本作にもときどきAIの利用が出てくるが、いわずもがな2050年の世界においてAIはすでに生活のおよそすべてに入りこみ、活用されている。特に言及がなくとも、基本的に全ての電子機器にはAI技術が使われている。
これは民間データベースからであるが、大雑把に言うと、令和初期のAI利用総量を仮に100とした場合、現代のAI利用総量は200万ほどであるという。
様々な発展と改良はあったが、必要とする莫大な電力と水資源はとうとうそれほど省エネできなかった。
しかし、その電力は核融合発電、宇宙での各種発電、海底採掘技術の向上による海底油田、メタンハイドレート鉱などで十分に賄われている。
海水の淡水化施設は世界中に建設され、浄水の利用は今や全人類が使う水資源の7割を占める。
そして月面のAIデータセンターは現代の200万と言われる使用総量のうち120万ほどを担っていた。
冷却、発電容易に加えて土地面積の制限が事実上なし。
学習処理や大規模推論など、応答速度を要求しないAI需要の大半は月面が担っている。
電力にしても、月面及び宇宙空間で発電される電力は地球に送られ、人類が使用する全電力の1割をまかなっている。ピーク調整はもはや月抜きには成り立たない。
もうどの国も月からは足を抜けない。
「地震、雷、津波に噴火。月には日本人の天敵がまったくないじゃん。月にきたら日本人繁殖しまくるんじゃない?」
「米がねーよ。」
「あ、無理。」
「私語やめい!」
山本1曹は「修学旅行じゃねえんだ。」とぶつぶつ怒っている。
キャンプシャックルトン・リムがフロリダであるため、およそ14時間の時差は皆を当初寝不足にした。
山本1曹は時差調整が苦手で、4日目の今日、まだ調子が戻っていない。
警備3中隊はシャックルトン基地の警備道を12台のルナクルーザーに分乗し、走っている。
愛知の巨大自動車会社が作ったルナクルーザーは米軍も採用している傑作月面車だ。
キャンプシャックルトン・リムにはキャンプシャックルトン・リム外周とアメリカの施政権が及ぶジャクトン線(ジャクトンは国際宇宙法の権威で、米国の月面領土画定に奔走したアメリカの政治家)に沿った2線の警備道が走っており、自衛隊の担任警備部分はそのうち北部の合計28キロほどである。
もちろん無人監視ポストが主な光学警備手段で、人間を張り付けるものではない。
「ジャクトンロードかー」
「津志田ロードとか名前つかねーかな。」
津志田が加勢を肘でつつきながら、けだるげに言う。
「基地施設隊に入って道路作ったら名前付けさせてくれるんじゃないですか?」
「今さら特技変えるのメンド」
「ここから通称ルリコロードですよ。」
柳沢るり子がニッコリ笑って教えてくれる。
警備道に5キロおきに作られているポストがあるが、そのうち最大のポスト・トランプで米軍と合流する予定だ。
柳沢るり子は米側との交渉役として同乗している。
なお、中隊長の調子が狂うので、徳田曹長のお願いで、別の車両に乗ってもらっている。
川路も気まずいので中隊長車に頼んで乗せてもらっていた。
「ルリコロード?」
「またまたー。」
「柳沢さんでも冗談いうんですね。」
「って、マジか!マジにRURIKO-ROADって表示されてる!」
津志田がアームモニタのルナマップで確認した。
「私はあなたがたとお会いしてから、一切嘘を申し上げたことはありませんよ?」
「この道路、柳沢さんが作ったんですか?」
加勢がくりくりした目で質問する。
「あはは、まさか。ジャクトンさんにおねだりしたら譲ってくれたんですよ。それを記念して8キロほどジャクトンさんが私の名前をつけてくれたのです。」
「ジャクトンって、歴史上の人かと思ってたけど、よく考えたら普通に現代人じゃん。」
「かわいいおじいちゃんですよ。私が甘えたらなんでも贈ってくださいます。」
この女とんでもねえ・・・
うちの中隊長が手玉にとられるのは仕方ねえ。
津志田が柳沢を化け物みたいに見る。
「何か他にももらったりしたんですか。」
「そうですねえ。この間みなさんが乗った基地鉄道の優先乗車権とか。」
「ええ?」
「もしかして、それがなかったら。」
「そうですね。2日待ち、なんてのも昔はあったみたいですよ。」
柳沢はコロコロ笑う。
加勢は柳沢の笑顔が好きだ。好きにならざるを得ない魅力がある。
川路が「昔ちょっと」好きだったのも頷けた。
「あ!でもジャクトンさんもタダじゃくれませんでしたよ。」
「どういう取引があったんですか。」
「そうですね。お風呂ですかね。」
「風呂?」「お風呂?」
まさか一緒に入ったとか…!
女の魅力使いすぎだろおおおん!
津志田がうなりまくる。
山本1曹が窓の外に顔を向けた。
よからぬ想像をしたに違いない。
「基地に「シャックルトンの湯」がありますよね。米軍にも入浴時間割当があるんですが、それですよ。」
「アメリカ人も入りに来るんですか。」
「まさか。わざわざ入りに来る人はいません。」
「よくそれで取引できましたね。」
「私がおねだりしたら、ね。」
柳沢がいたずらっぽく笑う。
—ポスト・トランプ—
広大な月面につながる点と線。これを少しでもはずれると人間は月では生きていけない。
その、いくつかある点のうち、いくらか大きめの点。それがポスト・トランプだ。
レゴリート(レゴリスを材料に作られたコンクリート)建築の無骨な地上部分と、地下部分からなるポストで、最大136名を収容し、1週間の生存が可能である。
モータープール(軍駐車場)には米軍の戦闘月面車両やホッパーがいくつも停まっている。
「流石、天下の米軍だねえ。」
岩倉が感心する。
地下広間に集合すると、すでに米側はそろっていた。
眼光の鋭い背広の老アメリカ人が岩倉達を睨み据える。
警備3中隊に緊張が走る。
が
「ルーリーコー!」
老アメリカ人は顔をくしゃくしゃにして駆け寄り(低重力なのでスキップみたいな走りだが。)川路を押しのけ(押しのけたが、質量の問題で押しのけられたのはジャクトンで、漂ったジャクトンは加勢とぶつかって柳沢るり子の前に立てた。加勢は川路がキャッチした。)柳沢るり子の手を取る。
「あいつがジャクトンかよ。」
津志田が毒づく。
加勢は「歴史上の人物」ジャクトンとぶつかったときの感触で「本当に現代人なんだ。」と改めて驚く。
さて。
手を取られた柳沢るり子はハグで応じ、そこからなにやら流暢な会話を始めた。
置いていかれる残りの米側と警備3中隊
一人の米軍通訳が岩倉に近寄る。
「ジャクトン議長は「調整」に入りました。皆さんはとりあえず、解散してくつろいでいてください。責任者だけ、ここへ。」
岩倉が徳田に中隊を解散させたところで柳沢るり子が岩倉に声をかけた。
「岩倉1尉。ジャクトン議長は警備3中隊にシュワルツコフ(月面戦闘車)3台とジャックラビット(武装月面ホッパー)1機を供与する用意があるとのことです。」
「なんですと?隊本部からは聞いてませんが。」
米軍通訳が割って入りジャクトンに伝える。
柳沢るり子がジャクトンの言葉を伝える。
「地球で安全保障上の危機が進んでいるそうです。どことは明かせないですが、月にもその危機の影響が及ぶ公算大です。なので、まだ正式決定ではないものの、こちらは用意してあります。」
中国やろな…
一同は察した。初日にみた中華ホッパーを思い出す。
確かに中国が広寒中心基地から全軍で討ってでてきたら警備3中隊などひとたまりもない。
まあ、さすがにそれは飛躍だが。
「お話は理解しました。のちほど隊本部から正式な話をいただけると思います。そののち受領になるということでよろしいですね。」
柳沢るり子がジャクトンに伝える。
別に笑い話ではないのに二人とも笑いながら話している。
その時、岩倉のアームモニタに隊本部4科長の外崎3佐が出た。外崎3佐は1科長と兼任している。
「よお、岩倉。」
「外崎さん。今ちょっと米軍と折衝真っ最中でして。」
「ジャクトンさんとだろ?隊長の許可はもらったから戦車とホッパーもらって帰りな。」
「え??」
アームモニタに米軍武器供与の文書が映し出された。
「シャ警隊第2954号(9.10.2)建徳9年度米軍武器供与受入れに関する兵站命令」
「ほえ?」
戸惑う岩倉に柳沢るり子が寄り添い、吐息のかかる近さで声をかけた。
「岩倉1尉、いえ。岩倉さん。ぜひもらってください。シャックルトン・リム北部は皆さんが思っている以上に危険な情勢です。私に出来ること、今はこれが精一杯。」
うるんだ目でジッと岩倉をみつめる。
「この岩倉におまかせあれ!」
岩倉はどんと胸を叩いて鼻息をフンとふいた。