それ以降は気が向いたら書きます。
田島波留宮殿の午後は、珍しく平和だった。
窓の外には青い空が広がり、庭園の木々は風に揺れている。
遠くで鳥が鳴き、噴水の水音が静かに響いていた。
爆発はない。警報もない。
壁も床も、朝から一枚も壊れていない。
つばきは紅茶を注ぎながら、この穏やかな時間が少しでも長く続けばいいと思っていた。
「どうぞ、シャーロット王女殿下」
「ありがとう、つばき」
えげれす王国第三王女シャーロットは、背筋を伸ばしたままカップを受け取った。
金髪の縦ロールも、額を見せた髪型も今日も完璧だった。
淡い紫色のドレスにはしわ一つなく、八歳とは思えないほど優雅に椅子へ座っている。
その向かいでは、大臣が静かに紅茶を飲んでいた。
そしてテーブルの奥には、ヤマトがいた。
正確には、ほとんど机へ寝そべっていた。
「若王子殿下」
「なんじゃ」
「お茶の時間くらい、ちゃんと座ってください」
「俺様は座っておる」
「半分くらい、机に乗ってますよ」
「座り方は人それぞれじゃ」
「王族としてのお行儀は一つですわ」
シャーロットが即座に注意する。
ヤマトは不満そうにつり目を細めた。
「シャーロットは細かいのう」
「細かくありません」
「つばきと同じことを言う」
「正しいことは何人が言っても同じですわ」
「俺様が二人に増えたみたいで嫌じゃ」
「どういう意味ですか?」
つばきが尋ねる。
「俺様を注意する者が二人になったという意味じゃ」
「私は若王子殿下じゃありませんよ」
「わたくしもですわ」
「そういうことではない!」
ヤマトは起き上がり、菓子皿からクッキーを二枚まとめて取った。
シャーロットがじっと手元を見る。
「一枚ずつお取りなさいませ」
「俺様の宮殿じゃぞ」
「だからといって二枚同時に取っていい理由にはなりませんわ」
「つばきは三枚取ったことがあるぞ」
「若王子殿下に全部食べられそうだったからです」
「ならば俺様も食べられる前に取る」
「誰も取りませんって」
つばきは笑いながら、ヤマトの前へ新しい紅茶を置いた。
最近の三人は、こうして時々一緒にお茶を飲むようになっていた。
最初こそシャーロットは、つばきを恋のライバルとして警戒していた。
けれどヤマトに振り回されるうち、いつの間にか二人で同じため息をつくことが増えた。
今ではつばきがケーキを作れば、シャーロットが飾りを手伝う。
シャーロットがヤマトへ礼儀を教えようとすれば、つばきが逃げ道を塞ぐ。
ヤマトにとっては、少しだけ居心地の悪いお茶会だった。
「ところで」
シャーロットが紅茶を一口飲み、何気ない調子で尋ねた。
「ヤマト殿下にも、苦手な方はいらっしゃいますの?」
ヤマトは一秒も考えなかった。
「叔父上」
即答だった。
つばきの手が止まった。
大臣もカップから口を離す。
シャーロットは目を瞬いた。
「叔父様?」
「うむ」
「若王子殿下にも、苦手な人がいるんですか?」
つばきは純粋に驚いていた。
ヤマトは大臣にも逆らう。
外国の要人にも遠慮しない。
研究が始まれば、警報にも爆発にもひるまない。
姉のキクコだけには甘えるが、それは苦手というのとは違う。
「おる」
ヤマトはもう一度、嫌そうに答えた。
「世界中で唯一、俺様が会いたくない人物じゃ」
「そこまでですの?」
「会えばわかる」
「どんな方なんです?」
つばきが興味を示す。
ヤマトはクッキーをかじりながら、視線をそらした。
「うるさくて、暑苦しくて、馴れ馴れしくて、俺様を子ども扱いする」
「最後の理由が一番大きそうですね」
「そんなことはない!」
「お名前は?」
シャーロットが尋ねる。
「レイモンド」
大臣が静かに説明を加えた。
「レイモンド・フォンド・アララ・オットット教授です」
「教授?」
「大学教授でもあります。専門は考古学です」
「王族でありながら、学者でもいらっしゃるのですか」
「世界的な考古学者だ」
大臣は少しだけ誇らしそうだった。
「これまでに複数の古代文明を発見し、未解読文字を七種解読している。今年に入ってから三冊の著書を出版し、すべてが世界的なベストセラーになった」
「すごい方ではありませんか」
シャーロットの目が輝く。
「昔から世界中を旅しておるだけじゃ」
ヤマトは面白くなさそうだった。
「俺様なら未解読文字など一日で読める」
「それはそれですごいですけど」
「叔父上は、ただ危険な場所へ行くのが好きなだけじゃ」
「冒険家でもあるんですか?」
「世界的な冒険家としても知られている」
大臣が答える。
「先月まで南方大陸の密林に入り、消えた古代都市を調査していた」
「先月まで?」
つばきが首をかしげる。
「今はどちらに?」
大臣が答える前に、窓の外から大きな歓声が聞こえてきた。
つばきたちは一斉に庭園の向こうを見る。
宮殿の正門前に、大勢の人々が集まっている。
新聞記者に撮影機材を抱えた報道陣。
テレビ中継の車両。
空には報道用の小型飛行艇まで浮かんでいた。
「何ですの、あの人だかりは」
シャーロットが立ち上がる。
庭園の外では、記者たちが拡声器を持って次々と叫んでいた。
「レイモンド教授、ご帰国!」
「古代都市の発見について一言!」
「今年三冊目のベストセラーが発売初日に百万部を突破しました!」
「次の冒険先はどちらですか!」
ヤマトの顔が引きつった。
「帰ってきたのか……」
それまで机に寝そべっていた少年が、椅子へ深く座り直す。
今にもどこかへ逃げ出しそうな顔だった。
「あ、まさか――」
つばきが言おうとするより早く。
「叔父上じゃ」
ヤマトは立ち上がる。
「俺様は大急ぎで研究室へ戻ることにするぞ」
「お茶はまだ途中ですよ」
「急用を思い出した」
「何ですの?」
「昨日作った機械が爆発する予定じゃ」
「爆発してから行けばいいですよ」
「そういう問題ではない!」
ヤマトが部屋の出口へ向かう。
しかし扉の前には、いつの間にか大臣が立っていた。
「どけ、大臣」
「レイモンド教授がお帰りです」
「俺様には関係ない」
「王家の一員として、お迎えください」
「嫌じゃ」
「だめです」
「俺様は王子じゃぞ!」
「王子だからです」
ヤマトは別の出口を探す。
つばきが窓の前へ移動する。
「窓からもだめですよ」
「なぜ先回りするんじゃ!」
「最近わかるようになってきました」
「成長せんでよいところばかり成長しおって!」
外の歓声がさらに大きくなる。
金色の飛行艇が宮殿前へゆっくり降りてきた。
機体の側面には、世界各国の大学や博物館の紋章が並んでいる。
扉が開いた。
最初に長い脚が現れる。
黒い革靴に深い赤色の長いコート。
首元には白いスカーフ。
最後に、大きなサングラスをかけた男性が姿を見せた。
年齢は四十代後半。
長身で、肩幅も広い。
冒険帰りとは思えないほど身なりは整い、手を振る動作の一つにも妙な華やかさがあった。
報道陣へ投げキスを送り、コートの裾を翻す。
「ただいま~♡」
その一言で、宮殿の空気が変わった。
正門に並んでいた衛兵たちは姿勢を正し、メイドたちは頬を赤くする。
報道陣から歓声が上がった。
「レイモンド教授!」
「こちらを向いてください!」
「南方大陸の古代都市は、本当に黄金でできていたのですか!」
「その話はあとで記者会見を開くわね~♡」
レイモンドはサングラスを少し下げ、記者たちへ片目をつむった。
「でも今は、かわいい甥っ子との再会が先よ♡」
窓の内側で、ヤマトの顔がさらに嫌そうになった。
「帰る」
「ここが若王子殿下のお家ですよ」
「では別荘へ行く」
「お迎えくらいしてください」
「俺様はあの者の甥になった覚えはない!」
「血のつながりは、覚えているかどうかでは変わりませんわ」
シャーロットが冷静に言った数分後。
応接室の扉が勢いよく開いた。
「ヤマトちゃ~ん♡」
レイモンドが両腕を広げて飛び込んでくる。
ヤマトは椅子から飛び降り、反対側へ逃げた。
「来るな!」
「会いたかったわ~♡」
「俺様は会いたくなかった!」
「まあまあ。照れちゃって♡」
「照れておらん!」
レイモンドは長い脚でテーブルを回り込み、逃げるヤマトを追いかける。
ヤマトも椅子の間をすり抜け、窓際へ走った。
「つばき、止めろ!」
「私がですか!?」
「殿下付き侍女じゃろ!」
「こういうときだけ言いますよね!」
つばきが迷っている間に、レイモンドがヤマトを捕まえた。
「ヤマトちゃ~ん♡」
後ろから抱き上げ、そのまま頬ずりする。
「やめろ!」
「少し大きくなったわねえ」
「暑苦しい!」
「髪も相変わらずつんつんね♡」
「触るな!」
「かわいい八重歯も変わってないわ~♡」
「見るな!」
ヤマトは手足をばたつかせる。
しかしレイモンドは離さない。
世界最高の科学者が、本気で困っていた。
つばきは目を丸くする。
いつもなら、ヤマトが誰かを振り回す側である。
こんなふうに一方的に抱き上げられ、逃げられなくなっている姿は初めて見た。
「若王子殿下が、本気で困ってる……」
「本当に苦手なのですわね」
シャーロットも驚いていた。
「叔父上! 早く下ろせ!」
「久しぶりなんだから、もう少し抱かせてちょうだい♡」
「嫌じゃ!」
「昔は叔父上、叔父上ってついてきたのに」
「昔の俺様は判断力がなかった!」
「三歳だったものねえ」
「その話をするな!」
ヤマトの顔が赤くなる。
レイモンドは満足するまで甥を抱き締めたあと、ようやく床へ下ろした。
ヤマトはすぐに距離を取り、白衣のしわを直す。
「二度と触るな」
「はいはい♡」
「返事が軽い!」
「ところで、こちらのお嬢さんたちは?」
レイモンドがサングラスを外す。
切れ長の目が、つばきとシャーロットへ向けられた。
視線そのものは鋭い。
しかし口元には人好きのする笑みがある。
つばきは慌てて姿勢を正した。
「若王子殿下付き侍女の、つばきと申します」
「まあ。あなたが噂のつばきちゃん?」
「噂?」
「実験に巻き込まれても、次の日には普通に働いている、とっても丈夫なメイドさん♡」
「どういう噂が広がってるんですか!?」
「世界は広いけど、あなたほど丈夫なメイドさんは珍しいわよ」
「褒められてます?」
「もちろん♡」
レイモンドは続いてシャーロットへ向き直る。
シャーロットはドレスの裾を持ち、完璧な礼をした。
「えげれす王国第三王女、シャーロット・ベルローズですわ。外交と留学を兼ね、現在こちらへ滞在しておりますの」
「まあまあ。しっかりしたお姫様ねえ♡」
「お初にお目にかかりますわ、レイモンド教授」
「私のことを知っているの?」
「考古学のご著書を何冊か拝読しています」
「あら、うれしい♡」
レイモンドはシャーロットの前へかがむ。
「あとで署名を差し上げるわね」
「ありがとうございますわ」
「ヤマトちゃんより、ずっと礼儀正しいわ」
「俺様と比べるな!」
「比べるまでもありませんわ」
「シャーロットまで!」
ヤマトは不満そうに頬をふくらませた。
「大臣」
シャーロットが少し声を落とす。
「こちらの方が、ヤマト殿下の叔父様なのですか?」
「そのとおりです」
「先王陛下の弟君?」
「はい」
「では、王位継承権があるのでは?」
つばきも気になったらしく、レイモンドを見る。
「そうですよね。若王子殿下より先に王位を継ぐ可能性もあったんじゃないですか?」
「ないわよ♡」
レイモンドは軽く答えた。
「ない?」
「私は王位を継ぐ資格がないの」
シャーロットは首をかしげた。
「資格とは?」
大臣が少し咳払いをした。
「アララ王国の王位は男子が継承する。ただし、男子として生まれれば誰でもよいわけではない」
「ほかにも条件がありますの?」
「王家独自の古い儀式と、身体的な資格が必要となります」
シャーロットは真剣に聞いている。
つばきはよくわからない様子だった。
「身体的な資格って、何ですか?」
ヤマトが面倒そうに答えた。
「宦官という言葉を知っておるか?」
シャーロットが一瞬、目を見開いた。
「あ……」
つばきだけが首をかしげる。
「かんがん?」
「つばきは知らなくてよい」
「気になりますよ」
「あとで本を読みなさいませ」
シャーロットは少し頬を赤くして、つばきから目をそらした。
レイモンドは楽しそうに笑う。
「それ以前に、私は王位継承のための儀式を受けていないのよ♡」
「どうしてですの?」
「世界を旅したかったから」
レイモンドは迷いなく答えた。
「子どものころから、宮殿の外に何があるのか知りたかったの。砂漠の下に眠る都も、海の底の神殿も、誰も入ったことのない洞窟も、ぜんぶ自分の目で見たかった」
窓の外へ視線を向ける。
「王になるより、ずっと面白そうだったのよ」
「逃げただけじゃ」
ヤマトが横から口を挟む。
「失礼ねえ」
「面倒なことを兄上に押しつけて、世界中を遊び歩いたんじゃろ」
「研究と冒険よ♡」
「同じじゃ」
「ヤマトちゃんも、政務から逃げて研究室へ行くでしょう?」
「俺様の研究は国のためじゃ!」
「私の研究も人類のためよ」
「叔父上の場合は、自分が面白いからじゃろ!」
「ヤマトちゃんも同じでしょう?」
ヤマトが黙った。
つばきとシャーロットが同時にヤマトを見る。
「同じですね」
「同じですわね」
「違う!」
ヤマトはすぐに否定した。
「俺様は叔父上ほど無責任ではない!」
「政務から逃げる方が何を言っていますの?」
「今日は逃げておらん!」
「午前中、窓から出ようとしてましたよね?」
「外の空気を確認しただけじゃ!」
レイモンドは声を立てて笑った。
「あらあら、本当にポー兄そっくり♡」
ヤマトの顔から表情が消えた。
「誰がじゃ」
「あなたが」
「俺様と父上は違う」
「そうかしら」
レイモンドの笑みが、ほんの少しだけ穏やかになる。
「好奇心が強くて、何でも自分で確かめたがるところなんて、若いころのポー兄そのものよ」
「父上は賢王じゃ」
「若いころから賢王だったわけではないのよ♡」
「嘘をつくな」
「本当よ。昔は宮殿の屋根から飛び降りて、足をくじいたこともあるわ」
大臣が静かに目をそらした。
ヤマトがその動きを見逃さない。
「大臣」
「何でしょう」
「今、目をそらしたな」
「気のせいです」
「父上は本当に屋根から飛び降りたのか?」
「先王陛下の名誉に関わりますので、お答えできません」
「答えておるようなものじゃ!」
レイモンドは楽しそうに肩を揺らした。
「ほら、本当でしょう♡」
「父上を勝手に変な人物にするな!」
「変ではないわよ。とっても面白い人だったの」
その声には、懐かしさがにじんでいた。
ヤマトは反論しようと口を開き、結局何も言わなかった。
つばきはその横顔を見る。
ヤマトは父を幼いころに亡くしている。
先王について知っていることは多い。
賢王とよばれ家族を大切にしたこと。
敵には冷徹だったこと。
けれど王になる前の父がどんなふうに笑い、どんな失敗をしたのかは、ほとんど知らないのかもしれない。
レイモンドは、そんな昔を知る数少ない人物だった。
「そうそう」
レイモンドが突然、両手を打ち合わせた。
「大事なことを忘れていたわ」
「なんじゃ」
「ヤマトちゃんへのお土産♡」
「いらん」
「古代文明の遺物よ」
ヤマトの耳が動いたように見えた。
「どこの文明じゃ」
「南方大陸で見つけた、地下都市の石版」
「年代は?」
「推定一万二千年前」
「文字は?」
「未解読」
「材質は?」
「不明」
ヤマトの目が輝き始める。
つばきは、その変化を見逃さなかった。
「若王子殿下、興味津々じゃないですか」
「別に興味などない」
「質問が急に増えましたよ?」
「危険物かもしれんから確認しておるだけじゃ!」
「お土産をもらうんです?」
「仕方なく預かってやる」
レイモンドは指を鳴らした。
廊下から数人の職員が、巨大な石版を運び込んでくる。
高さはヤマトの身長の二倍。
表面には幾何学模様と、見たことのない文字が刻まれている。
ところどころ青い鉱石が埋め込まれ、弱い光を放っていた。
「これよ♡」
レイモンドは石版の横へ立つ。
「地下都市の中心に置かれていたの」
「どのような用途ですの?」
シャーロットが尋ねる。
「わからないわ」
「調査していないんですか?」
つばきも石版を見上げる。
「持ち帰るほうを優先したの♡」
「安全確認は?」
「してない♡」
ヤマトがゆっくりレイモンドを見る。
「叔父上」
「なあに?」
「遺跡で動作確認はしたのか?」
「してないわよ♡」
「危険物の可能性は?」
「十分あるわね♡」
「よくそんなものを宮殿へ持ち込んだな!」
「あなたなら何とかできるでしょう?」
「俺様を何だと思っておる!」
「天才科学者♡」
ヤマトは言葉に詰まった。
否定できない褒め方をされ、困っている。
つばきは小さく笑った。
「若王子殿下、人のこと言えませんよね?」
「そうじゃな」
ヤマトは素直にうなずいた。
一秒後、自分が何を言ったのか気づく。
「違う! 俺様は安全確認をする!」
「家庭用ブラックホールのとき、してませんでしたよ」
「一度の失敗をいつまでも言うな!」
「一度でしょうか」
ヤマトは石版へ近づいた。
「どれ。見せてみろ」
「若王子殿下、触る前に調べたほうが」
「俺様なら見ればわかる」
「さっき安全確認をするって言ったばかりですよね?」
「見るのも確認じゃ」
ヤマトは石版の中央へ手を置いた。
青い鉱石が一斉に光る。
「え?」
つばきが声を上げる。
低い振動が床を伝った。
石版の文字が一つずつ輝き、宮殿中へ不思議な音が響き始める。
『ヴァル・ネ・トーラレ。ゼグ・ラ・メーン』
シャーロットが椅子から立ち上がる。
「古代語ですの?」
「そうみたいね♡」
レイモンドは楽しそうだった。
『封印機構ノ解除ヲ確認』
大臣の眉が動く。
「なぜ古代語のあとに日本語なのです」
「俺様が翻訳機能をつなげた」
「いつの間に!?」
「触った瞬間じゃ」
『警告。宮殿内ノ生命体ヲ選別中』
赤い光が部屋中を走る。
つばきの顔にシャーロットの額。
大臣の頭にレイモンドのサングラス。
そしてヤマトの白衣。
順番に光がなぞっていく。
「選別とは、何を選んでいますの?」
「わからん」
「止めてくださいませ!」
「今調べておる!」
『選別完了。生贄候補、一名』
全員が固まった。
つばきが静かに尋ねる。
「誰ですか?」
石版から一本の赤い光が伸びる。
まっすぐレイモンドを指した。
「あら♡」
「叔父上!」
『派手ナ人物ヲ優先』
ヤマトは数秒黙ったあと、腹を抱えて笑い始めた。
「でっひゃひゃひゃひゃ! 石版にも派手だと思われておるぞ!」
「笑ってる場合ですか!」
つばきがヤマトの肩をつかむ。
石版の下部が開き、黒い穴が現れた。
室内の風が吸い込まれて、レイモンドの長いコートが穴の方向へなびく。
「まあまあ。ずいぶん積極的な遺物ねえ♡」
「叔父上、離れろ!」
「足が動かないのよ」
「なぜそんなに落ち着いておるんじゃ!」
「冒険家だから♡」
「答えになっておらん!」
ヤマトは白衣のポケットへ両手を入れた。
ねじに菓子。
小型端末。
ブラックホール停止スプレー。
半重力靴下。
「ああでもない!こうでもない!」
まるで日本製の青いロボタヌキの様だとつばきは思う
「早くしてください!」
「時間停止スプレーは?」
「使用期限が切れておる!」
「まだ持ち歩いてたんですか!?」
シャーロットが石版の文字を見つめる。
「ヤマト殿下! 右下の文字が繰り返し点滅していますわ!」
「どれじゃ!」
「三角形のような文字です!」
ヤマトが石版へ飛びつく。
光る文字へ手を当てた。
「これは停止命令ではない。供物の変更じゃ!」
「変更できますの?」
「おそらくな!」
「何を供物にするんです?」
ヤマトは周囲を見回した。
テーブルの上にはクッキーが残っている。
「これじゃ!」
皿ごと石版の穴へ投げ入れた。
『供物ヲ確認』
吸引が止まる。
『砂糖含有量、良好』
黒い穴がゆっくり閉じた。
『儀式ヲ終了シマス』
石版の光が消える。
宮殿へ静けさが戻りレイモンドの足も動くようになる。
「あらあら。助かったわ♡」
「クッキーで?」
シャーロットは石版を見つめた。
「古代文明の儀式が、クッキーで止まりましたわ」
「甘いものが好きな文明だったんでしょうか」
つばきが答える。
「俺様のクッキーを全部食いおって!」
「気にするところはそこですの!?」
「二枚ずつ取っておけばよかった!」
「そういう問題ではありません!」
レイモンドは石版を軽く叩いた。
「興味深いわねえ。古代文明の食文化に関する大発見かもしれないわ♡」
「先に安全確認をしてください」
つばきが言う。
「そうね。次からそうするわ♡」
「本当にします?」
「気が向いたらね」
ヤマトが深くため息をつく。
「叔父上は昔から何も変わっておらんな」
「ヤマトちゃんもね♡」
「俺様は成長しておる!」
「危険な遺物へ何も考えず触ったでしょう?」
「俺様には止める自信があった!」
「私にもヤマトちゃんが止めてくれる自信があったわ♡」
「俺様を当てにするな!」
シャーロットは二人を見比べた。
危険だとわかっていないわけではない。
けれど好奇心が勝つ。
面白そうだと思えば触り、何か起きてから考える。
根拠のない自信ではなく、自分なら何とかできるという、妙に強い確信を持っている。
「叔父様も、ヤマト殿下と同じですわね……」
シャーロットがつぶやく。
つばきも隣でうなずいた。
「ええ」
二人は揃って、ヤマトとレイモンドを見る。
「「血筋ですね」」
「誰がじゃ!」
「失礼ねえ。私のほうがずっと落ち着いているわよ♡」
「どこがですか」
「服装?」
「見た目の話ではありませんわ!」
レイモンドは楽しそうに笑う。
「ポー兄も、昔はこんなだったのよ♡」
ヤマトの声が止まった。
「またその話か」
「本当よ」
レイモンドは石版へ手を置き、懐かしそうに目を細める。
「ポー兄も若いころは、見たことのないものを放っておけなかった。父上に止められても遺跡へ入り、危険な機械を見つければ勝手に動かしていたわ」
「先王陛下が?」
つばきが驚く。
「ええ。私より無茶をしたこともあったわよ」
「盛るな」
「盛ってないわ」
レイモンドはヤマトを見る。
「あなたが研究室で目を輝かせているとき、たまにポー兄を思い出すの」
「俺様は父上とは違う」
「そうね。あなたはあなたよ」
レイモンドの声から、ふざけた響きが少しだけ消えた。
「でも似ているところがあるのは、悪いことではないでしょう?」
ヤマトは答えなかった。
腕を組み、石版の文字を見つめている。
「父上は、この文字を読めたか?」
「さあ」
「遺物に触ったことは?」
「何度も」
「どんなものじゃ?」
「聞きたい?」
「別に」
「では話さなくてもいいわね」
「……少しくらいなら聞いてやる」
レイモンドはにやりと笑った。
「かわいい♡」
「やはり話すな!」
「ヤマトちゃ~ん♡」
「抱きつくな!」
レイモンドが両腕を広げる。
ヤマトが逃げる。
再び応接室を走り回る二人を、つばきとシャーロットは並んで眺めていた。
「本当に苦手なんですね」
「そのわりに、昔のお話は聞きたいみたいですわ」
「若王子殿下、お父さまのことを知りたいんだと思います」
「素直に尋ねればよいのに」
「家族のことになると不器用ですから」
「叔父様に対してもですの?」
「たぶん」
ヤマトがテーブルの下へ逃げ込む。
レイモンドが反対側からのぞき込む。
「出ていらっしゃい♡」
「嫌じゃ!」
「ポー兄が若いころ、巨大な鳥の卵を温めようとして宮殿を半分焼いた話をしてあげる」
「聞く!」
ヤマトが勢いよく顔を出した。
一秒後、しまったという顔になる。
レイモンドは満面の笑みを浮かべた。
「やっぱり聞きたいのね♡」
「違う! 父上の名誉を守るため、叔父上の嘘を確認するだけじゃ!」
「はいはい」
「その話、私たちも聞いてよろしいですか?」
つばきが手を挙げる。
「もちろん♡」
「わたくしも興味がありますわ」
「王女まで!」
「先王陛下の若いころについては、外交資料にもほとんど記録がありませんもの」
「皆でお茶を飲みながら話しましょうか♡」
「俺様のクッキーは石版が食べたぞ!」
「追加をご用意しますね」
つばきは空になった皿を持ち上げた。
「今度は多めに」
「俺様が三枚ずつ取る!」
「一枚ずつですわ」
「またそれか!」
シャーロットとつばきが同時に笑う。
レイモンドも楽しそうに笑い、ヤマトの頭へ手を置いた。
「やめろ!」
「ヤマトちゃんは、いいお友達に恵まれたのねえ♡」
「こやつらは俺様の家臣と留学生じゃ!」
「そういうことにしておきましょうか」
「何じゃ、その言い方は!」
つばきが新しい菓子を取りに部屋を出る。
シャーロットはレイモンドの向かいへ座り、話を聞く準備を始めた。
ヤマトは嫌そうな顔をしながらも、部屋を出ようとはしなかった。
石版は部屋の隅で静かに光っている。
大臣が念のため、その前へ新しいクッキーの皿を置いた。
「大臣、何をしておる」
「再起動した場合への備えです」
「そんなものでよいのか?」
「先ほど止まりましたので」
「うむ。合理的じゃな」
「ブラックホール停止スプレーと同じ考え方ですわ……」
シャーロットが額へ手を当てる。
レイモンドは大声で笑った。
「本当に面白い国よねえ♡」
「叔父上にだけは言われたくない!」
田島波留宮殿には、その日もにぎやかな声が響いていた。
翌朝。
レイモンドは「次の遺跡が私を呼んでいるわ~♡」という意味の分からない言葉を残し、南方大陸へ向けて旅立っていった。
帰り際もヤマトへ抱きつこうとして全力で逃げられ、最後まで「ヤマトちゃ~ん♡」という声だけが宮殿中へ響いていた。
飛行艇が空の彼方へ消えるのを見届けると、ヤマトは大きく息を吐く。
「……やっと帰ったか」
「ずいぶん安心した顔ですね」
つばきがくすりと笑う。
「叔父上がおると、俺様の調子が狂うんじゃ」
「でも、先王陛下のお話、楽しそうに聞いてましたよね」
「父上の名誉を守るためじゃ!」
「そういうことにしておきます」
シャーロットとつばきが顔を見合わせ、小さく笑う。
その様子を見ていた大臣は、静かにひとことだけつぶやいた。
「次は一年後くらいに帰ってきてくだされば十分ですな」
その場にいた全員が、黙って深くうなずいたのだった。