関東は令和16年に震度5強の地震と津波。令和18年には震度7の地震に襲われた。
令和16年地震の震源地は三浦半島沖。関東一帯沿岸部に最大4mの津波が襲う。
沿岸部に被害は出たものの、地震自体はさほどでもなかった。
人々はこれで「関東大震災」は来た。次はまた100年後か、と油断した。
令和18年地震の震源地は相模原北部。津波はなかったが、都内の揺れはすさまじく、倒壊家屋多数、数千か所で起きた火災は鎮火まで2週間かかった。
さしもの耐震化された東京もこの大地震には大被害をこうむり、建徳9年の今でも放棄された区画が幾か所かある。
令和18年地震では東京都知事が公務中に死亡したほか、政府閣僚にも死者、重傷者が出た。
権限を持つ政治家や官僚が十分にそろわないままに始まった震災対処は初動の効果を著しく欠いた。
自治体の消防、警察力はもちろん、日本中から救援に向かった自衛隊にもこの被害は手に余った。南は横浜、北は川越を過ぎたあたりからの惨状は駆けつけたものたちを無言にさせた。
日本政府、自衛隊の機能不全をみかねたアメリカは、グアムの陸軍や他海域の艦隊を呼び寄せ、日本の安全保障をしばらく肩代わりする事態となる。
これがきっかけとなり、政府機能の分散が議論され、翌年から本格的に移転が始まった。
防衛省もまた移転の対象となったが、最終的には市ヶ谷に残った。そのかわり、陸海空の幕僚監部がそれぞれ、松代、舞鶴、府中に移されることになった。
移転は令和23年に完了したが、この年に南海トラフ地震が起き、移転間もない各幕僚監部は統合作戦に苦労した。
-府中-
ここは移転して久しい航空宇宙幕僚監部のシャックルトン防衛部事務室。
「増強4中隊がシャックルトンに到着しました。」
明るい声が事務室に響いた。
シャックルトン防衛部長の前田空将補は園部1尉の報告を受ける。
彼女は溌溂としたWAF(女性航空宇宙自衛官)で、防衛工科学校12期生、防衛大学校89期生。
先日1尉になったばかりだ。
こういうところで勤務していることから察せられると思うが、非常に優秀である。
「シャックルトン基地の受け入れ態勢は間に合っているのか。」
「居室が足りず、3人部屋が複数あるとのことです。」
「3人部屋がまだあるのか。それでは隊員の士気が保たんだろう。
急がせてそれだろうから、これ以上急かす気はないが、現場中隊長には隊員の心理に気を遣うよう、よく言って・・・いや、すでに言ってるのだろうな。」
「はい。居室増築と隊員の心情についてはすでに警備隊長を通じ、よくよく言い含めております。」
「そうだな。3人部屋など、気が狂いかねんぞ。」
園部1尉も3人部屋で暮らすのを想像して身震いする。
防衛部事務室に勤務する重原准尉。特別再任用73歳。
部隊から上がってくる数字の処理をしているのだが、さきほどからの部長と園部1尉のやりとりを聞いて隔世の感に浸っていた。
「俺が入隊したころは12人部屋で2段ベッドだったが、新型のベッドだからおまえらは恵まれているぞ、と班長達からは言われたものだ。」
軽いため息をはく。
「ですよねえ、重原准尉。」
前田部長が大先輩の准尉に同意を求めてきた。
-俺かよ!-
「そうですね。3人部屋なんて息苦しいったらありゃしません。おまけに月ですからね。早々に個室になりませんと。」
-月だか火星だか知らんが、10人タコ部屋で十分なんだよ、ガキども-
「ですよねえ、准尉。」
園部1尉も重原に笑いかける。
「はい、まったく。」
重原は愛想笑いをしてモニタに向いた。
「中国が挑発してるらしいじゃないか。」
「はい。すでに報告を読まれていると思いますが、今も散発的に続いているとのことです。」
「やつらのいつもの挨拶みたいなものだ。まあ、油断はせんとして、そこまで深刻に受け取ることはないだろうな。」
「消極対処方針は徹底されております。」
-いつ撃ってくるかわからん中国が目の前で挑発していて平気でいられるかよ-
重原准尉は、いつものことだが、二人の会話に苦々しいものを感じる。
「なあ、重原准尉!」
-俺かよ!-
「シャックルトンに勤務するくらい優秀で分別がある隊員達なら、中国の挑発など余裕で察しておることでしょう。」
重原は我ながらよくもこうペラペラ心にもないことを返せるものだと感心する。
「こないだの日中防衛会談で、中国は和諧航天路線で、いったん日米と仲良くすると言っていたな。少なくとも月では。」
「中国の月の戦力は公表の半分くらいだろうと言われていますものね、部長。」
「変な申し入れしてきてるらしいじゃないか。」
「親善試合・・・でしょうか。」
「あいつらサッカーでもすぐ反則して選手を蹴ってくるしなあ。」
「審判をちゃんとだしてもらわないとだめですね。」
「外務省の役人にさせようかな。」
ここで前田はコーヒーをすすった。
「そういえばシャックルトンには私の高校の同級生が行ってるんです。」
「園部君の同期か。」
「いえ、自衛隊じゃなくて外務省です。」
「ああ、もしかしてジャクトンさんから米軍の武器をひっぱったっていう、あの。」
「そうなんです。」
-住む世界が違う-
重原はふたたび軽くため息をつく。
「重原准尉だってすごいんだぞ。」
-俺かよ!!-
園部が目を輝かせて尋ねる。
「そういえば昔、准尉は陸自と警備訓練をしたときに陸自の隊員を捕虜にしたとか。」
園部はなまじ成績が優秀ゆえに、実地の訓練経験が乏しい。
彼女にとって重原准尉は経験値の塊で、そういう意味では憧れの対象の一つだ。
-20年前の話だよ!!しかも米軍から武器もぎとったヤツと並べられるような話じゃねえ!!-
「あれはたしか令和12年くらいでしたか。54連隊との対抗式演習でしたね。まあ、私がどうとかではなく、部下にすばしっこいのや力持ちがいたので、運よく捕虜に取れた、といったところでしょうか。」
-正直まったく覚えてねえよ!!誰だよすばしっこいとか力持ちとか。いたっけ?我ながら適当すぎる-
園部がメモを取っている。重原からしたらメモに取る要素がわからない。だってかなり適当なので。
「空幕訓令の・・・ぶつぶつ。部下に与える適切な裁量・・・ぶつぶつ。」
園部がメモを終えて重原准尉に顔を向ける。ひまわりみたいにぱあっとした笑顔だ。
「准尉!准尉のお言葉ですが、簡易な話し言葉の中に含まれた戦術の極意。戦いの原則で解釈できました。」
-もう勝手にしてくれ-
重原もさすがに苦笑い。
前田部長は腕を組んで、うん、うん。そうだな。とうなづいていた。
-シャックルトン基地-
「3人部屋とか最高じゃん!」
加勢が割り当てられた部屋に踊りこんだ。
3中隊のWAFは5名。増強4中隊から来たWAFが5名。
この10名が4部屋に割り当てられた。
加勢は津志田と六会ミヤコの3人部屋となる。
津志田「最初だけだ。掃除しないやつとか、片付けしないやつがだんだん癪に触ってくんだよ。」
加勢はちょっとドキッとした。公共場所の清掃や片づけは好きだが、自分の身の回りは苦手だ。
えへらえへらと笑いながらベッドのしわを伸ばして整理整頓ちゃんとしますアピールを津志田に見せつける。
一方男子隊員たちはそのほとんどが個室を割り当てられた。
女性自衛官は少人数であるほか、入浴、トイレ等々管理の面で男子自衛官よりもコストがかかるため、なかなか施設を拡充できないのだが、男子自衛官はそういう意味で管理が楽なのだ。倉庫を空にしたら、そこに入れることができるが女性自衛官だとこうはいかない。
女性自衛官居住区画は出入りを厳重に囲わないといけない決まりになっているからだ。
管理側としては男女を混じらせるわけにはどうしてもいかなかった。
月での妊娠
これは宇宙開発が始まって以来、いまだ起きたことがない。少なくとも公には。
おそらく実際にも起きていないだろう。
男女あるところ、必ずつきまとう問題でもある・・・
シャックルトンの訓練場。月面の体操訓練の休憩中にとある噂話が飛び込んできた。
「柳沢るり子さんが妊娠ー!?」
加勢が叫ぶ。
津志田が即座に口を手で覆った。「声が大きい。」
津志田「意外な角度から剛速球来たな。」
大谷「チュウのやつどうすんだ。」
加勢「宇宙開発史上初の快挙ですぞ。」
津志田「その口調なんなんだよ。」
加勢がちらりと川路を見る。
ちょっとふてくされた表情だ。
加勢「ごわす。何考えてんの。」
川路「なにも考えてないでごわすです。」
加勢がハッとする。
-絶対なにか重いこと考えてる!-
確信した。川路は今まで「ごわす」などと言ったことがない。
「川路としてはお祝いしてあげる気分?」
「本当、ならですね。」
これ以上聞くのはさすがにデリカシーに欠けるかもしれない。
だが、川路が「昔ちょっと好きだった人」へ向ける感情になんだか苛立ちを覚える。
津志田が加勢の肩に手を置く。
加勢に顔を向け、ゆっくり横に振った。「それ以上川路をいじるな。」
口をとんがらせて「不満です。」顔をしたが、津志田に「だーめーでーすー」顔で返された。
おもむろに川路が立ち上がる。あいかわらず背が高いので、突然大木が生えたかのようだ。
「木陰」に座る加勢に「るり子さん、今度こそ幸せになれるといいですね。」
川路はそう言った。
加勢はやっぱりなんだかイライラした。