-広寒中心基地大工場-
「俺は日本人(イポンスキ)が大っ嫌いだ。」
白衣を着た学者が二人いる。一人は髪の毛がふさふさしたロシア人。
「日本人(イポンスキ)は無礼だからな。」
もう一人は作業服を着た技術者のロシア人。見事な禿頭が光っている。
「なんでまた嫌いなんだ。」
ロシア語で中国人の朱が尋ねる。
朱は技術者のロシア人と一緒にマシンのセッティングをしていた。
「去年だったか。二人で国際技術セミナーに行った時だが、自己紹介しただけであいつら笑ってきたんだ。」
「理由を尋ねても答えない。」
朱が確認のためのトグルスイッチをすべてオンにする。
朱「日本人がまたなんでまたそんなことするかね。」
「知らねえよ。」技術者のロシア人が点灯した表示板を確認しながら答える。
「不思議なことに、二人していくと笑うが、俺たちがそれぞれ一人の時は笑わねえんだ。」
朱「なんだろうな。変な恰好とかしてたか?」
学者のロシア人が怒り気味にモニタを確認している。
「するわけねえだろ。おまけにその時は前日から酒も飲んでねえ。シラフさ。」
朱「ひょっとしてだが、おまえさんのその見事な禿げ頭が奴等の笑いのスイッチをいれたんじゃあないか。」
「禿は俺だけじゃねえ。ほかにもいた。だがあいつらは決まって俺たち二人がそろったときに笑いやがった。一番気に食わねえのは理由を言わねえことだ。」
朱はレバー類の感覚を確かめる。この動きなら許容範囲内だ。
「カミフサノフ、ハゲノフ!これで良いか。」
禿頭の学者キリル·アンドレエヴィッチ·カミフサノフ
豊かな長髪の技術者グレブ・ヴィタリエヴィッチ・ハゲノフ
「これでチェックはオッケーだ!」
二人は声をそろえた。
ロシアは21世紀序盤の戦争で国力を使い果たし、いまや見る影もなく国がやせ細っている。
かつて輝かしかった軍事力もすっかり衰退、低迷しており、ロシアのユーラシア大陸での影響力は縮退している。
そんな中、ロシアは宇宙技術に活路を見出し、その国力の大半を宇宙開発に投入していた。そのおかげで国力に比し、宇宙での影響力は戦前とほぼ同水準である。
ロシアは月面に基地を持たないが、インドのチャンドラ・ドゥルガ基地の一角にラボを置き、そこで独自の研究を進めている。
安くない使用料であるが、自前の月面基地を持つよりはるかに経済的であった。
インドもまた、ロシアと共同して宇宙兵器の開発を進めている。
軍事力こそ痩せさらばえてはいるが、前世紀からもつロシアの軍事ドクトリンや兵器開発能力の底力は侮れない。
民主派中国は錦凌の件で欧米日が決定的に敵にまわったことを悟り、ロシアに急接近していた。
朱たち3人がチェックしていたのはロシアが中国にテスト運用を委託している各種月面兵器である。
日米の月面軍事力の圧力に抗しえないと判断した楊が本国を通じ、密かに支援を受けたのだ。
ロシアとしても大規模な運用テストの好機でもある。
月面試験場で乗り回すだけでは十分な結果を得られない。
実戦でないとしても、実際の現場で運用したデータは貴重だ。
テスト後の休憩時間。3人は机で珈琲を飲み談笑している。
月面の低重力環境では珈琲ミルとサーバーが上手く作動しないため、インスタントコーヒーしかない。
宇宙勤務者の間ではルナコーヒーは不味いコーヒーの代名詞だった。
ハゲノフ「どうだい、朱主任。アメリカとやりあうのか。」
朱「まさか。核戦争になっちまうよ。そうなったら俺たちに勝ち目はねえ。」
カミフサノフ「月だけなら核戦争にならねえんじゃないか。」
朱「うちらの新しい中南海はこらえ性がないからすぐにうつんだ。錦凌がそうだ。」
カミフサノフがコーヒーを一気に飲み干した。
「みんな不味いっていうがな、俺はこれが好きなんだ。日本(イポニヤ)のインスタントコーヒーは最高だ。奴らは嫌いだがコーヒーに罪はない。」
カミフサノフがコーヒーのおかわりをする。
ハゲノフ「ところで、あのちびの日本女(イポンカ)の脳みそはどうなった。」
朱「知らん。楊の大将のサド趣味にはつきあえねえ。それに。」
ハゲノフ「それに?」
朱「噂じゃ、あの炊飯器。わかるか、炊飯器。」
ハゲノフ「マルチヴァルカのことだろう。うちのばあさんがカーシャを作るときは日本(イポニヤ)のお高い奴を使ってるよ。マルチヴァルカに罪はない。」
朱「で、マルチヴァルカちゃんだがな。説明能力が低いからAIで補完できないらしい。」
カミフサノフ「なんだそりゃ。」
朱「あれだ、ほらいるだろ。スポーツのうまいやつが、コツを聞かれて「スコーンってくるからバーンって返す。簡単でしょう?」って説明する。」
カミフサノフ・ハゲノフ「ああ、いる。」
朱「そのタイプの人間はいくら脳みそをいじってもスコーンとかバーンしか言ってくれないんだとさ。」
ハゲノフ「しかし、そうすると脳は単なるHDDじゃないってことになるな。思考を司る前頭葉や言語野から何から何までスキャンした時の情報を取りこぼせない。」
カミフサノフ「脳科学は専門外だが、興味深い。」
ハゲノフ「ま、俺もあのマルチヴァルカちゃんの脳みそに電極を刺すなんて真似はちょっとかわいそうに思えてたから何よりだ。バカでよかった。」
カミフサノフ「しかし日本人にもそういうやつ、いるんだな。」
ハゲノフ「うちのラボにもいるよ。そういうやつ。まあ、うちには「通訳」がいるがね。」
カミフサノフ「マルチヴァルカちゃんにも「通訳」がいるんじゃないか。」
朱「ちゃんといるらしい。お前ら冷蔵庫って知ってるか。」
ハゲノフ「馬鹿にするな。うちは国全体が冷蔵庫だ。」
朱「そう、あのデカいやつさ。あんたらの国くらいでかい。」
朱が投影モニタに加勢と川路が並んで歩いている写真を投影する。
カミフサノフ「ああ、こないだ見たでかい日本人(イポーニツ)。このデカい冷蔵庫が「通訳」か。」
朱「そうなんだと。」
ブー!
呼び出しブザーが鳴った。
朱「やれやれ、黄隊長の呼び出しだ。」
朱は飲みかけのコーヒーを飲み干してシンクに放り投げた。
朱「アンタらはあのデカ物の最終チェックをすすめてもらいたい。」
カミフサノフ・ハゲノフ「まかせとけ。」
カミフサノフとハゲノフは大工場に並ぶ中で、一番目をひく巨大な車両を見る。
OVK-100 「ズヴェズダ-100(Звезда-100)
欧米の月面兵器は様々な理由から比較的装甲が薄い。
せっかく重量が1/6なのだから地球上では不可能な巨大車両を運用すればいいじゃないかと言う冒険的コンセプトでつくられた移動要塞。
重量が軽くなるため、月面では通常必要ないキャタピラの車両。
定員20人。その重量で無反動技術に頼らず125mm砲を気兼ねなく射撃できる。
もちろん、対ドローン、対ミサイル装備も充実している。
航空優勢という概念がない月世界でこの兵器を撃破するのはたやすいことではない。
ハゲノフ「たやすいことではない。」
カミフサノフ「本当にそうか、中国人(キタイスキ)が試してくれるんだから助かるな。」
ハゲノフ「我がロシアも欧米みたいに人権尊重が行き届いてきたな。」
ハッハッハッハ!
二人は大笑いしながらズヴェズダのチェックを始めた。
-広寒中心基地・脳科学・神経工学研究所-
朱が呼ばれた先は機密地区にある研究所だった。
部屋に入るとムッと嫌なにおいがする。
被検体の兵士が数人床に横たわっていた。
黄「朱、宇宙2級さんのデータが取れた。」
朱「宇宙2級?」
黄が仕切りカーテンを広げると、仕切り内に若い女性がよだれを垂らして椅子に座っている。目は中空を眺め、生気がない。たまに指や頭をびくっと痙攣させる様が不気味だ。
剃髪された頭に様々な器具が装着され、後頭部には電極棒が刺さり、コードが伸びている。
黄は朱の上司だが、同年、同郷である。ほかに人がいないときは友人の付き合いをしていた。
朱「この女が宇宙2級?しかしまたなんで宇宙2級を。」
黄「1級がいないのだから仕方ない。本当は1級でやりたかったんだがな。」
「しかし、この女どうみてもわが軍の兵士ではないか。友軍兵士にこの仕打ちは流石にひどいと思うが・・・」
「こいつは劉の残党さ。共産主義中国の走狗。」
「と、楊の大将が言ってたんだな。」
「まあ、そういうことだ。適当な罪状で捕まえてな。
尋問して吐かなかったから、仕方なくって筋書きさ。
ともあれ、2級とはいえ貴重なデータがとれた。」
ふうん
朱はモニタにならんだデータを読み取る。
簡体字にときどきアルファベットが混じる無機質な技術テキストだが、エンジニアには流麗な文学作品だ。
「なるほど面白いな。宇宙空間の物理的なバランス感覚を数値化しているというわけか。」
「戦闘AIに学習させればもっと機敏な動きが可能になるかもしれない。」
「あとこれは楊の大将がやれっていうから試したプログラムだが。」
ちょっと言い訳がましいかな、と顔が言っている。
黄がモニタに「こんにちは」と打ち込み、エンターキーを押す。
しばらくして女が正面を向き「こんにちは」としゃべった。
喋ると女は再びうなだれた。
朱「悪趣味だな。」顔をしかめる。
黄「だろう?」同じく顔をしかめた。
女の胸のネームには「許」と書かれている。
「許一級上士ねえ。」
朱が女の顎をもち顔を上げる。
「禿でも美人は美人。でもまあ、こうなっちゃ台無しだな。」
うつろな目はどこをみているかまったくわからない。
このあとは電極を抜かれて基地外の死体牧場に置かれ、人間の死体が月面でどういう変化をするかの研究材料になるのだろう。
先客がいたな。洪とかいう男だったか。
「で、お前を呼んだのは他でもない。アンドロイド兵士の調節だ。」
「ま、それが技術屋の俺の仕事だからな。この許ちゃんのデータを入れ込んでテストしろってね。」
「楊さんが言うには急げってことだ。」
「急ぐにも1秒から1年まで間がある。どのくらいだ。」
「2日だってさ。」
「ロシアの方は別の奴にまかせるぞ。」
「手配する。」
嫌気がさすぜ。
と、二人は互いに聞かれないよう、ちいさく独り言ちた。