五十四歳で離縁されましたので、三十七枚の「いつか」を使い切ります ~最後の一枚は、もう一度恋をすること~ 作:kuratn
祭りの熱がようやく街から抜けた盛夏の午後、娘が伯爵どのの馬車で来た。腹は、もう隠れない。馬車から降りる娘へ差し伸べられる伯爵どのの両手は、荷下ろしというより、割れ物を納める神官の手つきである。
盛夏の坂の家は、朝のうちに水を打ち、風の通り道を開けておく。打ち水の乾く匂いに、隣の軒の風鈴が薄く重なる。氷はないけれど、井戸で冷やした果実水がある。娘は一杯目を飲み干し、二杯目の半分で手を止めて、それきり、杯の中で揺れる光を見ていた。用向きを言わない客というものは、用向きがいちばん重い客である。この教訓、二度目だ。二度目ともなると、こちらの茶菓の量まで決まってくる。わたくしは急かさない。急かさない稽古なら、二年ぶん積んである。
「……お母様。産み月の式次第が、決まりましたの」
伯爵家の初子は、本家の産所で産む。家付きの産婆が付く。産み月に入れば外出はせず、面会は式次第のとおり。娘はそこまでを一息に言って、杯を置いた。
「その式次第の面会の欄に――お母様の、書きようがありませんの」
あら、と声にする前に、胸の奥が古い軋み方をした。……誤解のないように言えば、あちらの大奥様は、意地悪をなさっているのではない。伯爵家の式次第は古い書式で、祖母の欄には家名を書くのだそうである。離縁して市井に嫁ぎ直した母という行は、あの書式に、最初から無い。悪意なら、削った跡が残る。沈黙には、跡が残らない。跡のないものが、いちばん骨なのである。
知っている軋みである。わたくしの三十七年にも、ああいう沈黙はいくつもあった。誰の悪意でもない、ただ書式が古いだけ。古いだけのものの前で、人は声の出しどころを失くすのである。声の主より、声のほうが長生きをする――あの理屈の、さらに底意地の悪い親戚だ。声すら残さず、書式だけが生きている。
「平気ですわ、と言いかけましたの」
娘は、自分の手のひらを見下ろした。
「言いかけて、気づきました。この言い回し――お母様の三十七年と、同じ節ですわ」
よく気づいた、と褒めるべきか、気づかせてしまった、と詫びるべきか。我慢の型は、教えなくても写る。写った型に自分で気づけるところまでが、この二年の稽古の成果である。成果は成果として、胸は軋むのだ。
わたくしは、新しい箱から白い紙を一枚出した。説教の代わりである。この家の説教は、紙でできている。
「書いてごらんなさい。あなたがいま、いちばん言いそびれていることを」
娘は長くは迷わなかった。迷わない代わりに、書き終えてから、大きく息を吐くのである。
『母の席を、産所の式次第に、自分の口で頼む』
「……自分の口で、と書きましたわ」
「ええ。そこが眼目よ」
わたくしが乗り込んで談判するのは、簡単である。簡単で、いちばん筋が悪い。あの家の式次第に行を増やせるのは、あの家の嫁だけなのだ。それに――言いそびれの箱を持たない娘に育てるのが、母の講義の眼目である。札は七日以内。娘は「三日後に、申し上げますわ」と日取りまで決めて、伯爵どのの検分つきで馬車に戻っていった。夕暮れの坂を下る馬車を、見えなくなるまで見送る。身重の背中に持たせるには、軽くない紙である。軽くない紙を、持たせられる娘になった。それが、嬉しくて、少しだけ喉の奥が痛い。
三日後の夕、文が届いた。娘の字が、珍しく躍っている。
――申し上げました。第一に、母は産の経験者であること。第二に、坂の家は馬車で四半刻であること。第三に――わたしが、母に会いたいこと。三つ目で、大奥様の眉が動きましたの。札は、竈で燃やしました。
第一、第二、と積み上げてから、本音を三つ目に置く。あの子が旅の初めに母を止めに来た日と、同じ組み立てである。あのときは呆れの道具だった癖が、今日は願いの道具になっている。癖というものは、使い道を選び直せるのだ。
そして五日後、坂の家の前に、伯爵家の馬車が停まった。降りてきたのは、大奥様その人である。
「ソランジュと申します。……式次第に載せる場所は、わたくし、自分の目で検分いたしますの」
銀の髪をきっちり結い上げた、姿勢のよい方である。姿勢のよさというものは、同業の目にはすぐ分かる。この方は、長く家を回してきた側の人だ。大奥様は茶を一杯だけ受け、竈を見、客間を見、戸締まりを見た。見る順番が、家を預かる者の順番である。戸口に貼られた点呼の覚え書きの前で、片眉がわずかに上がる。
「……毎晩、これを?」
「日課であります」
「結構なことですわ」
帰り際、大奥様は卓に着き、持参の式次第を開いて、自分の手で一行を書き入れた。
――産み月の前の仕舞いに、実母の家にて三日の逗留。送りは当主、迎えは大奥様みずからこれを行う。
「面会の欄ではなく、逗留の行にいたしましたわ。書き手はわたくし。うちの式次第に、他人の字は入れませんの」
「恐れ入りますわ」
恐れ入る以外の言葉が、見当たらないのである。承諾を、この方は書式で言う。……嫌いになれない型だった。わたくしも三十七年、似た型で生きていたからである。
夕立がひとつ来て、上がった。客を坂の下まで見送った帰り道、彼が濡れた石畳の先を見ながら言うのである。
「産所への道を、明日から検分します。……三通り」
「あら。地図に方角が三つしかない方の、三通りね」
「道は、裏切ることがありますので」
畳んだ傘を、あの人が提げている。夕立のあとの坂は土と石の匂いがして、濡れた石畳に、早い月が滲む。二人で使うには小さい傘を、結局二人で使った帰り道である。この人の検分が始まると、家の空気が少し締まる。数日のちには、戸口の点呼の覚え書きに、行がひとつ増えることになる。――産婆どの、本日の所在。毎夕、散歩の顔で産婆の家の前を通り、世間話ひとつぶんの立ち話で確かめてくるのだそうである。備えというものは、こういう地味な顔をしているのだ。締まった空気の中で秋を待つのも、悪くないのである。