なだらかな下り坂の一面に広がるブドウ畑の間を通っている時、これからの予定について期待に胸を膨らませながら俺たちは語り合う。
「なぁ、マリノヴァーレってところに着いたら何をするんだ?」
「そりゃあ当然、冒険者ギルドに入るに決まってるだろ。お決まりのパターンだからな」
「なるほど、そこに入って俺たち三人で世界中を旅して周る訳か」
「あたぼうよ」
世界中を冒険か。この世界の人たちが異界人の事をあまりよく思っていないという事だから、その辺りは慎重に考えないと、いつか痛い目に逢いそうな気がするな。
「ふぅむ……そうだなぁ」
考え込んでいたイオリが、街の方を見て何かを見つけたようで、目を輝かせながら指を指して口を開く。
「おい見ろよあれ! あのバカデカい建物みたいにでっかい事を俺たち三人でやってやろうぜ!」
イオリがさし示したのは、街のすぐそばの岩山の上に建つ暗い灰色をした長方形の建物だった。そのあまりにも無機質で異様な物体は、のどかな中世ヨーロッパ風世界に突如現れた巨大なモノリスといったところか。
明らかに周囲の世界観からはかけ離れた、威圧感のある存在だった。
「デカい事って何を?」
「とにかく歴史に名を残すような凄い事だよ」
「具体性が無いな……でも、まぁ、それをこれから考えるのも面白そうだな」
「ああ、面白そうだ」
イオリが語る具体性の無い絵空事。でも俺たちにとっては具体性なんてどうでもよくて、楽しい事が出来てこの世界を満喫出来たらそれでよかった。
いくら世界が厳しくても、俺たち三人が揃っていれば何だって出来る気がしていた。
「それにしても何だろうな? あの建物」
「さぁ? 少なくとも、一般人や旅人が入れるような場所じゃなさそうだ」
その後も俺たちはこれから何がしたいか、どういう事をしようかという話をしながら進んで行った。
日は傾き始め、太陽の光はだんだんと黄色みを帯び始めていた。
幾つかの関所は、ナジェズダ婆さんの書いてくれた証明書を見せるだけで通る事が出来た。この街に来て感じるのは、やっぱりあの人は凄い人だったんだという事だ。
「未来に胸を膨らませる事もいいけれど、今日これからの予定を話してもいいかい?」
少し申し訳なさそうにアーロンさんが俺たちに話しかけてきた。
「そ、そうですね。すみません」
「いいんだ。若いうちはそういう事を考えていた方が健全だからね。……マエストロ広場という場所があるのだけれど、そこの近くに私の知り合いが運営している運送会社があってね。そこに一旦荷車を停めておこうと考えているんだ」
どうやら目的地はそこらしい。
「私たち一家は、もともとそこの知人に用事があったからね。少し話をしたいんだ」
「アーロンさんたちが話をしている間、自分たちは何をしていればいいのでしょうか?」
「三人はマエストロ広場で聞き込みや観光をしてくるといいよ。そこでサンシャモン卿? や、ヘーゲルさんのお弟子さんの事を聞き込みすればいいんじゃないかな」
「分かりました」
「君たちの用事が済んだら、大きな時計塔の下で待っているといいよ。こちらも用事が済めば迎えに行くからね」
「分かりました」
暫く進んで最初の門をくぐると、ゴシック調の教会風建築が並ぶ陰鬱な街に入った。
その街を貫くように一直線の大通りが次の門まで続いている。まるで石で出来た針葉樹林の中の一本道を進んでいるように感じた。
「ほぅ――ゴシック風建築か。やはり異世界はゴシック調に限るな」
イオリは『俺の好みだからな』と、聞いてもいないのに断りを入れてくる。
次の門をくぐると、周囲が急に中世ファンタジーとは思えない近世の大都会へと変わった。昔の高級デパートのような七階か八階建ての背の高い建物が立ち並んでいた。
俺たちが大都会に初めて来た田舎者のように圧倒されていると、いつの間にか予定地についていた。
「お疲れ様、まさか本当に休憩なしでここまで牽いてしまうとは思わなかったよ」
「押忍、鍛えてますから」
アーロンさんもケンタロウの規格外のパワーとスタミナには驚きを隠せない様子だった。
「さっ、このお小遣いを渡すからマエストロ広場で楽しんでおいで」
「ありがとうございます」
「晩御飯は主人の行きつけのバルで、美味しいピッツァでも食べましょうね」
「やったー!」
俺たちは無邪気に喜んでいた。
クールベさん一家と別れて、俺たち三人は教えて貰ったマエストロ広場に向かった。
訪れたマエストロ広場は野球場ぐらいとても広く、中央に大きな銅像が立っている。
それはトマトを掲げて立派な口髭を蓄えた、マエストロの名に相応しい男の銅像だった。
そのマエストロ象を中心に人だかりが出来ていた。
「おい、見ろよ。また群衆だぞ」
イオリが指さした群衆の方に耳を傾けると、群衆の中から語気の強い演説が聞こえてきた――
「――それをあのカッペリーニは分かっていないのだ!」
何だ? とても大きな声でその演説者は語っていた。
「この街を非人間族と分け合う? ハッ! ヴァーレにはもう土地が全然余っていないのに? 地底人たちと仲良くできるなら――」
聞いていても意味が分からない上に碌な内容じゃなさそうな空気を感じたので、聞くのを辞める事にした。
異界人である俺たちは、この世界の民族問題には関わらない方がいいだろう。絶体ロクな目に合わない。
俺が聞いている動作を辞めたのを見計らってケンタロウがどんな内容だったのか聞いてきた。
「何て言ってたんだ?」
「あー……ピザにパイナップルを乗せるべきでは無いって演説してた」
「あぁ……そう……」
明らかに余計な内容だったので俺は適当にはぐらかした。
日はさらに傾き、太陽の光はだんだんとオレンジ色に近づいていた。
ふと見上げると、広場から見える立派な時計塔は十五時半を指している。
どうやらケンタロウはだいぶ速く荷車を牽いてくれたみたいだった。村を出たのが昼過ぎだった筈なので。
そう考えると今まで何も食べていなかった事に気が付き、急にお腹が空いてきた。
よかった。異世界転移で身体が何か変化しているかもと考えていたが、どうやらまだまともな生き物らしい。
「腹減ってきたな」
「そう言えばそうだな」
「おいシノブ、あそこの屋台は何を売ってるんだ? あの赤と緑の屋根のやつ」
イオリが指を指す方向を見ると、群衆の近くにいくつかの屋台があった。その中にイオリの言う赤と緑のカラフルな屋根の屋台があり、トマトが売られていた。
「トマト」
「トマトかよぉ」
そう言えばイオリはトマトが嫌いだったな。
「あ、でもドライトマトもあるぞ」
「ドライならギリ食えるか。火が通っているのがベストだったがな」
他に分かりやすい食べ物の屋台は見当たらなかったので、三人でそのトマトの屋台に行く事に。
その屋台では、生のトマトとドライトマトが売られていた。
ふと店の脇に目をやると、抱えるほどの大きさのカゴに腐ったトマトが山のように入れられていた。不良品だろうか?
「ドライトマトをその小さな袋分下さい」
「あいよ、ってフラッツじゃないかこの金貨」
「フ、フラッツ? すみません、ここに来たばっかで……」
どうやら通貨が違うようだった。クールベさんから頂いたお金はフラッツという種類のものだったらしい。
「えーっと秤は……」
店主が通貨の両替か何かをしている。
暇になったのでもう一度あの演説に耳を傾けてみた。
「――今に人間族の皮を被った
陰謀論か? くだらないなぁ。
「そして議会は何をしているか? 何もしていない! 本当に何もしていない! 毎日議会に涼みに行って下らない世間話をしているだけだ! そして――」
政治家と活動家はどこの世界も一緒か。
そうこうしていると、店主は勘定を終えたようだ。
「待たせたね、はいお釣りと商品」
「ありがとうございます」
俺たちは転移してからようやっと食べ物を口にする事が出来た。
口にすると凝縮された青臭いトマトの味が広がり、品種改良の偉大さを噛みしめる事となった。
「まさかトマトがあるなんてな」
「確かに。トマトは本来南米原産だからな」
「そう言えばここまで道中も、そんなに植生変わってなかったもんな。たぶんこの辺りは地中海性気候なんだろう」
俺たちがトマトやこの辺りの気候についての話をしていると、店主が話に割り込んできた。
「一つ話を聞かせてあげよう」
「え?」
「昔、そこの銅像にもなっているマエストロと呼ばれる男が、世界中を旅して色々な食材をかき集めて来たんだ。コーヒー、ジャガイモ、タバコ。トマトもその内の一つさ」
「そうなんですね」
タバコはともかく、どうやらトマトなどの食材があるのは、この広場の名前やあの銅像にもなっている、マエストロという男の功績らしい。
「ところでそこの腐ったトマトは何なんですか?」
「ああ、これかい? あそこのうるさい奴に投げつけるんだよ」
「え?」
あっけに取られていると、後ろから突然大きな声で呼びかけられる。
「おい! そこの君、いや君たち!」
広場で演説をしていた人が、向こうからやって来てしまった。絶対に関わりたくないと思っていたのに。
「見覚えの無い顔だ、初めてこの街に来たんだろう? そしてその目は……君たち異界人だな、心の邪悪さが瞳を通して見えるぞ!」
男はこちらが口を挟む間もないほどにまくし立てる。
「異界人だからって何なんですか?」
「その怪我! 何故治さない? 双水僧侶に小銭を払えば直ぐに治して貰えるのに!」
男は俺の腕にいつの間にか出来ていたかすり傷の事を指摘して、どんどん一人でヒートアップしていく。
「ソースイ?」
「答えは明白! 祝福されていないからだ! 祝福されぬ体に、癒しの奇跡は起こらない!」
何だって? 祝福されていない体ってどういう事?
訳の分からない情報を大量に浴びせないで欲しい。頭の整理ができない。
「せめて一度死んで生まれ直してくればいいのに! でなければ帰れ!」
「帰れるなら、すぐにでも帰りたいですよ」
「おお!
家族の事を言われた時、俺の胸がきゅっと詰まって苦しくなる。
俺が家族の事を思い出し暗い気分になっていると、後ろからただならぬ殺気を感じた。
ハッと後ろを見ると、鬼の形相のケンタロウが立っていた。
カウンターにお小遣いが入った袋を乱暴に叩きつけると、男を見据えたまま聞いた事の無いほどの低い声で店主に声をかける。
「店主、この料金でカゴのトマトはいくつ買える?」
「ゴミはタダだよ」
それを聞いたケンタロウは、腐ったトマトが入ったカゴを持ち上げると、無礼な男に向かって力任せに叩き被せた。
「ぼ!」
「――この手に限る」
ケンタロウとイオリはハイタッチをしていた。集まっていた群衆からも歓声が上がる。
男は血なのかトマトなのか分からないが、とにかく真っ赤に染まりながら膝をついた。
男はぼごぼごと訳の分からない言葉を発している。まだ息はあるみたいだ、息はしにくいだろうが。
内心スカッとしていると、プーっと甲高いラッパのような音が聞こえてきた。
「そこの四人、動くな! ってヘラルド……また貴様か」
どうやら思っていたより騒動になっていたようで、兜と胸甲を装備した衛兵か何かが数人やってきた。
「こいつら異界人か? 面倒だな。おいちゃんと狙っておけよ! 何するか分からんからな!」
二、三人が前に出てきて、火縄銃のような銃を向けてくる。
銃を向けられて反射的に俺たちは両手を上げた。
「あのー、誤解なんです」
「だろうな。大方このヘラルドのバカが、お前たちに突っかかって行ったんだろう」
困った、まずい流れだ。村から早々に出ていかなければならなくなった事を思い出す。
そうだ、こういう困った時に問題を解決してくれるものがあった。――権力だ。
「あの、見て貰いたいものがあるのですが」
「何だ?」
「書状です」
そう言って俺は懐から書状を取り出して、相手に渡した。
いつの間にかヘラルドと呼ばれていた男は復帰したのか、またまくし立てるようにその口を開いた。
「異界人本人の善性など、どうでもよいのだ! その存在自体が邪悪であり、あるべきでは無い物が存在する。その事実が――」
「――まだ喋るのか? いい加減黙れ!」
「べ!」
ついに男は黙らされた。
そして俺が渡した書状を、衛兵たちは身を寄せ合って確認する。
「葬送神官葬祭長の書状か。俺たちじゃ真贋が分からんぞ」
「どうする? 詰所に連行して指示を待つか?」
「ああもう面倒臭いなお前たち。とにかく議会まで連行すればいいだろ! 上に丸投げだ!」
どうやら議論は最悪の結論を導き出したらしい。
俺たちは銃を突き付けられて馬車に押し込まれると、袋のような物を被せられて視界を奪われた。
「……悪く思うな、俺だってお前たちが怖い」
さっき乱暴な結論を出した男が耳元で囁くと、ドアが勢いよく閉められた音がした。
真っ暗闇の中で馬車に揺られた俺は、不安でたまらなかった。
何度も停止と発車を繰り返した末にようやく馬車が止まると、両脇を抱えられながら馬車から引きずり出され、強引に歩かされた。
――俺は限られた感覚を研ぎ澄まして、なんとかこの状況を理解しようとしていた。
石の上を歩かされているのが分かる。地面が凹凸している。石畳か何かだろうか?
反響音が変わった。建物に入ったようだ。足元も随分と平らになった。
何人かの足音が聞こえる。前にも何人かいるようだ。ケンタロウとイオリか?
重い扉が開かれる音が聞こえると、俺は左を向かされてまた歩かされる。
大勢の息遣いがざわめきに変わると、頭を覆うものを勢いよく外された――
俺の視界がまた明るさを取り戻すと、俺は慌てて今の状況を確認する。
左右には長机が階段状に並び、大勢の裕福そうな人物たちが座っている。どうやら議会のような場所に連行されたらしい。
正面に目をやると、少し高くなった教壇のような場所に、木槌を持った身なりのいい人物が座っていた。
その人物が木槌で二回、甲高い音を鳴らすと、通りの良い声で話始める。
「では、予定を変更して……議題はこの異界人三人の処遇についてです」
どうやら相当な大事になってしまったらしい――