灰冠の聖女は英雄たちに憎まれたい   作:日向夏 

5 / 18
第五話 灰を祈る男

 その男は、四人分の朝食を勝手に食べていた。

 

 ネブラを出て半日、街道沿いの礼拝所で休もうとすると、灰色の長髪を後ろで結んだ男が祭壇に腰かけていた。傍らには、リュシアたちが宿で包んでもらったパンと燻製肉の袋がある。

 

「僕の肉!」

 

 ノアの悲鳴に、男は最後の一切れを口へ運んだ。

 

「祈りの場ではお静かに」

 

「盗人が説教するな!」

 

「祭壇への供物かと思いました」

 

「道具袋に供える奴がいるか!」

 

 ノアが飛びかかる。男は座ったまま身をかわし、その手首を取った。袖からのぞいた腕に、黒い太陽の刺青がある。

 

 セレナの杖が光った。

 

「離れなさい。灰祷会ね」

 

 男はノアを解放し、両手を上げた。

 

「元、です」

 

「刺青は元になってない」

 

「皮を剥ぐのは痛そうなので」

 

 カイルがリュシアの前へ立ち、剣を抜いた。

 

「名を名乗れ」

 

「エルド。姓はとうに捨てました」

 

 金褐色の目が、カイルの肩越しにリュシアをとらえる。

 

「身代わりの聖痕。やはり、今代の器はあなたでしたか」

 

「器?」

 

 聞き返した瞬間、礼拝所の扉が閉まった。

 

 黒い霧が床から噴き上がる。セレナが結界を張ったが、霧は壁ではなく影から入り込んだ。足首に絡み、身体の力を奪う。

 

「下がれ、リュシア!」

 

 カイルがエルドへ斬りかかる。男は祭壇に立てかけていた杖で受けた。木に見えた表面が剥がれ、内側から黒い金属が現れる。

 

「聖遺物を渡してください」

 

「断る!」

 

「でしょうね。ですから、最初から相談はしていません」

 

 エルドが杖を回す。床の影から灰色の腕が伸び、カイルの剣腕をつかんだ。ノアが背後へ回り、短剣で杖を払う。セレナの火が祭壇を横切った。

 

 狭い礼拝所で、四人の連携はうまく働かなかった。エルドは攻撃を読んでいるように、半歩先へ逃げる。

 

 それでも不思議なことに、致命傷を狙ってこない。

 

 リュシアは床に落ちた星縫いの針を拾った。エルドの視線が動く。

 

「それをこちらへ」

 

「灰の王を復活させるためですか」

 

「いいえ」

 

 迷いのない答えだった。

 

「復活を遅らせるためです」

 

 黒い霧が一瞬弱まる。カイルが影の腕を断ち、剣先をエルドの喉へ突きつけた。

 

「説明しろ」

 

「剣を置いていただければ」

 

「その必要はない」

 

「では、このままで。灰祷会は第三の聖遺物がベルクレアにあると知っています。あなた方が集めた遺物を奪い、灰の揺籃へ運ぶつもりです」

 

「なぜ遺物が復活に必要なの」とセレナ。

 

「封印にも、解放にも、同じ鍵を使うからです」

 

 エルドは喉元の刃を気にする様子もなく、リュシアを見ていた。

 

「あなた方は教会に、遺物を四つ集めれば魔神を倒せると教わった。間違いではありません。ただし、すべてでもない」

 

「何を知っているんですか」

 

「断片を。そして断片は、知らないことより人を誤らせる」

 

 リュシアの胸に、小さな棘が刺さった。

 

 カイルが剣を押しつける。

 

「言葉遊びはやめろ」

 

「では端的に。ベルクレアへ向かうなら、三日後の新月までに地下神殿へ入ってください。それを過ぎれば灰祷会が街ごと焼く」

 

「信用できると思う?」

 

 セレナの問いに、エルドは首をかしげた。

 

「思いません。私も自分をあまり信用していない」

 

「変な人ですね」とリュシア。

 

「あなたに言われると、少し傷つきます」

 

 ノアが鼻をひくつかせた。

 

「こいつ、嘘はついてない。全部言ってもいないけど」

 

「獣人の鼻は便利ですね」

 

「さっき肉を盗んだ匂いも覚えてるからな」

 

 結局、エルドは縄をかけられたまま同行することになった。

 

 ベルクレアへの近道を知っていること、灰祷会の術を破れること。その二つが理由だった。逃げようとすればセレナが焼き、ノアが追い、カイルが斬る。

 

「私は何をすれば?」とリュシア。

 

「何もしなくていい」とカイル。

 

「一番平和な役目ですね」

 

「君はそれでいい」

 

 縄の端はノアが持った。

 

「変な動きしたら引くから」

 

「犬の散歩のようですね」

 

「僕は猫」

 

「私の話です」

 

「あんた、犬なの?」

 

「人間だと思っていましたが、自信がなくなってきました」

 

 エルドは真顔で答える。ノアは結局「変な奴」とつぶやいた。

 

 道中、四人は交代で彼を問いただした。

 

 カイルは灰祷会の拠点を聞き、セレナは術式を聞いた。ノアは盗んだ朝食の値段を銀貨に換算させた。

 

「肉二枚で銅貨八枚。パン四つで六枚。迷惑料が銀貨一枚」とノア。

 

「利子が高すぎませんか」

 

「敵対神官向けの特別金利」

 

 リュシアは最後に聞いた。

 

「好きな食べ物は何ですか」

 

 三人が振り返る。

 

「もっと聞くことがあるだろ」とカイル。

 

「もし仲間になったら、五つ灯亭の献立に必要です」

 

「覚えていません」とエルド。

 

「嫌いなものは?」

 

「それも。食事を好みで選んだことがない。食べられるときに、あるものを食べました」

 

 ノアの顔から冗談が消えた。

 

「だからって僕の肉を食べていい理由にはならないけど」

 

「はい」

 

「でも店では、好きなの探せばいいよ」

 

「まだ仲間にするとは言ってないぞ」とカイル。

 

「もし、だよ」

 

 少し先で、焼けた家々が見えた。

 

 地図にはセトという村が記されている。生きている者はいない。

 

 エルドの足が止まる。

 

「七つの村の一つです。儀式の印を描いたのは、私です」

 

 地面へ黒い太陽の痕が残っている。エルドの腕の刺青と同じ形だった。

 

「何人死んだ」とカイル。

 

「八十三人。名簿では」

 

「名を覚えているか」

 

「いいえ」

 

「数だけか」

 

「はい」

 

 カイルは拳を握った。殴らず、一刻だけ墓を作ると告げた。

 

 四人は散らばった遺品を集めた。リュシアは焦げた木の椀を、ノアは子どもの靴を見つけた。エルドも縄を解かれ、誰より黙って深い穴を掘った。

 

 八十三人の名は分からない。墓標には、セト村とだけ刻んだ。

 

「祈りますか」とリュシア。

 

「私の祈りで、再び汚したくない」

 

「では、村の名前だけでも呼びましょう」

 

 五人で「セト」と口にした。

 

 風が焼けた畑を通り抜ける。

 

「赦してくださいとは、言いません」とエルド。

 

「赦されなくても、生きるんでしょう?」とノア。

 

「ええ」

 

「じゃあ生きて、八十三より多く助ければ」

 

「数を差し引いても、罪は消えません」

 

「知ってる。僕は計算苦手だし」

 

 ノアは先に歩き出した。縄の端はもう握っていなかった。

 

 エルドは自分から縄を拾い、カイルへ差し出す。

 

「まだ必要です」

 

 カイルは受け取ったが、手首には巻かなかった。

 

「腰に結べ。歩きにくいから」

 

 信用ではない。けれど完全な敵でもなくなっていた。

 

 エルドはそのやり取りを、ひどく遠いものを見る目で眺めていた。

 

 夜、森の廃屋で休んだ。

 

 エルドは柱へ縛られ、ノアが見張る。カイルとセレナは交代で眠り、リュシアは傷の手当てをした。戦いでエルドの額が切れていた。

 

「敵を治すのですか」

 

「今は道案内です」

 

「便利な分類ですね」

 

 濡らした布で血を拭う。浅い傷なので、移す必要はない。

 

「灰の王を、信じていたのですか」

 

 黒い太陽の刺青を見ながら聞いた。

 

「ええ。灰になれば、身分も種族も苦しみもなくなる。平等な救済だと教わりました」

 

「死ぬことが救いだと?」

 

「生きることに救いのない者へは、魅力的に聞こえます」

 

 エルドの声には、皮肉も冗談もなかった。

 

「私は多くの者を儀式へ送りました。彼らが泣いていても、魂は喜んでいるのだと信じた。ある日、七つの村が灰になった。そこにいた赤子まで救われたと、私は祈った」

 

 リュシアの手が止まる。

 

「それで、信仰を捨てたのですか」

 

「いいえ。そのときは、もっと祈りました」

 

 エルドは笑った。自分を嘲る笑いだった。

 

「信仰を捨てたのは、そのずっとあとです。命令に従えば正しさを選ばずに済むと、ようやく気づいた」

 

「では今は、自分で選んでいる?」

 

「そのつもりです。うまくはありませんが」

 

 リュシアは新しい布を巻き、結び目を作った。

 

「私も、うまくありません」

 

「あなたは選ぶ前に、自分を勘定から外す癖がある」

 

 指が止まった。

 

「会って半日なのに、分かるのですか」

 

「同じ癖を持つ人間は、見分けやすい」

 

 怖い人だと思った。杖の術より、その目のほうがずっと怖い。

 

 そのとき、外で枝が折れた。

 

 ノアの耳が立つ。

 

「十人以上。囲まれてる!」

 

 窓を黒い火が突き破った。

 

 灰祷会の襲撃だった。

 

 灰色の法衣を着た者たちが、廃屋の周囲で祈りを唱える。黒い火が壁を這い、一行を内側へ閉じ込めた。

 

「背教者エルドを渡せ!」

 

 外から声が響く。

 

 カイルが剣を抜き、セレナが結界を張る。しかし黒い火は、魔力を食って大きくなった。

 

「縄を解いてください」とエルド。

 

「逃げない保証は」とカイル。

 

「ありません」

 

「正直すぎるだろ」

 

「ただ、私を渡せば彼らはあなた方も殺します。星縫いの針を持っているので」

 

 屋根が崩れ、燃える梁が落ちる。

 

 ノアの足が倒れた棚へ挟まれた。

 

 黒い火が床を伝って迫る。カイルが棚を持ち上げようとするが、焼けた梁が肩へ落ちる。セレナは結界を維持するだけで精一杯だった。

 

 エルドが縛られたまま身を投げ出し、ノアを炎からかばった。

 

「あんた、燃えてる!」

 

「少し静かに。集中できません」

 

 リュシアが外套へ水をかけ、ノアの足を引き抜いた。

 

「どうして助けた」

 

「肉の代金がまだなので」

 

「そんな理由?」

 

「今考えました」

 

 ノアは呆れ、短剣でエルドの足元に絡んだ棚板を切り離した。

 

「借り、返したから。縄は自分で何とかして」

 

 リュシアは縄を切った。

 

「リュシア!」

 

「今は、自分で選ぶ人を信じます」

 

 エルドは一瞬、目を見開いた。

 

「後悔しますよ」

 

「そのときは怒ります」

 

「あなたは怒るのが下手そうだ」

 

 彼は黒い杖を床へ突き立てた。

 

 古い祈りが、灰祷会の唱和へ割り込む。同じ言葉なのに、順序だけが逆だった。壁を這っていた黒い火が向きを変え、外側へ噴き出す。

 

 包囲に穴が開いた。

 

「走れ!」

 

 カイルが先頭に立ち、ノアがリュシアの手を引いた。セレナの氷壁が追っ手を阻む。

 

 最後に出たエルドの背へ、黒い槍が飛んだ。

 

 リュシアは腕を伸ばした。

 

 触れるより先に、エルドが振り向いて槍を杖で払う。それでも穂先が脇腹を裂いた。

 

「移してはいけません」

 

「でも」

 

「これは私が選んだ傷です」

 

 彼は血を流しながら、自分の足で走った。

 

 追っ手をまいたのは、夜明け近くになってからだった。

 

 セレナがエルドの傷を治療し、カイルは難しい顔で彼の杖を返した。

 

「ベルクレアまでだ」

 

「何がです?」

 

「同行を認める。その先は、そこで決める」

 

「賢明とは言いがたい判断です」

 

「俺もそう思う」

 

 ノアが荷袋をあさり、残った黒パンを五つに分けた。

 

「肉泥棒の分は小さくていいよね」

 

「異論はありません」

 

 焚き火を囲むには、四人分の毛布しかなかった。リュシアが自分の端をエルドへ渡し、カイルが不満そうにもう一枚重ねる。

 

 五人目の席には、灰を祈っていた男が座った。

 

 誰も歓迎の言葉は口にしなかった。

 

 それでもノアは、五つに割ったパンを一つも残さなかった。

 

 朝の光の中で、エルドは小さく言った。

 

「温かい食事を囲むのは、久しぶりです」

 

「パンだけですけど」とリュシア。

 

「なら、温かいパンということにしましょう」

 

「冷たいよ」とノア。

 

「心の話です」

 

「急に神官みたいなこと言うな」

 

 笑いが起きた。

 

 エルドだけは笑わず、目を伏せた。

 

 その輪へ自分が加わる資格を、まだ信じていないようだった。

 

 リュシアは思った。

 

 ベルクレアへ着いたら、今度こそ五人で温かい料理を食べよう。

 

 できれば、カイル以外が作ったものを。

 

 その希望だけは、セレナとノアも同じだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。