五十四歳で離縁されましたので、三十七枚の「いつか」を使い切ります ~最後の一枚は、もう一度恋をすること~ 作:kuratn
夏至祭の五日前、袖の中の紙が、とうとう卓の上に出てきた。
早春に持ち出されたきり、季節をひとつ越えて、白いままの一枚である。持ち主は卓に着いて、ペンを構えて、微動だにしない。
初夏の夕方の光が、卓の白い紙を橙に染めている。この紙は、春からずっと、あの人の袖で季節を越した。白札は書いてから七日、が決まりだけれど、書く前の紙に期限はない。期限がないと、この人はどこまでも構えてしまうのである。
「……書けません」
「あら。字はお上手よ」
報告書の字は、四十年ものの端正さである。端正な字で、あの人は昨日まで、買い物の覚えと戸締まりの点呼ばかり書いていた。
「字ではなく」と、元近衛隊長は、敵陣を睨む目で白い紙を睨んだ。「願いが、書けません」
願いがない人では、ないのである。それは、わたくしがいちばん知っている。この人の願いはひとつきりで、三十八年、任務という形でしか持てなかった。約束と思えば資格を疑う。任務と思えば、持ち場に立てばよい――そうやって、ひとつきりの願いを守り抜いた人だ。そして、そのひとつは、もう成就している。
成就させたのは、半分はわたくしである。だから、この膠着の責任も、半分はわたくしにある。願いをひとつしか持たない人と、三十七枚も溜めた女が、同じ卓で暮らしている。溜めた側の更生は済んだ。持たなさすぎた側の稽古が、いま始まったのである。
「二つ目が、初めてなのね」
「……はい。二つ目の願い方を、習っておりません」
「願いの書き方なら、三十七枚ぶん、教えて差し上げますわ」
「手本を、所望します」
「駄目よ。願いだけは、代筆が利きませんの」
突き放したのではない。三十七枚、全部わたくしの字で書いたから知っているのである。願いは、自分の字で書いて初めて、自分のものになる。人の字で書かれた願いは、任務と同じ顔をしてしまう。この人に要るのは、任務の顔をしていない一枚だ。
一日目は、書けずに終わった。二日目も、書けない。書き損じは一枚もない。書き出しが、ないのである。
二日目の夜、寝室の窓から、庭に立つ背中が見えた。星を見るふりをして、たぶん、何も見ていない。四十年、あの背中は「欲しいものは何か」と訊かれない持ち場に立ち続けた。訊かれない年月は、答えを錆びさせる。錆は、三日で落ちるものではない。……それでも、急かさない。願いの井戸は、覗き込まれると、余計に涸れるのである。
三日目の夜、わたくしは湯を使って戻ってきて、卓の上の変化に気づいた。
紙に、字がある。
『祭りの子らと、遊ぶ側で立つ』
「……四十年」と、書いた本人が、白状を始めた。「祭りの子供とは、迷子の受け渡しでしか、関わったことがありません。抱き上げるのは、泣いている子だけです。今年は――」
「ええ」
「遊ぶ側で、立ちたいのであります」
語尾が軍隊に戻るくらい、照れているのである。読んで、胸の奥が甘く軋んだ。四十年の持ち場の景色が、この一行の後ろに全部立っている。迷子を抱き上げるたび、この人は、泣いていない子らの声を、対応不要として聞き流してきたのである。聞き流した声の側へ、五十路の半ばで、初めて願いを出した。わたくしは笑いを噛んで、札を表向きに、年札の隣へ並べた。祭りは三日後。七日以内、期限の内である。
並んだ二枚を、あの人は寝る前にもう一度見に来た。見に来ただけで、何も言わない。白い紙が字を持つというだけのことが、この家では、まだ少し眩しい事件なのである。
翌日から、予行演習が始まった。初夏の路地は、夕方まで子供の声が引かない。石畳の熱、水撒きの虹、軒先の風鈴の試し売り。相手は下町の路地の子らである。木剣は使わない。棒切れと、的当てと、肩車だ。初日、元近衛は的当ての的を精密に作りすぎて、子供に当てられる的ではなくなり、作り直しを命じられた。命じたのは七つの女の子である。命令に、元隊長は敬礼で応えた。子供というものは、権威に対していちばん公平である。強いから従うのでも、大きいから従うのでもない。面白いから、寄ってくるのである。
二日目には、揉まれていた。五人がかりでぶら下がられ、砦にされ、埋められて、雪の日と同じ声がした。
「……降参の作法を、要求します」
「知らなーい」
子供は、容赦というものを知らない。知らないから、良いのである。あの人が四十年、広場の南の角から見ていたものの中に、今日のあの声はなかったはずだ。守る側の耳に、子供の声は警報として届く。混ざる側の耳には、ただの祭りの音である。
埋められた男の顔が、雪の日と同じで、雪の日より晴れている。わたくしは路地の石段に腰掛けて、その声を聞いていた。三十九年前、半分の曲を踊った新兵は、こんな声で笑う人になる予定だったのかもしれない。予定は、四十年遅れで消化されている。遅れて届いたものは、それだけで少し甘い――この理屈は、輪舞で実証済みである。
夜、湿布を貼りながら、明日の段取りを確かめ合った。卓の上では、年札と白札が並んで、同じ夜風に端を揺らしている。一年ものと、三日もの。書いた歳月は違っても、火にくべる日は同じである。
「夏至祭は、明日――」
祭りを待つ口上を、二年前はひとりで、今年は二人で言うのである。