「川路の言ってたアレってなんだったの。」
「昔。大昔のジンクスです。」
加勢が言ったのは「私この警備が終わったらニューヨークステーキを食べるんだ。」というセリフの事である。
加勢のテーブルにはステーキがある。紙エプロンを装備して右手にナイフ、左手にフォークをもってぺろっと舌を出して笑顔だ。
-なんだか、どこかでみたことあるような-
川路は加勢の一挙手一投足に古の平成を感じる。生まれる前の遥かな昔の時代なのだが。
「川路ってそういうの詳しいよな。もぐもぐ。」
笹嶋がステーキをほおばる。
「マニアなんだろ。」
津志田はナイフで肉を切るのに苦戦している。
「俺と同じにおいがする。」
村田は一人、サンドイッチセットを食べている。
ここはキャンプシャックルトン・リムの軍食堂「Mare Tranquillitatis(マーレ・トランキウィタティス)」
加勢たちはあの緊迫の警備を終え、今朝下番した。
睡眠不足なのだが、いてもたってもいられず基地鉄道で南地区の食堂にかけつけたのだ。
約束していた津志田、笹島も一緒だ。加勢が半ば無理やり村田士長も誘った。
航空宇宙自衛隊身分証と米軍発行のカードで軍区域に入る。
もう16時だ。5人とも昼飯を抜いているので腹ペコである。
加勢は天神の地下街を思い出した。米軍特有のコロンのにおいがただよっており、街並みは完全にアメリカだが。
非番の兵士たちがうろついている。
英語の看板。
温度表示には75.5度と書いてある。
「川路!あの数字はなに!」
「華氏ですね。摂氏だいたい24度くらいでしょうか。」
「華氏?」
「アメリカ人の温度表記はおおげさなんだよ。」
村田がひねた説明をする。村田士長は斜めに構えた男だが、まあ悪い奴ではない。
津志田「はやく食堂行こうぜ。」
加勢「まかせてごわす。」アームモニタをいじる。
アームモニタの偽川路が「あっちでごわす。」「こっちでごわす。」と加勢たちを軍食堂にいざなう。
津志田の笑いが止まらない。笹嶋がそれをほくほく顔で眺めている。
村田は脳伝動ホンで何かを聴いている。クラシックな人工音声の曲だろう。
そうして到着したのが軍食堂「マーレ・トランキウィタティス」だ。
「月の地名「静かの海」にちなんでいますね。」と本物の川路が教えてくれた。
偽川路はハルシネーションなのか「ローマ式の静かな場所と言う意味でごわす。」と、ホンモノの川路がいなければ信じかける微妙なことを言っていた。
あまり格式ばったレストランではなく、券売機でチケットを事前購入するシステムのようだった。チケット自体は無料で、食後に清算する。
地球との金融通信は信頼性に欠けるため、小売程度の商品の売買には採用されていない。
地球と月は光速で往復2.5秒。
寸断などは最近の技術で克服しているが、デジタルジャムがあれば数秒どころか数分待たされるのはざらだ。
4人は迷うことなく「ニューヨークステーキ」のチケットを発券し、握りしめて受付へ持って行く。
村田はひとりサンドウィッチを発券した。
川路が英語でやり取りしてくれるのでアームモニタはお呼びでない。
偽川路はちょっとすねている。
着席して待つこと20分。4人の前に分厚いニューヨークステーキ。そして村田にサンドウィッチが運ばれてきた。
加勢の胸が躍る。
夢にまで見たステーキ。
これがアメリカのステーキ。
アメリカの首都、ニューヨークのステーキ
恭しく紙エプロンを装着し、おごそかにナイフとフォークを持つ。
なんて美味しそうなんだろう!
思わず舌がぺろっと出た。
川路がちょっとニヤっとしたのが見えた。
ニューヨークステーキはちょっと大味だったが、食べているうちにこれはこれで美味い!と、徐々に感動が高まっていく。
米がなかったのが残念極まるが、ここはアメリカだと言い聞かせ、肉の味に集中する。
ニューヨーク!
自由の女神が笑ってるよ、お母さん!
・・・固い
嚙み切ってくれる!
加勢は顎の力を総動員する。
フルパワー加勢瑞奈にかかればこの程度の肉、なにほどのこともない!
やはり固い。
前を見ると川路は豆腐でも食べているかのように肉を楽しんでいる。
津志田3曹も苦戦している。というか津志田3曹はそもそも切り分けるのに苦戦していた。
笹嶋士長は肉を1センチ角くらいに細かく切り分けて食べている。器用だ。
川路と目が合った。
口の周りにソースをつけ、でたらめに肉と格闘している加勢のナイフとフォークをそっと取る。「加勢士長、失礼します。」
川路は笹島士長みたいに細かく肉を切り分けてくれた。
「川路、あたしのもやってくれよ。」
笹嶋が津志田3曹のナイフとフォークをとる。
「アネキ、自分がやります。自分が。」
と笹嶋はあっという間に肉をこまかく切り分けてしまった。
川路とはまた違う器用さに見えた。
「笹嶋おまえ器用だよな。」
「へへ、隊務はともかく、肉の切り分けなら任せてください。」
村田はひとりもくもくサンドウィッチを食べている。
-しあわせだ-
月に来てよかった。
加勢は幸せをかみしめた。
「ところで。」
サンドウィッチを食べ終えた村田が脳伝動ホンのスイッチを切ってテーブルに置いた。
「津志田3曹と笹嶋。それと加勢と川路って。」
4人が村田に視線を向けた。
「つきあってんの?」
津志田「ハァ!?」
笹嶋「ゴフ(肉を噴く)」
加勢「えええ!?」
川路「先輩です。」
村田「あ、そ。なんかさ、俺お邪魔かなって思ってさ。」
川路は「まあ、そう見えるのかもしれないな。加勢士長の迷惑にならないようにしないといけないか。」と顎に指をあてて目をつぶって思案した。
笹嶋は目をそらして最後の肉をほおばって食べた。
加勢は大きくかぶりをふる。
「村田士長!いえいえ、違います違います。そんなじゃないから、楽しそうだったからせっかくだから村田士長も誘ったんです。」加勢の狼狽がひどい。
「ありがとな。サンドウィッチ好きなんだ。」
村田がふふっと斜に構えて笑う。
津志田「村田こそ、どうなんだよ。お前彼女とかいんのか?」
村田士長はアームモニタから女の子を呼び出した。
「初声クミです!」
ポストについていた時に見せてくれたキャラだ。なぜか大根を持っている。
「僕は彼女がいれば十分なんです。」
初声クミは3次元投影モードになり、村田の頬に自分の頬を寄せた。
「ダーリン。」
村田が赤面した。
-ダーリン-
川路は平成以前の昭和の言葉を聞いた。
「なんだよ、ダーリンって。」
「さ、会計しましょう。」
村田が話題を変え、席を立つ。
「まあ、あんまり遅くなってもつかれるしな。」
津志田も席を立つ。
基地鉄道で居住隊舎までドアツードアで2時間かかる。
今晩の門限はないが、宿泊の当てもないので帰らざるを得ない。
「ええええええええ!」
会計で加勢が絶叫した。
「29ルナ$は米軍価格でごわすですな。」
偽川路が解説する。
地球から宇宙に物資を運ぶコストは令和初期と比べると段違いに下がった。
地球の輸送コストの5~20倍程度だ。
もちろんそれでも割高だ。
米軍は軍人に地球と同じ生活クオリティを保証するために軍人価格を設定している。
流石にそれは自衛官には適用されなかった。
「ニューヨークステーキおひとり様60ルナ$なり。」
加勢がその場にわなわなと震え、膝からくずれおちた。月の重力ゆえ、ゆっくりだった。
津志田「えー。ヤバ。50ルナ$しかもってねーよ。」
笹嶋「アネキ、そのへんでカツアゲしますか。」
「するわけねーだろ。私はお前にとってどういうキャラなんだよ。」
川路「エクスチェンジを探しましょう。」
店員がなにかしゃべる。
川路「困りましたね。エクスチェンジは17時で閉まっているようです。」
その時、二階からさえない男と綺麗な女性がおりてきた。
さえない男は顔面蒼白で、月の重力を差し引いても、その足取りには力がなかった。
「ちゅ、中隊長ー!」
岩倉中隊長は力なく手を横に振った。
「諸君、そとで自衛隊の呼び方はやめよう・・・」
柳沢るり子は満面の笑みだ。
「みなさん、おそろいでどうかされました。なにやらお困りのようですが。」
川路「るり子さん。ルナ$を両替したいんだけど、なにかいい方法ないかな。」
「そうね。昇平君。もう両替は無理だから。」
「困ったな。」
柳沢るり子がめを細めて微笑んだ。
「あなたがたも、なのね。」
柳沢るり子は4人のチェックを確認する。
「私が立て替えておくから、あとで返してくれたらいいわ。」
ちなみに村田が頼んだサンドウィッチは48ルナ$だったので所持金の50ルナ$で足りていた。
5人は声をそろえて柳沢るり子にお礼を言った。
「ありがとうございました。」
「ありがとう、るり子さん。」
「あざーーーーーっす!」
「ありやとやしたー!」
顔を上げた加勢「ところで柳沢るり子さん。」
「なあに?あと、なんでみなさん、私の事はフルネームで呼ぶのかしらね。」
「中隊ちょ・・・岩倉さんと夕ご飯を一緒に食べられたのですか。」
「そう、よくわかったわね。彼のおごりだったの。」
岩倉は「うん、うん。そうだよ、そうなんだ。」とぶつぶつ言っている。
柳沢るり子は颯爽と4人の料金を支払う。
優雅な手つき。会計係との会話も流暢だ。
加勢はちょっと悔しかった。
津志田は「やっぱヤベ―女」と、思いを新たにした。
柳沢るり子と岩倉はもう少し散策するというので、店の前で別れる。
力ない笑顔の岩倉。岩倉の腕をつかんで離さない笑顔の柳沢るり子は雑踏に消えていった。
帰りの鉄道で村田が4人に独り言みたいに尋ねた。
「あの二人つきあってんのかな。」
4人は腕を組んで、うーんと考え込む。答えは出なさそうだった。