何回見ても飽きない……!
これが超かぐや姫か……!
ヤチヨのライブが終わった大鳥居の前で、僕は一人、夜空を見上げてたたずんでいた。
大鳥居の周囲からは少しずつ神々がはけ始め、最後まで残っているのは、僕を含めて数えるほどしかいない。
「やっぱり、彩葉の気持ちも分かるな~」
夜空に浮かぶ月に見立てたミラーボールに向かって、独り言をこぼす。
ミニライブは一時間にも満たない短いものではあったが、始まってから終わるまでの間、ほんの一瞬も目を離すことはできなかった。
歌声はもちろん、会場にいる神々を魅了するような話し方や、曲の合間や曲中に見せる何気ない仕草。大鳥居の上から会場を見渡したときの笑顔も、ライブが終わる直前に名残惜しそうに手を振っていた姿も、どれもが強く印象に残っている。
もちろん、彩葉から頼まれたことは、忘れないうちにメモを取っておいた。
歌った曲の数に演出、曲の合間に話した内容や髪の揺れ方など。
多少曖昧なところがあったとしても、彩葉なら目を輝かせて聞いてくれるだろう。
いや、もしかしたら曖昧なところを聞いて、どうして覚えていないのかと詰め寄ってくるかもしれない。
そんな彩葉の姿を想像すると、自然と口元が緩んだ。
ヤチヨのライブを直接見られたことも、ヤチヨと握手をして間近で言葉を交わせたことも嬉しかった。
けれど、それ以上に、明日彩葉へ今日の内容をどのように話そうかと考えている時間が楽しい。
自分で応募して当選したチケットなのに、気付けばライブ中も半分くらいは彩葉のことを考えていた気がする。
「本当に、僕は何をしに来たんだろう……?」
自分で口に出しておきながら、答えはすぐには出てこない。
ヤチヨのライブを見るため? それはそうだ。
握手券を使ってヤチヨ本人と話すため? それもある。
彩葉から頼まれた感想を持ち帰るため? これも間違いではない。
どれも間違ってはいない。
けれど、ライブが終わった今、僕の胸に強く残っているのは、ヤチヨの歌声や笑顔だけではない。
明日ライブの感想を彩葉に話したら、どんな顔をするのだろう。
僕が握手をしたと言ったら、羨ましそうにするのだろうか。
それとも、頼まれていた言葉をきちんと伝えたと言えば、喜んでくれるだろうか?
きっと彩葉は、僕に根掘り葉掘り、ライブについて事細かく聞いてくるだろう。それに途中から答えられなくなったら、きっと彩葉は――
「……まあ、いいか」
そこまで想像したところで、僕は小さく息を吐いて思考を打ち切った。
少なくとも、今すぐ答えを出さなければ困るようなものでもないし、分からないことをいつまでも考えていても仕方がない。
彩葉のことを考えていた時間の方が、ヤチヨのライブを楽しんでいた時間よりも多いのではないだろうか?
それが何を意味するのかについては、とりあえず明日の僕か、いつかの僕に丸投げして。
こういうのは、何事も時間を置いた方がいいのだ。
多分。
「でも、まあ……」
ヤチヨのライブが楽しかったのは、紛れもない事実だ。
その証拠に、僕の耳や目にはヤチヨの歌声やその姿が色濃く残っており、胸の高鳴りが収まらないのも、そのせいだろう。
「うん。きっとそうだ……」
誰に聞かせるでもなくそう呟いて、僕は再び月を見上げる。
ヤチヨのライブが終わってからそれなりの時間が経っており、大勢の神々の歓声で満たされていた鳥居の周辺は、今ではまるで別の場所のように静まり返っている。
遠くからは屋台の呼びかける声や、配信をする声、どこかで路上ライブをやっているライバーの歌声が、風に乗ってかすかに聞こえてきている。
けれど、この場所に残っているのは、僕を含めてたった数人。
その人たちも、ライブの余韻を惜しむように鳥居を眺め、写真を撮ったりしながら、一人、また一人と帰っていく。
やがて一人きりになった僕は、腰に手を当てた。
「さて、と……明日も学校があるし、帰ろうかな」
ライブの感想はメモし終えたし、明日彩葉に聞かれそうなことも、覚えている限り書き残している。
やるべきことはすべて終え、あとはログアウトするだけという状態。
明日も平日なので学校があるし、そのあとはアルバイトもある。
それに、彩葉にあんなことを言った手前、僕が夜遅くまで起きていたら示しがつかない。
それなのに……。
「……」
どうしてかログアウトする気が起きなくて、僕は目の前にそびえ立つ大きな赤い鳥居を見上げた。
つい先ほどまで、ヤチヨが歌い踊っていた場所。
そこには当然のごとく誰もいないが、どうしてか耳に残ったあの歌声が、まだあの場所から聞こえてくるような気がした。
「少しだけ……少しだけなら……」
胸の奥に残る高鳴りは消えることを知らず、むしろライブが終わって静かになった今だからこそ、先ほどまで押し込められていた何かが、
歌ってみたい。
そんな、ひどく単純で、いつもの自分だったら、自分には関係のないことだ、自分には向かないことだと切り捨ててしまう衝動。
僕はライバーじゃない。
そもそも歌だって、音楽の授業や、彩葉や共通の友人である芦花や真実、そのほか親しい友人とカラオケに行って歌う程度。
そんな僕が、先ほどまでヤチヨが立っていた場所で歌う。
冷静に考えれば、恐れ多いことこの上ないし、ヤチヨ至上主義の人間からしてみれば耐え難い所業かもしれない。
「……絶対、やめておいた方がいいよね?」
「むしろヤッチョ的には、ツクヨには歌ってほしいな~」
誰もいない鳥居に問いかけるが、当然返事はない。
「歌なんて向いてないと思うし」
「そんなことはないよ~!」
返事はない。
「急に歌い出したところを見つかったら、変な人だと思われるかもしれないし……」
返ってくるのは、水路を流れる水の音だけ。
「でも……少しくらいなら……まあ、いいよね?」
「やった! ヤチヨだけが観客のファーストライブ!」
今日何度目になるか分からない言葉が口からこぼれ落ち、僕の体がふっと軽くなる。
空に浮かぶミラーボールは、ライブ中の派手な演出を止め、今は本物の満月のように淡い光を放っている。
どうして歌いたくなったのか。
どうして胸がこんなにも高鳴っているのか。
どうして帰るよりも先に、
それを考えるのは、明日の自分に任せればいい。
今はただ、この胸を焦がすような衝動が消える前に、動いてみたかった。
だからこそ、考えるよりも先に足が動き出していた。
「よっ……!」
これは、
足を踏み出すと、右足が勢いよく石畳を蹴り、僕の体を加速させる。
始まりは、ヤチヨがいると言われているあの
勢いよく加速した体は、少し離れていた大鳥居までの距離を一瞬で詰め、二歩目で斜め上へ跳躍する。
最初のうちは届かないのが悔しくて、その悔しさから何度でも挑戦した。
二歩目の跳躍で大鳥居の柱に接触すると、その勢いを、運動エネルギーを殺さないように、そのまま三歩目で真上へ跳躍する。
でも、それが変わったのは、ある日かすかに街の声が聞こえ、いつもとは違う方向へ視線を向けたことがきっかけだった。
月だけを見つめていた僕の耳に、このツクヨミではありきたりな、どこか遠くで配信を行うライバーの声や歌声が聞こえてきた。
つられるように視線を月から下へ向ければ、そこには地上から眺めるのとはまるで違う、夜の街の姿。
美しく光る街と、街の至る所で配信を行うライバーたち。観客に囲まれて歌う者や、その横を笑いながら走り抜けていく神々の姿。
上から見た夜の街の姿は、自分が思っていた以上にずっと賑やかで、騒がしくて、とても綺麗だった。
それこそ、月に手が届かなかったという事実を忘れてしまうほどには。
それから僕は、月に手が届くかどうかを確かめるためだけではなく、上空から街を眺めるためにも跳ねるようになった。
もちろん、せっかく跳ぶのだし、届くものなら月に触れてみたい。
けれど、どれだけ力強く地面を蹴ったとしても、何度足の運び方を変えたとしても、夜空に浮かぶ月は近付いているようで、決して僕の手が届く距離までは降りてきてくれなかった。
今日も同じこと。
最後の跳躍によって、僕の体は勢いよく夜空へと舞い上がり、視界の中で地上の景色が遠ざかっていく。
個別に認識できていた光が一つになり、複雑に色が重なり合う。
風にあおられ、長く伸びた白い髪と、兎の耳のような飾り布が後ろへとなびく。
ある高さまで昇ったところで、僕の体は上昇する力を失い、一瞬だけ、ふわりと空中で静止する。
手を伸ばしてみるが、指先が淡い光をかすめるだけで、僕と月の間には途方もない距離が存在している。
「やっぱり、届かないや」
何度跳んでも、その距離がなくなることはなかった。
目の前に浮かぶ月は、まるで変わらない。
僕が来ても来なくても、誰かのライブが行われ、それが終わって誰もいなくなったとしても。
淡い光を放ちながら、今も空の上からツクヨミを見守っている。
今日の挑戦でも、月には手が届かなかった。
残念ではあったが、悔しいわけではない。
最初の頃なら、また地上に戻って再挑戦しようと考えていたかもしれないが、今はただ、そう簡単に届かないからこそ月は綺麗なのかもしれないと、素直に思えた。
僕は伸ばしていた手を引っ込め、そのまま月を背にして大きく身を翻した。
重力に引かれた体がゆっくりと落下し始め、夜空を漂う衣装の裾は風を受けて広がり、飾り布は兎の耳のように揺れる。
僕は口元に柔らかな笑みを浮かべ、落下する体をわずかにひねる。
下に見えるのは、つい先ほどまでヤチヨが立ち、歌い、数多くの神々を魅了していた、大鳥居の上部。
体勢を整え、着地の寸前で膝を曲げる。
「っと……」
足裏が鳥居に触れ、両足で受け止めた落下の勢いを逃すように前へ転がり、その勢いのまま立ち上がる。
ツクヨミという仮想空間だからこそできる、何度もやっているうちにすっかり身に染みた、危なげのない動き。
「よし」
大鳥居の上でゆっくりと立ち上がり、眼下に広がるツクヨミの街を見る。
――今は昔……ではなくて。
街の光や月の光が水面で揺らめき、遠くを行き交う飛行船の灯りや、光る魚たちが群れを成して泳ぎ、星のように動いている。
つい先ほどまで、この場所ではヤチヨが数えきれないほどの神々に向けて歌っていた。
けれど、今ここにいるのは僕一人で、歓声も、拍手も、僕を呼ぶ声だって聞こえやしない。
観客のいない舞台。
僕はライバーでもないし、誰かに歌を聞かせたいと思って、ここへ上ったわけでもない。
それなのに、胸の奥で暴れている衝動は、地上にいたときよりもずっと強くなっている。
――今とあんまり変わらない、少しだけ未来の世界。
「でも、何を歌えばいいんだろう……」
小さく呟いてから、自分でもおかしくなって笑ってしまう。
歌いたいと思ってここまで来たくせに、何を歌うのかすら決めていなかったのだ。
ヤチヨが歌っていた曲でも、竹Tubeで有名な曲でも、何でもいい。
けれど、どれも今の気持ちを表現するには、少しだけ合わないような気がして……。
「……~♪」
――誰もいない場所で、静かに歌う普通の男子高校生ありけり。
胸の中にあるものを、誰かの言葉を借りて表現するのではなく、自分の、自分だけの言葉で外へ出してみたい。
そんな考えがふいに頭に浮かび、僕は目を閉じ、胸の前で両手を重ねて声を紡いでいく。
「~♪」
この夜、ツクヨミの大鳥居の上で行われた、観客のいない小さなファーストライブ。
――名をば、蒲生素良となむいいける。
それを知っているのは、僕以外には誰もいない。
ただ一つ、ツクヨミを見守る月だけが、静かに聞いていた。
――素良って呼ぶべし♪
お読みくださってありがとうございます!
次話から本編に入っていく予定です。
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