広寒中心基地のやや西側に基地の警衛連施設があり、そこには規則違反者を収容する禁閉室が地下4階に常設されていた。
その薄暗い禁閉室に劉はいた。
航天合成営が乗り込んできた日の深夜、踏み込んできた紀検幹部(紀律検査委員会の委員)が、軍隊を私物化した嫌疑とやらで私を拘束した。
最初から決まっていたのだろう。党中央から言い含められた東部戦区の紀検幹部が同行していたのだ。
地球に降ろされ、剥奪将校軍銜(階級剥奪)あわせて開除軍籍(軍籍はく奪)されて、秦城監獄行きになるのか。
地球に降りることなく、処刑されてレゴリスの穴に埋められるのか。
そういえば、もし処刑されれば月で死亡し処理された人間第一号となるな。
薄暗い獄の簡易ベッドの上で寝返りを打つ。
妻はどうなるだろうか。旦那がこの有様では仕事もできなくなるだろう。
子供には恵まれなかったが、まあなんというか。とにかく底抜けに明るい女で、ずいぶん助けられた。
ついにたいした恩返しもできないままだった。
柳沢るり子にいっとき心を奪われたことは、その、まあ、そのうち謝ろう。
月世界勤務が私を狂わせたのだ。そう思おう。
趙はどうなっただろうか。趙はなにかと抜け目ない。無事に逃げおおせていれば・・・いや、この月世界のどこに逃げるのかと言う根本的な問題があるのだが。
洪は目の前で連行されていった。あいつもてきぱき動いてくれる秘書だった。
足音がした。低重力下でも足音はする。
-劉大校、出ろ-
と命じられるのだろうか。そしてどこへ連れていかれるというのか。
男の小声が聞こえた。「劉大校、趙です。」
劉は跳ね起き、檻の鉄柵を両手でつかむ。
「趙!無事だったか。」
「あまり無事ではありませんが。」
趙はにやりと笑うと錠を開けた。電子錠を開けたとなると、まだ機械化戦闘団の中に私の同調者がいるということだ。
この禁閉室はわが戦闘団が管理していた。頭は楊達に押さえられたが、まだ目はあるのかもしれない。
戦闘団の運営、指揮は私の仕事だが、裏方仕事は趙が得意だった。
趙を頼れば再起できる・・・か?
などと考えながら獄をでたところで目を疑う。
糾察の兵卒が倒れている。
趙「強行です。仲間はもういません。」
「え?」
趙「道中お話しします。いったんここを逃れます。あ、ちなみに洪は死にました。」
趙が手招きし、言われるがままに脱獄する。
一人の若い兵士が合流する。無愛想な奴だった。
あれよあれよという間に減圧艙に連れていかれ、船外活動服を着用する。
基地の建物の外でさらに6人の同志とおぼしき活動服と合流し、地下道に逃れ、そこからはひたすら薄暗い通路を歩き続けた。
趙「そろそろお話しします。大校」
趙が対人通信で話しかけてきた。
「趙。なにがどうなった。」
「結論からいいますと、王主席は民主クーデターにて失脚しました。おそらく死亡しています。民主派は中南海を牛耳りましたが、混乱は極みのうちにあります。」
「王主席の行方不明までは耳にしていたが、やはり。」
「第2航天合成営は民主派が差し向けた部隊です。
準備期間を含めると、民主派の蠢動は数か月前からあったようです。
そして先日、楊がみせた命令書ですが、あの命令書に効力はありません。
あくまで筋を通すなら、ですが。」
「筋は今や、中南海の民主派が握っている、と。」
「そうですが、まだ握り切れていない。中国共産党復古の勢力は未だ中国の大部分にあるだろうとのことです。」
「なるほど。しかし趙。その情報はいったい。」
「同郷、同期、先輩、後輩。自慢じゃないですが、自分は顔が広いのです。」
薄暗闇の回廊はいつしかごつごつした洞窟になっていた。
「趙、ここはどこなんだ。」
「溶岩洞です。長白山の石人湾溶岩洞みたいなところですな。2営が来る前日に発見されたので、奴らもここは知りません。」
「なるほど。そういえば溶岩洞の報告があったような気がする。
しかし。これはどこに続いているのだ。」
「南に、としか。探索計画はまだたてていないのです。」
「抜けた先になにもなければ、我々は死ぬだけなのでは。」
「南には米日基地があります。」
「降るのか。」
趙は「ははは」と笑ったのちに答えた。
「まさかまさか。同盟するのです。」
-第2航天合成営-
楊が神経質な足どりで部屋を行きつ戻りつ歩いている。
片手を抱え、親指の爪を噛んでいた。
ノックがあり、副官が入室してくる。
「劉は趙の手引きで逃亡しました。自助食堂の地下に溶岩洞に続く廊下がありました。劉らはここに逃れたものと思われます。」
「追手は。」
「差し向けていますが、協定を結んだ藍線(地上の中立線)を越えるのは米日を刺激します。」
構わん!
と言いたかったが楊はぐっとこらえる。
米日を刺激するのは得策でない。
民主政権が米日に承認されるかされないか。地球上の国際関係は現在流動的である。
米日には、すくなくとも中立であってもらわねばならない。
共産匪部隊である機械化月面戦闘団の無力化は無血にて果たした。
ここからさきは慎重にならねばならない。
「洪を呼べ。」
副官がタブレットを操作し、スクリーンに洪を呼び出した。
「洪中校。劉の目的を推察せよ。」
しばしの間をおき、洪の合成音声が回答する。
「劉大校は米日に降るものと思われます。米日の助力にて反攻。おそらく趙上尉はそう考えると思われます。」
「そううまくいくか。」
「米日が助力するかは米日それぞれ本国の意向があるため不明。可能性は低いと思われますが、劉一派が米日に保護されることは間違いないでしょう。」
「劉は米日に伝手があるのか。」
「キャンプシャックルトン・リム司令官ウィストン大佐とは4度会合を開いており、うち一度は月面ゴルフに興じた仲です。日本については日本空軍警備隊長岩倉大尉と数度話し合いをしております。その他日本側要人とも通じ合っており、なかでも柳沢るり子女史とは懇意の仲であるとご自分でおっしゃっておられました。」
「懇意?」
「曰く、紅顔知己(仲が良い女性)とのことです。」
そういうと洪は柳沢るり子の写真を出した。
「ほう」
楊はため息をついた。なんと美しい。
柳沢るり子。彼女を前にすれば月は恥じ入り雲に隠れ、花はしぼんで恥に耐えるよりほか術がない。
「柳沢るり子女史が腕を絡める隣の男は?」
「この男が日本空軍の岩倉大尉です。」
切れ者の顔が。したたかな戦略家とみえる。
そして、女を手玉に取るプレイボーイなのだろう。
写真からして真に柳沢るり子女史が懇意とするのはこの男だろう。
この岩倉。
何人の女を泣かしてきたことだろうか。
楊は高級士官教育で側写師(プロファイラー)の技能を習得している。
「ときに洪。当面対峙しうる日本軍の戦力は報告のとおりでよいか。」
「先だって行われた増援で空軍警備隊2個中隊と増強機械化歩兵小隊。計200名程度であります。」
「一番の脅威はなにか。」
しばし洪は考え込んだ。
「宇宙1級」
「日本軍にもいるのか。」
「はい。ひとりの兵士には過ぎませんが、劉大校は日本軍の宇宙1級兵士を高く評価していました。」
洪は加勢の写真を出した。
「なるほど。これは強そうだ。2mをこえていそうな体躯。精悍な顔つき。」
「ちがいます。それは従兵です。」
「ん?」
楊がふたたび写真を見る。
「まさか、この子供が宇宙1級か。」
「はい、そうです。先ほど指摘された大男は彼女の従兵です。」
「日本軍は宇宙1級ともなると、ただの上等兵に従兵をつけるのか。」
「劉大校も指摘されておりました。人民解放軍宇宙軍同様、日本軍も単兵戦闘能力を重視している証拠だと。」
ふふふ、はははは!
「都合がいい。この炊飯器みたいな小さな女。とらえて脳をスキャンしてやろう。
宇宙適性をデータ化すれば、宇宙1級を量産できるようになるかもしれん。さすがにわが軍の宇宙1級をスキャンはできないからな。」
楊は後頭部に電極が刺さり痙攣する女兵を想像し、興奮する。
「米日と戦争となりますが。」
「もし宇宙1級の脳をスキャンできるのなら、そうなっても構わん。
しかし密かに誘拐するという手もある。
ついでに隣の冷蔵庫みたいな大男も誘拐してやれ。
ふふん。炊飯器。よく見ればなかなかあどけない可愛い顔をしているではないか。
この女の脳に電極を刺してスキャン波を流してみたいものだ。」
ふふふ、ははははは!
楊は椅子に座りこみ、呵々大笑する。
副官は「趣味悪いな。」と思ったが覚られぬよう無表情を貫いた。
-シャックルトン基地-
へえっくしょい!
川路が大きなくしゃみをする。
「川路、どしたの。風邪で・・・へえええっく・・・~ち。」
川路「加勢士長こそ大丈夫ですか。」
加勢は鼻を人差指でこすりながら川路の顔を見てニコニコと得意げに言った。
「へへ、知ってる?誰かが噂話をしていると、された方はくしゃみするんだって。」
「またそんな古い言い伝えを・・・」
劉を迎えたシャックルトン基地は警備レベルを最高にあげて警備中である。
加勢と川路は隊舎入口警戒についていた。
天井には月の天空が投影されており、地平線近くに地球が輝いている。
-大会議室-
劉達はシャックルトン警備隊隊舎の大会議室に集められていた。
基地の責任者たちが一堂に揃い、モニタには米軍のウィストン大佐、シャックルトン警備隊長、府中のシャックルトン防衛部長が映っている。
司会は防衛部から来ている園部1尉。
深刻な事態であるのに、このひまわりのような笑顔はなんだろうな。
と、一同は皆思いを同じくしていた。
園部「では、人民解放軍亡命団の処置について。司会は園部が承ります。」
劉が唾をのむ音が微かにきこえた。