仮面ライダーディケイド×ホロライブ×MCU ―世界を繋ぐ仮面の旅人― 作:十六夜 蓮
防音室の扉の前で、紫咲シオンは腕を組んで立っていた。
……立っていたというより、途中から明らかに落ち着きを失っていた。
「……中で何を話してるのよ」
シオンは恨めしそうに扉を睨む。
蓮とニック・フューリーが部屋へ入ってから、すでにかなりの時間が経過していた。
最初は大人しく待つつもりだった。
蓮が真剣な顔をしていたから、少しくらいは我慢しようと思っていた。
だが――。
「いや、無理でしょ」
シオンは近くに置かれていた紙コップを手に取った。
それを防音室の扉へ押し当てる。
「これなら、聞こえるんじゃない……?」
紙コップへ耳を当て、扉へ体を寄せる。
しかし、防音室の扉は、その程度で中の会話を漏らすほど甘くはなかった。
「何も聞こえない……!」
シオンは悔しそうに唇を尖らせた。
「なんで防音性能だけ、こんなに優秀なのよ……」
もう少し角度を変えれば、何か聞き取れるかもしれない。
そう考えたシオンが、さらに扉へ近づいた瞬間だった。
ガチャリ。
突然、扉が開いた。
「……」
「……」
紙コップを耳へ当てたままのシオンと、扉を開けた蓮の目が合う。
蓮はしばらく無言で姉を見つめた。
シオンも、しばらく無言で弟を見返した。
やがてシオンは、何事もなかったかのように紙コップを耳から離す。
「……飲み物を探してただけ」
「耳で飲むの?」
「魔女だから」
「便利だね」
蓮は小さくため息をついた。
その背後から、ニック・フューリーが姿を現す。
シオンは気まずそうに顔を背けた。
蓮は廊下の先へ目を向ける。
そこには、慌ただしく社員たちへ指示を出している谷郷元昭の姿があった。
蓮は片手を上げる。
「谷郷さん、こちらです」
「蓮くん?」
谷郷は破壊された壁や混乱するスタッフたちを気にしながら、蓮たちのもとへ歩いてきた。
「状況はどうなっているんですか? 警察への説明もありますし、タレントたちの安全確認も――」
蓮はフューリーへ視線を向けた。
「詳しい話は、中でお願いします」
谷郷はフューリーを見て、僅かに目を細める。
明らかに普通の来客ではない。
黒い眼帯。
黒いコート。
そして、ただ立っているだけで周囲を圧倒するような存在感。
それでも、谷郷は取り乱さなかった。
「……分かりました」
蓮はシオンへ振り返る。
「シオンは、荷物をまとめた方がいいよ」
「は?」
シオンの眉が跳ね上がった。
「荷物って何? 今日はもう帰っていいってこと?」
「うん。帰る準備」
「何か、言い方が怪しいんだけど」
シオンは不審そうに蓮を睨む。
蓮は僅かに目を逸らした。
「とりあえず、必要な物をまとめておいて」
「……分かった」
シオンは納得していない様子で頬を膨らませる。
「帰る準備をしてくる」
その時、フューリーが低い声で付け加えた。
「引っ越しの準備もな」
シオンの動きが止まった。
「……はい?」
蓮は額へ手を当てる。
「今、言わなくてもよかったですよね?」
フューリーは平然とした顔で答える。
「いずれ知ることだ」
「その『いずれ』が早すぎるんですよ」
シオンは蓮の腕を強く掴んだ。
「引っ越しって何!? シオン、何も聞いてないんだけど!」
「今から説明するから」
「絶対にやばいやつじゃん!」
「否定は……できないかな」
「そこは否定してよ!」
蓮は困ったように苦笑すると、谷郷とフューリーを防音室へ案内した。
「こちらです」
三人は、社長室の代わりにも使える防音室へ入る。
入室する前、蓮は谷郷へ声をかけた。
「谷郷さん。かなり大きな話になります」
谷郷は真剣な表情で頷く。
「分かりました」
蓮は続いてフューリーを見る。
「後の説明は、フューリーに任せます」
「お前も同席しろ」
「僕には、現場の状況整理とタレントへの対応があります」
蓮は廊下の惨状へ視線を向けた。
「それに、これ以上僕が一緒にいると、谷郷さんの胃が壊れます」
「すでに手遅れだと思うがな」
「本人の前で言わないでください」
蓮はそう言い残し、防音室の扉を閉めた。
廊下に残されたシオンは、じっと蓮を見つめている。
「蓮」
「……何?」
「後で全部説明して」
「うん」
「引っ越しのことも」
「うん」
「逃げたら怒るから」
「逃げないよ」
「ライダーの力で逃げても?」
「逃げません」
シオンはしばらく蓮を睨んでいたが、やがて不満そうに息を吐いた。
「じゃあ、荷物をまとめてくる」
「お願い」
シオンはぶつぶつと文句を言いながら、廊下の向こうへ歩いていった。
「本当に何なのよ……。朝から寝坊して、怪人に攫われて、過去へ行って、電王になって、今度は引っ越しって……」
キャリーケースの置かれた部屋へ向かいながら、シオンは両手を広げる。
「シオンの一日、濃すぎでしょ……!」
蓮はその背中を見送り、申し訳なさそうに笑った。
「本当にごめん」
そして、自分のデスクがあるマネージャー室へ戻った。
◇
マネージャー室は、当然ながら混乱の渦中にあった。
事務所の壁の一部が破壊された。
正体不明の怪人が現れた。
紫咲シオンが連れ去られた。
そして、その場にいた者たちは、蓮が仮面ライダーへ変身する瞬間を目撃してしまった。
蓮が戻ると、複数のマネージャーが一斉に顔を上げた。
「あ、蓮さん!」
「大丈夫なんですか!?」
「怪我は!?」
「それより……その……」
一人のマネージャーが、恐る恐る尋ねる。
「蓮さんって、本当に仮面ライダーだったんですか?」
室内が静まり返った。
全員が聞きたかったことだった。
蓮は自分の椅子へ座り、パソコンを起動しながら答える。
「まあ、そうですね」
「軽い!」
「そんな軽く答えることですか!?」
「本物なんですよね!? 撮影とかじゃないんですよね!?」
「事務所の壁を破壊する撮影は、しないと思います」
「ですよね!?」
蓮は困ったように苦笑した。
「おそらく、この後、谷郷さんから重大な発表があります」
「重大な発表?」
「はい」
蓮は机の上に散らばった資料を片づけながら言う。
「たぶん、肉体労働です」
「え?」
「肉体労働?」
「どうしてですか?」
「荷造りとか、移動の準備とか」
その瞬間、数人のマネージャーが持つスマートフォンが同時に鳴った。
ピコン。
ピコン。
ピコン。
室内に、通知音が連続して響く。
蓮のパソコンにも、社内連絡ツールからの通知が表示された。
送信者は、経営管理部。
件名は――。
『株式会社カバー移送について』
マネージャー室の空気が凍りついた。
「……移送?」
「株式会社カバーを、移送?」
「会社って、移送されるものなんですか?」
「少なくとも、普通はされませんね」
蓮は静かに通知を開いた。
画面には、簡潔ながらも衝撃的な文章が並んでいた。
『本日発生した異常事案を受け、株式会社カバーは、アメリカの組織S.H.I.E.L.D.から支援を受けることとなりました』
『関係者の安全確保および業務継続のため、当面の間、一部部署、所属タレントおよび関係スタッフを、アメリカにある管理施設へ移送します』
『本件は役員会で承認された決定事項です』
『対象者は、必要最低限の業務機材、身分証明書、生活用品を準備してください』
『詳細は、追って通達します』
文章を読み終えたマネージャー室は、数秒間、完全な静寂に包まれた。
そして――。
「はああああああ!?」
誰かの叫び声が響き渡った。
「アメリカ!?」
「今からですか!?」
「パスポートは!?」
「タレント全員なんですか!?」
「配信はどうなるんですか!?」
「案件や収録は!?」
「そもそも、S.H.I.E.L.D.って何なんですか!?」
蓮は椅子へ座ったまま、深く息を吐いた。
「……始まった」
一人のマネージャーが蓮へ詰め寄る。
「蓮さん! これはどういうことなんですか!?」
「簡単に言えば、安全確保です」
「説明が簡単すぎます!」
「ですよね」
別のマネージャーが頭を抱える。
「今日は朝からおかしいですよ……。怪人は出るし、蓮さんは仮面ライダーだし、今度は会社がアメリカへ移動するし……」
「僕も、そう思います」
「当事者が冷静すぎます!」
蓮はパソコンの画面を見ながら、タレントたちのスケジュール表を開いた。
まずはシオン。
次に、現在事務所へ来ているメンバー。
さらに、近日中に収録や案件を予定しているタレント。
移動させるべき人員は多い。
しかし、混乱している時間はなかった。
「まず、今日出社しているタレントの所在を確認してください」
蓮は落ち着いた声で指示を出し始める。
「配信中の人については、担当マネージャーが一時停止か終了を判断してください。外出中の人には直接連絡を。家族への説明が必要な人は、リストへまとめてください」
「蓮さんが仕切るんですか?」
「谷郷さんは今、フューリーと協議中です。現場を動かす人間が必要ですから」
「でも、蓮さんは怪我を……」
「動けます」
蓮は静かに言い切った。
その声を聞き、マネージャーたちは少しずつ落ち着きを取り戻していく。
状況は異常だ。
だが、誰かが動かなければ、混乱はさらに大きくなる。
蓮はマネージャー室全体を見回した。
「これから一番優先するべきなのは、タレントとスタッフの安全です」
室内の全員へ届くように、はっきりと告げる。
「仕事の調整は、その次です。配信も案件も、命より優先するものではありません」
誰も反論しなかった。
蓮は続ける。
「S.H.I.E.L.D.については、谷郷さんから正式な説明があると思います。それまでは、外部へ情報を漏らさないでください。SNSへの投稿も禁止です」
「家族への連絡は?」
「必要です。ただし、詳細はまだ伝えないでください」
蓮は少し考え、言葉を選ぶ。
「『会社の安全対策により、一時的に拠点を移動する』程度に留めてください」
「分かりました」
「タレントたちには、どう説明しますか?」
「各担当マネージャーから説明してください。ただし、現場を目撃していない人へ、怪人や仮面ライダーのことを一度に伝えるのは避けてください」
蓮は真剣な表情で付け加える。
「パニックを起こさせないよう、慎重にお願いします」
その時、廊下の方からシオンの声が聞こえた。
「蓮ー!」
蓮が振り返る。
リュックを背負い、キャリーケースを引いたシオンが、マネージャー室へ戻ってきた。
「荷物をまとめた!」
「早いね」
「だって、引っ越しって言われたし!」
シオンはマネージャー室の中を見回し、重苦しい空気に気づいた。
「あ、みんなも見たんだ」
一人のマネージャーが、恐る恐るシオンへ尋ねる。
「紫咲さん……本当にアメリカへ行くんですか?」
シオンは蓮を見る。
「シオンも、今知ったところ」
「ですよね……」
シオンは蓮のデスクの横まで歩いてくると、小声で問いかけた。
「蓮。これ、本当に行くの?」
「行くことになると思う」
「ホロライブごと?」
「少なくとも、狙われる危険性が高い人たちは」
「危険性って……」
シオンは眉をひそめた。
蓮は周囲へ聞こえないように、少しだけ声を落とす。
「今日のシオンみたいに、怪人から標的にされる可能性がある人たち」
「……」
シオンは何も言えなくなった。
自分は実際に怪人へ攫われた。
過去へ飛ばれ、初配信の日まで破壊されかけた。
そのため、今回の措置を単なる過剰反応だと否定することはできなかった。
蓮はマネージャーたちへ指示を続ける。
「各担当は、タレントの現在地と連絡可能かどうかを、共有スプレッドシートへ入力してください」
画面に新しい管理表を作成していく。
「すぐに移動できる人、移動できない人、家族の確認が必要な人。それから、ペットや必要機材の有無も分けてください」
「ペットも対象ですか?」
「置いていけない人もいるでしょう」
「確かに……」
「配信機材は、必要最低限で構いません。現地の環境は、S.H.I.E.L.D.側で用意するそうです」
「本当に何でもありですね、その組織……」
「僕もそう思います」
再び、社内連絡ツールの通知が鳴った。
今度は、全社向けの追記だった。
『各部署責任者は、移動対象者のリストアップを本日中に完了してください』
『移動第1陣は、紫咲シオンおよび担当マネージャー紫咲蓮を含む関係者とします』
シオンが画面を覗き込む。
「……第1陣?」
蓮も同じ文字を見つめていた。
「やっぱり、僕たちが最初か」
「どうして?」
「今日の事件の中心にいたからだと思う」
シオンは、リュックの肩紐を強く握った。
「アメリカ……」
これまでは、遠い場所だった。
ライブやイベントで海外へ行くことはあっても、今回の移動はまったく意味が違う。
旅行ではない。
案件でもない。
コラボでもない。
避難。
そして、世界を巡る戦いの始まり。
マネージャー室の奥で、誰かが小さく呟いた。
「本当に……何が起きているんですか?」
蓮は僅かに目を伏せた。
「世界が、混ざり始めているんです」
その言葉の意味を、全員が理解できたわけではなかった。
しかし、蓮の真剣な表情を見て、冗談ではないことだけは伝わった。
◇
その頃、防音室では。
谷郷がフューリーから一通りの説明を受け、深く息を吐いていた。
「……つまり、弊社のタレントや社員が、未知の存在から狙われる可能性があると」
「そうだ」
「そして、御社――S.H.I.E.L.D.が、安全な施設を提供すると」
「そうだ」
谷郷はしばらく黙った。
経営者として考えても、あまりにも非現実的な話だった。
だが、実際にビルの壁は破壊された。
社員もタレントも危険に晒された。
そして、自社のマネージャーである紫咲蓮は、仮面ライダーとして怪人と戦っていた。
受け入れがたい。
しかし、否定することもできない。
谷郷は静かに尋ねた。
「タレントたちの活動は守れますか?」
フューリーは即答した。
「守る」
「彼女たちを、兵器や戦力として扱わないと約束できますか?」
「少なくとも、俺はそうするつもりはない」
谷郷はフューリーを真っすぐ見つめた。
「その言い方は、少し不安ですね」
「正直に答えただけだ」
「では、こちらも正直に言います」
谷郷の声が、僅かに強くなる。
「彼女たちは、弊社の大切なタレントです。数字でも、戦力でもありません」
フューリーは黙って聞いている。
「紫咲蓮くんも同じです。彼はマネージャーであって、あなた方の兵士ではありません」
「分かっている」
「ならば、私たちは協力します」
谷郷ははっきりと告げた。
「ただし、カバーに関わる人間を守るためです」
フューリーは僅かに頷いた。
「それでいい」
◇
防音室の外では、すでにカバー全体が動き始めていた。
荷物をまとめる者。
タレントへ連絡する者。
家族への説明文を考える者。
修繕業者への連絡を一時停止し、S.H.I.E.L.D.の担当者と協議する者。
そして、その中心で蓮はパソコンに向かい、次々と情報を整理していた。
シオンはその隣に立ち、まだ納得しきれない顔で呟く。
「蓮」
「何?」
「アメリカへ行っても、ちゃんとシオンの配信環境はあるんでしょうね?」
蓮は少しだけ笑った。
「そこは最優先で確認するよ」
「ゲームはできる?」
「たぶん」
「ネット回線は?」
「S.H.I.E.L.D.なら速いんじゃないかな」
「なら許す」
「許す基準、そこなんだ」
シオンはぷいっと顔を背けた。
「不安だから、いつも通りできるものがないと嫌なの」
その言葉を聞き、蓮はキーボードを打つ手を止めた。
シオンは強がっている。
普段と同じように文句を言い、ゲームや配信の話をしている。
だが、本当は不安なのだ。
知らない場所へ移動すること。
これまでの日常が失われるかもしれないこと。
そして、何よりも弟が戦いへ向かうことが。
蓮は静かに言った。
「大丈夫」
シオンが蓮を見る。
「できる限り、いつも通りにするよ」
「……本当?」
「うん。僕が何とかする」
シオンは少しだけ目を細めた。
「また、そうやって一人で背負う」
「今回は、みんなでだよ」
蓮はマネージャー室を見回した。
全員が混乱しながらも、それぞれの役割を果たそうと動いている。
ホロライブを守るために。
タレントたちを守るために。
自分たちの居場所を守るために。
シオンは小さく息を吐いた。
「じゃあ、シオンも準備する」
「助かるよ」
「でも、後で全部説明だからね」
「うん」
「あと、シオンはもう電王にならないから」
「それはモモタロスに言って」
「あの赤鬼、絶対また来るじゃん……」
蓮は困ったように苦笑した。
その時だった。
窓の外を、数機の黒いヘリコプターが横切った。
機体には、S.H.I.E.L.D.の紋章が刻まれている。
その姿を見たマネージャー室の全員が、言葉を失った。
蓮は窓の外を見上げる。
「……本当に始まったな」
株式会社カバー移送。
それは、ただの避難ではなかった。
ホロライブが、これまで知らなかった世界の裏側へ足を踏み入れる、最初の一歩。
そして紫咲蓮にとっては、仮面ライダーとしての戦いと、マネージャーとしての仕事が、完全に重なった瞬間だった。