第一話 黒川家の嫡男
冬の夜だった。
仕事を終えた俺は、いつものように駅から自宅へ向かって歩いていた。
吐く息は白く、街路樹の枝にはうっすらと雪が積もっている。
「明日は休みだし、ゲームでもやるか……」
そんなことを考えながら横断歩道へ足を踏み出した、その時だった。
「危ない!」
誰かの叫び声。
眩しいヘッドライト。
耳をつんざくクラクション。
そして――
衝撃。
体が宙に浮き、世界が回転する。
(……終わった。)
痛みを感じたのは一瞬だった。
次の瞬間、意識は深い闇へ沈んでいった。
◇
どれほど時間が経ったのだろう。
最初に聞こえたのは、誰かの慌ただしい声だった。
「もう少しです! 奥方様、あと少し!」
「はぁ……はぁ……!」
女性の苦しそうな息遣い。
何人もの人間が動き回る気配。
(……夢か?)
そう思った瞬間だった。
「おぎゃあ! おぎゃあ!」
耳元に響いたのは、自分自身の泣き声だった。
(……え?)
体が思うように動かない。
腕を動かそうとしても、短く細い。
足も小さい。
視界はぼやけ、輪郭しか分からない。
(まさか……。)
温かな布に包まれ、誰かに抱き上げられる。
「おめでとうございます! 元気な男の子にございます!」
(赤ん坊……なのか?)
その事実を理解した瞬間、心臓が大きく脈打った。
俺は――転生したのか。
◇
「殿、お子がご誕生なさいました。」
部屋の障子が静かに開く。
入ってきたのは三十代後半ほどの男だった。
整えられた髷。
羽織の上からでも分かる鍛えられた体。
腰には一振りの刀。
時代劇でしか見たことのない姿だった。
男は俺を抱いた女性の前まで歩み寄ると、穏やかな表情を浮かべた。
「母子ともに無事か。」
「はい。」
「そうか……。」
男はほっと息を吐き、俺の顔を覗き込む。
「よく生まれてきた。」
その目には、厳しさと優しさが同居していた。
(この人が……父親か。)
部屋の様子を観察する。
木造の屋敷。
畳敷きの部屋。
障子から差し込む淡い光。
照明は電気ではなく、油皿に灯された炎だ。
さらに、出入りする男たちは皆、髷を結い刀を帯びている。
(昔の日本……?)
しかし、それだけでは時代は分からない。
江戸時代かもしれない。
もっと古い時代かもしれない。
あるいは映画の撮影所という可能性だってある。
情報が少なすぎる。
その時だった。
視界の中央に、青白い光が浮かび上がる。
⸻
【SYSTEM】
レベルアップシステムを起動しました。
対象者:黒川新九郎
年齢:0
レベル:1
HP:10/10
MP:10/10
攻撃:1
防御:1
敏捷:1
スキル
・鑑定 Lv1
・言語理解 LvMAX
SP:0
称号
・転生者
・唯一の成長者
⸻
(……ゲーム?)
目を瞬かせる。
画面は消えない。
手を伸ばそうとしても、小さな腕がわずかに動くだけだ。
周囲の人間は誰一人として反応していない。
俺にしか見えていないらしい。
さらに新たな文字が表示される。
⸻
※経験値によるレベルアップが可能なのは、あなただけです。
⸻
(俺だけ……。)
ゲームの主人公のような能力。
いや、それ以上だ。
この世界に本当にレベルという概念があるなら、この能力は計り知れない価値を持つ。
だが、焦る必要はない。
今の俺は生まれたばかりの赤子だ。
立つことも歩くこともできない。
まずは情報を集めること。
それが最優先だった。
◇
数日後。
俺は眠っているふりをしながら、大人たちの会話に耳を傾けていた。
「若様は丈夫なお子ですな。」
「黒川家もこれで安泰でしょう。」
「殿も大変お喜びでした。」
(黒川家……。)
どうやら俺は黒川家という武家の嫡男らしい。
さらに、父の名前も分かった。
黒川宗久。
代々この地を治める国人領主。
領地は決して広くはないが、多くの家臣が仕えているようだ。
(国人領主……か。)
前世で読んだ歴史小説の知識が頭をよぎる。
しかし、まだ時代は分からない。
「織田」も「武田」も「徳川」も出てこない。
焦って結論を出すべきではない。
俺は赤子だ。
これから何年もかけて、この世界を知っていけばいい。
その時、再びシステム画面が開いた。
⸻
【メインクエスト】
『黒川家を存続させよ』
達成条件
・黒川家の家督を継ぐ。
・黒川家を滅亡させない。
報酬
ユニークスキル『領主の器』
失敗
黒川家滅亡
⸻
(いきなり家の命運か……。)
思わず心の中で苦笑する。
だが、不思議と恐怖はなかった。
前世では、ごく普通の会社員だった。
何かを成し遂げたわけでもない。
誰かに頼られたわけでもない。
だが今世では違う。
俺には家族がいる。
守るべき家がある。
そして――俺だけが成長できる力がある。
(黒川家を守る。)
(そのために強くなる。)
(そして、この世界がどんな時代なのか、自分の目で確かめよう。)
小さな拳を握りしめる。
まだ誰にも気づかれない、小さな決意。
それが後に乱世を駆ける一人の武将、その最初の一歩だった。