泥の騎士を無事に倒した俺たちは、川を超えて近くの村を目指した。暫く広葉樹の林を進むと視界が開け、小麦の若葉が繁る畑が広がっていた。畑の向こうには、もう目的地の村が見えていた。
辿り着いた村は素焼きレンガの屋根の質素な木造家屋が並んでいて、それが糸杉の木立や簡素な木の柵で囲まれている。周囲には門らしい物は特に見当たらず、さっき怪物と遭遇した身からすると随分不用心な村に見えた。
「おや、旅のお方だ。よおこそぉ、グウォード村へ! こんなに泥だらけになって……随分とお疲れのご様子ですな」
村に着くと、入口で作業をしていたらしい村人の男性から歓迎を受ける。馬車から婆さんが降りて来て、男性に声をかけた。
「悪いが水を用意してくれないかい? 見ての通り泥まみれでね」
「もちろん、馬の飲み水も用意しましょう。随分無茶をされたようで……」
「あの浅瀬の道は昔っからこうなのかい?」
「あの道を通って来たのですか?! よくご無事でしたね!」
どうやらあの道はこの村でも有名な危険な道だったらしい。そりゃあんな化け物が出てくる道なんて誰も通らないわな。
皆村人から貰った水で泥を落とし終えた所で、ケンが話しかけてきた。
「シノブ、俺はアーロンお父さんと一緒にここからの移動手段を探してくる。一人だと心配だからな」
「分かった。皆にも言っとくよ」
ケンタロウは、すぐ戻ると言い残してアーロンさんと一緒に、集まって来た野次馬の村人たちをかき分けて村の奥の方に進んで行った。
「あの道は、確か通り抜けるだけでも一苦労だと思うのですが……いったいどうやって?」
ケンタロウたちを見送った後、沢山集まっている野次馬たちの内の一人が素朴な質問を投げかけてくる。あんな危険地帯をどうやって突破したのか、疑問に思うのも当然だと思う。俺だってそう思う。
するとイオリが前に出てきて堂々と言い放った。
「愚問だな、この――イオリ様が一撃で葬り去ってくれたわ。無論誰一人欠かさずに、な」
「ま、まさか。あの倒しても直ぐに復活するという噂のあの泥濘の怪物が、そう簡単にやられるとは思いませんが……」
「であれば、確認してくるといい」
気分が乗って来たのか、大げさに、それも驕り高ぶるような言い方で村人たちに自分の武勇伝を語る。
だが、このイオリさん劇場に水を差すものが現れる。
「村人共が騒がしいと思えば――随分と興味深い話をしているじゃねぇか」
周囲の村人たちをかき分けて向かって来たのは、村人たちとは違い斧槍を携え鎧を着こんだ男だった。そのままイオリを訝しむような表情を浮かべながらその真ん前までやって来る。
「あの化け物は不死身だ、倒せねぇよ」
「ほぅ、疑うのか? このイオリ様の実力を」
「ああ勿論。どうせ嘘をついてこの村から何か謝礼を貰おうって魂胆だろ?
鎧の男はイオリを挑発するように指で胸板を突きながら俺たちが異界人である事も言って来た。
「えっ異界人?」
「確かに変な恰好しているし、もしかして……」
「えぇ? 異界人か? 本当かなぁ?」
鎧の男の指摘に村人たちは口々に反応を示す。
その様子を見て鎧の男は満足そうに頷いていたが、イオリは逆にその様子を見て何てことない、とでも言うかのように村を囲う策に腰を掛け、余裕ある態度を崩さない。
「気になるのであれば、見てくるがいい。真実は……そこにある」
「そうかいそうかい。じゃあ実際に見てきてやるが、十中八九嘘だろうよ。そのムカつく余裕の態度を引っぺがしてやるのが楽しみだなァ? ハッハッハァーーッ!」
鎧の男は乱暴な口調でイオリに啖呵を切ると、馬を用意して川の方に向かって行った。
「誰なんですか? あれ」
あまりにもあんまりな態度なうえ、一人だけ鎧を着ているので普通の村人では無いと思い、近くの村人に聞いてみる。
「ああ、彼は村に常駐している領主の私兵の一人です」
なるほど、だからあの人だけ明らかに態度が違うのか。
「我々としてはあの怪物が本当にいなくなってくれていれば、ありがたいのですが」
そう言う村人たちに一つの疑問が湧いてきた。
「あれは一体何だったんですか? なんで今まで放置していたんですか?」
「あの怪物の正体は我々にも分かりません。ですが我々も傭兵たちに討伐を頼んだことがあったのです。しかし、租税に手一杯で対価の支払いが難しいので腕利きは雇えず、そのうえ何度倒しても復活してしまいますし……」
村人たちは今まであの怪物に困っていた事、そしてどのように対処しようとしていたのかを話し出した。
「傭兵たちが討伐しても復活されるので問題が解決しませんし、それなのに対価は払いたくないですし……とはいえ傭兵たちも消耗が激しいので無下にはできず、半額だけ支払うなんてことをしていたら……その……来なくなりまして……」
「そりゃそうでしょう。命張ったのに報酬は半額とか誰もやりたがりませんよ」
村の状況的にそうせざるを得ないとはいえ、実際にそういう事をすると人が来なくなるのは当たり前だと思う。
何か思う事があるのか、婆さんが独り言を呟いていた。
「浅瀬の通り道に化け物……そして奴は恐らく不死の類だった。そしてこの辺りは領地の境界近く……まさか、ねぇ?」
婆さんが神妙な顔つきで考えに耽る一方で、村人たちは明るい兆しに興奮しているようだ。
「しかしですよ、本当にあの怪物が倒されたのなら、交易が再開されるはずです」
「通商隊がまたこの村を通るようになるんだね!」
「そんじゃあ、ヴァーレから旨い食い物が入って来るわけだ! またフラゼル産のワインが飲める!」
陽気に騒ぐ村人たちを引き裂くように、雷のような怒号が響き渡る。
「どけッ! このカスどもが! 撥ね飛ばされてぇかウスノロ共! あいつら本当に化け物を倒しやっがって……!」
どうやら、さっき川まで様子を見に行った鎧の男が帰って来たようだ。素早く馬から降りると、怪物討伐の報告を聞いて興奮する村人たちを乱暴にかき分けて、肩を怒らせながら俺たちの所にやって来る。そして、またイオリの真ん前に陣取った。
「余計な真似をしてくれたな」
男はぐいっとイオリに迫ると、さっきまでの怒号とは打って変わった低く凄みのある声でイオリを責める。
「アレはわざと放置していたんだぞマヌケ。街道を封鎖するためにな。渡河点が近い割に兵士が少ないと思わなかったのか? アレのおかげで境界警備の手間が省けてたってのに……この代償は払ってもらうぞ、全員縛り首だ!」
そう言って男は少し後退ると、背中に背負っていた斧槍をこちらに向かって構える。そのあんまりな内容に一人の村人が反論するが――
「そんな! 我々にも被害が出ていたのに、それを放置するなんて……それが上に立つ者の行いですか! 守護神にかけて、そんな横暴は――」
「うるせェッ!」
至極真っ当な意見を述べた村人は、理不尽にも殴り飛ばされた。横顔を殴られた村人は、折れた歯を数本撒き散らしながら吹き飛んで行った。
「逆らうならお前たちも一緒に吊るしてやる」
純粋な暴力によって、この場の空気は完全に掌握されてしまった。恐怖に支配された村人たちは、どこからともなく農具や包丁を取り出すと、俺たちに向かって罵声を浴びせ始める。
「や、やっぱり異界人は厄介者だったんだ!」
「そうだ……異界人は災いしか持ち込まない!」
「トロールに喰われちまえ!」
「バカ! ウスノロ! 大間抜け!」
「死ね!」
怒り狂う群衆の中から、最も強い罵倒と共に、数本の包丁が投げつけられた。一番群衆に近かった俺に向かって。
突然の出来事に、俺は屈むことしかできなかった。痛みは無い。当たらなかったようだ。しかし、包丁が何かに当たった音も、地面に落ちた音も聞こえなかった。
俺は恐る恐る目を開けると、婆さんの従者の一人――ルイスさんでは無い方の――が、俺の顔の前にまで飛んできていた包丁を掌で受け止めていた。刃物を握る黒い手袋の中から、一滴また一滴と血が滴っている。いや、手袋ではない。木炭のような暗い灰色の手だ。爪の間に血が滲んでいるのが見える。
「怪我は?」
黒いフードを被って鎧を着込み、露出の少ない恰好をしていたので気が付かなかったが、もう一人の従者は女性だったようだ。暗い灰色の口元だけが見えた。
「いえ、……多分」
俺の無事を確認すると群衆の方に向き直る。よく見ると、身を挺して庇ってくれたのだろう、他にも数か所に怪我があるようだ。彼女は刃物を投げ捨て自分の胸元に手を当てて何かの詠唱を始めた。
「父母よ、先祖よ、この骨は不滅の錨にして我が血肉は此処に在り――憂き世を生きるこの身に肉の祝福を与え給う」
詠唱が終わると、傷が紫の炎を上げて塞がっていく。何かの魔法だろうか。
呆気にとられる群衆の前に、婆さんとルイスさんが躍り出た。ルイスさんが革の鞄の中から羊皮紙の巻物を取り出して広げ、群衆に見せつける。俺の前にいたもう一人の従者さんも合流し、声高々に宣言する。
「控えよ、控えよ! 先程からの蛮行、五教の徒として看過できん! この方を誰と心得るか! 統一五教が一つ、葬送神教の最高司祭、ナジェズダ・ヘーゲル葬祭長であられるぞ!」
村人たちは権威に弱いのか、その場に崩れ落ちて平伏した。しかし、領主の私兵である鎧の男は権威に屈さず、三人に向かって歩みを進める。
「ああん? 本物がこんな小汚い村に現れると思うか? その書状も偽物だろ!」
「そ、それもそうだ……偽物かも」
ざわめく群衆を背に、更に距離を詰めるが――
「痴れ者がっ!」
「ほあっ!」
男は婆さんに杖で横っ面を殴られると、気の抜ける断末魔をあげて十数本のへし折られた歯を撒き散らしながら気絶した。痙攣する男を尻目に、婆さんは仕込み杖から刃を覗かせて村人たちを威圧する。
「来るかい? 全員纏めてでも構わないよ」
「ほ、本物だぁ……」
なるほど、肩書よりも実力が物を言うのか。これから暫くはこの世界に居るだろうから、肝に命じておこう。
「さ、先程までのぶ、無礼はお……お許しください」
「分かればいいんだよ。ババアは細かいことを気にしないのさ。目と耳が悪いからね」
婆さん……いや、ナジェズダお婆さんは仕込み杖に剣を納めると、にこやかな笑顔で場も治める。異世界に来て最初に出会った人物は、相当な大物だったようだ。
「ほぅ……偶然とはかくも怪奇なものか……」
イオリも同じ心境のようだ。
そして、騒ぎが一段落したところで、聞き覚えのある声が俺の耳に入った。
「戻ったぞ!」
「うおぉ!? ケンか、びっくりした! デカい声出す前に何か一声かけてくれよ」
「す、すまん。……何かあったのか?」
「このイオリは常に事件の中心にいるからな」
「ああ、さっき倒した怪物が、その……倒されると都合が悪かったみたいで」
「え? ……なんで!?」
「あー……もう解決したから後で話したい。それよりもそっちの話を先に聞かせてくれよ」
「えっ? あー……おう、わかった。えっと、アーロンさんが荷車を買い取ったんだ。それで元々の目的地まで一緒に行こうって」
「なるほど……うん、良いと思う。何処に行けばいいか、俺たち何にも分からないからな。現地の大人がいると心強いよ」
「残念ながら馬は調達出来なかったからな、荷車は俺が牽くぞ」
「脳筋のマリー・アントワネットかお前は」
ケンタロウの力が強くなってるのは見た。でも、その結論に行き着く意味が分からない。馬の長所はスタミナだぞ。聞き間違いだと信じてもう一度聞き直す。
「え、馬が居ないから、馬の代わりに荷車を牽くってこと? 俺とイオリ、クールベさん一家の合計五人乗せて?」
「……? そう言ったんだが?」
「ちょ、待って……距離は?」
「知らん。アーロンさんは陽が沈むまでには着くだろうって」
「あー……」
「マリンバレー? とかいう所に向かうんだってさ」
俺は天を仰ぎ見る。次の言葉が出てこない。
「ちょっとアンタたち、今マリノヴァーレって言ったかい?」
「そうそう、マリノヴァーレだった」
ナジェズダお婆さんが俺たちの会話に割って入る。おかげで目的地の名前が判明した。
「マリノヴァーレに行くのなら、一つお使いを頼まれてくれないかい? 別に大した内容じゃないんだよ、ただ手紙を届けて欲しいだけさね」
俺たち三人がアイコンタクトをとった後、軽く頷いてケンが答える。
「もちろんです、お世話になったんですから」
「世話になったのはこっちの方なんだがねぇ。出発の準備をして待ってておくれ、急いで用意するよ。アンタたちのために通行手形の代わりになるものも書かないといけないからねぇ」
「何から何までありがとうございます、押忍……!」
ナジェズダお婆さんが書類を用意している間に、俺たちはクールベさん一家と合流して出発の準備を始めた。本当にケンが荷車を牽くのだろうか? クールベさん一家からは何も言ってこないし、こっちの世界ではメジャーな方法で案外大丈夫なのだろうか?
準備が終わって、ケンタロウが離れている間に起こった出来事を話した。その話が三週目に入り、語り手のイオリがアレンジを加え始めたところで、ナジェズダお婆さんが書類を持って駆けつけてきた。本当に元気なお年寄りだ。
「待たせたねぇ。ホラ、これが頼まれて欲しいものだよ」
教科書ぐらいの大きさの封筒から順番に中身を取り出していく。
「えーっとねぇ、これがアタシの署名付きの無害な異界人である証明書。これが通行証代わりになるはずだよ。それで、こっちがバカ弟子への手紙っと。最後に、この封筒をサン=シャモン卿という人に渡しておくれ。会うのは難しいだろうから、無理強いはしないよ」
大事そうな手紙を、届けるのに無理強いはしないという点が気になったので聞いてみると――
「何故ですか?」
「アンタたちの世界じゃどうだったかは知らないけどね、手紙なんて届く方が稀なんだから。機会があればでいいんだよ」
「……はあ」
「でもね、弟子への手紙はちゃーんと届けておくれよ」
とのことだった。
ナジェズダお婆さんはそれを封筒に一纏めにすると、俺に手渡した。
「アンタに持っといてもらおうかね。ほら、アタシゃ名も知らない人間に大事な手紙を託さないといけないのかい?」
そう言われて初めて、俺はこの世界に来て一度も名乗っていないことに気が付いた。問題が立て続けに起こったとは言え、名乗るタイミングはいくらでもあったはずだ。恩義がある人達に、俺はとても失礼なことをしてしまった。
「すみません、名乗るのが遅れてしまって。……シノブ。俺、古市シノブといいます」
「よろしくね、シノブ。そしてさようなら、また会えると良いね。そう、このババアが生きてる内にねぇ! アッハッハッ!」
「最後まで縁起でもないですね。――大変お世話になりました。俺を庇ってくれたお付きの方にも、感謝の言葉を伝えて下さい。あの人、すぐに姿が見えなくなって……」
「わかったよ、それがアタシの預かりものだね。任されたよ」
ナジェズダさんとの話が一段落すると、アーロンさんの声が響く。
「夕方までには到着したいので、そろそろ出発しますよ」
俺とナジェズダさんは互いに向き直って固い握手を交わして、俺は荷車に飛び乗った。クールベさんがケンタロウに合図をすると、ごうん、と一度大きく揺れてから、力強く荷車が進みだした。
「あんたたち! 葬送神官の世話になるんじゃないよぉ!」
帽子を振って俺たちを見送るナジェズダさんが見えなくなるまで、俺は手を振り続けていた。
そして、糸杉の木立がまばらに点在する丘陵地帯を荷馬車は進む。電車に揺られるような心地よさか、緊張からの解放のせいか、俺はいつの間にか眠ってしまったようだった。
「――おい、起きろ、おーきーろー、シノブー! おいッ!」
「いてっ」
眠っていた俺は、イオリに引っ叩かれて目を覚ました。因果応報である。
「やっと目が覚めたか。マリノヴァーレに行くって話だったな、そうだろう? で、お前は友人に重労働を課して自分は暢気におねんねってわけだ」
「ケンの操縦が良いのかさ、この荷車がイイ感じにくつろげる感じで……ケン! ごめん、寝てた!」
「気にするなー! 好きでやってるからなー!」
「君たち、仲が良いんだね」
アーロンさんがにこやかな笑顔で俺たちのやりとりを見て呟いている。少し恥ずかしいな。
「俺たちは固く結ばれた親友同士だからな」
「それで、俺たちが行くのはどんな場所なんだろう」
「どんな場所なのかは知らんが、俺たちのワクワク異世界冒険者ライフが待っているんだ」
「見ろよ、見えてきたぜ……!」
イオリにそう言われて見上げると、なだらかな下り坂は一面のブドウ畑で、それが遠く海の方まで続いている。
その先には海に挟まれたレンガ色の屋根の街並みが広がっていた。
「あれがマリノヴァーレか」
「ワクワクしてきたな!」
「ああ!」
俺たちはこれからの生活を思い描いて、期待で胸を膨らませていた。――まだこの時までは。