「や、柳沢るり子が妊娠しただと!!」
劉大校が食べかけのバナナを握りつぶす。
広寒の前進指揮所でのことだった。
議題の現代電子戦対応がひと段落ついて休憩となり、劉は退室。
廊下の端にある休憩コーナーで楽しみにしていたバナナの皮をむいていたら、趙上尉もやってきたので雑談が始まった。
月に来て2か月。どうにも体調がすぐれないです。そりゃそうだ。重力が軽いから私はどうにも眠りが浅い。そうですか、私は深く眠れますが、そのかわり朝早く起きてしまいます。重い布団を試すといいですよ。
月だと腹がでてきてかなわない。いやいや、運動もままならんし、アメリカ人はどうやってるんだろうな。
全くです。日本人もやはり月面太極拳みたいな運動やってるんでしょうかね。
似たようなことはやってるだろうな、あいつらも。
そうそう腹が出たと言えば・・・
「そ、それを先に言わないか!」
趙上尉は劉にまくし立てられ壁に背を張り付ける。
「は、はい。」
「我が広寒基地の進退に大きく影響する要素だ。」
「そうでしょうか。しかしそれなら重点關注情報として示達しておかれれば・・・」
劉がうなだれる。
-横恋慕の嫉妬で軍情報兵力を割くわけにはいかんよな-
「や、柳沢るり子は日本外務省の力点人物なのは承知していよう。」
「はい、まあ確かに。」
「月面での妊娠が公式には今までなかったことも承知しているな。」
「ま、まあ公式には。」
趙が言いよどんだのは実は人民解放軍内で妊娠沙汰があったのだが、一連の経緯の外聞が悪すぎて、即刻帰国させてなかったことにした事件があったからだ。
ちなみに妊娠4か月の女性は無事出産を果たし、母子ともに健康だという。
これが非公式だが、人類が経験した月面妊娠の1例である。
サンプルが一人ではあるが、低重力下で妊娠しても4か月までは大丈夫らしい・・・
「柳沢るり子が月面滞在を選べば、日本が人類初の月球嬰児出産を果たし、育てえたならば。どれだけ貴重なデータをやつらが得ると思う。」
「はははは!人権人権とうるさい日本でそれはありますまい。わが国ならいざ知らず。」
劉が趙をにらむ。趙は、つい言い過ぎたと目をそらす。
「ふん。そうだからこそだ。人権同様、個人の権利も強い。柳沢るり子があくまで滞在を選ぶということも考えられる。いや、個人の選択として滞在を選んだ形にして強要するかもしれない。」
「あの、劉大校はそれで何をおっしゃりたいのでしょうか。戦略的、政治的な話は小官の能力を超えます。」
「友誼戦だ。」
「はぁ。この間おっしゃっていた。」
「つまりだ。柳沢るり子の存在は我らの脅威だ。下手な戦闘部隊よりも厄介である。」
「彼女の独力ではないとはいえ、日本軍戦力の増強に大きく寄与しておりますのでそれはわかります。」
「その柳沢るり子がこのまま脅威であり続けるか否かを直接確かめに行くのだ。」
趙はしばし考える。
「なるほど、劉大校殿は柳沢るり子が心頭肉(最推し)なので直接会ってみたいということですね。」
ぱしーん!
趙の頭を劉がたたく。
「ば、ばかもの。そのような私心があるわけなかろう。」
「大校殿。おまかせください。八一大楼(中国の軍中枢)の同期からも和諧航天方針の内容を聞き及んでおるのです。シャックルトンに平和裏に乗り込みましょう。」
劉「趙!あくまで和諧航天方針に則ったうえで日本の脅威を調べるだけだ。」
趙「明白(ミンパイ:了解)。友誼戦の夜は外務省などの役人も交えて友誼ディナーも計画しておきます。」趙は素直な男なのでにやにやを隠せない。
劉はごほんと咳払いして我関せずとアピール。
「次の議題です。」
劉の警衛員(副官)が呼びに来た。
頭を切り替え、会議に戻る。切り替えようとするのだが、柳沢るり子の艶っぽい笑顔がどうにも振り払えなかった。
-シャックルトン基地作戦室-
肝付のシャックルトン警備隊長を交え、各中隊長、幕僚が会議をしている。
もちろん遠隔会議で、DOOMと呼ばれる遠隔通信システムでの会議だ。
光速でも往復2.5秒という距離故、一度の通話に4~5秒かかってしまう。
そのため、途中で割り入るタイプの会話は非効率で、司会が指定した人物の発言が必ず尊重される。ただし発言も一人20秒程度。
連続する場合は発言中、司会に合図をいれなければならない。そして最大1分。
これは階級や内容の軽重に関わらず、地月間の遠隔会議のマナーとなっていた。
が、だいたい話が進むにつれ誰も守らなくなり、会話の遅延でわけがわからなくなってきたところで司会がまた元に戻す、の繰り返しとなる。
「以上の観点からポストFを増設し、ポストDを予備ポストとすることを提案します。」
岩倉1尉が発言を終える。
理路整然としており、昨今の中国側の挑発行動を通じて判明した警備上の弱点を補う案である。参加した一同は流石は岩倉だと感嘆した。
特に同席している4中隊長丸崎3佐は初の月面勤務であり、岩倉の発言ひとつひとつを心に刻むように聞いている。
警備隊長「増設にあたっては地下連絡道などの付帯設備も含めて工事が必要だが、その手筈は。手元資料だと機械力が足りないように思えるが。」
警備隊4科長「基地業務群が指揮を執るため、3中隊と4中隊から人員を割き、およそ2週間で可能です。機械力は小型ショベルと米軍から借用する月面ドーザー2台があります。」
そのとき割り入り発言があった。
「割り入り失礼。」
陸自の富原3佐だ。先日、月に到着した54連隊3中隊長にして陸自混成シャックルトン派遣隊長だ。
同じ基地に勤務する隊長として呼ばれている。
「初めまして。陸自の富原3佐です。月のやり方にはなれませんが、よろしくお願いします。さて本題。手元資料をみたところ、我々の施設力を投入すればおよそ5日ほどで目途がつくと思いますが、いかがしますか。」
「しかし、そちらは野外戦闘訓練が主任務と聞いている。こちらの作業に隊力を割いてよいものだろうか。」
「派遣群本部にも了解を得ております。主任務こそ野戦研究ですが、シャックルトン警備隊の支援も任務のうちです。細部は現地で詰めろと言われております。ゆえの提案であります。」
「頼めるのなら頼みたいが、普通科部隊なのでは。」
「第1軌道施設団から施設小隊を預かっております。」
「私が陸幕の担当と話をつけております。」
同席のシャックルトン警備部から来た園部1尉が補足した。
にこ
園部の笑顔で場が和む。富原だけは「ちぇ、女かよ。」という顔をしていた。
-シャックルトン基地営庭-
人口芝生の営庭に40ほどの大小天幕が整然と並んでいる。
大天幕の前には木製の看板が立っており「陸自混成シャックルトン派遣隊本部」と大書されている。今時、かなりの達筆だ。
地月間の調整はなかなか困難で、派遣部隊の規模や宿泊の要望などは情報が錯綜し
、現地のシャックルトン基地には十分な情報が届いていなかった。
陸自の部隊が来るとハッキリわかった時期も到着のわずか3日前である。
陸自は個室をむしろことわり、天幕を建てて宿泊していた。
食事も調理キットを積載した車両を持ってきており、基地食堂ではなく、自分等で料理をして食べているようであった。
基地側は場所を貸し出したほか、食材、電気や水などを提供するにとどまる。
「地球では入念に調整して準備したはずなんだけどなあ。」
「まさか、あると聞いていた基地宿舎がまったく空いてないなんてねえ。」
「天下の陸幕もあてにならんわ。」
「天幕持ってきていて正解だったな。」
「雨風はないし、底冷えもないから芝生にごろ寝でもよかったかもな。」
基地食堂で陸自の隊員たちが食事をしている。
彼らは二張り連結した大天幕を食堂として使っていたが、なにかと便利なため、解放されている基地食堂のスペースを使う陸自の隊員もいる。
「熱くも寒くもない、雨も降らない、風も吹かない。おうちキャンプだな。」
「おまけに軽い。軽い。」
「住民票うつしてもいいくらいだ。」
水缶や燃料缶を運ぶ隊員が感動している。
地球上で20kgする缶が7kg程度。重たくはないが20kgの名残をどこか感じるこの不思議な感覚。
加勢たちは、彼らを物珍し気に眺めている。
加勢「やっぱなんか感じちがうね。うちらと。」
津志田「別にそこまで個室にこだわらなくていいから、うちらが部屋を詰めて入れてやってもよかったんじゃねえかな。」
大谷「天幕の方が気楽らしいんよ。まあ、立場が逆やったら、俺もあの天幕の群れに混ざるのは気が引けるけんな。」
川路「違う部隊が生活の上で混じるのは管理する側からしても、いろいろと大変なのでしょう。」
笹嶋「喧嘩強そうっすね。アネキ、うちらでちょっと行ってきますか。」
「行かねえよ。」
「喧嘩」に反応したわけではないだろうが、陸自の隊員の一人がキッとにらんでいる。
加勢「あのときのやつだ。」
かつてタカマガハラの親善試合で加勢に二回蹴られた吉川1士だ。
吉川と数人が近寄ってくる。
吉川「加勢、加勢士長だったな!」
周囲の隊員が吉川をいさめるが聞かない。
「また勝負だ。今度は手加減なしだぞ。」
「吉川なんで即キレなんだよ。あ、すいません。こいつ変人なんです。」
「あなたが加勢士長ですか。」
3曹の隊員が尋ねてきた。
「はい。」
「あの、吉川と決闘したとかなんとか。」
吉川「浅見さん、こいつです。加勢。ちび!」
加勢が「ちび」にカチンとくる。
平静を保ち、左手を頬に当て、余裕の表情を作り
「ああ。私のお尻に顔をうずめた、あの吉川君。」
吉川の顔が真っ赤になり湯気が出る。
「あのときはどうだったかしら?」
普段つかわないお嬢様口調。
川路は平成に思いをはせる。
浅見3曹「吉川、え、お前そんなことしたの。」
「ちが、ちがう、違います。事故です。」
「ほほほ。私の事、かわいいとか美人とか叫んでらしたわね。」
加勢が大きなウインクと投げキッスを吉川にする。
川路は加勢の平成っぷりにほれぼれしてしまう。
浅見3曹達は顔を真っ赤にして暴れる吉川をおさえて「すいませんでしたー」と去って行く。
去り際に吉川が叫んでいた。
「親善試合でどっちが中国人やってやれるか勝負だぁ!!!」
親善試合?
大谷達一同は腕組みし、同時に首を右に傾げた。
傾げながら川路は「こういう仕草は、知らず出るもので、案外平成も令和もないのかもしれないな。」などと思った。