バカ王子殿下!!   作:八束祐

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姉が来る!!(前編)

 

 つばきが殿下付き侍女になって、まだ十日もたっていないころだった。

 

 その朝、田島波留宮殿は夜明け前から騒がしかった。

 

「急げ急げ! 廊下の端にほこりが残っておるぞ!」

 

 つんつん頭を揺らしながら、ヤマトが宮殿の廊下を走っていく。

 片手には大きな指示棒。反対の手には、どこから持ってきたのかわからない拡声器が握られていた。

 

「大臣! そこの窓を磨け! 俺様の姉上を曇った窓で迎えるつもりか!」

 

「若王子殿下。私は大臣です」

 

「今日は清掃大臣じゃ!」

 

「そのような役職はありません」

 

「今、俺様が作った!」

 

「作らないでください」

 

「口を動かす前に手を動かせ!」

 

 大臣は深いため息をつきながら、布で窓を拭いていた。

 普段なら何があっても姿勢を崩さない人物なのだが、今朝は袖をまくり、頭に手ぬぐいまで巻いている。

 

 その横を、食材の入った大きな籠を抱えた衛兵たちが走り抜けた。

 

「急げ! 魚を台所へ運べ!」

 

「しかし我々は衛兵です!」

 

「今日は料理兵じゃ!」

 

「聞いたことがありません!」

 

「姉上の食事を守る重要な任務じゃぞ!」

 

「作るところからですか~!?」

 

「当たり前じゃ!」

 

 一人の衛兵が籠から飛び出しかけた魚を慌ててつかむ。

 別の衛兵は、巨大な鍋を兜の上に載せて運んでいた。

 

 宮殿中が混乱している。

 

 メイドたちは大広間の飾りつけに駆り出され、役人たちは庭園の花を植え替え、料理人たちはなぜか正門の石畳を磨かされている。

 

 何もかも担当が逆だった。

 

「つばき!」

 

 廊下の反対側から、ヤマトが拡声器を向ける。

 

「はい!」

 

「手が止まっておるぞ!」

 

「止まってませんよ!」

 

「三秒前より紙が一枚も減っておらん!」

 

「今、内容を読んでたんです!」

 

「名前を書けば終わりじゃ!」

 

「それをしたらだめな書類だと思います!」

 

 つばきの前にも、書類の山が積み上がっていた。

 いつもならヤマトが確認するはずの政務書類である。

 

 港の修繕費。宮殿職員の給与。外交文書。

 どれも新人メイドが触ってよい内容には見えなかった。

 

「若王子殿下、やっぱり私が政務をするのはおかしくないですか?」

 

「俺様は忙しいんじゃ!」

 

「私も十分忙しいですよ」

 

「名前くらい書けるじゃろ!」

 

「若王子殿下のお名前を勝手に書いたら、偽造になりますよね?」

 

「では俺様の判子を貸す」

 

「もっとだめです!」

 

「注文が多いのう!」

 

「普通のことしか言ってませんよ!」

 

 ヤマトは不満そうに頬をふくらませた。

 

「ともかく今日中に全部終わらせよ!」

 

「何で私が……」

 

「殿下付き侍女じゃろ!」

 

「侍女の仕事に政務は入ってませんって!」

 

「今日から入った!」

 

「勝手に増やさないでください!」

 

 つばきが言い返すと、ヤマトは拡声器を抱えたまま、しばらく彼女を見上げた。

 

 初めて会ったときと同じ、猫のようなつり目。生意気そうな顔。

 けれど今日は、いつも以上に落ち着きがない。

 

 髪はところどころ跳ねすぎているし、白衣のボタンも一つずれている。

 おそらく朝からほとんど休んでいないのだろう。

 

「若王子殿下」

 

「なんじゃ」

 

「とりあえず、ボタン掛け違えてますよ」

 

「どこじゃ?」

 

「ここです」

 

 つばきは椅子から立ち、ヤマトの前へかがんだ。

 ずれている白衣のボタンを外し、正しい穴へ通す。

 

 ヤマトはじっとしていたが、落ち着かないのか、手にした指示棒を小さく揺らしている。

 

「はい、直りました」

 

「うむ」

 

「あと、髪に糸くずがついてます」

 

「取れ」

 

「はいはい」

 

「返事は一回じゃ」

 

「はい」

 

 つばきは糸くずをつまみ、近くのごみ箱へ捨てた。

 

「それで、どうして今日はこんなに大騒ぎなんですか?」

 

「大騒ぎではない。準備じゃ!」

 

「何の準備です?」

 

「つばきは知らんでよい!」

 

「知らないまま政務を押しつけられるのは、ちょっと納得できないんですけど」

 

「俺様がやれと言ったら、やるんじゃ!」

 

「そういう言い方をすると、余計やりたくなくなりますよ?」

 

「なんじゃと!」

 

「冗談です。ちゃんと働きますから」

 

「なら手を動かせ!」

 

「だから内容を確認してるんですって!」

 

 ヤマトはまた廊下の奥へ走っていった。

 

「そこ! 花瓶の角度が三度ずれておる!」

 

「わかるんですか!?」

 

「俺様にはわかる!」

 

「どちらに直せばよろしいですか!」

 

「右じゃ!」

 

「右へ三度ですね!」

 

「いや、今見たら左じゃ!」

 

「どちらですか!」

 

 廊下の向こうで、メイドたちの悲鳴が上がる。

 

 つばきはその背中を見送り、机へ向き直った。

 けれど気になって、すぐ隣で窓を磨いている大臣へ小声で尋ねる。

 

「大臣閣下」

 

「何かね」

 

「若王子殿下、どうしてあんなに慌ててるんですか?」

 

「聞いていないのか」

 

「何も。朝起きたら書類を渡されて、『今日からつばきが政務大臣じゃ』と」

 

「その役職も存在しない」

 

「ですよね」

 

 大臣は磨き終えた窓を確認し、新しい布を手に取った。

 

「昨夜、若王子殿下のもとへ電話があったのだ」

 

「電話?」

 

「日本にお住まいのお姉さまからだ」

 

 つばきは目を瞬いた。

 

「若王子殿下のお姉さまですか?」

 

「そうだ。こちらへ遊びに来られるという」

 

「ああ、それで」

 

 つばきは廊下の奥を見た。

 ヤマトは今度は衛兵たちが運ぶ鍋を確認している。

 

「味見はしたのか!」

 

「まだ煮ていません!」

 

「先に味を見ろ!」

 

「お湯です!」

 

「姉上に味のないものを出す気か!」

 

「これから味をつけます!」

 

「急げ!」

 

 いつも騒がしい少年ではある。

 しかし姉が来るというだけで、宮殿中を巻き込むほど慌てるとは思わなかった。

 

「若王子殿下、お姉さまのことが大好きなんですね」

 

「そうだな」

 

 大臣の返事は穏やかだった。

 

「若王子殿下にとって、あの方は特別なのだ」

 

「お母さまのような?」

 

 つばきが尋ねると、大臣はわずかに手を止めた。

 宮殿の一角には、王家の肖像画が並ぶ長い回廊がある。

 

 つばきもメイドとして働き始めた日に、先輩から説明を受けながら歩いた。

 

 そこに描かれていた、先の王妃。

 静かな笑みを浮かべた美しい女性だった。

 

 つばきは本人に会ったことがない。

 ヤマトも同じだ。

 

 王妃はヤマトが生まれたときに亡くなったため、彼も母を肖像画でしか知らない。

 

「お姉さまは、先の王妃さまとよく似ているそうですね」

 

「瓜二つだ」

 

 大臣は静かに答えた。

 

「若王子殿下にとっては姉であり、母の代わりでもあるのだろう」

 

「なるほど……」

 

 つばきは少しだけ胸が温かくなった。

 

 ヤマトは普段、何でも自分一人でできるような顔をしている。

 世界最高の天才。

 国の科学技術を一人で進歩させた王子。

 

 けれど、まだ十歳の男の子でもある。

 母親を知らず、父親まで亡くしている。

 

 先王であるボー・フォンド・アララ・オットット十二世が亡くなったのは、つばきが宮殿へ奉公する少し前だった。

 

 彼の王の死因は『全身ムズムズ病』だと聞いている。

 

「全身ムズムズ病って、どういう病気だったんですか?」

 

 つばきが尋ねると、大臣の顔がわずかに曇った。

 

「その名のとおり、全身がムズムズする病だ」

 

「ずっとですか?」

 

「ずっとだ」

 

「それで亡くなられたんです?」

 

「最期には、かいてはいけない場所までかゆがっておられた」

 

「かいてはいけない場所?」

 

「王としての尊厳が関わる」

 

「聞かないほうがよさそうですね」

 

「賢明だ」

 

 先王は晩年、とても優しい王だったという。

 

 敵には冷徹だったが、家族を深く愛していた。

 亡くなる直前も、子どもたちのことを心配していたらしい。

 

 父も母もいない。

 

 だからこそ、ヤマトは姉が来るのを心から楽しみにしているのだ。

 つばきは、もう一度廊下の奥へ目を向けた。

 

 ヤマトは料理兵にされた衛兵から、お玉を奪い取っていた。

 

「貸せ! 俺様が味を見る!」

 

「まだお湯です!」

 

「俺様が見れば味が出る!」

 

「出ません!」

 

 大臣が小さくため息をつく。

 

「昨夜、電話を受けてから一睡もしていない」

 

「やっぱり」

 

「研究室へこもり、歓迎用の花火を作ろうともしていた」

 

「止めたんですか?」

 

「止めた」

 

「よかったです」

 

「代わりに宮殿の屋根を開閉式にしようとしている」

 

「全然止まってないですよね?」

 

「設計図は没収した」

 

「本当によかったです」

 

 つばきはヤマトを見る目を少しだけ柔らかくした。

 無茶苦茶な命令を飛ばしている。

 

 宮殿中が迷惑している。

 

 自分もなぜか政務をやらされている。

 けれど理由を知ると、少しだけ仕方ないと思えてしまう。

 

「私も頑張りますね」

 

「そうしてもらえると助かる」

 

「若王子殿下のお姉さまなら、ちゃんとお迎えしたいですし」

 

「ただし、書類へ勝手に判子を押してはいけない」

 

「押しませんよ!」

 

「若王子殿下に押すよう命じられてもだ」

 

「押しませんって!」

 

 そのとき、廊下の奥から拡声器の音が響いた。

 

『そこ! さぼるんじゃあない!』

 

 つばきと大臣が同時に振り返る。

 ヤマトが遠くから、二人へ指示棒を向けていた。

 

「さぼってませんよ!」

 

『口を動かしておったじゃろ!』

 

「今、お姉さまのお話を聞いてたんです!」

 

『姉上の話なら許す!』

 

「許すんですね!」

 

『ただし手は動かせ!』

 

「はいはい」

 

『返事は一回じゃ!』

 

「はい!」

 

 つばきは笑いながら椅子へ戻った。

 

 書類を一枚取る。

 さすがに自分で決裁はできないが、内容を種類別に分けるくらいならできる。

 ヤマトが確認しやすいよう、急ぎのものを右へ。後でよいものを左へ。大臣へ戻すものを中央へ。

 

 しばらくすると、ヤマトが戻ってきた。

 

「なんじゃ、その分け方は」

 

「若王子殿下が見やすいようにしてるんです」

 

「俺様は全部見ればわかる」

 

「でも、さっき全部私にやらせようとしましたよね?」

 

「俺様は忙しいからじゃ!」

 

「じゃあ、お手伝いです」

 

「ふむ」

 

 ヤマトは急ぎの書類を一枚取り、目を通した。

 

「これは今日中じゃな」

 

「はい。赤い印をつけてあります」

 

「これは?」

 

「明日でも大丈夫です」

 

「これは大臣へ戻すものか」

 

「必要な添付書類がありませんでした」

 

 ヤマトはつばきの顔を見上げる。

 

「おぬし、政務の経験はないと言っておったな」

 

「ありませんよ」

 

「それにしては使えるではないか」

 

「褒めてます?」

 

「俺様に褒められるなど光栄じゃろ」

 

「もう少し普通に褒めてもらえると嬉しいです」

 

「注文が多いのう」

 

「ありがとうございます」

 

「まだ何も言っておらん」

 

「褒めてもらったことにします」

 

 つばきが笑うと、ヤマトは少しだけ口元をゆるめた。

 

「では、これは俺様がやる」

 

「はい」

 

「つばきは大広間を見てこい。壁の飾りが少し足りん」

 

「どんな飾りです?」

 

「姉上の肖像画じゃ」

 

「ご本人が来るのに?」

 

「姉上を迎えるのじゃから、姉上の顔を飾るのは当然じゃろ」

 

「そうですかねえ」

 

「あと廊下にも置く」

 

「何枚あるんですか?」

 

「二百枚ほど作らせた」

 

「多いですよ!」

 

「姉上は美しいからのう!」

 

「宮殿中がお姉さまになりますよ?」

 

「それでよい!」

 

 つばきは止めようとした。

 しかしヤマトの顔が本当にうれしそうだったため、強くは言えなかった。

 

「じゃあ、せめて大広間だけにしましょう」

 

「なぜじゃ!」

 

「ご本人が歩くたびに、ご自分の顔が並んでたら恥ずかしいと思いますよ?」

 

「姉上が?」

 

「はい」

 

 ヤマトは真剣な顔で考えた。

 

「……では百枚にする」

 

「減らし方が半分なだけですよ!」

 

「大幅に減らしたじゃろ!」

 

「十枚くらいで十分です」

 

「少なすぎる!」

 

「二十枚」

 

「八十枚」

 

「三十枚」

 

「七十枚」

 

「四十枚」

 

「六十枚」

 

「五十枚」

 

「よし!」

 

「交渉成立ですね」

 

 ヤマトは満足そうにうなずいた。

 つばきも笑顔を返したあと、心の中で首をかしげた。

 

 五十枚でも多い。

 

 なぜ自分まで納得してしまったのだろう。

 けれど、そのころには宮殿全体が同じような状態になっていた。

 

 大臣は清掃へ慣れ始め、窓の汚れを見つけると自分から布を手に取る。

 衛兵たちは料理に目覚め、魚の焼き加減について真剣に議論している。

 料理人たちは石畳磨きの競争を始めていた。

 

 役職と仕事は完全に崩壊している。

 それでも準備だけは、猛烈な勢いで進んでいった。

 

 正午になるころには、宮殿の窓は一枚残らず輝いていた。

 廊下には花が飾られ、庭園の芝は一ミリの乱れもなく切り揃えられている。

 大広間には、予定より少し増えて六十三枚になった姉の肖像画が並んでいた。

 

「増えてません?」

 

「余った十三枚がもったいなかったんじゃ」

 

「五十枚でも余ると思いますけど」

 

「姉上の顔はいくらあってもよい!」

 

「そうですか……」

 

 厨房には豪華な料理が並んでいた。

 衛兵たちが作ったため、形は少し不揃いである。

 けれど味見をしたつばきは、素直に驚いた。

 

「おいしいです」

 

「本当か!」

 

 大きな体の衛兵が目を輝かせる。

 

「魚の焼き加減がすごくいいですよ」

 

「ありがとうございます!」

 

「こっちのスープもおいしいです」

 

「鍋を兜で運んだ甲斐がありました!」

 

「それは関係ないと思いますけど」

 

 ヤマトも次々と味見する。

 

「うむ。これなら姉上も喜ぶ!」

 

「よかったですね」

 

「甘味はどうじゃ!」

 

「今、焼き上がりました!」

 

 別の衛兵がケーキを運んでくる。

 上には果物と生クリームで、姉の顔が描かれていた。

 

 ヤマトが目を輝かせる。

 

「姉上じゃ!」

 

「似てますね」

 

「切るのがもったいないのう」

 

「食べ物ですから、切らないと」

 

「姉上の顔へ刃物を入れることなどできん!」

 

「じゃあ、どうやって食べるんです?」

 

「後ろから食べる」

 

「どこからでも同じですよ」

 

 ヤマトはケーキの周囲を回りながら、本気で悩んでいた。

 その姿を見て、つばきは笑った。

 

 生意気で、わがままで、何でも自分の思いどおりにしようとする。

 けれど家族のことになると、驚くほど一生懸命になる。

 

 つばきが殿下付き侍女になってから、まだ十日もたっていない。

 それでも少しずつ、ヤマトがどんな少年なのかわかってきた気がした。

 

 午後には、すべての準備が整った。

 

 宮殿の者たちは正面玄関前へ集められた。

 

 大臣も。衛兵も。メイドも。料理人も。役人も。

 皆、朝から働き続け、すっかり疲れ切っていた。

 

 つばきも書類の整理と飾りつけを終え、ヤマトの後ろに立っている。

 

「完璧じゃ」

 

 ヤマトは輝く宮殿を見回し、満足そうに胸を張った。

 

「窓に曇りなし。庭園に乱れなし。食事も問題なし。姉上の肖像画も十分じゃ!」

 

「十分というか、多いですけどね」

 

「姉上はきっと喜ぶ!」

 

「そうですね」

 

 大臣が正門の向こうを確認する。

 

「若王子殿下。お姉さまは何時ごろ到着なさる予定でしょうか」

 

「到着?」

 

 ヤマトが首をかしげた。

 

「はい。そろそろお迎えの時間かと」

 

「今日は来んぞ」

 

 宮殿中が静まり返った。

 つばきは聞き間違えたのかと思った。

 

「え?」

 

「姉上が来るのは再来月じゃ」

 

 誰も動かない。

 鳥の声だけが庭園から聞こえてくる。

 

 大臣がゆっくり口を開いた。

 

「昨夜、遊びに来られると連絡があったのでは?」

 

「そうじゃ」

 

「いつ来られると?」

 

「再来月じゃ」

 

「では、今日の準備は」

 

「予行演習じゃ!」

 

 ヤマトは満面の笑みで振り返った。

 

「ぶっつけ本番で姉上を迎えるわけにはいかんじゃろ! 今日の問題点を直し、再来月はもっと完璧にする!」

 

 誰も返事をしなかった。

 

「どうしたんじゃ?」

 

 ヤマトは不思議そうに皆を見る。

 

「成功じゃぞ!」

 

 大臣の手から、窓拭き用の布が落ちた。

 料理兵にされた衛兵は、持っていたお玉を握りつぶした。

 料理人たちは、磨き上げた石畳へ静かに座り込んだ。

 

 つばきはしばらく何も言えなかった。

 

 朝から政務を整理した。

 姉の肖像画を六十三枚飾った。

 衛兵が作った料理をすべて味見した。

 

 そして本人は、あと二か月来ない。

 

「若王子殿下」

 

「なんじゃ」

 

「一つ聞いていいですか?」

 

「よいぞ」

 

「どうして最初に、予行演習って言わなかったんです?」

 

「言ったら本番の緊張感が出んじゃろ」

 

「緊張感はありましたよ」

 

「そうじゃろう!」

 

「褒めてないです」

 

「今回の経験を次に生かせばよい!」

 

 ヤマトは指示棒を高く掲げた。

 

「これで再来月、姉上を迎えられるから、また準備をよろしく頼む!」

 

 その瞬間。

 宮殿中から、悲鳴とも怒号ともつかない声が上がった。

 

「またやるのですか!?」

 

「当然じゃ!」

 

「同じことを!?」

 

「今度は本番じゃから、今日の三倍は必要じゃ!」

 

「三倍!?」

 

「窓は二回ずつ磨け! 料理は百品! 肖像画は二百枚じゃ!」

 

「増えてますよ!」

 

「本番じゃからな!」

 

 ヤマトは楽しそうに笑った。

 

「でっひゃひゃひゃひゃ! 姉上、待っておれ! 俺様が世界一の歓迎をしてやるぞ!」

 

 つばきはその笑顔を見つめた。

 姉を大切に思う気持ちは、本物である。

 母代わりの姉を迎えるため、できる限りのことをしたいのだろう。

 

 それはよくわかる。

 よくわかるのだが。

 

「若王子殿下」

 

「なんじゃ?」

 

「本番の準備は、一週間前からでいいですよね?」

 

「一か月前からじゃ!」

 

「長いです」

 

「では三週間!」

 

「三日前で十分です」

 

「短すぎる!」

 

「今回、半日で終わりましたよね?」

 

「予行演習と本番は違う!」

 

「同じことをするんですよね?」

 

「規模を三倍にする!」

 

「しません」

 

「俺様の命令じゃぞ!」

 

「皆さん、聞かなかったことにしましょう」

 

 つばきが宮殿の者たちへ呼びかける。

 疲れ切っていた全員が、静かにうなずいた。

 

「なんでおぬしが仕切っておるんじゃ!」

 

「若王子殿下は、まず今日の政務をしてください」

 

「つばきが終わらせたのではないのか?」

 

「整理しただけです。確認と署名は若王子殿下のお仕事ですよ」

 

「これから姉上歓迎計画を見直さねばならん!」

 

「再来月です」

 

「今から始めねば間に合わん!」

 

「間に合います」

 

「間に合わん!」

 

「大臣閣下」

 

 つばきが呼ぶ。

 大臣はすぐにヤマトの逃げ道へ立った。

 

「若王子殿下。執務室へ参りましょう」

 

「なぜ大臣までつばきの味方をするんじゃ!」

 

「私は最初から政務の味方です」

 

「そんな味方はいらん!」

 

 ヤマトが逃げ出そうとする。

 しかし片側には大臣。

 

 反対側にはつばき。

 背後には、朝から働かされた宮殿の者たちが並んでいる。

 

「待て。おぬしたち、目が怖いぞ」

 

「疲れてるんですよ」

 

「俺様も疲れた!」

 

「若王子殿下は指示してただけですよね?」

 

「指示も立派な仕事じゃ!」

 

「じゃあ、もう一仕事できますね」

 

「何をじゃ?」

 

「書類です」

 

「嫌じゃああああ!!」

 

 ヤマトの叫びが、磨き上げられた宮殿中へ響き渡る。

 

 その日、姉を迎えるための予行演習は、見事に成功した。

 ただし次の予行演習は、宮殿職員全員の反対により中止となった。

 

 再来月の本番まで、ヤマトには知らされない予定である。

 

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