灰冠の聖女は英雄たちに憎まれたい   作:日向夏 

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第八話 やさしい嘘の作り方

 人を傷つける嘘には、真実を混ぜなければならない。

 

 リュシアがそれを知ったのは、嘘をつき始めて三日目だった。

 

 最初の日、彼女は朝食を別の卓で食べた。

 

「祈りながら食べたいので」

 

 そう言うと、ノアはパン籠を持って隣へ移ってきた。

 

「僕、静かに食べられるよ」

 

 宣言の直後、スープを倒した。

 

 二日目は、セレナが髪を結おうとする前に自分で青い紐を使った。

 

「一人でできるようになりました」

 

「結び目が曲がってる」

 

 セレナは当然のようにほどき、きれいに結い直した。

 

 三日目、カイルの見張りを断った。

 

「一人でも眠れます」

 

「知ってる。でも順番だから」

 

 扉の外に座り、朝まで動かなかった。

 

 小さな嘘は、彼らの親切に負けた。

 

 四日目、リュシアは歩きながら仲間の声を記憶した。

 

 カイルは進路を決めるとき、必ず全員の顔を見る。自分の案が正しくても、誰かが不安そうなら理由を聞く。

 

 セレナは休憩を告げるとき、いつも「私が疲れたから」と言う。本当は一番遅れている者に合わせている。

 

 ノアは食料を盗み食いするが、最後の一個には手を出さない。誰かが空腹になったときのため、鞄の隅へ残している。

 

 エルドは皆が眠ったあと、火が消えないよう薪を足す。朝になると、最初から燃えていたような顔をする。

 

 彼らを嫌いになる理由を探した。

 

 一つも見つからなかった。

 

 代わりに、好きなところばかり増えた。

 

 だから逆に書き留めた。

 

 カイル――守る誓いを否定する。

 

 セレナ――ミアの代わりだと告げる。

 

 ノア――慈悲の演技に使ったと言う。

 

 エルド――沈黙を守らせる。

 

 紙へ書くと、作戦のように見えた。人の心を壊すための、順序正しい作戦。

 

 読み返すうちに、自分の字が怖くなって紙を破った。

 

 破片は風へ飛んだ。ノアが拾いかけたので、リュシアは珍しく声を荒らげた。

 

「触らないで!」

 

 皆が振り向く。

 

「……祈りを書いたものです。人に見せるものではないので」

 

 ノアは素直に手を引いた。

 

 その信頼さえ、利用した。

 

 仲間はリュシアの遠慮に慣れている。壁を作ろうとすれば、遠慮しているだけだと考えて乗り越えてくる。

 

 だから真実を混ぜる。

 

「一人でできる」ではなく、「あなたの助けは邪魔」と言わなければならない。

 

「心配しないで」ではなく、「心配される価値など感じていない」と信じさせなければならない。

 

 宿の鏡に向かい、リュシアは何度も練習した。

 

「私は、あなたたちを――」

 

 声が震える。

 

「利用していました」

 

 鏡の中の少女は、泣きそうな顔をしている。

 

 これでは駄目だ。

 

 口元だけ笑う。目を細める。セレナが皮肉を言うときの顔を思い出す。けれどセレナの皮肉には、相手を傷つけないための隙間がある。必要なのは、その隙間を閉ざすことだった。

 

「慈悲深い聖女に見えるでしょう?」

 

 ノアの耳が伏せるところを想像して、吐き気がした。

 

 洗面器へ駆け寄る。何も食べていないので、苦い水しか出なかった。

 

「朝から鏡と喧嘩?」

 

 扉の外で、セレナの声がした。

 

 リュシアは慌てて顔を洗う。

 

「起きていたんですか」

 

「壁が薄いのよ。入るわよ」

 

 返事を待たず、セレナが入ってくる。濡れた顔、空の洗面器、手つかずの朝食を順に見た。

 

「具合が悪い?」

 

「平気です」

 

「大丈夫、じゃないのね」

 

「使い分けていません」

 

「そう」

 

 セレナは追及せず、窓を開けた。冷たい山の空気が部屋へ入る。

 

 ベルクレアを出て三日。五人は南のリュネを目指していた。第四遺物「終火の剣」がある町だ。山道を下れば、あと十日ほど。

 

「昨夜、エルドと話していたでしょう」

 

 リュシアの肩がわずかに揺れた。

 

「見ていたんですか」

 

「水を汲みに起きたら、裏庭に二人でいた。彼、あなたに何か隠してる」

 

「気になるなら、本人に聞いてください」

 

「聞いたわ。『本人が話すべきことです』だそうよ。腹の立つ答えね」

 

 セレナは卓上の櫛を取り、リュシアの後ろへ立った。

 

「座って」

 

「自分でできます」

 

「知ってる。私がやりたいの」

 

 その言葉が痛かった。

 

 リュシアは椅子へ座らなかった。

 

「妹さんにも、そうしていたんですか」

 

「ええ」

 

「私と妹さんは、違います」

 

「当たり前でしょう」

 

 セレナは何でもないように答えた。

 

「ミアは櫛を見ると逃げたもの。あなたは礼を言って座る。違う人間よ」

 

 用意していた棘が、簡単に抜かれてしまった。

 

 今は言えなかった。まだ覚悟が足りない。

 

 リュシアは椅子へ座り、セレナに髪を任せた。

 

「何があったの」とセレナが聞く。

 

「何も」

 

「嘘ね」

 

 右の親指が左手へ動きかけた。膝の上で拳を握る。

 

「どうして分かるんですか」

 

「あなた、嘘をつくと左手を触るでしょう」

 

 心臓が跳ねた。

 

「昔から?」

 

「記録庫から帰った朝に気づいた。昨夜、エルドと話しているときにもやってた」

 

 セレナは髪をとかしながら、鏡越しにリュシアを見る。

 

「言いたくないなら、今は言わなくていい」

 

「問いたださないんですか」

 

「問いただして、無理に吐かせれば正解とは限らない。本人が話せるまで待つことも、必要よ」

 

 その判断を、セレナは優しさとして選んだ。

 

 リュシアには都合がよかった。

 

「ありがとうございます」

 

 心から礼を言った。

 

 後ろめたさで、息が苦しくなった。

 

 髪を結い終えたセレナは、リュシアの頭を軽く叩く。

 

「ただし、待たせすぎたら怒る」

 

「はい」

 

「約束」

 

 返事ができなかった。

 

 出発後、山道で灰猪に襲われた。

 

 以前なら、リュシアは誰かの傷へ真っ先に手を伸ばしただろう。この日は動かなかった。

 

 灰猪は二頭いた。

 

 一頭をカイルが正面から受け、もう一頭が斜面を回って荷馬へ突進する。ノアが木の枝から飛び降り、耳の後ろへ短剣を刺した。

 

 獣が暴れ、ノアを岩へ叩きつける。

 

「ノア!」

 

 名を呼んでから、しまったと思った。

 

 彼はすぐに起き上がり、笑う。

 

「平気!」

 

 灰猪の牙が脇腹をかすめた。血が散る。

 

 聖痕が熱くなった。

 

 走れば三歩で届く。触れれば痛みを引き受けられる。

 

 リュシアは爪を手のひらへ立て、その場にとどまった。

 

 セレナの氷が灰猪の脚を止める。エルドの杖が核を砕き、カイルが最初の一頭を斬り伏せた。

 

 戦いは終わった。

 

 ノアの傷は浅い。自分で耐えられる傷だった。

 

 カイルとの約束どおり、移さないのが正しい。

 

 なのに今のリュシアは、彼を尊重したのではなく、冷たく見せるために動かなかった。

 

 同じ行動でも、心の中はまるで違う。

 

 戦いが終わっても、ノアの脇腹から血の匂いがした。聖痕が疼き、身体が勝手に近づこうとする。

 

「リュシア、平気。これくらい!」

 

 ノアは笑って見せた。

 

「そうですか」

 

 冷たく答え、背を向ける。

 

 戦いのあと、セレナが傷を消毒した。ノアは痛みに耳を震わせながらも、こちらを気にしている。

 

「リュシア、怒ってる?」

 

「なぜです」

 

「最近、変だから」

 

「私が傷を移さなかったから?」

 

「そうじゃない。前は、すぐこっちに来た」

 

「来ないでほしいと皆さんが言ったのでしょう」

 

「言ったけど」

 

「なら、望みどおりです」

 

 言葉は間違っていない。だからノアは、どこが痛いのか説明できない顔をした。

 

 夜営の場所へ着くと、リュシアは一人で薪を集めに行った。

 

 エルドがついてくる。

 

「監視ですか」

 

「あなたは目を離すと、自分の心まで森へ捨てそうなので」

 

「詩人のようなことを言うんですね」

 

「元神官ですから。意味のありそうな無意味を言う訓練は受けています」

 

 少し笑ってしまった。

 

 すぐに笑顔を消す。

 

「笑っても、儀式は失敗しません」

 

「練習が必要です」

 

「憎まれる練習を?」

 

「はい」

 

 森の中で、二人は足を止めた。

 

「代わりの方法を探しています」とエルド。「各遺物の銘には、公式記録と異なる読み方がある。真名の鈴で器の魂だけを呼び戻せる可能性も」

 

「愛する者の名を呼べ。その魂は闇より帰る」

 

「ええ」

 

「でも記録には、愛が灰の王の道になるとありました」

 

「矛盾しています。だから、何か隠されている」

 

 希望が胸に灯りかけた。

 

 リュシアは自分で吹き消した。

 

「確実ですか」

 

「いいえ」

 

「残りは二十五日です」

 

「分かっています」

 

「皆に期待させないでください。最後に間に合わなければ、私は何も準備できない」

 

「準備など、しなくていい」

 

「必要です」

 

 薪を拾う指へ、ささくれが刺さった。小さな血の玉ができる。

 

 リュシアはそれを見つめた。

 

「カイルが私を殺せるようにしなければ」

 

 言葉にすると、吐息が白くなった気がした。

 

「なぜ彼だと?」

 

「終火の剣は、最も強い英雄が使う。セレナの魔法は剣を扱えない。ノアには重すぎる。あなたは儀式を知ってしまった」

 

 カイルしかいない。

 

 守ると誓った彼の手で、殺される。

 

「彼を壊しますよ」とエルド。

 

「生きていれば、いつか治ります」

 

「あなたの聖痕でも移せない傷があります」

 

 リュシアは答えず、薪を抱えた。

 

 野営地へ戻ると、カイルが鍋の前にいた。

 

「今日は俺じゃないぞ。セレナが作った」

 

「聞く前に言うのは怪しい」とノア。

 

 エルドの分を含め、器が五つ並んでいる。リュシアの器には、皆より大きな肉が入っていた。

 

「カイルが入れた」とノアが告げ口する。

 

「傷が治りきってないから」とカイル。

 

 リュシアは器を見た。

 

 大切にされている。

 

 守られている。

 

 その愛情が、魔神の逃げ道になる。

 

「余計なことをしないでください」

 

 初めて、用意した声が出た。

 

 カイルの笑顔が止まる。

 

「肉くらいで、大げさな」

 

「そういうところが、重いんです」

 

 卓が静かになった。

 

 リュシアは自分の器から肉を取り、カイルの器へ戻した。

 

「私は頼んでいません」

 

 右手が動かないよう、両手を膝の下へ入れる。

 

 カイルは戻された肉をしばらく見ていた。

 

「俺たちと旅を続けるのが嫌なのか」

 

「今さら?」

 

「今さらでも聞く。嫌なら、リュネまで別行動にすることもできる。護衛は必要な距離を取る」

 

「私がいなくても、困らないと?」

 

「そういう話じゃない」

 

「では、どういう話です」

 

「君の望みを聞いてる」

 

 望み。

 

 一緒にいたい。

 

 こんなことはやめて、全部話したい。カイルに大丈夫ではないと言ってもらい、セレナに髪を結ってもらい、ノアの皿から肉を取り返し、エルドの代わりの方法を待ちたい。

 

「望みなんて、ありません」

 

「そんな人間はいない」

 

「カイルには関係ない」

 

「ある」

 

 彼は食い下がった。

 

「君が言わないなら、俺は勝手に考える。君は俺たちといたい。でも、いちゃいけないと思ってる」

 

 核心へ近い。

 

 リュシアは椅子を立った。

 

「自分に都合のいい答えですね」

 

「違うなら、違うと言ってくれ」

 

 言えなかった。

 

 代わりに器を持って、残ったスープを地面へ捨てた。

 

「食欲がありません」

 

 皆の視線を背に、野営地から離れる。

 

 木立へ入った途端、空腹と吐き気で膝をついた。

 

 足音が追ってくるかと思った。

 

 誰も来なかった。

 

 カイルは彼女が望んだ距離を、初めて守った。

 

 自分で求めたことなのに、リュシアはそれを見捨てられたように感じた。

 

 カイルは何も言わなかった。

 

 ノアが明るい話を探すように口を開き、やめた。セレナはリュシアをまっすぐ見ている。エルドだけが目を伏せていた。

 

 その夜の食事は、五人そろっているのに、一人分の椅子が空いているようだった。

 

 嘘は初めて、仲間の親切に勝った。

 

 勝ったのに、リュシアは少しも強くなれなかった。

 

 毛布の中で木彫りの猫を握り、皆が眠るまで声を殺して泣いた。

 

 泣きながら、翌日に言う言葉を考えた。

 

 人を傷つける嘘には、真実を混ぜなければならない。

 

 ならば一番深く刺さる真実を、自分はもう知っている。

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