あれは本当に突然の出来事で、今でも何が原因でこちらの世界に来たのか分かっていない。
ただ一つ分かっている確かな事は、あの日この地に俺たちは三人揃って降り立ったという事だけだ。
◇◆◇◆◇◆
乾いた風が辺りのアカシアの葉を揺らし、若草の匂いを連れてくる。温かくはっきりとした日差しが俺の身体をじんわりと温め、まるで湯船に浸かっているかのような心地よさを感じた。
この独特な空気感は、まるで噂に聞く南フランスかイタリアにでも来たかのような気分にさせる。
……さて、現実逃避を諦めて今起こっている現実を見よう。
左右を見れば、普段と少し容姿は違えど見慣れた親友たちの姿が目に入り、少し安心した。
右を見ると道着姿の巨漢、金剛ケンタロウ。どこかぬぼっとしているが、力強い眉毛のせいで意志が強い印象を受ける、心優しき漢だ。
左を見るとちんちくりんの縦縞パジャマでヒョロガリのっぽの、道明寺イオリ。ご丁寧にナイトキャップまで被っている。イオリは、顔だけは無駄にいいが四六時中素っ頓狂な言動を繰り返す。俺は見ていて面白いと思うが、十人中九人は認める永遠の
そしてその間に挟まれるように居る俺、古市シノブ。俺の恰好はパーカーとカーゴパンツだった。ポケットに手を入れて確認したがスマホなどは無く、どうやら持ち物は何一つ無いようだった。
ため息を一つ、心を落ち着かせるために出してから口を開く。
「……さて、どう思うよ?」
「はァ? まだ俺の夢の中だろ」
この異常事態に寝ぼけた事を言っているアホを引っ叩く。
「い、痛ぁい……」
「おう、じゃあ夢じゃないって事だな」
「いや、でも夢の中でも痛み感じる事ってあるだろ?」
「じゃあ起きるまで引っ叩かれたいか?」
「あー、目が覚めてきた。今誰よりも目が覚めてる自信がある」
「なんでこの異常事態でもいつも通りなんだよお前はさあ……」
まだ目が覚めていないらしいアホのイオリは置いておいて、しっかりと目が覚めていそうなケンタロウの方にも意見を求める。
「聞いてたよなケン? どう思うよ?」
「ちょっと何が起こっているのか分からない」
「だよなぁ」
ケンタロウはまだ動揺しているようだ。……二人がこの調子だから俺がしっかりしないと。
この場に来た経緯を思い出そうとしても、何も思い出せない。すっぽりと記憶が抜け落ちているように感じる。一種の記憶障害だろうか?
少しでも情報を得ようと周囲を見渡す。どうやら少し小高い丘の上に建つ西洋風の古城跡地が俺たちの現在地のようだった。
ハッと何かを閃いたようにイオリが喋りだす。
「ちょっといいか?」
「どうぞ」
「うおっほん! ステェーーッタスッ! オーップンッ!!」
そう言ってイオリは両手を広げたが、一陣の乾いた風が何事も無く吹き抜けただけだった。
「……ふむ、何も起きない……か。」
「そうだね。出ないね。やり方が違うとか?」
「つまり……ここは現実世界で、俺たち三人はCIAのMKウルトラ計画VⅡに巻き込まれて、日本から遥か遠くの南イタリアの地に転送されたんだ! 直ぐに黒服たちが迎えに来るに違いない、気を付けろよ二人共」
俺は、イオリがこの場を和ませようと何か面白い事を言おうとしているのが分かった。長い付き合いの中で嫌というほど知っている。もっともその言っている内容が実際に面白いかどうかは別の話ではあるが。
「何がMKウルトラ計画VⅡだ、MKウルトラ計画は洗脳計画だっただろマヌケ」
そしてさして興味も無かったオカルトや都市伝説、イオリが大好きなサブカルの情報も勝手に頭に入って来る訳で、自然と俺にもそういう知識が身に付いてしまった。
「記憶が混濁してるからそう言ったんだよ! ちょっと酷くなーい?」
「酷くない。今異常事態だろ? 誰も居ないここで内輪ノリをしてても意味無いだろ。そんな事より、とにかく情報が欲しいからこの辺を散策したいんだけど」
いつも変な言動が多いイオリだが、いよいよダメみたいだ。流石に置かれた状況に戸惑っているのか、いつにも増してエキセントリックになっている。いや、錯乱しているのは俺も一緒か。イオリは昔からこんな感じだった気がする。記憶の欠落は最近の出来事だけのようだ。案外MKウルトラ計画に巻き込まれた説も馬鹿に出来なくなってきた。
散策する前に地の利を生かして、目印になりそうな場所を探そう。最初は無暗に動かない方がいいはず。俺がこの状況を何とかしないと。
不安を隠しきれない声色でケンタロウが話しかけてきた。
「シノブ、何か見つかったか?」
「んー……あっ、道が見える」
まばらに生える糸杉やアカシアの木々の向こうに、途切れ途切れだが道のような物が見えたので情報を共有する。
「道? どうせイオリの言う黒服たちなんか来ないだろうし、行ってみるか?」
「『全ての道はローマに通ず』、ローマで無くとも何処かには繋がっている筈だ。……ところでその道ってのはどこだ?」
「ローマかはともかく、町かどこかに繋がってるのは確かだもんな」
「ああ、人が通ると道は出来る」
「そんな格言あったか? あー、えーっと……こっち」
説明するのも面倒なので、そう言って二人を連れて丘を降りていく。
◇◆◇◆◇◆
「あっ、馬車だ。車輪が外れてる」
道なりに歩いていると、少し遠くに車輪が外れて立往生をしている黒ずくめの人達が見えた。
「馬車……だと? いや、ヨーロッパの田舎では馬車が現役と聞くが……ほんとに何処なんだここは」
「さぁ? でも困っている様子なら助けた方がいいんじゃないのか?」
イオリとケンタロウもそれぞれの疑問と提案を口にした。
「とりあえず行ってみるしかないよな。俺たち何も分からない状況なんだからさ」
ケンタロウの案を採用して、ここが何処なのかを聞けたらいいなという軽い気持ちで向かっていく。
近づいていくと杖をついた黒い服と黒いベレー帽の背の高いお年寄りと、同じく黒い服で鎧の様なものを着た人達が見えてくる。お年寄りがふと顔を上げると俺たちが目に入ったようで、こちらに声をかけてきた。お年寄りは婆さんだった。
「やあアンタたち、丁度いい所に通りかかってくれたねぇ! ちょいと手伝っておくれ!」
婆さんとは思えない力強い声が響き渡り、動揺した俺の横を颯爽と二人が駆けて行く。
「おいシノブ、言葉が通じるぞ! どうやらここは日本国内だったみたいだな」
「兎にも角にも先ずは人助けだ。行くぞ、シノブ」
「えっ? あれ? でも外国人っぽいけど……ああもう、分かった行くよ! 行くって!」
二人とはワンテンポ遅れて俺も駆け出す。
「おや……本当に手伝ってくれるとは、ありがたいね。ちょいと馬車のその部分を持ち上げてくれないかい?」
「任せて下さい」
婆さんは車体の後方を持ち上げるように頼み、それを聞いたケンタロウは、ひょいと一人で軽々持ち上げてしまった。こんなに力あったけな?
ケンタロウが一人で持ち上げてしまったので、俺とイオリは手持無沙汰になってしまった。
従者っぽい人達が慣れた手つきで車輪をはめている光景をただ見てる事しか出来なかった。それにしても、素人目に見ても豪華な馬車だ。黒い車体には、所々に銀色の装飾が施されている。
そして婆さんの方に向き直る。やはりお年寄りにしては身長は高く、灰色の瞳と短い白髪で、大きな黒いベレー帽を被っている。しかし、よく見ると少し変わった恰好をしていることに気付いた。
黒い詰襟の服は、騎兵が着る服のように銀色の紐で装飾されていて、肋骨を彷彿とさせる。そして左の腰には紫色の炎がゆらめくランタンを括り付けている。本物の死神は、案外こういう恰好をしているんじゃないかと思う。
そう思っていると、婆さんの方から話しかけてきた。
「余りにも人を疑わなさ過ぎて、心配になるねぇ……アンタたち――
「えっ? ――異界……人?」
「この反応は当たりだねぇ」
婆さんの発した『異界人』という単語は、頭の中で情報の大運動会が始まるのに十分な衝撃だった。
異界人? つまり異世界? 日本じゃないのか? 言葉は通じているのに? いや、いつの間に? 記憶ないぞ? 終了式……春休みまでは記憶がある。始業式……は無い。どうやってここに? そもそもここは? 帰る方法――
「そうさね、異界人。この世界とは別の世界から来た者たち。恵みと災いをもたらす者、時代の転換点に現れる厄災の使者……」
魔女のような不敵な笑みを浮かべながら、ぐいっと俺の顔に迫ってくる。お互いの鼻がくっつきそうだ。我に返って直ぐに目にするべき光景じゃない。
「ま、アタシゃなーんにも気にしないがね。世界には異界人を良く思わない人たちがごまんといるのさ。だから安易な言動には――」
「ほーーら言わんこっちゃない! 異世界転移だッ! 死んだ憶えないからなッ! 最ッ高ッじゃあないか! これだけで生まれてきた意味があったってもんだ。人生やっぱこうじゃないとな。俺の最初の予感は当たってたんだ、ウィンドウが出ないだけでさぁ!」
イオリが突然興奮した様子で叫びだしたので、俺はお婆さんの話を遮ったイオリを咎める。
「うっせぇぞ調子乗んな! バカな言動は控えろって言われたところだろうが!」
「ケンは明らかに力強くなってるし戦士系だろうな。いや、あれはある種のギフト……? 設定がまだ分からんがまあいい」
「一人で話を完結させるなよ。俺はまだ状況が飲み込めてないんだって」
「ロード中か?」
「ダウンロード中だよ!」
困惑する俺を差し置いて、イオリは水を得た魚の様にはしゃぎだした。まるで人の話を聞く気が無い。いや、いつも通りか。
「さて、俺たちは何だろうな! 俺は万能の天才だから魔法使い――いや、賢者だとして、シノブは……盗賊だろ。見た目的に」
「悪党じゃねえか。俺だけ犯罪者にすんじゃねぇよアホの凡才が」
「なんだと悪人面! 目付きの悪さ気にして前髪垂らしてんだろ、道明寺くん知ってるんだぜ」
「髪型の話でお前にケチ付けられたくねえよ」
俺たちが言い争っていると、横から婆さんが口を挟んできた。
「アンタたち、何者かよりも何が出来るかが重要だよ。異界人はよく自分の肩書に囚われて実力を発揮できない……と聞くからね。気を付けな」
「つまりジョブとかクラスは無いと?」
イオリの疑問に答えられる者は誰一人として居なかった。
「どうも、こんにちは」
イオリが生み出してしまった何とも言えない沈黙は、第三者によって破られた。
声の主は別の馬車を駆る恰幅のいい男性で、馬車を停止させると脱帽しながらこちらに挨拶をしてきた。
「これはこれは、葬送神官どの。死に触れる方々に旅の途中で出会うとは、縁起が悪いですな。はっはっはっ」
随分と失礼な物言いとは裏腹に和やかな雰囲気が漂う。死に触れる、葬送って事は――もしかして異世界で出会った最初の人が葬儀屋だったって事? だとしたら嫌だなぁ。
男性が言ったのは恐らくこちらでのジョークの一種なのだろう。とても笑えたものでは無いが。
縁起の悪いジョークに何事も無いかのように婆さんは男性に向かって言葉を返す。
「しかも毎晩棺桶の中で寝ているような婆さんときた。まったく、世話にならんように気を付けるんだよ」
「ええ勿論ですとも。ところで……そちらの方々は?」
「しがない旅芸人さね」
婆さんの紹介に合わせて、イオリはひょうきんなポーズを取った。ちんちくりんパジャマのヒョロガリのっぽが滑稽なポーズをしているというのは、中々に破壊力がある。
何でコイツこんなに適応力が高いんだ。まともに見ていたら俺まで笑いそうだったわ。
「ぶふぉっ! 確かにそのようですな。是非これをお納めください」
そう言って男性はイオリに光り輝く物を手渡した。金貨か何かだろうか? イオリは三人の中で真っ先にお金を手に入れた。凄いよ、お前の職業は旅芸人で決まりだ。
……あれ? 俺だけ何の役にも立ってなくないか? どうしよう……
「それではご機嫌よう。旅の安全をお祈りします」
「こちらこそご先祖様の加護がありますように」
男性と婆さんが互いの安全を願い合うと、馬車は再び走り出した。
「戻ったぞ!」
「うおぉ!? ケンか、びっくりした!」
「ご苦労さんだったねぇ。疲れたろう?」
「いえ、鍛えてるので大丈夫です。押忍」
「そうかいそうかい。ところで……アンタたち行き先は? 何も知らないだろう? 乗りな、近くの村まで一緒に行こうじゃないかい」
俺は婆さんの誘いに、直ぐに返答する事ができなかった。
警戒心が無いと警告してくれた人を疑うのはよくないが、一度言われるとどうも気になってしまう。小さな不安が暗雲のように心の中に広がっていくのを感じる。この人は本当に信用していいのか、連れの明らかに怪しい黒服鎧たちもそうだ。そもそも本当に村が近くにあるのか? ……いや、一番大事なのは、そもそも年長者から勧められた時は一度は辞退するのが礼儀なのでは? 礼儀は大事だ、学校でやった面接の練習でも散々言われた。
俺は断りを入れようと口を開いたが――
「いや、悪いで――」
「いいんですか!? 助かります! 俺、金剛ケンタロウと言います」
「あ、ちょっ――」
婆さんを先頭に、まるでRPGのパーティーのようにぞろぞろと馬車になだれ込んでいく。乗り口で最後尾のイオリが振り返り――
「どうした来ないのか? お前だけ走るのか?」
「いや、俺も――」
そう言いかけた時、何処か遠くで叫び声が聞こえた気がした。
気のせいかとも思ったが、そのまま集中するとより多くの情報が耳になだれ込んでくる。川の音、大きな水しぶきの音、木が折れるような衝撃音、そして助けを求める人の叫び声――
「人が! あっちの方に、川の近くで――助けを求めてる!」
自分で集めた情報を処理できないまま話したせいで、俺の言葉は何処かおかしかった。
「ん? 何も聞こえないぞ?」
「そうだそうだ、幻聴幻聴。はぁー、お前もとうとう『
「近くの川だね!?」
婆さんはイオリを押しのけ、身を乗り出してそう言った。
「いや……でも……聞き間違いかも――」
「いや、アンタを信じるよ。ババアの勘がそう言ってるんだ。早く乗りな」
俺は婆さんの信じるという言葉に軽くうなずくと、急いで馬車に乗り込んだ。