永久影内からはシャックルトンの縁から光が差しているのがわかる。
しかしその光は手元には届かない。
暗闇の中に35名の隊員が息をひそめている。
「シャックルトンは随分やられてるらしいぜ。」
「酸素残量19時間。広寒までは十分だ。」
「本物の宇宙戦争だぞ。」
54連隊3中隊はシャックルトンクレーターの縁の影面に張り付いていた。
基地内の当直から異変が報じられ、訓練は中止。
ただちに基地に戻ることになったのを富原中隊長がとめた。
-今からもどっても間に合わない-
おそらく敵は警備線を正面から抜いてくる。
それが証拠に警備線全面に砲の着弾が見える。吹き飛ぶポストとその破片。
レゴリスのもうもうたる煙。
地下化されているとはいえ、ただではすまなかろう。
富原「月面版の全縦深打撃だな。」
小隊長の角田2尉から無線が入った。
「リム北側の吉田2曹から、敵機甲部隊多数接近中との報告。」
富原「いいじゃねえか。その側面を急襲する。」
角田「連隊本部からの命令は。」
富原「はは。あると思うか。」
角田「ないと思います。しかし緊急時の対処要領にもこういう状況の想定はないはずです。」
富原「俺たちの本業だよ。専守防衛。せっかくやられたんだ。全力でやり返す。」
角田2尉は「了解」と返し、部下を掌握する。
リム北側から機甲部隊。
警備線前面には迫撃砲の標点をあらかじめとってある。敵がどこを通過しようが百発百中、頭上に追従榴弾を撃ち込める。
砲弾は上空100mで起爆し危害半径は500m。バラまかれる200数十個のつぶては起爆の直前に敵車両等を感知して自動で向かっていく。
撃ち込むだけ撃ち込んだら32式自走無反動砲と106mm軌道戦闘車を先頭に、装甲ルナクルーザーで前進。
敵機甲火力を減殺し、下車戦闘で残敵掃討。
角田はぶつぶつと手順を繰り返し繰り返し頭の中で確認していた。
口で言うのは簡単だ。頭の中で繰り返すのも簡単だ。
真に難しいのは、分隊長たちに細かい手順を言い含めることだ。
想定していなかった永久影面での待機からの急襲。
訓練していないことをやるのは難しい。
中隊長の意図はちゃんと伝わっているか。
角田は手順を再度徹底するため分隊長を集合させた。
◆
2足歩行する機械は平成中ごろから先進国で研究が飛躍的に進んでいったが、技術的困難や、2足歩行の必要性の薄さから令和に入ったころから下火になっていた。
それでも技術は進歩し、複雑な動きが可能な2足歩行機械はどんどん開発されていった。
おりしもAI技術も発展していき、自律的に動く2足歩行機械も令和中ごろから末期にかけて出現していった。
中国は2足歩行機械の研究にリソースの多くを割き、初の自律型機械式兵士、つまりアンドロイド兵を世界で最初に軍隊に採用した国でもある。
アメリカでも同様の試みはあったが、結局積極採用は見送られていた。
なぜか
AI鬱というものがある。
AIを兵士として運用するにあたっては、自己保全と仲間の保全の概念を備えなければならないのだが、その際に「AIが死の恐怖を感じる。」という問題点が生じた。
さまざまな研究がなされた結果、自己保全と仲間の保全の概念を組み込むことで「死の恐怖」に相当するストレスがAIに負荷としてかかり、鬱に似た症状が一定の確率で発生することがわかった。
しかも面白いことに、人間の形態に近い体を持つAIほどよく発症するのだ。
人間の形態を十全に動かすための神経系が複雑になることが影響していると研究者たちは暫定的に結論付けている。
自己または仲間の保全のバランスを調整し、低レベルにすると鬱の発生率は下がるが、当然まともな作戦行動ができなくなる。
一方、「AI鬱」にかかったAIは自暴自棄になったり、動きが著しく遅くなったりする。
アメリカをはじめとする各国は人間形態のアンドロイド兵を研究しつつも、実際の運用には見切りをつけ、四脚や多脚のAI自律兵器に傾倒していった。
しかし中国はこの問題点に取り組み続け、AI鬱発生率を抑える技術を磨き続けた。
シャックルトンを襲ったアンドロイドは、中国のAI技術の結晶だ。
そして楊はアンドロイド兵200体を与えられ、そのテストを任されていた。
まさかまさか。
テストが実戦になるとはな。
楊はズヴェズダの指令室に入ってくる実戦データに高揚感を覚えていた。
ズヴェズダはシャックルトンの警備線まであと20分ほどの位置を進んでいる。
尖兵として投入したアンドロイド部隊は壊滅したようだが、十分なデータがとれた。
鼻歌がもれ出る。中国古来の旋律が現代風にアレンジされたポピュラー曲だ。
ちなみに楊はVOCASONが大嫌いだった。歌は人間の肉声に限るという信条だ。
人間が到底通れない狭い溶岩チューブもアンドロイドなら通すことができる。
洪の脳情報にあった、人間の使用に適さない狭小溶岩洞はシャックルトン基地の真下を通っていたのだ。
「劉の怠慢だな。ちょうどいい溶岩洞があったものを。」
軍士長が報告にきた。
「シャックルトン基地内のアンドロイド部隊は全滅しました。」
楊は鼻歌をいったんとめた。
「そうか。なかなか粘ったな。」
「よろしいのですか。」
「全滅したものはしかたあるまい。あれは後方かく乱が目的だ。前面の警備線の増援がなければそれでいい。」
ズヴェズダを中心とした機械化合成営が警備線を蹂躙し、シャックルトン基地をその手におさめる。米軍が到着するにはもう数時間かかるはずだ。
地球上での戦況は知らん。地球は地球の連中が頑張れ。
俺は月を制覇する。
◆
「これは・・・」
「機械化部隊のようですな。」
園部1尉が真剣なまなざしで拡大投影された写真を見つめ、重原准尉も一瞥をくれた。
空幕の月面分室に、前進するズヴェズダを中心に月面戦闘車多数が陣形を組んでいる写真が数枚届けられたのだ。
「跨乗歩兵ですな。」
月面戦闘車には後部の平たい部分に気密服の兵士数名が乗っているのが見えた。
重原准尉の言葉に園部1尉が機敏に反応する。
園部1尉「跨乗歩兵!?」
険しい顔だ。
-そうです-
重原准尉がうなづいた。
「跨乗歩兵ってなんですか。」
重原准尉がちょっとずっこけた。
「あ、いや。あのほら。ソ連の。」
園部1尉「ソ連・・・!?」
険しい顔だ。
重原はやっと通じたかと安心したが・・・
園部「世界初の本格的な社会主義国家で、1922年に成立。1991年に崩壊するまで、アメリカと並ぶ超大国として世界の政治・軍事に大きな影響を与えた・・・あのソ連ですか!それがどうしたというのでしょう!」
重原准尉はまたちょっとずっこけた。
「ええと、その。大昔のそのソ連軍はですね。戦車の外側に歩兵を乗せておりまして、それを跨乗歩兵といっておったのです。今回の敵も戦闘車に直接兵隊を乗せているので、似ているなあと。いや、ただそれだけです。」
園部1尉は目をキラキラさせながらメモを取っていた。
「さすが重原准尉。いにしえの戦法にも長けてらっしゃいますね!」
-昔話をする俺が悪いのかもしれんが、いちいち話が通じないな-
ちなみに重原准尉も跨乗歩兵のことは別に詳しくもない。
◆
LOW-MACSのハッチを閉める前に加勢士長は分隊のみんなに手を振った。
もしかしたらこれがみんなの見納めになるかもしれない。
なんてことをチラと思った。
しかし実際
仲の良かった尾渡3曹と浜野3曹は死んでしまった。
次は自分かもしれないし、分隊のみんなかもしれない。
建徳時代の日本人の死生観は令和初期のそれとかなり違っている。
うち続いた大災害、台湾紛争。
治安の悪化による殺人、傷害事件の増加。
それらは死を日本人の身近にした。
よほど運が悪くなければ自分と自分の周囲には訪れないもの。
という、かつてあった死への距離感は建徳時代には、背中合わせに感じられるものになっていた。
加勢士長もその時代の空気の中で生きている。
「まあ、死んだら死んだときか。」
この割り切りは極限状態で感覚が麻痺していたというだけでは説明がつかない。
「王さん。あなた、砲手だけどさ。仲間撃つことなりそうだけど。いいの?」
加勢が砲手座席の王に無線で尋ねた。
王「かまわないよ。加勢さんこそ人殺したことないでしょ。」
加勢が一呼吸おいて「ない」と答える。
「僕は、あまり言えないけど殺したことあるから。撃つときも多分加勢さんよりためらわないで撃てる。今はそれが大事。」
「わかった。ごめんね。」
「楊の奴はネ。あいつVOCASON否定派だから敵だよ。」
加勢「そんな基準?」
「劉さんはVOCSON好きの僕を否定しなかったから仲間。」
加勢「そんな基準なんだ。」
王は屈託なく笑った。
本音かもしれないし、もっと複雑な心情があるけど説明しがたいのでVOCASONでわかりやすく説明しただけなのかもしれない。
でも、どっちでもよかった。
LOW-MACSのモーターが回り始めた。
◆
民間人区画で、柳沢るり子が劉を強いハグから解放した。
「生きて帰ってきてください。」
棒立ちの劉がようやく口を開いた。
「おまかせあれ。偽華の楊なぞ、ギッタンギッタンにしてやりますぞ。」
柳沢るり子は翻訳機の翻訳センスに苦笑した。
その笑みで劉はさらに奮い立つ。
岩倉1尉の要請で劉達も警備線防衛に参戦することになった。
保華援沙義勇軍総勢8名は整列し、ジャクトン議員ら、非戦闘員たちに敬礼する。
外には3中隊からの迎えのルナクルーザーが到着していた。
「行ってまいりますぞ、柳沢るり子殿」
趙は劉が言い終わるやいなや「みなさん!ご安心を!かならずやこの基地を守り切って見せます!」と叫んで手を振った。
ルナクルーザーは劉達を乗せると街路を飛ばして消えていった。
劉達が去ったのち、ジャクトン議員は柳沢るり子に尋ねた。
「ルリコサン。あの劉とかいう隊長、死ぬ気に見えましたが。」
「死ぬ気でしょうね。あと部下の方々ももれなく。そう見えました。どなたも生きて帰る気などさらさらないと言った表情。」
「ルリコは劉にハグをしたあと、生きて帰ってきてください、と言いましたが。」
「どうせ死ぬのなら。気持ちよく死地に送り出すのが礼儀かな、と思いまして。」
ルリコサン、つらいことですね。
そういうものです。
シャックルトン基地は仮修繕され、空気漏出はとまっていた。
年の瀬がせまる。
しかしそんな季節感はすでに誰も感じていなかった。