世界にあなたはもう一人   作:ザワザワする人

2 / 3
また明日は現実に

 

委員長であるユキの朝は早い。

 

朝五時に起床し、冷たい水で顔を洗う。そのまま台所へ向かい、冷蔵庫を開けた。

 

(父さんは……今日、早いんだっけ)

 

ユキよりも早く家を出たらしく、父親の姿はない。

 

静まり返った家には、自分以外の気配がなかった。

 

小学生の頃に起きた()()()()によって、ユキは母親と妹を失った。

 

誰の声もしない朝は、否応なく二人の記憶を呼び起こす。

 

(……朝ご飯、作ろっと)

 

考えることから逃げるように、ユキは卵とベーコンを取り出した。

 

慣れた手つきでフライパンを操れば、数分も経たないうちに香ばしい匂いが台所へ広がる。

 

目玉焼きとベーコンを皿に盛り、食卓へ運ぶ。

 

向かいの席にも、隣の席にも誰もいない。

 

味はいつもと変わらないはずなのに、一人で食べる朝食はどこか味気なかった。

 

食器を片づけ、制服に着替える。鞄を持ったユキは、玄関を出る前に小さく声をかけた。

 

「行ってきます、母さん、ハル」

 

もちろん、返事はなかった。

 

扉を開けると、春の朝日が目に飛び込んでくる。冬ならばまだ暗い時間だが、空はすでに明るく、雲一つない。

 

(いい天気……)

 

ユキの心とは正反対の、清々しい晴天だった。

 

 

 

 

 

 

学校に到着したユキは、窓を開け、提出物を職員室へ運び、担任から頼まれていた書類を配った。

 

一通り委員長の仕事を終え、自分の席で本を読んでいると、続々とクラスメイトが登校してくる。

 

「おい、聞いたか!?今日、転入生が来るんだってよ!」

 

教室へ駆け込んできた生徒の声に、周囲が一斉に反応した。

 

「転入生って、男子?女子?」

 

「女子!しかも二人!」

 

教室の騒がしさが、一段と大きくなる。

 

(たぶん、エマとヒロのことだろうけど……転入生じゃないよ)

 

二人も戸籍上は、入学式の日からこの学校の生徒である。ただ一か月近く登校していなかったため、クラスメイトの大半は存在すら知らなかったらしい。

 

(まあ……そんなか)

 

高校へ入学して一か月。教室には、すでにいくつものグループが出来上がっている。

 

普段この場にいない人間など、わざわざ気に留めない。それも仕方のないことなのかもしれない。

 

やがて、担任が教室へ入ってきた。

 

「ほら、お前ら。席につけ」

 

生徒たちは渋々自分の席へ戻る。それでも期待を隠せず、誰もが扉を気にしていた。

 

「噂を聞いてるやつもいるみたいだが、入学式から休んでいた生徒が今日から登校する。初対面のやつがほとんどだろうから、簡単に自己紹介してもらうぞ」

 

担任が扉へ顔を向ける。

 

「入っていいぞ」

 

古い引き戸が、音を立てて開かれた。

 

「失礼します」

 

先に入ってきたのは、長い黒髪と赤い瞳を持つ少女だった。

 

二階堂ヒロ。

 

その後ろには、白い髪の毛先が桜色に染まった少女がいる。

 

桜羽エマ。

 

ヒロが堂々と歩いているのに対し、エマの身体は目に見えて強張っていた。一歩ごとに、ガチガチという音が聞こえてきそうだった。

 

ヒロは教壇の中央へ立つと、黒板に自分の名前を書く。

 

「私の名前は二階堂ヒロ。以後、よろしく」

 

簡潔な挨拶だった。

 

しかし、真っ直ぐに伸びた背筋や凛とした声、肩から流れ落ちる黒髪も相まって、その姿はひどく格好よかった。

 

教室中の男女が、揃ってヒロに見蕩れている。

 

ヒロは周囲の反応を気にせず、自分の名前を消した。続けて黒板へ別の名前を書く。

 

桜羽エマ。

 

(ああ……そういうことか)

 

ヒロが何をしようとしているのか、ユキにはすぐに分かった。

 

「ほら、エマ」

 

「う、うん。ヒロちゃん」

 

促されたエマは、両手を胸元で落ち着きなく動かしながら前へ出た。

 

一斉に視線を向けられ、その顔がみるみる赤くなる。

 

「しゃ、しゃくらばエマです!今日から、よろしくお願いします!」

 

(噛んだ……)

 

ユキとヒロは、ほとんど同時に同じことを思った。

 

一瞬、教室が静まり返る。

 

失敗したと思ったのか、エマの瞳に涙が滲み始めた。

 

その直後だった。

 

 

 

「「「「「かわいいいいいいいい!」」」」」

 

 

 

教室を揺らすほどの歓声が上がる。

 

「えっ!?な、なに!?」

 

エマは驚き、助けを求めるようにヒロを見た。ヒロも予想外だったのか、わずかに目を見開いている。

 

(今度は声に出すんだ……)

 

「お、お前ら落ち着け!本人が困ってるだろ!」

 

担任が声を張り上げるものの、騒ぎはしばらく収まらなかった。

 

やがて、一人の生徒が教室を見渡す。

 

「ちょっと待て。二人の席って、まさか……」

 

ユキの席は、一番左の最後尾。

 

その右隣と、すぐ後ろの席だけが空いている。

 

「二人の席は、あそこの二つだ」

 

担任がユキの方を指さした。

 

(お願いだから、静かに来て……)

 

昨日のうちに席の位置は伝えてある。

 

ここで親しい反応をされれば、次の休み時間に何を聞かれるか分からない。

 

エマとヒロが、こちらを見る。

 

「あっ、ユキくん!」

 

エマが心底嬉しそうな声を上げた。

 

(分かってた。なんとなく、こうなる気がしてた……)

 

 

 

「「「「「はあああああ!?」」」」」

 

 

 

本日二度目の絶叫が、校舎を揺らした。

 

今度のエマは周囲を気にせず、弾む足取りでユキのもとへやってくる。

 

「隣の席なんて、すごいね!」

 

満面の笑みを浮かべ、ユキの隣へ座った。

 

友達と隣同士なのは、ユキも嬉しい。

 

ただし、周囲から向けられる鋭い視線さえなければ、の話だった。

 

続いてヒロが悠然と歩いてくる。

 

そのまま後ろの席へ向かうかと思いきや、ユキのそばで足を止めた。

 

口元に、いたずらっぽい笑みを浮かべる。

 

「これからよろしく頼む、ユキ」

 

(絶対、どうなるか分かってて言ったよね!?)

 

教室から声は上がらなかった。

 

代わりに、クラスメイトたちの目尻が一斉に吊り上がる。

 

「二人ともユキと知り合いだったのか。それなら、学校案内もユキに任せる。委員長なんだし、頼んだぞ」

 

「……はい」

 

火に油を注いだ二人には、ぜひとも反省してほしかった。

 

 

 

 

 

 

最初の休み時間は、想像していたほど大変ではなかった。

 

その代わり、エマとヒロが質問攻めにされていた。

 

大勢に囲まれたエマは、明らかに戸惑っている。助け舟を出したかったが、今声をかければ余計に騒ぎが大きくなるだろう。

 

ヒロは慣れているらしく、危なっかしいエマを庇いながら、質問を手際よく捌いていた。

 

本当に大変だったのは、その次の休み時間だった。

 

エマがヒロをトイレへ誘い、二人が教室を出る。

 

扉が閉まった瞬間、教室中の視線がユキへ向いた。

 

あっという間に机の周囲を囲まれ、逃げ道を失う。

 

「……それで、遺言はあるか?」

 

「どうしてそうなるの!?まずは話を聞いて!」

 

「あの二人と、どういう関係だ!」

 

周囲の生徒たちが一斉に頷く。

 

「昨日たまたま会って、友達になっただけだよ。本当にそれだけ!」

 

「昨日会ったばかりにしては距離が近すぎるだろ!」

 

「友達なら普通でしょ!?」

 

「連絡先は交換したのか?」

 

「交換して……三人のグループも作ったよ」

 

「確信犯じゃねえか!」

 

「だから、何の確信なの!?」

 

必死に訴えても、誰も聞く耳を持ってくれない。

 

すると、一人の男子が真剣な表情を浮かべた。

 

「……いや、待て。これはむしろ、悪い話じゃないぞ」

 

「どういうこと?」

 

「ユキはそこで待ってろ。みんな、こっちへ来い」

 

ユキだけを残し、クラスメイトたちは教室の隅で円陣を組んだ。

 

声を潜めているため、会話の全容は聞き取れない。

 

「もし……ユキ以外の男が……」

 

「二人と付き合うようになったら……」

 

「………うっ、これが脳破壊……」

 

端々の言葉をつなげても、意味が分からなかった。

 

そこへ、エマとヒロが戻ってくる。

 

「ユキくん、聞いて!さっきヒロちゃんがね!」

 

「エマ、それは言わなくていい」

 

「廊下で会った人に一目惚れされて、いきなり告白されたんだよ!さすがヒロちゃんだよね!」

 

自分のことでもないのに、エマは心から誇らしそうだった。

 

ヒロは気まずそうに顔を背けている。耳まで赤くなっているあたり、相当恥ずかしいらしい。

 

二人の対照的な様子が微笑ましく、ユキも自然と笑みをこぼした。

 

それを見たクラスメイトたちは、なぜか納得したように頷き合う。

 

そして全員が、ユキへ向かって親指を立てた。

 

(結局、何を話してたんだろう……)

 

それ以降、二人との関係を問い詰められることはなかった。

 

 

 

 

 

 

昼休みになると、ユキは二人を連れて校内を回った。

 

「ここが実験室で、その隣が準備室。向こうに見えるのがパソコン室だよ」

 

「広いね。僕、一人だったら迷っちゃいそう」

 

「迷ったら僕かヒロに連絡してね。迎えに行くから」

 

「なぜ私まで含まれているんだ?」

 

「ヒロなら今日中に、校内の配置を全部覚えそうだから」

 

「……否定はできないな」

 

そんな会話をしながら廊下を歩いていると、近くの教室から上級生が顔を出した。

 

「ユキじゃん!また()()をやってくれよ!」

 

「また今度ですよ。今は二人を案内してるので」

 

先輩はエマとヒロに気づき、教室から飛び出してきた。

 

「あ、この子たちが噂の二人か!」

 

「あ、あの……桜羽エマです。よろしくお願いします」

 

「二階堂ヒロです。よろしくお願いいたします」

 

(ヒロの敬語、なんだか新鮮)

 

先輩は二人を見比べたあと、ユキの肩を抱き寄せた。

 

「おいおい、両手に花じゃないか。一体どうやったんだ?」

 

「何の話ですか?二人は友達ですよ」

 

「……は?」

 

「え?」

 

先輩はユキから離れ、頭を抱えた。

先輩は片手を振り、逃げるように教室へ戻っていった。

 

(本当に、どうしたんだろう)

 

ユキには最後まで分からなかった。

 

 

 

 

 

 

校内を一通り回った三人は、最後に屋上へ向かった。

 

扉を開けると、春の風が吹き込み、ユキの前髪を揺らす。

 

「それで、ここが屋上。昨日も来てるから、説明する必要はないけどね」

 

「昨日はゆっくり見る余裕がなかったからな」

 

「うわあ……やっぱり、すごく綺麗!」

 

エマは屋上の中央まで駆けていき、楽しそうに街並みを眺めている。

 

隣に立つヒロを見ると、その口元には隠しきれない笑みが浮かんでいた。

 

「楽しそうだな、エマは」

 

風になびく黒髪が陽光を受けて艶めく。

 

普段の凛々しい姿とは違う柔らかな表情に、ユキは素直に綺麗だと思った。

 

「僕たちも、お昼にしよっか」

 

三人でベンチへ腰を下ろす。

 

気づけば、ユキが真ん中に座っていた。

 

(……狭い)

 

少し動けば、エマやヒロの肩に触れてしまう。

 

向かいのベンチへ移ろうと立ち上がりかけたとき、制服の袖を引かれた。

 

「どこか……行っちゃうの?」

 

袖をつかんでいるエマが、不安そうな瞳でユキを見上げていた。

 

「ごめん。狭いから、向かいに座ろうと思っただけで……」

 

「僕は……ユキくんの隣で食べたいな」

 

今にも泣き出しそうなエマを前に、罪悪感が押し寄せる。

 

「ご、ごめん!ここで食べよう!」

 

ユキが慌てて座り直すと、エマはたちまち表情を明るくした。

 

 

 

 

 

 

ヒロは、二人のやり取りを黙って観察していた。

 

(私には分かる)

 

ユキの袖をつかみ、隣にいてほしいと訴えたエマ。

 

それだけではない。ユキに話しかけるときの声も、向ける笑顔も、昨日までとは明らかに違う。

 

長年培われたエマへの勘が、一つの答えを示していた。

 

(エマは、ユキのことを好いている!)

 

ユキの容姿は、亡くなったユキと瓜二つ。

 

それがきっかけなのかもしれない。

 

しかし、エマが彼に向ける笑顔は、失った誰かを重ねているだけのものには見えなかった。

 

(エマに好きな人ができるとは……)

 

ヒロにはエマの魅力を誰よりも理解しているのは、自分という自負がある。

 

柔らかな髪。小柄な身体。くりくりとした桜色の瞳。小動物を思わせる愛らしさ。

 

だというのに、ユキの態度からは照れも恋愛感情も感じられない。

 

(これっぽっちも、エマを女性として見ていない……!)

 

ユキにとってエマは、純粋に友人なのだ。

 

(これほど可愛らしい少女を前にして、本当に何も感じないのか!?)

 

ヒロは膝の上で拳を握った。

 

(エマの親友として、この恋を成就させる責任が私にはある!)

 

「ヒロ、どうかした?」

 

「なっ……! 、いや、何でもない!」

 

突然声をかけられ、心臓が大きく跳ねる。

 

考えを見抜かれたのかと思ったが、ユキは不思議そうに首を傾げているだけだった。

 

「あっ、そうだ。さっき先輩が言っていた()()って何?」

 

エマが、期待に満ちた目でユキを見つめる。

 

「ああ……別に、そんなにすごいことじゃないよ」

 

「見てみたい!ヒロちゃんも見たいよね?」

 

「あ、ああ。せっかくだから見てみたいな」

 

ユキは仕方がなさそうに笑い、立ち上がった。

 

手には、一枚のコインが握られている。

 

「これは何の変哲もない、普通のコイン。触ってみる?」

 

エマが受け取り、表と裏を確かめる。

 

「本当に普通のコインだね」

 

「そのとおり」

 

コインを受け取ったユキは、指から指へ流れるように転がした。

 

落ちそうになるたびに別の指が受け止め、再び親指の位置へ戻ってくる。

 

「すごい……」

 

エマが見入っている。

 

(コインロールか。しかし、本番はここからだろう)

 

ユキが親指でコインを弾く。

 

高く舞い上がったコインが陽光を反射し、落下したところを右手で受け止めた。

 

左手は身体の後ろに隠されている。

 

「右手と左手。コインが入っているのは、どっちでしょう?」

 

「ええと……右手、かな」

 

「本当に?右手でいいの?」

 

「違うのかな……ヒロちゃんはどう思う?」

 

ヒロが答える前に、ユキが続ける。

 

「当てた方のお願いを、僕が一つ聞くっていうのはどう?」

 

(何だと!?)

 

ヒロの心が大きく揺れた。

 

エマに正解させれば、ユキとの仲を進展させるお願いをさせられる。

 

ただし、そのためにはコインの位置を見抜かなければならない。

 

ユキは確かに右手で受け止めた。

 

しかし、あまりにも分かりやすい。何らかの方法で、左手へ移した可能性が高い。

 

「私は……左手だ」

 

「それじゃあ、僕は右手にするね」

 

エマが右手を選ぶ。

 

ユキは左手を前へ出し、小指からゆっくりと開いていく。

 

そこには何もなかった。

 

(よし!)

 

これでエマの正解だ。

 

ところがユキは、続いて右手も開いた。

 

そこにもコインはない。

 

「……は?」

 

「コイン、消えちゃったの?」

 

「ヒロ、右のポケットを見てみて」

 

言われるままポケットへ手を入れると、指先に硬いものが触れた。

 

取り出して手を開く。

 

そこには、先ほどのコインが載っていた。

 

「なっ……どうして私のポケットに入っているんだ!?」

 

「すごい!いつ入れたの、ユキくん!?」

 

「それを言ったら、マジックじゃなくなっちゃうよ」

 

ユキは、悪戯を成功させた子供のように笑った。

 

「二人とも不正解。今度は僕のお願いを聞いてもらおうかな」

 

「約束は約束だ。私にできることであれば、何でも言ってくれ」

 

「僕も聞くよ。何をすればいいの?」

 

ユキは二人の間へ座り直す。

 

少しだけ照れくさそうに視線を彷徨わせたあと、二人を見た。

 

「今週の日曜日、三人で遊びに行かない?」

 

エマの表情が、ぱっと明るくなる。

 

「うん!絶対に行く!」

 

「まだ行き先も決まっていないぞ、エマ」

 

そう言いながらも、ヒロの口元には笑みが浮かんでいた。

 

学校の外で三人が過ごす一日。

 

それは、エマとユキの仲を進展させる絶好の機会に違いない。

 

(任せろ、エマ。君の恋は、私が必ず成就させてみせる)

 

そんな決意を胸に秘めるヒロの隣で、ユキは二人が応じてくれたことに、ただ安堵していた。

 

もちろん、ヒロが何を企んでいるのかなど、知る由もなかった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。