中国の挑発は続いてはいるが、パターン化してきており、実際のところそれほどの脅威ではなくなった。増強で来た4中隊のおかげで負担も減った。
部下たちも月に慣れ、LGバッヂも付与されて意気軒昂
54連隊は来たが、訓練が忙しくてちょっかいを出しに来ない。
彼らの居室も着々工事が進んでおり(別棟にしてもらった!!)完成すれば営庭の天幕群もなくなる。54連隊宿営地が居住区画と勤務区画の動線上にあるため、毎日往復で通るたびに緊張するのだ。それも解消する。
徳田曹長は一人、先任室でお茶を飲んでいた。
「いろいろあった。このまま何事もなく、時は過ぎ、地球に帰還。」
ずず・・・
「ふう。定年まであと6年。おだやかに勤務できそうな気がしてきた。」
平和が訪れた。
「先任ー!」
部屋に中隊長が躍りこんでくる。
「どうされましたか、中隊長。」
「や、柳沢るり子さんが妊娠したー!」
徳田曹長が固まる。あえて平静を装う。
こんなことでお茶を噴くような安い男ではないぞ。徳田は自分に言い聞かせた。
「それはどこからの情報ですか。」
「ほ、本人が。本人が!」
「お相手は・・・聞くまでもなさそうですが。」
今度は岩倉が固まる。
「あーっと。えーっと。」
「つい最近のことですか?」
なんてことだ。男女区画をあれだけ厳しく分けて動線まで管理しているのに、この中隊長ときたら。どうせいつぞやの休みの日だろう。
妙にウキウキして米軍地域に出かけて行ったと思ったが。
「思うに2週間前のお休みの時のことだと思いますが。」
岩倉が露骨にドキッとする。
「尾籠な話で申し訳ありませんが、避妊は?」
「結婚する気だったので・・・いや、したんだが、その、もしかしたらと。」
「中隊長、ここは月ですよ。」
「・・・」
うなだれる岩倉中隊長。
やらかして叱られている空士みたいだ。
こないだなんか警備隊長や幕僚が舌を巻く報告や提言をしたし、4中隊との勤務交渉も実に公平にきめた。武器供与や支援要請についての米側との交渉も表に立って成し遂げた。中隊の運営もバシッと方針を決めて実行。雨宮3尉達小隊長を使って実行の監督も完璧だ。文句のつけようがない良い中隊長だ。
が、しかし。とにかく女、それも柳沢るり子が絡むと2等空士みたいになる。
「中隊長。そもそも2週間程度ではさすがに妊娠は判定できないと思いますが。」
「え、そうなの?」
「たしか最短3週間だったと思いますが。」
「えええ!」
「どうしました。」
「どうしよう。」
「中隊長。柳沢るり子さんはなんとおっしゃったんですか。」
「生理が来ないって。」
「それだけですか。妊娠したとはおっしゃってない。」
「生理が来ないってだけで。」
「それならまだ様子見ですね。」
徳田は安堵し、お茶を飲んだ。
「いや、その。警備隊長に言ってしまって・・・」
ぶぶー!!
徳田がお茶を噴いた。
岩倉の携帯端末が鳴った。
柳沢るり子からのメッセージだ。
おそるおそる岩倉が確認する。
「生理きました^^」
-ジャクトン線のポスト-
漠々たる月面の荒野にぽつんと立つポスト。
そばの広場には日米中三か国の車両が駐車されている。
地球は相変わらず天空に輝き、条件がよいのか満天の星空がみえた。
ポスト・トランプの広場に客人があった。
広寒中心基地から来た劉隊長ご一行だ。
キャンプシャックルトン・リムの司令官ウィストン大佐が迎える。
両国の佐官がひしめく場に自衛隊代表として呼ばれた岩倉1尉は徳田曹長と安寧のスペースを探したが、ウィストン大佐の隣に座席を指定されてしまう。
階級で言えば4中隊長の丸崎3佐が先任なのだが丸崎3佐は用務でタカマガハラへ出張していて不在なのだ。
軍以外では米側からはジャクトン議長と国務省のシャックルトン・リム駐在特使、中国側も外交部の高官が来ている。日本側は外務省の高官と通訳を兼ねて柳沢るり子も参加している。
地球上では米中間にはミリオン号事件をはじめとする様々な外交案件が横たわり、緊張が続いていた。しかし、米国はグリーンランドを巡るロシア、ヨーロッパとの対峙、中国はインドとの緊張及び国内の金融不安対策を優先することとなり、両国はプサン会談でいくつかの案件は解決とし、その他の問題についてはいったん棚上げを決める。
地球上はそれでいったん和解となったが、次は月だ。
月では中国とシャックルトン間で緊張が続いている。
偶発的な戦争を避けるため、いままで曖昧だった不可侵線を決定しようというのだ。
これまでは双方の中間点を暗黙の了解として勢力圏としていたが、中国側が侵犯して示威行動を続けていたのはご存じの通り。
威嚇性偵察は戦闘旅団本部からの指令でやっているのだが、劉としても20kmも離れたシャックルトン付近まで部隊を差し向けるのは器材と人員の消耗が激しく、本当はやりたくない。少なくともあの頻度では。
だからこの際、本国も納得する中間線が引かれれば、だいぶ軽減するのではないかと期待している。
しかし劉はそんなことそっちのけで会場の人々のうちから一人の女性を探していた。
柳沢るり子。
会えたところで、関係を持つこともない。少々おしゃべりができるだけだろう。
だが、だが!この胸の高鳴りは柳沢るり子に実際に会わなければおさまらない。
趙をちらと見る。「まかせてください。」彼は目で返事をした。
会談は順調に進み、具体的な米中の中間線は決定し、次いで水氷を始めとする近隣の資源採掘についての協議も順調に進む。
そのほか、遭難者発生時、予期せぬトラブルによる基地機能喪失時等の相互救援体制、平時からの連絡の要領が話し合われた。
会談3日目
待機室で劉が荒ぶっていた。
会談の会場に選ばれたとはいえ、もともとは軍用ポスト。
殺風景な部屋に簡素なベッドと机があるだけだ。
「まだ会えないではないか!!」
「柳沢るり子はなかなか多忙で、初日は米側、昨晩は外交部の連中とそれぞれ予定がつまっておりましたもので。」
「ちょっとだ。ちょっとでいいんだ。」
「外交部に頼んだんですが吃閉門羹(門前払い)で、とりつくしまもありません。」
「もういい、次の会議の休憩で会ってくる。同じテーブルについているのだ。」
「いけません。武官が相手国の外務に直接会うのは外交マナー的によろしくないと外交部から釘を刺されています。」
ノックがあった。
「こんにちは」
女の声。劉が「入れ。」と応じると、柳沢るり子が入ってきた。
劉と趙はなぜか条件反射的に起立して敬礼をしてしまう。
敬礼して二人は目をあわせて手をおろした。
「あははは。ご丁寧な敬礼、ありがとうございます。」
柳沢るり子は胸に片手を当てて一礼した。
劉と趙はあわててイヤホンをつける。携帯端末の同時通訳が脳伝導で聞こえてくる。
劉はネクタイを締めなおし、居住まいをただす。
「これは日本外交の柳沢るり子さん。ようこそ。」
趙「こんな部屋にわざわざお越しになりまして。いかなるご用事でしょうか。」
劉も趙も背中に緊張から嫌な汗をかいている。肌着と制服のカッターシャツが静かに汗を吸う。
「いえね、ちょっとご挨拶にと思いまして。」
趙「手短にお願いします。当方は外交部から、武官は相手国外務と無暗に会わぬようにと・・・」
「や、柳沢るり子・・・さん!」
劉は中国語で柳沢るり子の名を呼び、日本語の「さん」と敬称をつけた。
「わ、私はあなたが、あなたをですね!」
劉が柳沢るり子の手をそっと取った。
趙が劉の両肩をつかんで「ダメですダメです!」と小声で諭すが、それはしっかり柳沢るり子の翻訳機が翻訳している。
「奥様が李汐玥さんでらっしゃいますよね。劉大校さん。」
「は?」
柳沢るり子に添えた劉の手が硬直した。
「去年、お仕事で知り合いました。あ、ちょっと失礼します。」
柳沢るり子が携帯端末でどこかに電話をかける。
ぷるるるる
殺風景な部屋に呼び出し音が鳴り、誰かが出た。
「るりちゃん!」
「汐玥さん!」
劉がおもわず万歳をして卒倒するのを趙が支えた。
「ええ、ええ。久しぶりです。ああ、あのケーキまた送りましょうか。今は月で仕事してます。あはは、大丈夫ですよ。いまね、汐玥さんの旦那様の部屋にいるんです。ええ、汐玥さんの旦那様ですから、一度ご挨拶にと。」
通信には数秒の遅れがあるが、それに慣れた会話だ。
劉は手ぶりで、趙は指で唇をつまんで。それぞれ必死に「お願い、言わないで。」と伝えるが遅かった。
通信には数秒かかり、そのジェスチャーは十分通じているのだが、柳沢るり子は意に介さない。
「さきほど旦那様から熱烈な挨拶を受けちゃったアハハハ。」
劉と趙がへなへなと崩れ落ちる。
「え、かわります?」
柳沢るり子が携帯端末を劉に差し出した。
劉は床にへたり込んだまま携帯端末を受け取り電話に出る。
「ああ、ワシだ。柳沢るり子さんとお前は知り合いだったのか。え、去年食べた美味しかったケーキ。あれか。ああ、あれはいただきものだったのか。
え、はは。まさか。おまえ。美人で気立てもよさそうだが、お前には到底かなわないよ。え、ああ、はは。本人がいる前でそんな失礼なことを口に出すな、か。すまない。すまない。」
実際の会話は通信が数秒遅れのため、このようにはいかないが、だいたいこのような会話がなされた。
劉はしばし妻と会話して、柳沢るり子に携帯端末を返した。
「え、とんでもないです。じゃあ、再見!」
柳沢るり子は電話を切り、しゃがんで劉と趙に目線を合わせる。
「劉大校は愛妻家でいらっしゃるのですね。」
「はは、お恥ずかしい。」
「そろそろ会議が始まりますので、私はこれで。」
柳沢るり子は立ち上がって一礼し退室していく。
去り際に劉に振り向いた。
「あ、そうだ。劉大校さん。」
「なんですか。」
「友誼戦でしたっけ?」
「はい。」
「面白そうですね。ぜひ提案を通してください。私も見に行きたいです。」
そういうと柳沢るり子は去って行った。
劉と趙はよろよろと立ち上がる。
劉「美人だったな。花、そうだ。まさに嬌花(美しい花)。」
趙「解語花(したたかな女性)ですな。」