レミリア・スカーレットの杞憂   作:アステリアスエ

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7.暗黒大陸⑥

「なんで俺の名前、知ってんの?」

 

 男――ドン=フリークスの目から、先ほどまでの気安さが消えた。初めて、レミリアそのものを見たようだった。

 

 レミリアは手にした木の器を傾け、残っていた茶を飲み干した。

 

「人間の世界に残っているのは『新大陸紀行・東』だけ。未完成の『西』を持ち、三百年もここを歩き続けている人間。あなた以外に誰がいるのよ」

 

「……『東』は、まだ残ってるのか」

 

「ええ。少なくとも、私の知る限りではね」

 

「どうだ、面白かったか?」

 

「……読んではいないわ」

 

 火がぱちりと爆ぜ、レミリアの足にふたつの影を揺らした。

 

「他人の話を聞いただけ。そいつは、この大陸にも来たわよ」

 

「そうか。そいつは元気か?」

 

 火の中で、細い枝が折れた。

 影が形を変え、ひとつになった。

 

「いいえ。もういないわ」

 

 レミリアは掌の中で、冷めかけた器を回した。

 ドンはしばらくレミリアを見ていたが、それ以上は追及しなかった。

 

「まあいい。『東』が残ってんなら、それで」

 

「嬉しくないの?」

 

「嬉しいさ」

 

 ドンは顔も上げずに答えた。

 

「書いたものが残ってる。それ以上、何が要る」

 

 ただ事実を確かめ、それで満足したらしい。

 レミリアは木箱の上で脚を組み直した。

 

「五大厄災、だったかしら。ずいぶん大仰な呼び方よね」

 

「五大?」

 

 ドンが、妙なところで聞き返した。

 

「何よ」

 

「いや」

 

 初めて、その口元に楽しそうな笑みが浮かんだ。

 

「五つしか見つけてねえのかと思ってな」

 

 レミリアの笑みが固まった。

 

「……冗談でしょう?」

 

「何で?」

 

「あんなものが、まだいくつもいるというの?」

 

「ここはおもちゃ箱だからな。色々あるさ。未知も危険も」

 

「……そうね。私も逃げることを覚えたわ」

 

「逃げるのも悪くないだろ」

 

 鼻で笑いかけて、やめた。

 

「好きにはなれないわね」

 

 レミリアは、傍らの布袋へ目を移した。

 

「それなら、さっき見た米は――」

 

「ニトロ米。究極の長寿食だ。『東』にはそう書いたはずだがな」

 

「究極の長寿食を、布袋に詰めて持ち歩いているの?」

 

「腹が減るだろ」

 

「そういうもんなのかしら……」

 

 あっさりと告げ、ドンは鉄鍋の底を木の匙で掻いた。

 

「『西』はまだ時間がかかりそうだしな」

 

「それだけ長く旅を続けているのに?」

 

「世界は広いってことさ。未知に溢れてる」

 

 ドンは傍らの『西』を軽く叩いた。

 

「雨宿りした洞窟が、次の朝には空を飛んでたこともある。二年追いかけた川は、最後には海から空へ昇っていた」

 

「最後のは、あなたが上流と下流を間違えていただけじゃないの?」

 

「そうかもしれん。だから『西』はまだ書ききれてねえ」

 

 レミリアは呆れながらも、少しだけ笑った。

 こんな頭でなければ、三百年も歩き続けられないのだろう。

 

「それで」

 

 レミリアは空になった器を置いた。

 

「三百年もここにいるなら、人間がいる所へ帰る方法も知っているんでしょう?」

 

「知ってるよ」

 

 あまりに簡単な返事だった。

 レミリアは一度瞬きし、身を乗り出した。

 

「……帰れるの?」

 

「帰り道はある。俺は帰ってねえけどな」

 

「三百年も?」

 

「まだ『西』が終わってねえからな」

 

 ドンは本の厚い背を撫でた。

 何度も革を継ぎ足され、最初の形さえ分からなくなった本。それでも、中にはまだ白い頁が残っているらしい。

 

「いつ終わるのよ」

 

「さあ」

 

「呆れた。終わらせる気があるの?」

 

「あるさ。最後まで見れば終わる」

 

「最後がないんじゃない?」

 

「そりゃ困ったな」

 

 そう言いながら、ちっとも困っている顔ではなかった。

 

「お前は、人間の世界へ行きたいのか?」

 

「当然でしょう。紅魔館へ帰る方法を探すにしても、こんなところにいては始まらないもの」

 

 パチュリーの小言。

 咲夜の呆れ顔。

 そして暴れては館を壊す妹。

 

 暗黒大陸には、まだ見ていないものが無数にある。

 腹立たしいほど危険で、認めるのも癪だが、少しばかり面白い場所でもあった。

 

 それでも、帰る場所は別にある。

 

「私の館には、放っておくと何をするか分からない連中ばかりいるのよ。主人が戻ってやらないと、今頃ひどい有様でしょうね」

 

「大事にされてんだな」

 

「そう聞こえたのなら、あなたの耳はどうかしているわ」

 

 ドンは声を上げて笑った。

 

「そういや、お前の名前は?」

 

「レミリア・スカーレットよ。今さら?」

 

「大陸に戻る道なら知ってる。その代わり、もう少し幻想郷の話を聞かせろ」

 

「それが案内料?」

 

「知らない場所を教えてもらうんだ。十分だろ」

 

「安い男ね」

 

「高くした方がいいか?」

 

「結構よ」

 

  ◇

 

 焚き火がひと回り小さくなるころ、話は一本の桜へ移っていた。

 

「西行妖?」

 

「ええ。死を誘う妖怪桜よ。春を集めても満開にならなくてね」

 

「見てみてえな」

 

「見物料に命を取られても知らないわよ」

 

「面白そうじゃねえか」

 

「でしょう? ほかには――そうね。月へ攻め込んだ話でもしてあげましょうか」

 

「月に行ったのか?」

 

「ええ。月の裏側には都があってね。神やら仙人やら兎やらが住んでいるのよ」

 

「へえ。何しに行ったんだ?」

 

「征服しに」

 

「うまくいったか?」

 

「……途中で飽きたわ」

 

「負けたんだな」

 

「飽きただけよ」

 

 笑い出したドンをよそに、レミリアは次の話を始めた。

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