「ギリギリですね。」
「かなりギリギリを攻めたな。」
「一応取り決めを守ってんだな。」
瑞奈岳から見える中国の監視ポストは境界線の30cm手前に建っていた。
米軍の工兵小隊長アンダーソン中尉が拡大画面を見ながらなにやら検索している。
「以前の中国ならわざと境界線を1mほどこえたところに建設していたんですがね。」
観察すると、監視ポストから舗装路が伸びている。中国もレゴリートにあたる舗装材料を使用しているようだ。
「まあ、我々とて境界から500m地点で作業をしているので、あまり人の事は言えないのだがね。」アンダーソン中尉が両手を広げて肩をすくめる。
「ただ。」
アンダーソン中尉が付け加えた。
「先日の会談で決められた境界は地表に終始していたので、地下については未だにグレーゾーンなのだ。」
極付近に溶岩チューブはあまりないのだが、絶対にないとは限らない。
広寒基地周辺で見つかっている可能性はある。
ぽつんと立つ地表の監視ポスト。だが、その地下に何があるのかはわからない。
-人民解放軍監視ポスト内-
「どうもこちらを視認したようですね。」
「協定は守っている。堂々としていればいい。」
数キロ先の小高い丘の頂上にいる数人が、あきらかにこちらに視線を向けているのがわかる。
「なにか威嚇でもするんでしょうか。」
兵卒が下士官に尋ねる。
軍士長「我々はお前らを信用していないのだ。という意思をみせるのが目的のポストだ。定点監視に徹すればよい。」
友誼戦で緩んだ士気を元に戻すため劉は境界線上に5か所ほどのポストを建て、アメリカや日本に見せつけるような定点監視を始めさせた。
「それで、あいつらは一体何をやってるんでしょうね。」
「レゴリスの破片が飛んでいたな。何か掘削でもやっていると見える。」
「資源の試掘ですか?」
「資源はそこいらに眠っているから、それがたまたまあそこなのかもしれないが・・・」
「それにしても境界線ギリギリで資源採掘をやりますかね。」
「兵卒が余計なことに気を遣わんでよい。まあ、あいつらも俺たちに警戒をさせようと必死なのかもな。」
-広寒中心基地北側-
その日の晩、広寒基地の北側にある着陸場に増援部隊が到着した。
人民解放軍宇宙軍版HLVである重運艙(重型宇宙輸送艙)の「天舟」だ。
6機の天舟は着陸とともにハッチをあけ、次々に部隊を吐き出していく。
劉は聞いていたよりも数が多いことが気になった。
交代で来る3個中隊、どころではない。
「趙、聞いていたのとは随分と違うようだが。」
「問い合わせても返事がありません。南部戦区は我関せずの様子。」
ハッチから現れる部隊は劉が指揮する南部戦区の戦闘団ではない。
どうも東部戦区で編成されたまったく別の部隊のようだ。
資料でしか見たことがない車両や器材が次々に降りてくる。
しばらくして一台の車両が劉の前にとまり、指揮官らしき男が下車してきた。
船外活動服の階級は上校。劉の一つ下の階級だが、交替部隊の指揮官なら少校あたりであるはず。名前は楊星澤とある。
「団長同志、第2航天合成営、定員560名、現在260名。命を受け着任しました。」
劉は面食らいながら答礼を返す。
「ご苦労、楊上校。ときに。」
「はい。」
「定員は560名と聞いたが、残りの300名は、後日着任するのか。」
「お答えします団長同志。その300名は団長同志の軍兵を充てます。」
劉は返答に詰まる。部下は400数名いるが、その大半を取り上げられる?
交代で地球に戻る予定の190名はどうなる。
「そのような命令は受けていないが。」
楊は活動服の収納から何かを取り出した。強化ペーパーに印刷された命令書だ。
夜光処理されている命令書は怪しく光り、文字を浮きだたせている。
数枚の命令書。そこには劉の機械化月面戦闘団を解体して第2航天合成営に組み入れるべし、といった内容が簡潔に書かれていた。
劉は目を疑うが、命令の発出元は間違いなく中央軍事委員会で、劉の所属する南部戦区司令官も、戦闘旅団司令官の認証もある。
楊「命令書のとおりであります。団長同志。具体的な軍兵の編成要領は現地にて協議せよとのことです。」
劉「わかった。しかし、こちらも何も聞かされていないので、少々確認をとらせてもらうがよいか。」
楊「もちろんです。」
快活な敬礼をし、楊は再び乗車。自分の合成営に戻って行った。
趙「これはいったい。」
「まあ、いつものことといえばいつものことだ。中南海でなにかあったのだろう。今年の全人代が大荒れに荒れたじゃないか。なにがあってもおかしくない。シワは末端に寄るものだ。」
地平線よりちょっと上。青く光る地球を眺める。
38万km離れたこの極地で、ゆえなくして兵を取り上げられ、政争に巻き込まれる。
まあ、それはそれで乙なものかもしれん。これ以上の出世を望んでもいない。
抗おうにも命令を下されては軍人として何ができるわけでもない。
かくなれば、早々に地球に戻らせてもらい、地方部隊の営長か参謀職でのんびり定年まで勤めるか。軍を去って故郷で弟の公司を手伝ってもいい。
さて、とはいえ。
せめて交代で地球に戻る兵卒を月に残すことは勘弁してもらおう。
彼らはもう4か月私につき従ってくれた。十分だ。
軍士長以上は・・・まあ、我慢してもらうか。
もっとも階級構成がいびつになるので楊とやらがそれを飲むとは思えないが。
趙が秘匿通信で劉に話しかけてきた。
「劉大校。王主席が所在不明とか・・・」
「二日前に外遊から帰ってきたところまでは人民日報で読んだが。」
「先日早朝からとのことです。」
「どこからの情報だ。」
「同期諜報網です。同郷の後輩で西安の工程大学で同期になった者がいましてね。」
趙の情報網-というほど大げさなものではないのだろうが-か。
内容を信じるとして。
中南海でなにかが起きようとしているわけか。
劉は深いため息をつき、広寒基地に戻った。
-シャックルトン基地-
「中隊長。中国の主席が行方不明だとか。」
徳田曹長が岩倉に耳打ちをする。
岩倉は夜食のゼリー飲料を飲み干す。
「いつから?ここはニュースが遅れるからいかんよな。」
「不明になったのは昨日の朝。報じられたのはつい先ほど。」
「どこの報道?」
「新聞はわかりません。ニュースも。これは2科情報要員からあった報告です。これがそれです。」
徳田曹長は印字された報告書を差し出した。
外遊から帰国した王主席が行方不明。中国はそれを報じていない。
政変の可能性が非常に高いため、シャックルトン基地でも情報収集に努められたい。
「ううん、これはちょっと面倒なことになりそうだな。」
せわしないノックが連打された。入りますと早口で山本1曹が入室してくる。
「すいません、お話し中のところ。」
「急ぎなんだろう?なんだ。」
山本1曹は深呼吸してから報告した。
「キャンプシャックルトン・リムの警備レベルが最高に上がりました。本日の1355です。ちなみに今は1420です。」
「徳田曹長、外出した隊員をすべて戻してくれ。勤務のあるもの以外は全員居室にて待機。徳田曹長以下は警備隊本部と連絡を取り合って情報収集。私は4中隊長と陸自の隊長とでちょっと話し合ってくる。」
-数日後アーチネットチューブ入り口-
大谷分隊は開口部の出来たアーチネットチューブ内の探索をしていた。
真の闇に真空。先頭の川路らが赤外線を使用した特殊な照明機材であたりを照らす。
それをヘルメットに装備したレーザ測距で割り出した周囲の形状を合成し、デジタルグラスに画像が映し出される。
「すげえなあ、これ。」
「本当に見えてるみたいだ。」
デジタルグラスの映像で空洞が常夜灯が照らされているように見える。
川路達が持っている照明機材あたりが一番明るく見えるので、やはりあの装置が「光源」なのだろう。
「月も忙しいですねえ。」
「月「も」って。肝付じゃ暇していたじゃねえか。」
津志田3曹が加勢のヘルメットを親指で押す。
「えへへ」
津志田に押された加勢が、今度は親指で川路を押す。
「そうだぞ、川路君」
「はい、川路1士!」
親指で押すが、体が下がるのは加勢士長だった。
大谷「川路は常にこうやな。」
山本1曹の全体通信が入る。
「地上じゃ電子ジャックが始まっているらしい。ウサギの線までは気を抜くな。」
重力モニタや無人機の探索でアーチネットチューブの概図はできていたが、やはり限界があった。
空洞は高さ約3m。奥行きは探索できた限りは5~6km。枝別れした空洞が数本あるが、基本的に北に流れている。
概図上に数本の到達ラインを設定し、それにウサギやカメ、ウマ、サルなどの名前を付けた。
当初は1km地点のウサギの線まで探索をするのである。
なお、米軍の探索隊も出ており、米軍はこことは違う2か所を担当している。
山本1曹の神経質な声が入る。
「わかっていると思うが、サルの線は中国側のラインを越える。ウサギはまだセーフだが、油断はできん。」
「だから俺たちがついてきてんだろ。」
兎内3曹ら6名の54連隊が大谷分隊に随伴していた。
大谷「たのみますよ。陸自さん。」
兎内「刺し合いになったら、アンタが頼みだよ。」
大谷「あれは、まあ裏芸みたいなもんやけんですね。」
謙遜がすぎるぜ。
と兎内は大谷をひとにらみして前へ出た。
「常夜灯」に照らされた電子合成のチューブ内を探索隊はおそるおそる進む。
山本1曹のヘルメットにちょくちょくと報告が入る。それをアシストAIがアームモニタにプロットしていく。
通過した場所の形状が記録され、データはリアルタイムに本部に届けられる。
兎内班から山本1曹に報告がはいる。
「ウサギ到着。」
「了解。いったん停止。1435まで休憩する。」
大谷「津志田3曹。加勢と川路を連れて前方警戒。」
津志田が加勢の首根っこをつかんで兎内班の位置まで出た。
川路は静かについてきていた。
兎内の隣を横切るとき、津志田は兎内3曹のヘルメットに親指を押し付けた。
「アンタ、頼りにしてるよ。」
兎内3曹は笑顔とも苦いとも言えない中間の表情をした。
「どういう感情?」
ふふん、と軽く笑って津志田は前に出て警戒につく。
休憩は30分
警戒の交代は15分
山本たちは休みつつ、班長を呼んで今までの経路とこれからの経路について確認と段取りをしている。
川路の照明機材が前方を照らす。
淡く見える洞窟。重力のある世界の洞くつと違い、でこぼこや突起があちこちに伸びている。重力に縛られない空洞だ。
加勢士長は柱状の岩石に体を寄せて前方を監視していたが、なにかを感じ取る。
何も見えない。だが、なにか岩石の震えというか。空気はないのに伝わるものがあった。
なにかが近づいてきている。
「津志田3曹。なにか来てませんか。」
「え、なんか見えるのか。」
「見えませんけど。なにか。近づいてきてる。二人、三人・・・もう少し。」
「え、え?川路、なんか見えるか。」
川路は無駄と知りつつ、目を細めるが、やはり見えないし何も感じない。
照明機材の角度を変えてもさほど意味はなかった。
加勢士長が銃を構えて川路の前に出た。
「川路、援護して。」
「はい、川路1士!」
川路は照明機材をいったん地面に置き、加勢と若干の距離をとって岩石の影に体をよせて銃を構えた。
津志田「あ、こら。勝手に前に出るな。」
津志田は山本1曹に異変を報告する。
山本「見えないけど、なんか来る?大谷、行ってこい。」
津志田たちの動きを察して兎内が寄ってきた。
「なにかあったんですか。」
「わからない。なにか来る。らしい。」
津志田の声が荒い。わずかに震えているのが気密服を通じてわかる。強い緊張だ。
兎内が津志田の肩を押して後ろに下げる。
「アンタは俺たちの後ろに。」
山本から全体通信が入る。
「絶対に射つな。銃口を前方に向けるな。」
大谷が兎内とコンタクトをとり、陸自との分担を決めた。
空自は左、陸自が右。
-誰が何かあるなんて言い出したんだ-
探索の一行は息をひそめた。
-俺たちはもしかしたら月面で-
-人類初の撃ちあいをすることになるのか-
ハッと気づいた山本は数人に後方も警戒させる。
数分たった
「・・・な、なんもねえ、じゃねえか。」
やや涙声の津志田3曹
低い姿勢の津志田3曹の肩に兎内3曹が手を置いている。
大丈夫大丈夫とでもいうように肩をさすっていた。
「来ました。」
加勢が全体通信を入れた。