五十四歳で離縁されましたので、三十七枚の「いつか」を使い切ります ~最後の一枚は、もう一度恋をすること~ 作:kuratn
早春、身重の娘が、伯爵どのの馬車で来た。腹はまだ目立たない。目立たないのに、歩き方がもう、庇う形になっている。
春の陽が、坂の家の窓に斜めに入る。娘の頬は、心なしか薄い。身重の身体で馬車に揺られて来るのだから、用は軽くないのである。若が娘の足元に伏せて、動かない。犬というものは、家の中でいちばん心配の要る人の側に着く。
茶を出すと、娘はしばらく、湯気ばかり見ていた。用向きを言わない客というものは、用向きがいちばん重い客である。わたくしは急かさない。急かさない稽古なら、一年ぶん積んである。
三十七年前のわたくしには、この重さを持ち込む先がなかった。実家は借財ごと遠く、婚家に相談という棚はなく、書く相手は年に一度の紙だけだった。娘には、母がいる。母がいる、というだけのことを、わたくしはいま、湯気の向こうで嚙みしめている。
「……お母様。わたし、気づくと」
娘はやっと口を開いた。
「気づくと、お母様みたいに、我慢の顔をしていますの」
ほう、と胸の奥が鳴った。来た、と思う。いつか来ると思っていた問いである。我慢の顔。わたくしが三十七年かけて仕上げ、鏡の中で毎朝検分していた顔だ。あの顔は、娘の目にちゃんと映っていて、そしていま、娘の鏡に出始めている。型は、教えなくても写る。写ってしまってから、消し方を教えるのが、わたくしの代の親の仕事である。
「伯爵家の嫁の勤めは、果たしますわ。それは、いいの。覚悟して嫁ぎましたもの。でも、この子が生まれたら、わたし、もっと上手に我慢するようになる気がして。上手に我慢して、上手に諦めて、気づいたら箱に紙が三十七枚――」
言ってから、娘は慌てて口を押さえた。
「ごめんなさい。お母様の三十七枚を、悪く言ったのではなくて」
「分かっていましてよ」
悪く言われた気は、していない。あの三十七枚は、わたくしの誇りで、同時に、娘に持たせたくない荷物である。誇りと反面教師は、両立するのだ。
わたくしは立って、新しい箱から白い紙を一枚、卓に置いた。
「決まりは、ひとつだけ。書いたら、七日以内に使うこと」
「……七日」
「ええ。寝かせない。あなたの箱は、書き溜める箱ではなくてよ」
湖畔の宿で、わたくしはこの子のために祈った。あの子が「いつか」と書き溜める夜を、一枚も持ちませんように、と。祈りというものは、待っていても届かない。届け方は、こうして手渡しである。
娘はペンを持って、長いこと迷って、それから、拍子抜けするほど小さい願いを書いた。
『母と二人で、市場の買い食いをする』
「あら」
「だって」娘は口を尖らせた。「湖の町の串のお店、結局、文で教わりそびれましたもの」
大きな願いを書けとは、言っていない。それでも、この小ささに、胸を突かれた。伯爵夫人の箱の一枚目が、母と串焼き、である。……三十七枚の一枚目が『もう一度、恋をする』だった母親に、笑う資格はない。願いというものは、書いた本人の寸法でしか測れないのである。
というわけで、即日成就である。王都の市場は、春の走りの菜と、木苺の初物と、串焼きの煙でできていた。菜の緑、木苺の赤、雪解けの泥を踏んできた長靴の列。煙が、人の隙間を選んで昇っていく。娘の白い札は、袖の中である。使っている最中の札は、胸元か袖――持ち方まで、教えた覚えがないのに似るのだから、母娘というものは恐ろしい。娘は串を両手で持ち、あたりを三度見回してから齧る。この所作、湖の町から一歩も進歩していない。
「べっぴんの姉妹かい」
「親子です!」
憤然と訂正するところまで、そっくり同じである。憤然の声が、湖の町とそっくり同じ調子で出た。あのときは旅の途中の母娘で、いまは箱の師匠と弟子である。肩書きが増えても、串の持ち方は変わらない。木苺はひと籠買って、歩きながらつまんだ。指が赤く染まる。娘は指を眺めて、少し泣きそうな顔で笑った。
「……こういうこと、この子にも、させてあげようと思って」
「ええ。梯子より先に、隣の枝よ」
「なんのお話?」
「おばあちゃんの、講義の予告編」
泣きそうな顔の理由を、わたくしは訊かない。身重の涙腺は、理屈で動かないのである。代わりに、木苺をもうひと粒、娘の手に載せた。甘いものは、大概の理屈より効く。
ちなみに本日は、わたくしの誕生日でもある。五十六歳だ。娘が祝いの言葉を言いかけたので、先回りして申し上げた。
「あら、五十六。……今年は、急ぎませんの」
去年の誕生日は、生まれて初めての海で、急がなくては、と言った。今年は孫が来る。急ぐ理由が、急がなくても向こうから歩いてくる歳である。五十六歳、悪くない。
夕、家の竈で、娘は自分の手で札を燃やした。竈の火に、娘は少し腰が引けて、それでも自分の手でくべた。燃える札を見る目つきが、真剣である。……この子の箱は、これから何枚になるのだろう。何枚でもよい。ただ、どの一枚も、七日より長くは待たせないのである。書いて、使って、燃やす。作法は、一日で覚えられる。覚えるのに五十五年かかったのは、書いてよい、という最初の一行だけである。
娘を馬車に乗せて戻ると、卓の上の白い紙が、一枚だけ数を減らしていた。
……犯人の見当は、ついている。ついているが、あの人の袖の中の紙は、それから季節がひとつ変わっても、白いままだった――。