川路の座るルナクルーザーの席は、タイヤハウスでいささか窮屈だった。
もっともタイヤハウスであろうがなかろうが、2mの巨漢用には作られていないのであまり変わりはない。
タイヤがレゴリスを踏みしめる独特の振動が尻から伝わる。
大きな振動のたびに体が少し跳ね上がるが、低重力なので戻りがいささか遅い。
しかし地球を離れて2か月半。遅いというよりもそれが当然の感覚になっている。
脇腹付近。応急修理された部分がちょっと盛り上がっている。
銃を抱きしめ、気密服のポーチに仕舞われた弾倉をグローブでなぞる。
気密服のグローブでも開け閉めができるポーチの蓋。
装弾を命じられたらただちに蓋を跳ねあげ、弾倉を取り出し、銃の槓桿レバーを引いて弾を装填する。
何度も何度も訓練して出来るはずの動作だったが、本当に出来るのだろうかと、川路は少し不安になる。
ルナクルーザーは隊列を組み、警備線に向かっている。
警備線では4中隊が敵と死闘を繰り広げているという。
真っ先に突っ込むのは加勢士長の乗っているロボットだと聞いた。
自分が29歳で加勢士長が20歳。いや、21歳になったのだったか。
初めて会ったときはやけに小さな女性だと思った。
その後も変わらず小さいままだが、後輩を指導しているときは時々大きく見える。
反対に徳田曹長などに怒られているときはまるで子猫みたいに小さく見えた。
何も隠さない、というより隠せない性格なので、感情が素直に外に出るのだろう。
しかしあの無鉄砲さはどこから来るのか。時折思ってはいたが、今回のロボットの件では流石にあきれるほどの無鉄砲だと思った。
無鉄砲だが、見事に乗りこなしている。
加勢士長は時々、想像を超える器用さを発揮する。
銃の取り扱いで以前怒られたことがあった。
加勢士長がやったようにコイルチューバーの連動桿を不正に扱おうとしたが、自分にはどうしてもできなかった。落ち着いてやればできぬではないが、加勢士長のように射撃中にできるものではない。
陸自の油圧ショベルを難なく扱って見せたこともあった。
今度はどうだ。米軍のロボットだ。
だが。
川路の脳裏に暗い想像がよぎった。
いくら器用でも人は死ぬ。死ぬときは死ぬ。
ドオン
という振動が伝わった。
「1時の方向100m。着弾!」
全体無線が入った。
隣に座っている大谷3曹は平気な顔をしているように見える。
まあ、この人はいつもそうだ。
対面に座っている4人は銃をしっかり握って固まっている。
表情は見えないが、おそらく極度の緊張で動けないのだろう。
それはそうだ。さっきのような弾がいつ、このルナクルーザーの真上に落ちるともしれないのだ。
おちたら一巻の終わり。
直撃でなくても。
ルナクルーザーがひっくりかえって気密服が破けでもしたら、それでも人生は終了。
でも。
川路の脳裏に明るい想像がよぎった。
加勢士長ならなんとかしてくれそうだ。
あんな年下の中学生みたいな女の子なのに。なんだろうな、この安心感は。
ドオン
着弾だろう。
また振動があった。でも川路はもう怖くない。
3中隊の警備線支援の線到達まであと4分
◆
「基地方向から空自の車列が警備線に向かっています。」
富原3佐に報告があった。
「基地内は片付いたってわけか。」
富原3佐はアームモニタでなにやら計算し、角田2尉を呼び出す。
「ふむ。角田!」
「こちら角田2尉」
「出られるか。」
「出られますが、まだ早いのでは?」
「基地から来た空自さんが突っ込んでんだよ。」
角田2尉は予定がまた崩れたことに絶句したが、すぐに精神を持ち直した。
「・・・それで、開始はいつですか。」
「そうさな。あと5分ほど。空自さんの車列に着弾が近づいている。」
中隊長から送られてきたモニタリンクで角田2尉は空自の車列を確認した。
「中隊長。先頭の米軍ロボットが2号標点を越えたあたりで出ます。」
「頼むぞ、角田」
角田2尉は分隊長にリンクを送信した。
「若干の修正があった。開始が早まる。敵サンまでちょっと距離があるが、空自の車列を警備線陣地に入れねばならん。こちらに注意をひきつける。」
各分隊から了解の応答があった。
角田2尉はヘルメットのデジタルグラスに映した時計の秒数を数える。
0秒、早く来い。いや、来るな。いや、来てくれ。
人の思いをよそに、タイマーは機械的に秒を減らしていった。
◆
「突っ込むの早くなるんだってよ!」
浅見3曹が珍しく慌てた口調で指示を伝えた。
「それでどのくらい早くなるんです。」
金澤士長が尋ねるや、分隊全員のデジタルグラスにタイマーが表示された。
「ええ、いきなりすぎないっすか!」
「どうした吉川。ビビったか。」
浅見3曹が吉川をからかう。
「ビビってません!」「馬鹿、大声だすな。音が割れる。」
むきになった吉川1士の声が分隊無線に響く。
分隊みんながアハハと笑う。
吉川1士はむすっとし、何かごまかすかのように銃を構えなおす。
初めての実戦。みな、内心恐ろしくてたまらないのは間違いない。
本物の命のやりとりがタイマーがゼロになったとたん始まるのだ。
兎内3曹は一人、レゴリスの突起に背を預けて深呼吸していた。
あの空自のワックは大丈夫かなあ。
空を見上げる。地球では到底拝めない満天の星空だ。
古代ギリシャ人がこれをみたら星座を作るのに苦労しそうだな、などと瀟洒な冗談が浮かんだ。そうだ、今度会えたらこの冗談を言ってみよう。
ええと、津志田。津志田3曹だ。
なんだかな、名前を覚えると気持ちがハッキリしすぎてしまうような気がして。
本当はハッキリ覚えているのだけど、いちいち思い出す茶番をしてしまう。
タイマーはどんどん秒を減らしていった。
◆
運悪くロシア製の月面戦闘車に乗ってしまった。
中国製と比べると作りが武骨すぎる。性能はきっといいのだろうが、少なくとも跨乗するとなると、こんなの乗れたものじゃない。まあ、乗っているのだが。
本来手すりではないのだろうが、ちょうどいいところに取っ手になるものがあるのでつかんで耐えている。
ふと空を見ると地球が輝いている。
俺はみてしまった。錦凌が滅びた光を。
地球を見上げるたびに、あの小さなピカっという光が起きないか不安になる。
幸い俺には錦凌に知り合いも親族もいない。錦綾はまったく無関係なところだが、いつ俺の故郷がピカっと光らないとも限らない。
もともと武警だったはずなのに、なぜかいま俺は月面にいる。
そればかりか米日と戦争だ。それも宇宙戦争。いい加減にしろ。
こういうのは現実ではなくSF映画でやってくれ。
SFと言えばだ。
男の名は陳。
陳中士は後ろに顔を向けた。
なんだあのクソバカでかい戦車は。
キャタピラがまき散らされるレゴリスで見えない。
レゴリスが履帯に噛むからガスで吹き飛ばし続けているらしいが、なんとも馬鹿馬鹿しい作りだ。ロシア製らしい。
陳はズヴェズダのいくつもある細長い筒がチカチカと光ったのを見た。
それとともに陳のバイザーに強いノイズが走る。上空で爆発が起きた。
「迫撃砲だ!」
無線が入った。
対迫密マイクロ波が迫撃砲弾を上空で迎撃したのだろう。
バイザーのノイズが戻った。
「人間の近くで使うやつがあるかよ!」
陳は独り言で抗議したが、迫撃砲の榴弾で死ぬよりはマシかなと思いなおす。
思いなおすが、これが地獄の始まりで、こんなところに自分を連れてきた奴等に対しての抗議は続いた。
抗議しつつ、銃を構える。
「迫のあとは日本軍が突撃してくるぞ!」
白班長の班無線が来る。
そんなこたぁ知ってる。余計な無線を入れてくるな。
恐怖は不快や抗議を押し包む。
陳は月面戦闘車にしがみつき上空を見た。
バイザーにノイズが走る。迫撃砲の雨が降っているようだ。
ノイズの切れ間。上空に迎撃とは違う爆発が起きたのが見えた。
その爆発でなにか小さいものが散った。こちらに何かが飛んでくる。
子弾か?
陳の隣に座っていた兵士がもげた。
もげたあと、その兵士の座っていた場所に穴が開いた。
そこまでは確かに見た。
その直後、陳はもう抗議できなくなった。
◆
「いいぞ、命中」
「敵月面戦闘車2台擱座。」
54連隊の自走迫撃砲はジグザグに移動しながら機動射撃を行っている。
どんなでこぼこ道でも標点に向けて迫撃砲を撃ってくれる。
対迫戦の反撃の弾が飛んでくるが、自走迫撃砲の移動を捉えられない。
「ここは潮どきだ。射撃やめ。アカマツとエノキの交点に移動する。」
これ以上射撃をすると敵に位置を補足される。
角田2尉は自走迫撃砲を下げた。
富原3佐はデジタルグラスの拡大モードで戦況を確認し、決心の時をはかっていた。お次は俺たちのお家芸だ。
何度も何度もやった。地球でも。ここでも。
まさか本番をやることになるとはな。不覚にも想像力が欠けていた。
足が震えて動かない。
畜生。俺はただのイキり野郎だったってことか。
喉が震える。
どうした。言え。言え!命じろ。
その時、後ろから誰かが富原の肩を叩いた。
「誰だ。」
「おまたせしました。」
「桜野!」
「当直勤務桜野曹長、シャックルトン基地からただ今参りました。」
桜野は片手に持っていたアンドロイドの首を中隊長車から外に投げすてる。
首はレゴリスの砂の上に落ちた。
「やりましょう、中隊長。状況はさきほど確認しました。」
「やるか、桜野ぉ!」
みれば桜野曹長も足が震えているようだ。作り笑いの表情からは恐怖が読み取れる。
-そりゃそうだよな、そうだよ-
富原は桜野に個人無線を飛ばした。
「頼みがある桜野曹長。」
「なんですか。」
「タイマーがゼロになったら俺のケツを手ひどく蹴り飛ばしてくれ。」
なぜですか?などとは聞かない。
桜野曹長は快諾する。
タイマーが残り15秒
富原3佐「みんな聞こえるか。目標、前方700の位置。敵機甲部隊。」
「縁を乗り越えたら、いよいよ本当の戦場だ。準備はいいか。突撃に!」
タイマーがゼロになった。桜野曹長の蹴りが富原3佐の尻にめり込んだ。
「前へ!!」
54連隊がいっせいに縁をこえる。
常闇の永久影から真昼間の月面へ!
各分隊の車両が前進し、中隊長車もそれに続く。
蹴られて車内に転がった富原3佐を訓練陸曹が手を取り、立つのを助けた。
立ちあがるや富原3佐は無線を切り、叫んだ。
「ママぁーーーー!!」