつかない。

 

「……先に行け」

 

 俺は槍を握り直した。

 

「後で追いつくから」

 

 陽菜ちゃんが何か言おうとした。

 翼も止めようとした。

 

 ——でも、もう決めた。

 

「行け!」

 

 俺は叫んだ。

 そして、線路とは反対方向へ走る。

 

「こっちだ!」

 

 槍の柄を近くの金属柵に叩きつける。

 ガンッ、と音が鳴る。

 

「ほら! こっち!」

 

 奴らが振り向いた。

 一体。

 二体。

 もっと来る。

 

「よし!」

 

 俺は走った。

 怖い。

 足が重い。

 でも止まれない。

 

「来いよ!」

 

 もう一度、柵を叩いた。

 奴らが追ってくる。

 その隙に、背後から別の足音が遠ざかっていく。

 

 海人たちだ。

 行った。

 

 それを確認して、俺も走った。

 

     *

 

 しばらくして。

 ようやく奴らの数が減った。

 

「……はあっ……はあ……」

 

 俺は建物の陰に飛び込んだ。

 槍を握ったまま、膝に手をつく。

 

「……行った、よな」

 

 振り返る。

 誰もいない。

 

「海人?」

 

 返事はない。

 

「陽菜ちゃん?」

 

 ない。

 

「翼?」

 

 もちろん、ない。

 

「……まあ、そうだよな」

 

 俺は息を整えた。

 

「先に行けって言ったんだから」

 

 自分で言って、自分で納得する。

 

「あとで追いつけばいい」

 

 そうだ。

 そのつもりだった。

 少し休んだら戻る。

 合流して、一緒に悠斗の祖父さんの店へ行く。

 

 それだけだ。

 そう思っていた。

 でも。

 

 物陰から顔を出してみる。

 遠くの通りには、まだ奴らがいる。

 さっきの場所まで戻るのは難しい。

 

「……戻ったら、また集まってくるよな」

 

 槍を見る。

 

「それに、海人たちがどっちに行ったか分かんないし」

 

 言葉にしてから、気づいた。

 

「……あれ?」

 

 俺は周囲を見た。

 

「俺、道……分かってる?」

 

 沈黙。

 

「……いや、分かってるだろ」

 

 駅がある。

 大きな通りがある。

 その先に商店街がある。

 祖父さんの店は、その先。

 大まかな方向は分かる。

 でも。

 

「……曲がり角とか、全然覚えてないな」

 

 今までは誰かが見てくれていた。

 誰かが先を確認していた。

 誰かが「こっちだ」と言っていた。

 俺は、それについて行っていた。

 

「……そっか」

 

 妙に納得した。

 

「俺、結構頼ってたんだな」

 

 言葉にしてみると、思ったよりも実感があった。

 

 寂しい。

 怖い。

 そして、少しだけ情けない。

 

「……まあ、今さらだよな」

 

 俺は立ち上がった。

 

「とりあえず、祖父さんの店を目指す」

 

 そこなら、悠斗たちがいる。

 海人たちも、そこへ向かっているはずだ。

「だから、合流すればいい」

 そう言って、歩き出した。

 

     *

 

 それからは、なるべく戦わなかった。

 道の先に奴らがいれば、隠れる。

 多ければ戻る。

 少なければ、音を立てずに抜ける。

 どうしても邪魔なら、槍を使う。

 

「……これ、結構使えるな」

 

 槍を構え、近づいてきた一体の頭を突く。

 先端に固定した包丁は全くブレない。

 

 奴らが倒れる。

 

「悠斗、ちゃんと考えて作ってたんだな」

 

 もちろん返事はない。

 

「『丁寧に使え』とか言われそうだけど」

 

 俺は槍を握り直した。

 

「……大事にするよ」

 

 その言葉だけは、誰に聞かせるでもなく小さかった。

 

 歩く。

 隠れる。

 待つ。

 また歩く。

 

 何度も同じことを繰り返す。

 最初の頃より、奴らの動きが分かるようになっていた。

 

 どんな動きをしているか。

 どこまで近づけば気づくか。

 どのくらいの距離なら、走らずに抜けられるか。

 そんなことを、頭で考えているというより、身体が覚えていった。

 

「……慣れてきたな」

 

 言った直後、自分で嫌になった。

 

「……いや、慣れたくないけど」

 

 それでも、足は止まらなかった。

 

     *

 

 夕方が近づいていた。

 

「……もうこんな時間か」

 

 空を見上げる。

 街は相変わらず静かだった。

 

 人の声は聞こえない。

 車も走っていない。

 信号も灯っていない。

 たまに、奴らのうめき声が聞こえる。

 

「今日は……もう無理だな」

 

 暗くなってから動くのは危険だ。

 周囲を見回すと、小さな薬局が目についた。

 窓も割れていない。

 

 入口のガラス戸は閉まっていた。

 横に引くと、扉は滑らかに動いた。

 

「……ここでいいか」

 

 中を確認する。

 

 待合室。

 カウンター。

 控室のような小さな部屋。

 奥には調剤室。

 

 通路の奥に、一体が倒れていた。

 

「……奴ら?」

 

 近づいて確認する。

 頭部が潰されている。

 

「誰か、いたのか……」

 

 周囲を見回す。

 それ以上、動くものはない。

 

「……まあ、いいか。」

 

 入口に戻って、扉に手をかけた。

 

「ドア……ちゃんと閉まるな」

 

 実際に閉めてみる。

 

「窓……割れてない」

 

 カーテンを引く。

 

「よし」

 

 それだけ確認して、俺は壁際に座った。

 槍を手の届くところに置く。

 

「明日になったら、店に行く」

 

 声に出す。

 

「悠斗たち、待ってるだろうし」

 

 少し考える。

 

「海人たちも、たぶん先に着いてる」

 

 そうだ。

 そうに決まっている。

 

「……だから、今日はここで休もう。」

 

 リュックを下ろし、隣に置く。

 膝を抱え、目を閉じる。

 

 けれど、落ち着かない。

 

 今までなら、誰かが隣にいた。

 仲間の声。

 息遣い。

 

 そんなものが、何もない。

 

「……一人って、静かだな」

 

 独り言が漏れる。

 返事はない。

 

「……まあ、明日には合流するし」

 

 もう一度、自分に言い聞かせる。

 そのときだった。

 

 ——カタン。

 

「……?」

 

 目を開ける。

 音がした。

 

「……今の、何だ?」

 

 身体を起こす。

 槍を手に取る。

 息を殺して耳を澄ます。

 しばらく何も聞こえない。

 

「……気のせいか?」

 

 そう呟いた瞬間。

 

 ——ガタッ。

 

 今度は、はっきり聞こえた。

 

「……誰か、いるのか?」

 

 返事はなかった。

 俺は槍を握り直した。

 通路の向こうを見つめる。

 

 誰もいないはずの建物の中で。

 俺は初めて、本当の意味で一人になった気がした。

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